『近江国・彦根』への旅/その9・彦根城本丸

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蒸し暑過ぎた彦根城の『天秤櫓』を脱出した伊蔵は、さらに本丸へと続く石段と坂道を登って行った。この坂道の先には重要文化財である『太鼓門櫓』ありこの櫓の門をくぐるといよいよ天守閣の建つ『彦根城本丸』となる。
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汗を流しつつ坂道を登る途中にはしっかりと組まれた美しい石垣を見る事が出来る。城巡りの楽しみのひとつがこの石垣積みの精緻さとその技術力の高さを垣間見つつ感動し驚く事であろう。美しい石組を横目で見ながら伊蔵は本丸へと辿り着いたのだった。本丸はちょっとした平な広場になっておりその端にこじんまりとしながらも重厚感溢れる『彦根城天守閣』が建っていた。
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派手さとスマートさは決して無い天守閣だがどことなく無骨さ、力強さというものを感じる建築物である。優雅でスマートな大坂城天守閣を映画スターウォーズに登場するドロイド『C-3PO』に例えるなら、差し詰めこの彦根城天守閣はその相棒『R2-D2』というところか。
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三層三階のこの天守閣は紛れもなく四百年前から変わらずこの場所に建っている国宝の天守閣である(外観は修理の際に化粧直しされているようだ)。この天守閣の特徴はまず第一に屋根に様々な様式を幾つも合わせて構成されている事である。
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一層目には『切妻破風』、二層目には『入母屋破風』、三層目には『唐破風』といった異なった屋根の様式が見られそれらが全体に実にバランス良く一体化し変化に富んだ美しい外観を見せている。
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天守閣を支える石垣は優雅な反りも無く、その石組も一見粗雑に見える。しかしこの石組は水はけも良く安定感も抜群に良いとされる“牛蒡積み(ごぼうづみ)”という工法が採られている。伊蔵の先の旅で訪れた浜松城天守閣の石垣でも観察出来た“野面積み(のずらづみ)”によく似ている。調べてみるとこの彦根城天守閣石垣の“牛蒡積み”は“野面積み”の一種であり野面積みよりも崩れにくくした発展系だという事でほぼ同じ工法だと分かった。
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天守閣の建つ彦根山の山頂、本丸の広場からは城下に広がる彦根市の街並に加え日本一の規模を誇る湖『琵琶湖』も望めとても眺望がいい。この琵琶湖を指差し『海じゃん!海が見える!』と横で叫んでいた若者がいた。一体どういう地理感覚をして彦根まで旅をしに来ているのかとオッサン伊蔵はしばし呆れてしまった・・・。

彦根山からの景色を本丸広場から一通り楽しんだ後、伊蔵は『彦根城天守閣』内部へと向ったのだった。<つづく>






『近江国・彦根』への旅/その8・本丸への道

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伊蔵は彦根城の本丸へと続く石段を登り始めた。彦根城の城郭は一つの山を全て城塞化している為ちょっとした山登り感覚で登らねばならない。といっても“平山城”(平地の中にある小高い丘陵や山に築かれた城の事)なので岐阜城の様に険峻な山の頂きに城が築かれている訳ではないのですぐに登れてしまうのだが・・。
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同じ平山城でもこの彦根市からさらに南に下った場所にある『安土城』の遺跡を以前に見に行った事があるがあちらの方がもっと急な坂道だった。

石段をしばらく登ると大きな木製の橋が見えて来る。
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『廊下橋』と呼ばれる橋で『鐘の丸』と『太鼓丸』を『天秤櫓(てんびんやぐら)』を介して繋いでいる木造橋である。この橋は時代劇などでよく撮影に使われるので御存じの方も多いであろう。この橋の架けられている谷間は元々山の尾根だった部分を人の手で掘削して濠の役目を持たせてあり『大堀切』という名前が付けられている。
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上の画像の右手が本丸側だが一旦この大堀切を通過した後、左手に直角に折れて進み『鐘の丸』を通過しまた直角に折れて『廊下橋』を渡らないと本丸へは辿り着けない設計になっている。
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有事の際にはこの『廊下橋』を壊してしまえば敵は容易には本丸へと侵入する事は出来ない事になるのだ。この『大堀切』に敵を誘き寄せてしまえば自軍に有利な高い位置から敵を攻撃、城を防衛する事が可能であり、こういった城の防衛といった観点から彦根城の縄張りを見るとよく工夫されているのが分かる。

