剣道部定例会

昨日は結局深夜まで名古屋に居た為に、最終電車に乗れなかったので部長に家に泊めさせていただいた。土曜日の朝目覚めると、昨晩満腹以上に食べた為か腹の調子が悪くなってしまっていた。自宅に帰りついて寝てしまった・・。

今晩は昨年暮れに行った高校時代の仲間との剣道部定例会(ただの飲み会だが)の三回目が執り行われる為に伊蔵は身体を十分に休ませる必要があった。約束の時間は午後七時。場所は恒例の「扇屋」だ。
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数カ月後に会った同級生達はあまり変わっていない。周りの人達から見れば怪しいおじさん連中といったところか・・(笑)

まずはみんなで再会を祝して乾杯し、いろいろな報告が始まりました。伊蔵は身体が疲れていた事もあってそんなに飲む事が出来ませんでしたが同級生の話には随分楽しませてもらいました。気の合った仲間達と飲むのは良いものですね。これからもこういう機会を設けていきたいです。

肉と麺で満腹

GWは暦通りの休日の伊蔵です。
連休に入る前日の昨日は仕事がなかなかスムーズに進まず、ヤキモキした伊蔵ですが8時過ぎにはケリがつきました。部長の一言・・・

「焼肉にでも行くか?」

これでヤキモキした気持ちがふっ飛びました(笑)前の会社の後輩、A氏を交え、3人で西区にある焼肉屋「小松園」へ。
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この焼肉屋さんはもともとtakeさんからの紹介。以前に一回ここで食した事がある。なかなかにウマイ。画像の肉は豚カルビ。伊蔵はこのお肉が大好きです。伊蔵は野球の知識がないのだがこの焼肉小松園さんにはよく野球選手も出入りするらしいとの事。壁には選手のサインや写真が所狭しと貼られている。

3人で肉を焼き、食しながら近況報告や仕事の事について話し込みました。話に夢中になり過ぎて網の上の肉がいつの間にか真っ黒く炭化し、発火するというハプニングも発生しがちでした(笑)数時間そんな事が続き、また部長が・・

「ラーメンでも行くか?」の一言(笑)

部長の行きつけの千種にあるラーメン屋に拉致されることに・・・。
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千種駅近くにある「豚骨ラーメン トントン」さんに連れて行かれました。部長は休日にソフトボールをやっており、試合後にこのお店をチームの皆さんと一緒に利用するらしい。お店に入るとカウンター席のみ。大将とお手伝いのお兄さんの二人できりもりしている。

部長はなんどもこのトントンさんに顔を出しているので大将とは当然顔馴染み。話が弾む。初めて伺った伊蔵とA氏にも気さくに声をかけて頂いた。この大将の顔、昔、アメリカのテレビ番組「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」に出てきた「ドミニク・サンティーニ(アーネスト・ボーグナイン)」の顔をちょっと優しくしてラーメン屋にしたような風貌(笑)
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話にもユーモアがあり、これまたボーグナインっぽい(笑)さて伊蔵は「玉子とじラーメン」を注文した。焼肉を結構食べた為に満腹に近い状態だったのだが、不思議と旨そうなラーメンを目の前にしてしまうと食したくなる。
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スープは豚骨だがこってりしていなくて飲みやすいスープ。玉子とじと上手く合う。麺自体も旨味があり大変美味しい。すりおろしニンニクを紅ショウガを入れて食した。食べ終わると隣に座っていた部長がまた・・・・

「替え玉あるけど行くか?」の一言(苦笑)

流石に満腹寸前だったが、ボーグナイン似の大将にも「旨いよ」などと勧められ、それじゃあ食べようという事に!(笑)
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替え玉の麺と一緒に謎のカタマリが・・。これをよく潰しながらスープに馴染ませるとちょっと辛味のあるスープに変化して一杯目とは違った味が楽しめた。唐辛子と味噌のカタマリなのだろうと思ったが確かな事は分からない。腹が苦しかったが何とか全てを平らげた。
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今日は全て部長のペースで進んだようなものだったが、良いお店を紹介してもらったと感謝している。特にトントンの大将(ボーグナイン似)。味も確かだが、それ以上にお客さんを楽しませる絶妙の話術。感服致しました。