日射しがとても眩しく、彦根城本丸を目指す伊蔵はすでに汗だく状態であった。扇子を片手にパタパタと扇ぎつつの登城といった感じ。山の城なので木陰に入ったら案外涼しいのではないかと思ったがそれも甘かったらしい。
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『鐘の丸』から見た『廊下橋』と『天秤櫓』。写真では切れてしまっているが両隅に二階建ての櫓が設けてあり中央に門が備え付けてある。あたかも両端に荷物を下げた天秤の様に見える事から『天秤櫓』の名が付けられたという。先程記した『廊下橋』を落した場合、敵は高い石垣を登りつつさらにこの『天秤櫓』を突破しない限り本丸へは辿り着けない。この『天秤櫓』が果たす防衛上の役割は重要であったといえるだろう。

汗を拭きつつ『天秤櫓』に穿たれた門をくぐるとこの城の防衛上最も重要な建物である『天秤櫓』が一般公開されているらしい。伊蔵は中に入ってみる事にした。
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しかし中に居たのはなんと“ひこにゃん”であった・・・・。ひこにゃんと一緒に撮影出来るスペースと各種展示物、その説明などがなされていた。しかし櫓内は蒸し風呂状態でとても長時間居る事が出来なかった。早々に伊蔵は『天秤櫓』を退散したのだった。本丸へはさらに石段を登らねばならない。伊蔵は本丸方面へ歩を進めた。<つづく>




『近江国・彦根』への旅/その7・彦根城博物館・表御殿

彦根のイメージキャラクター“ひこにゃん”との対面を終えた伊蔵は、『彦根城博物館』を見学する事にした。『彦根城博物館』は江戸時代に彦根藩の政庁であった表御殿の復元と博物館としての機能を一つにするという構想のもとに建設された施設である。彦根市制50周年を記念して昭和62年に開館した。徳川家譜代大名筆頭井伊家に伝わる武具をはじめ、各種の美術工芸品、古文書等様々な品々が展示されていて面白い。

彦根城博物館の館内中央には江戸時代の大きな『能舞台』が現存しておりかなりの迫力があった。これら展示スペースの最奥部に『表御殿』の中でも藩主が日常生活を営んだとされる“奥向き”と呼ばれる建築物が木造で復元されていた。展示スペースとの境界は重い鉄扉で仕切られていた。伊蔵はその鉄扉を開けてその“奥向き”スペースへと足を踏み入れたのだった。
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なかなか本格的に復元されていて感心。御殿内は迷路の様に通路が続いていた。但し現代の日本人の身長サイズに比べ御殿内の天井高は相当低い。御殿内部の各部屋に入る時など頭上に気を付けないと鴨居に頭をぶつけてしまう位に低いのである。たかだか二百年そこそこの間に日本人の体格が随分変化しまったという事である。
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これは『天光室(てんこうしつ)』と名付けられた四畳半の茶室。彦根藩13代藩主『井伊直弼』は幕閣の国政を担う政治家として知られる一方、茶の湯、国学、禅、居合などにも熱心な文化人でもあった。特に茶の湯については石州派の一派を創設、『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』などの書物を著すほどの茶人であった。この『茶湯一会集』の冒頭には“一期一会”(今日のこの時の出会いは二度と再び巡ってくる事はない。今この時を大切に思い、心を込めて客をもてなすという茶道の考え方)の思想が主張されている。狭い茶室だがその茶の湯の思想は大きい。この狭い茶室の中にその思想自体が簡潔に充満しているように感じる。
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その後も伊蔵は表御殿内を隈無く歩き回った。各部屋の様子は藩主の居住空間としては少々狭くとても質素に感じた。最奥部にある藩主自身が寛ぐ部屋『御亭(おちん)』という部屋も驚く程に質素で狭い。ただ庭は立派だった。
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復元されて間も無い庭なので渋さとか威厳とかというものが無いが、これから年月を経ていく毎に風格ある庭になって行くだろう。規模はかなり広い庭であった。
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木造の表御殿復元部分についてはエアコンなどは勿論設備されておらず見学自体とても暑かったが一通り回って伊蔵の『表御殿』見学は終わった。次の目的地はいよいよ彦根城の天守閣である。伊蔵は天守へと続く石段をのぼり始めたのだった。<つづく>






『飛騨のお土産』参上!!