偵察

昨日takeさんにある蕎麦屋さんを紹介された。
「犬山市にあるらしいからちょっと偵察行ってくれ」との事(笑)takeさんが先日、飛騨に出かけた際にいつも立ち寄る荘川のお店があるのだが、そのお店にこの蕎麦屋さんの紹介名刺が置いてあったという。紹介名刺の地図を見ると「むむ!このような場所に蕎麦屋ってあったかな??」っていう場所。自転車で何度も近くを走っていたはずだが今まで気が付かなかった。メインの道路から少々奥まった場所にあるらしい。

今日は天気がはっきりしなかったがしばらく乗っていなかった自転車を引っ張り出し、一路犬山市に向かった。走り始めてすぐに身体が鈍っているなという事が分かって愕然としてしまった・・・。やっぱり継続して動かないといけないね。

蕎麦屋さんはすぐに見つかった。
しかし今までホントに気が付かなかった・・(笑)
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廻りは普通の住宅地なので分からなくて当たり前なのだが。シンプルな構えのお店。昼過ぎに出かけたためにお客さんも居ないようだ。最初は「営業中なのかな??」と思いましたが
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どうやら営業中(笑)しかし伊蔵は一人。初めてのお店に入るのは緊張します。しかし偵察命令が出ている以上、目的を完了するまでは帰れない。意を決してガラリと戸をスライドさせた。「御免下さいこんにちはぁ〜」第一声です(笑)中に入ると、二階部分まで吹き抜けの構造になっており、左手は6帖から8帖の座敷でなんと囲炉裏がある。右手の床はモルタル敷きの三和土に黒い玉石が埋め込まれている。そしてテーブル席が三つ。吹き抜けがあるせいかかなり広く感じる。天井からは竹ヒゴの型枠に和紙を貼った照明が釣り下がっている。壁や柱には明るい色の木材を使用しており落ち着いた雰囲気。店内にはFM放送が流れていた。

第一声のあと、奥の厨房から暖簾をかき分けご店主が現れた!
ツルツルのスキンヘッドにおヒゲの作務衣姿、がっちりとした体格の優しそうなご店主であった。伊蔵は右手のテーブル席奥の蕎麦打ち場の見える席に座った。伊蔵の他に客はいなかったのでとても静かであった。

「いらっしゃい」

とお絞りを持ったご店主。とても静かな人だ。伊蔵は「お勧め何ですか?」と聞いてみた。

「うちは冷たい蕎麦だけしかありませんが・・」蕎麦を食べに来た伊蔵だったので、蕎麦の大っていう品をオーダー致しました。蕎麦の他にも山菜関係のお品書きもあったのでまた次回食べに来よう。蕎麦を待つ間、店内を御茶を飲みながら観察(笑)撮影はちょっとはばかられたので今回は撮ってません。

やがてお蕎麦がやって来ました。
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撮影がはばかられたのでイラストで御勘弁を。お蕎麦自体は細麺で透明に透き通っている。薬味はネギと大根おろし、鮫革の小型のおろし機とワサビ本体。おろし機でワサビの茎を自分の手でおろす訳だ。早速頂いてみる事に。何も付けずに蕎麦を頂いてみた。伊蔵は蕎麦の味を詳しく語れる程の学がないので書きようがないのだが、非常にあっさりしたお味。もしかしたらこのあっさりさがお蕎麦の真骨頂なのか・・と思ってしまった。

薬味をおつゆに投入しさらに頂いた。ツルツルと口の中での当たりが良い。そば自体が柔らかいようであった。味わいながらゆっくり頂きました。「蕎麦・大」千三百円也。

お店も店内も綺麗だったのでお勘定の時、思い切ってご店主に聞いてみると開店してもう一年半が経っているとの事。う〜ん存在に気が付かなかった。蕎麦の実は荘川より仕入れているようです。それを石臼で挽く。お勘定場にお名刺と飛騨の蕎麦屋「蕎麦正」の観音折りパンフレットがあったので頂いてきました。もっと詳しいお話を伺いたかった伊蔵ですが、初対面でそういったことはやはり自重すべきと思い、「また伺います。御馳走様でした」とご挨拶し、お店を後に致しました。
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う〜ん家の近くに人知れず存在していたお蕎麦屋さん。こういうお店を見つける事は面白い。紹介してくれたtakeさん有り難う!

いつの間にか

今日は、仕事が早く終わった為、takeさんとこに足が向いてしまった(笑)
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うはっ!「金目鯛」だっ!今夜は来て見て良かったみたい。伊蔵は白身の魚は大好物なのだ。普段家で魚を食する事が少ない伊蔵はここで魚を補給するしかない(笑)
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「鮎」も出たぁ!まだ鮎の季節にはチト早いようだがこれは嬉しい。頭から丸ごと食べれました。同時にお酒も進む。
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飛騨牛、コハダの酢付けも出ました。この飛騨牛、咬めば咬む程にジュワジュワ肉の旨味が出て来ます。コハダにワサビ、梅肉、刻み海苔、山芋をトッピングし醤油をつけて頂きましたがこちらも絶品でした。
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次に「金目鯛の酒蒸し」です。器と料理との調和が美しい・・・。早速伊蔵は金目鯛のオペを始めた。金目鯛の後頭部辺りに一番肉がついている。プルプルだ!少しずつ摘出しては口に運び、味を堪能させて頂いた。頬肉や目玉の周りエラの部分にも肉がついており箸でこ削げ取りながら食べました。殻のみを残しオペ終了(笑)親から「魚は人間に残さずきれいに食べられてこそ、成仏する」と育てられた伊蔵です。
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「フキノトウの天麩羅」〆は「茶蕎麦」に「ナメコの味噌汁」であった。フキノトウの天麩羅とビール。これはサイコーです(笑)咬むとほんのりと苦味がありますがそれがまたイイところ。

takeさんとの付き合いも、早くも8、9年程になる。自分の身の廻りの環境や友人の環境や生き方、自分の親の事などについていろいろ話し合った。いつの間にか随分と歳をとってしまったのだなぁ〜と改めて考えさせられた一時であった。

土佐

昨日の続きではないが、土佐の話。
もう7〜8年程前になるだろうか、伊蔵は社員旅行で土佐に足を踏み入れた事がある。とにかく遠い印象が強い。地図上で見るとさほど距離がある訳ではないのだがストレートに高知に入りにくい地形になっている為、移動の時間がかなりかかるのでそんな気がしたのかもしれない。バスでの移動だったし(笑)

高知城下で宿に泊まった。市内には市電も走っておりとてものんびりした街であった。この宿での夕食に「鰹のタタキ」が出て来た訳。本場の味という事もあってとても美味しかった。普段家で食べるタタキと違い、とても薬味の量が多かった感じ。ニンニクをたっぷり乗せてパクついた。お酒にもよく合いました。
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市内もゆっくりまわりたかったのだが一日中バス移動していた事もあって疲れていたので出歩く事もおっくうになってしまっていた・・。これは旅行スケジュールに相当無理があったと思う。ちょっと土佐まで出掛けようと思ってもなかなか行く事が出来ないので凄く勿体ない事をしたと思う。
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次に日は桂浜に行き、「坂本龍馬像」を見に行った。土佐の海(いや太平洋だな)を見据えたなかなか凛々しい像だった。たしか近くには土佐犬の闘犬ショーを見る事が出来る施設もあったような記憶がある。

四国も本州から瀬戸大橋、大鳴門橋、明石海峡大橋で結ばれているが四国は山岳地帯が多くまだまだ不便な土地といえそうだ。風景や食べ物は美味しい点は誰もが認めるだろうけど。また機会があれば出かけてみたい場所だ。

夏草の賦

今年の大河ドラマ「功名が辻」が始まって早々に原作本を読破してしまったので山内一豊が土佐(高知県)に移封される前の土佐、つまり長曾我部氏(ちょうそかべし)が治めていた頃の話が読みたくなって司馬遼太郎先生の「夏草の賦(なつくさのふ)」を現在読んでいる伊蔵です。
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長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)は最初土佐の一郡の領主に過ぎなかったが巧みな武力調略で土佐一国を制し、いずれは四国を征服するに至る。しかし如何せん中央(京、大阪)では織田信長が一足先に天下の統一に乗り出しており、海を挟んだ長曾我部氏は遅れをとらざるをえなかった。必然的に信長と衝突する事になるのだが、その矢先「本能寺」で信長はこの世から去る。次に台頭した豊臣秀吉の四国征伐で折角切り取った領土の四国全土を土佐一国までに減らされてしまう。とても損な大名である。

元親の死後、後を継いだ盛親(もりちか)は関ヶ原の戦いで西軍(豊臣方)についた為、家康から唯一の領土、土佐まで奪われてしまう。
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そこで家康がかわりに土佐の領主にしたのが「山内一豊(やまうちかずとよ)」である。ちなみにこの山内家は幕末まで土佐の領主で在り続け、幕末には「四賢候」の一人、「山内容堂」を藩主に持つに至る。
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この容堂という人はとても酒好きで「鯨海酔候(げいかいすいこう)」とあだ名された。維新の数年後に酒好きと遊びが過ぎて脳溢血でこの世を去った。