彦根の旅レポの途中ですがここで別のお話。
先日の事、突然飛騨方面へ泊まりで買い出し出掛けたというtakeさんよりお土産を頂いた。彼は郡上・荘川・高山方面へと出掛け『鮎三昧』と仕入れの旅であったという・・。鮎は伊蔵の大好物である川魚。うらやましい限りである。takeさんが旅から帰って来た日の晩に伊蔵はお店に出掛けてみた。密かに『鮎土産』を楽しみにしていた伊蔵ではあったがどうやら手に入れる事は叶わなかったようだった。残念・・・。その代わりと言っては何だがtakeさんは別のお土産を買って来てくれていた。飛騨高山で手に入れたというそのお土産はスナック菓子であったがただのスナック菓子ではなかった!
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『白影スナック・伽哩棒(カレー味)』

むむむ!こっこれは!!その昔、伊蔵が好きだった特撮テレビ番組『仮面の忍者赤影』(原作・横山光輝)に登場する白影さんではないかっ!なぜこのようなスナック菓子が高山に!?と一瞬思ったのだが、考えてみれば忍者『赤影』とその仲間達『青影』『白影』の出身地の設定は“飛騨”だったという事に気が付き納得。『鮎』が食べれないのは残念だったが、この思わぬお土産は伊蔵を喜ばすには十分の品であった。
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『仮面の忍者赤影』という番組の時代設定は日本の戦国時代末期、織田信長の京都上洛前、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃となっている。日本史でいえばこの時代の最も最先端の武器は『鉄砲』であったはずだが、そこは子供向けの特撮娯楽番組という事で時代背景無視の突拍子のない武器や空飛ぶ兵器、怪獣等が次々と登場する。
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これが子供達の心を掴んで離さず『仮面の忍者赤影』は当時の人気番組だった。当の伊蔵も大好きな番組であった。そんな人気番組という事もあって『仮面の忍者赤影』は長期に渡って放送され、ストーリーも、

●『金目教編(きんめきょうへん)』
●『卍党編(まんじとうへん)』
●『根来編(ねごろへん)』
●『魔風編(まふうへん)』

大きく四つのパートに分れていて飽きるという事が無かった。特に記憶に残っているパートは『金目教編』と『卍党編』であとの二つのパートについては断片的にしか覚えてはいない。菓子袋の裏面には物語冒頭の懐かしいナレーションが記載されている(金目教偏での冒頭のナレーション)。
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“豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた。それを信じない者は恐ろしい祟りに見舞われるという。その正体は何か。藤吉郎は金目教の秘密を探るため飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ・・・”

takeさんから貰ったこの『白影スナック』の他にも『赤影スナック(飛騨牛ビーフ味)』『青影スナック(紅芋バターしょうゆ味)』などがあるようだ。赤影や青影がピンチに陥った時、空の彼方から『影』と大きく墨文字で書かれた大凧に乗りサイレンの音とともに現れ、
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『あぁ〜かかげどのぉぉぉ〜〜!!(赤影殿〜)』

と叫びながら助けに現れる格好良い白影のおじさん(牧冬吉さん)が伊蔵は好きだった(大凧は敵に攻撃されていつも燃えてしまうがなかなか空から落ちない・笑)。なのでこの『白影スナック』の飛騨土産はとても嬉しかった。

早速家に帰って『白影スナック』を頂いた。カレー味という事で辛いのかと思ったらそうでもなく、ほんのりとした優しい辛さのスナック菓子であった。その味は“優しいおじさん白い影”そのままの美味しさだった。有難う白影のおじさん!

●白影のテーマ(Youtubeより)
http://jp.youtube.com/watch?v=6ECRy_rTGbk

●仮面の忍者赤影(主題歌)
http://jp.youtube.com/watch?v=wTVPc1w7EF4&feature=related

●油断禁物の術(2001年公開/『RED SHADOW 赤影』より)※伊蔵のお気に入り
http://jp.youtube.com/watch?v=6BV_rd1eROo&feature=related




『近江国・彦根』への旅/その6・“ひこにゃん”現る!!(2)

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係員のお兄さんの合図が出たにも関らず、当の『ひこにゃん』はなかなか会場内に姿を見せなかった。見せないというより照れて入って来ないという感じの仕種でチラリ・・・と戸口の付近に留まっているようだ。これだけの仕種の可愛さで観光客達の拍手喝采を取ってしまうのだから凄い。『ひこにゃん』はその歓声に応え、モチのような身体と短い足でヒョコヒョコと会場の中央まで移動して来たのだった。
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ここでこの彦根市のイメージキャラクター『ひこにゃん』について語らねばなるまい。このイメージキャラクターは元々昨年に彦根市で行なわれたイベント『彦根城築城400年祭』のイメージキャラクターとして誕生した。デザインをしたのは大阪府の桜井デザイン所属のイラストレーター『もへろん』氏である。

このイベントを広く全国の人達に知ってもらう為にと考え出された『ひこにゃん』であったが、この着ぐるみのキャラクターの“ゆるさ”“可愛さ”がなぜか多いにウケてしまいマスコミに多く取り挙げられる事になった。その為、当の『彦根城築城400年祭』のイベント内容等がひこにゃん人気の影になってしまい、霞んでしまうという笑えない事態にもなったのである。イベントは無事に終了したが『ひこにゃん』の人気は衰えず、今ではすっかり彦根市のイメージキャラクターとして定着してしまったようだ。
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『ひこにゃん』の外見状の特徴は白い猫が金色の角の装飾が施された赤い兜を冠っているというもの。これにはちゃんと由来というものがある。

何故『猫』なのか。これは彦根藩二代藩主『井伊直孝(いいなおたか)』が豪徳寺という寺の門前の大木の下で雨宿りをしていたところ、白い猫が現れ直孝に向かって手招きをしたという。『??』と思った直孝はその白い猫の方へ近寄ってみた。すると先程まで雨宿りをしていた大木に雷が落ちた。直孝は猫の手招きによって命を救われたのだった。直孝はこの白い猫に感謝し、豪徳寺を井伊家の菩提寺としたという逸話が元となっている。

ひこにゃんの冠る朱色の兜にも意味がある。
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これは『井伊の赤備え(いいのあかぞなえ)』からきている。赤備えとは戦国時代の軍団編成のひとつ。井伊家の率いる軍勢は甲冑や武具、旗差物に至るまで全てが朱色に塗られていた。その軍勢の精強さは比類がなく『井伊の赤鬼』と呼ばれて敵側から大いに恐れられたという。

元々この“赤備え”の軍団編成は井伊家のものではなく、甲斐の武田信玄が作り上げたものであった。武田家滅亡後、信玄が作り上げた軍団の強さを十分に認めていた徳川家康は武田家の旧臣達を多く召し抱え、特に井伊家の下に配属せしめた。井伊家の軍勢の強さの秘密はこれら武田家の旧臣達の力が大きかったのである。以後井伊家の軍勢はその強さと赤備えという編成を武田家から受け継ぐ形になった。
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このように彦根のイメージキャラクター『ひこにゃん』の外見上の特徴は、彦根の発展に大いに寄与した井伊家に伝わる逸話や、軍団編成の特徴を両方とも兼ね備えたものだと言えるのである。しかしながら会場での『ひこにゃん』にはそうした由来の勇猛さというものは全く無くとてもカワイイのである(笑)全国にキャンペーンがあれば出張していく事もあるというこの『ひこにゃん』、撮影慣れもしているらしく観光客が撮影しやすいようにちゃんとポージングもしてくれる可愛い奴なのだ。
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やがて『ひこにゃん』と観光客同士の2ショット撮影会が始まったのだが、予想以上に『ひこにゃん』と一緒に写真に収まりたいと考える観光客が多くて驚いた。驚いたと同時に『ひこにゃんの“中の人”も大変だよなぁ〜』と思わずにはいられなかった。一体“中の人”にはどんな人が入っているのだろう・・・。交代人員は勿論いるだろうが、これだけ気温が高く暑い日には着ぐるみ内の温度は相当なものになるだろう。

可愛く愛橋の良い『ひこにゃん』のパフォーマンスを見ていると“中の人”はひょっとすると女性なのであるまいか・・と勝手に推測する伊蔵であった。2ショット撮影会で盛り上がる会場を後にしつつ『ひこにゃん』に別れを告げた。実際に『ひこにゃん』を目にして見たがその可愛さというものは伊蔵に十分に伝わったし、このキャラクターに人気が出るのも分かる様な気がした。<つづく>

※追記
彦根市にはこの『ひこにゃん』の他にもキャラクターが存在する。井伊家より前の彦根の主人である石田三成をモチーフにした『みつにゃん』、三成の家臣である島田左近をモチーフにした『しまさこにゃん』がいる。ちなみこの二匹の猫キャラと『ひこにゃん』は関ヶ原の戦いでは敵同士であった為、ライバルという間柄といえる。残念ながら今回の旅では見かける事がなかった。

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◆ひこにゃん特設サイト
http://hikonyan.hikone-150th.jp/


プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。某チャットの住人。血液型:B型

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