長曾我部元親は争いが絶えなかった土佐や四国をまとめるために都の様々な様式や芸事、武芸などを家臣に習わせ、当時としては珍しく法を成文化させ徹底させた。自分が四国を征服し、中央に打って出た時に田舎者として馬鹿にされたくなかったらしい。

また土佐人特有の酒好きにも頭を悩ませてしたらしく(戦さの時に兵が酒を飲んでしまう為にとっさの時の行動が出来なくなるのを恐れた)禁酒法まで施行した(これは人々の批判が続出し失敗して撤廃されたが)

戦国時代というと織田、豊臣、徳川がメインだが、こういったマイナーな戦国大名の話も読んでみるとかなり面白い。

あと伊蔵としては土佐の名物「鰹のタタキ」が好きだ!(笑)

忙しさの後の一杯

今日は友人のお招きに誘われtakeさんとこで飲み会だった。
この数週間、伊蔵は忙しい毎日が続き、疲れきっていたのだが折角誘われた事なので出かけた。takeさんが先日、飛騨に買出しに出かけた事も知っていた為、旨いものが食べられるという事も知っていたから(笑)
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初っ端から「飛騨牛」だっ!本場の味を堪能させて頂きました。円筒形のものは「枝豆豆腐」なるもので豆の風味が強いお豆腐でした。高山方面はまだまだ寒く、思った程、良い食材が見つからなかったとtakeさんは言っていました。「フキノトウ」の揚げたて天麩羅も美味しかったです。DSCF3394.jpg

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一緒に飲んだ仲間とも近況等を報告しあい、楽しい一時となりました。伊蔵は疲れていた事もあってお酒のまわりが早かった。心地よい酔いを味わう事が出来ました。

安土・最終回

安土城を後にした伊蔵は町内を歩いた。
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安土城のマンホールの蓋が信長の旗印、「永楽銭」だとは初めて知りました(笑)安土山から一路進路を「繖山(きぬがさやま)」方面へ向かった。信長が上洛する前の時期、この地方は近江源氏の一族、佐々木六角氏が治めておりこの繖山に「観音寺城」が存在した。信長上洛の通り道となっていた為、織田軍に佐々木氏は滅ぼされた。

この繖山の麓に観光施設として「安土考古学博物館」「信長の館」がある。今回の旅の前に是非立ち寄ろうと伊蔵は思っていたのである。
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施設の形もどことなく信長好みの南蛮デザイン(笑)。まずは考古学博物館に入った。展示としては大きく別けて2つの展示がある。古代の安土、近世の安土といった感じ。琵琶湖のほとりという事もあって古くからこの地は集落があったらしく、多くの遺跡や出土品が見つかり、展示されている。近世の展示ではやはり安土城の展示だった。分かりやすくジオラマ展示や発掘の状況ビデオなどで説明してくれている。発掘のビデオはとても面白かった。ここで安土城の「金箔瓦」を初めて間近で見た。残念ながら博物館内は撮影が禁止だった為にここで画像UPは出来ませぬ。

つぎに「信長の館」に向かう。ここには安土城の上部2層部分が原寸大で見る事が出来る。
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館内が狭いため全体を撮影出来ない・・。一目見た伊蔵の印象は「なんて派手な城だ」って事です(笑)あと一つは上部2層部分は案外狭いんだなって事です。
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この城の前で戦国コスプレで撮影も可能です。裃や鎧を貸して貰えるみたいです。城はとにかく派手さばかりが目立ってしまう感じであった。

最後に安土駅前にある「安土町立城郭資料館」に足を運んだ。ここでは安土城の構造を20分の1スケールで知る事が出来る。
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この特異な吹き抜け構造説には諸説あって本当に吹き抜けになっていたかはどうかは分からないそうです。西洋好きな信長が教会や礼拝堂等の構造をポルトガル宣教師から話を聞き、このような構造の城を建てたとすればこの説が現実だと思いたくなってくる。
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以上で伊蔵の安土行きの記録は終わりです。(やっと終わった・・)今回の旅はなかなか自分勝手にロマンを感じる事が出来て満足でした。またいろいろな場所をまわって見たいと思っています。                       <終>

安土城その5

天守台を見終えた後、伊蔵は「百々橋口(どどばしぐち)方面から山を下る事にした。大規模な発掘が行われる前はこの道が安土山に登るメインの道だった。今では大手口の方が有名になってしまった為、この道に向かう人はまばらであった。

先にも書きましたがこの道の途中に「総見寺跡」がある。道を進むとほどなく重文の「三重塔」が見えて来た。
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この三重塔、そんなには大きくはありませんが歴史を感じる古さというものが漂っています。細かな部分の造りも凝っています。
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安土山もこの「総見寺」の跡の辺りで空がひらけていて、琵琶湖の眺めも良かった。おじさんが景色を見ながら弁当を食べていたのが印象的でした(笑)
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下り道はさらに急になり、木立の中を足元に気をつけながら進むと今度はこれまた重文の「仁王門」が見えて来る
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木造の建造物はホントに長持ちするものだ。数百年の時を越えてそのままの姿でここに建っているのだから。
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この門から少し下ると百々橋口の出口なのだが柵が出来ていて出入り禁止になっていた。仕方なく山の中腹を回って大手口に至る山道を歩く事にしたのだが、この道がなかなか気持が良かった。人通りも無く、ちょっとした森林浴気分が味わえました。
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どんどん歩いて行くと先に見た秀吉の屋敷の裏手に出た。「殿下、裏手から失礼します」ってな感じで伊蔵は屋敷跡を横断し、大手口に出てもと来た道を下りました。
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安土城を久しぶりに訪れましたが、なかなか面白かったです。城自体が残っていない城跡でこれほど楽しめる所はないと伊蔵は思いました。あれこれ当時の人々の事を考えながらの城巡り、満足でした。

このあと伊蔵はこの安土の観光施設を回ったのですがこの件はまた次回に。 <つづく>

安土城その4

第四回目になってしまった。お付き合い下さい(笑)
二の丸には信長の墓がある。ひっそりと静かな場所にその廟はあった。
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『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか』信長の好きだった「敦盛」の一節。この言葉通り彼は50歳を迎える前に本能寺で非業の死をとげた・・。彼は戦国時代を収拾し天下を統一する糸口をこの世に残す為だけに生まれて来たような人生であった。神も仏も信じなかった彼にとって墓など建ててもらいたく無いと思っているかもしれないと伊蔵は思った(笑)
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二の丸を過ぎるといよいよ本丸だ。この場所に本丸御殿が建っていたのだが信長自身はこの御殿に起居していたわけではなく、天守閣内に住んでいた。天守閣というのは簡単にいえば砦の「やぐら」が発展したもので、後年は高層化し城主の権力の象徴、または篭城戦になった場合の司令塔の役目、遠くの敵の動きを見る為といった事が本来の姿であって、信長のように住居として使う例は珍しい事なのである。大概は本丸御殿に住むのだけど。
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さぁいよいよ天守台です。安土山の山頂にやっと辿り着きました。果たして何があるのか・・・。
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こんな感じでした(笑)城が焼けちゃってるんで仕方が無いけど。なんだか山登りして来た観光客の休憩所みたいな感じです・・。遺構として残っているのは天守閣を支えていた石垣と柱の礎石が残るのみです。しかしここからの琵琶湖の眺めはよかった。
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天守閣最上階から眺めた琵琶湖はさぞかし綺麗だったでしょう。はたしてそれを眺めた信長は何を思っていたんでしょう。伊蔵の妄想・・いや違った想像は尽きません(笑)

その時であった!天守台の上空を何かが飛んでいる・・
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エンジン付きパラグライダーでした。気持ち良さそうに景色を楽しんでいるようでした。信長がこれを見たのならどう思ったでしょう。「何じゃあれは!」好奇心の人一倍強かった彼は城に招いてあれこれ質問するんだろうなぁなどとまた妄想が膨らんでしまいました(笑)
<つづく>

安土城その3

急角度で山頂まで続く大手道をしばらく登って行くと今度は右手の石垣の上に建つ「総見寺本堂」が見えて来る。本来のの総見寺はこの場所ではなく、安土山の百々橋口から登ったところに在った。信長が各地の寺を壊して造った寺だという。後のレポートでまた書くが、今ではこの寺の仁王門と三重塔しか残っていない。いずれも重要文化財に指定されている。
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現在の本堂は昭和7年に建てられた物だという事だ。建てられている場所は徳川家康邸と伝えられているところらしい。この辺りから伊蔵は後を振り返って見た。
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なかなかの眺め(笑)安土の田舎の風景が綺麗に見えます。桜が咲いていたらもっと綺麗だったでしょう。残念です。この先、大手道はまたまた急になって来ます。今まで真っ直ぐ続いてきた大手道が大きく左折する場所を過ぎると「七曲がり道」となります。
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観光客もこの急な道に苦労しているようでした(笑)ちょっとした登山です(山だからあたりまえか・・)上から見た画像を見るとホントに急角度の道です。ちょっと足を踏み外すとそのまま転落して大怪我しそうです。
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この登りを乗り切るといよいよ安土城の中心部分です。二の丸に至る前に門の跡があり道も普通の城の構造によく見られるクランク(枡形)があります。この構造も敵の侵入を防ぐ為のものです。
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粗雑ではありますが見事な石垣です。クランクを越え、グルリと廻り込むように道が続くその先は二の丸になります。  <つづく>

安土城その2

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言うまでも無くこの「安土城」は織田信長の城である。五層七重の城でその特異な形、絢爛さは日本の城郭には今まで無かった事もさることながら、ポルトガル人宣教師も驚嘆し、ヨーロッパにも紹介された珍しい日本の城だ。この城は築城されてから「本能寺の変」の後、焼けて廃城になるまでの期間が短く、まさに幻の城と言われている。この城がこれ以降の城郭建築の手本となったが、この特異な形の城はこの「安土城」をおいて他は無い。
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さて伊蔵は安土城址の「大手口」までやって来た。いよいよ登城だ!山上近くまで真っ直ぐ伸びる大手道に足を踏み入れました。
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おおお〜巨大な石組が整然と郭を造っているのを見てちょっと感動を憶えました。大手道が真っ直ぐ天守近くまで伸びるこの構造も珍しい。普通、城と言うのは敵の侵入を防ぐ為に複雑な迷路のような構造をしている事が多いのですが安土城は違うようでした。城の造り方まで型破りって事でしょうか。大手道の階段を登って行くと左に「羽柴秀吉邸」、大手道をはさんで右側には「前田利家邸」と伝えられる遺構がありました。
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現在では屋敷は残っていませんが柱の礎石が見られます。山腹の斜面上下2つの郭を土地として屋敷が建っていたようです。秀吉と利家は同郷の出身だったし仲も良かった。はす向かい同士でどんな会話がなされていたのかと思うと面白い。
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大手道も上へ向かう程、急角度の登りになり始めた。ふと自分の足元を見ると奇妙なプレートが大手道の階段に嵌め込まれている・・・「何だろ??」と思って見てみると・・
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なんとそれは「石仏」であった!信長という人は神や仏は信じていなかった。そのためしばしば建築物を造る際、石垣の材料として墓石や地蔵、石仏などを使用した。彼にとっては仏などというものは人間が造り出したマヤカシであり、仏像などもただ単に金属や石でしかないという考え方の人だった。他にもいくつも石仏が材料として使われていました。実際にこのように発掘されたものをみると信長像がハッキリ目に浮かぶような気がしました。<つづく>

伊蔵、安土城に立つ

今日はかねてから計画していた「安土城」に行く事にした。
実は以前にも一度行った事があるのだが、大規模な発掘調査をする前の頃の事だった。今回は発掘調査がされ整備された「大手門」より安土城を攻めてみようと思う。

一度、伊蔵は尾張に出て、新幹線で米原まで向かい、そこから東海道線で安土まで向かった。現在の安土町は安土城が建てられた頃の賑わいは無く、田園風景の広がる田舎といった感がある。
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安土駅で降りる乗客も伊蔵を含めてほんの数人・・・。今日の安土は風が強く、ちょっと肌寒かった。改札口を出ると駅前には・・
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「御屋形様」の巨大な像がっ!!「伊蔵でござりまする!」と言いそうになってしまいそうです(笑)流石に安土町を代表する偉人ですから像も建てるでしょうな。駅前商店街はやっぱり閑散としており、ちょっと淋しい感じ。目指す「安土城趾」は駅から歩いても15分くらいです。田んぼの脇道を歩いて行くと安土山が眼前に見えてきました。
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現在ではこの安土山は琵琶湖湖畔から大分内陸に入った所にあるのですが、大干拓前には湖畔に突き出る半島であった。と言うよりは島の様だったらしい。水上に建つ城郭と言った方がいいでしょう。安土山への登り口は大きく分けると二ヶ所ある。
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一つは「百々橋口(どどばしぐち)」。伊蔵が以前ここを訪れた時にこの登り口から山中に入った。もう一つは「大手口」。こちらは発掘調査が進んだ事もあり、現在はこちらの方がメインの登り口となっている。「大手口」、「大手門」というのは城の玄関口にあたる。
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百々橋口下から進路を山裾に沿って北へ向かう道を歩いた。道沿いには桜の木が植わっているのだが、驚いた事にまだわずかしか開花していませんでした。桜を楽しみにしていたのに少し残念。5分程進むと山側に大手口が見えてきました。驚くべき事に城郭建築が現存していないにも関わらず、観光客が観光バスで乗り付け、かなりの人数が大手口にたむろしていました。さぁいよいよ安土攻めです。
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大手口前は今では田が広がっていますが、当時は琵琶湖の湖水がこの辺りまで入り込んでいた。伊蔵はあれこれ当時の事を想像しながら登り始めた。
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山に向かって真っ直ぐ延びる大手道。むむむ・・・ワクワクします!  <つづく>

見納め

今年はこの地方、今年は花見に向かない天候で終わりそうな気配だ。今日も午前中、雨と強風、雷に見舞われた。午後からは晴れたが強風によって運ばれた黄砂で空気が霞んでスッキリしない。明日はどうだろうなあ〜。

見納めと思い、仕事帰りにまた名古屋城に行って見た。大手門の方からグルリと城を廻る事にした。あいにくの強風で人出が驚く程少ない・・。折角桜が満開っていうのに。
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花見をして騒いでいる人も居たが、見るからに寒そうであった(笑)こんなに寂しい花見は初めて見た。城の中には伊蔵は入らなかったが、入場者は結構入っているようではあった。
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驚いたのは黄砂だ。かなり舞っていたようである。「黄砂」とは中国大陸の砂漠や黄土高原などの砂が砂嵐で舞って偏西風に乗り、日本まで運ばれて来る土の事である。毎年観測されるのだが、今日はとくに酷いように映った。大気が白いと言うか黄色く霞がかかっているのが肉眼でもハッキリわかった。なんだか目も痒いし(笑)花粉症の人は二重苦なのではないのか?と思ってしまいました。

桜も明日が見納めのような雰囲気ですね。しっかり見ておきたいと思います。

裏切り者の代名詞

その時、十二人の一人でユダ・イスカリオテと呼ばれる者が祭司長たちのところに行って、こう言った。「彼を裏切ってあなた方に渡せば、私に何をくれますか」彼等は銀三十枚を彼に与える事を定めた 『新約聖書 マタイ伝26章 14節〜15節』

さて夕方になってから、イエスは十二弟子と共に食卓について横になっておられた。彼等が食べている間にイエスはこう言われた。「あなた方に真実を言いますが、あなた方のうちの一人が私を裏切るでしょう」そこで彼等はひどく悲嘆し、それぞれみんなが「主よ、まさか私ではありませんね」と言い始めた。イエスは答えて言われた「私と一緒に手を鉢に浸す者、それが私を裏切る者です」 『新約聖書 マタイ伝26章 20節〜23節』
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聖書で裏切り者として書かれ、現代においても「裏切り者」の代名詞として知られている「ユダ」という人物(南斗紅鶴拳のユダではない)この歴史上で知られている彼の見方が変わるようなニュースが飛び込んで来た。

「彼がイエスを死に追いやったのはイエス自身の言い付けに従ったものだった」

という解釈が出て来た。この度、エジプトの砂漠から見つかった約1700年前の写本「ユダの福音書」の解読に成功しアメリカのナショナルジオグラフィック協会で公開された。パピルスに書かれたこの写本は放射性炭素年代測定やその他の測定を経て、紀元3〜4世紀頃の物だという事が証明され、苦労して修復し解読に成功したという。

こういった写本にはニセモノ(偽書)とかが多いというのが常識だが、もしこれが確かな事ならユダという人物(裏切り者)の解釈が随分違ったものとなるだろう。

歴史というものは面白い。遺物や遺跡の発見によって真実が明らかなものとなり、今まで常識とされていた事柄が覆る事もあるからだ。実際、伊蔵が学校で学んだ歴史教科書も現在の教科書では随分変わっている部分があるようだ。

復活!「犬神家の一族」

今朝の芸能ニュースを見ていたら30年ぶりに映画「犬神家の一族」がリメイクされるという。監督は当時と同じ市川崑監督。御歳90歳!金田一耕助役も当時と同じ石坂浩二さん。最近「開運!なんでも鑑定団」を見ていて、なぜ石坂さんが髪の毛を伸ばしているのか分からなかったのですが、この金田一耕助役の為だと分かった伊蔵です(笑)

最近でこそ金田一役はSMAPの稲垣吾郎くんが有名ですが、伊蔵にとっての金田一はやっぱり石坂さんです。それほど当時この映画は話題になったし、記念すべき角川映画第一作だった。この犬神家のヒットの後、続々と横溝正史作品が映画化された。
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伊蔵の当時初めてこの映画について感じた印象は「怖い映画」、ホラー色が強く印象に残っている。映画宣伝もこの一点に絞っていたという事もあるだろう。特に登場人物の中に「犬神佐清」(いぬがみすけきよ)という人がいるが、彼の被っているゴム製の仮面姿が異様に映ってとても怖かった。もう一点はこの映画のポスターに使われていた画像。逆立ちをした形で湖面にヌッと突き出た二本の足。子供心に強烈に印象に残っている。この映画のパロディを「8時だよ!全員集合」でもコントでやっていた事も憶えている(笑)

映画のほかにこの作品はテレビ版も配役を変えて放映されたし、最近になってまた脚光を浴びている。横溝作品は田舎の有力者の残した莫大な財産目当ての殺人事件をその地方の伝説や歴史を巧みに織りまぜ、単なる推理小説や事件小説に留まらないところが魅力といえる。(伊蔵は特に「八つ墓村」が好きな作品)またそれを芸術的に映像に起こした市川崑監督の腕も凄いところ。

今回この偉大な作品をどういったリメイクで同じ市川監督がするのか伊蔵は興味があります。テロップは市川監督独特の型になるのかな?(笑)

雨と桜と友と蕎麦

昨日夜からの雨が今日も続いた。天気だけが残念だけど昼間の桜が見たくなって昼休みに名城公園に出かけた。
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桜が散っているかが心配だったのですがその心配は無く、元気に咲いておりました。7〜8分咲きといったところか・・。
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堀川沿いも咲いていましたがまだ満開では無いようです。実際つぼみの状態のものもありました。あいにくの天候ですから花見客もほとんど居ませんでした。居るのはウォーキングやジョギングする人くらいでした。
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お堀沿いに植わっている桜の木の枝振りは美しいです。下へ下へと枝が伸びて堀の水面に枝が付きそうな位です。この咲き方の様子ですとやはり週末は花見のピークになりそうです。

さて話は変わりますが、本日は仕事が非常に早く終わったので前の会社の後輩のY氏と会見する事にしました。どちらも仕事の終了時間が読めないので、なかなかピタリとは会う事が困難なのですが今回はタイミング良く会う事が出来ました。

大概、近くの蕎麦屋での会見になります(笑)「天ざる蕎麦」にビール、その他に一品料理を頼むのがパターンです。
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これは「とろろ揚げ」というものですが、いつも好きで頼んでしまいます。その名の通りとろろが揚げてあるもので、外はサクサク、中はフワフワ。香ばしくてなかなかイケます。
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Y氏は「田楽」を注文。最近のお互いの報告などをしながらゆっくり時間をかけながら食しました。久しぶりに会うY氏の話も面白く、口ぶりも懐かしい。彼も楽しんでいるようでした。これからも時間を作って会見したいと思っています。

夜桜

今日は9時過ぎに仕事が終わった。早く帰宅したいところだったのだが、名城公園の桜の開花状況が気になったので歩いてブラブラしてみた。
実は先週にも歩いたのだがまだ開花しているとは言えなかった。
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遅い時間で露店も店じまいの準備をしていたが、桜の木の下ではまだ花見客がいました。桜の開花の方も順調のようでそこそこ楽しめました。しかし夜桜の撮影は難しい(笑)
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今週末くらいが花見で混雑しそうな感じです。週中に天気が崩れるようなのでちょっと心配ですけどね。今度は昼間の状況をレポートしたいと思います。

藤一番

伊蔵はラーメン好きであるが話題の有名店に行ったりとかラーメン評論、批評は出来ない。ただただラーメン好きなだけ(笑)昔は家族でよく「寿がきや」のラーメンを食べに行った。この寿がきやのスープが好きでよく食べたものだ。

ここ最近こういったラーメンチェーン店でよく食べているのが「藤一番」のラーメン。
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この日は「温厚チャーシュー麺」の塩を注文した。塩っぱく無くあっさりしていて食べやすかった。前は味噌を注文したがこちらもこちらで旨かった。何となく初めて食べて以来、また食べたくなって通ってしまう味って感じです。小牧に本社がある会社で「藤一番」の他、「しなとら」というラーメンチェーン店も展開しています。

犬山祭

一宮に行った帰りに犬山市に寄った。
4月1日、2日と「犬山祭」が開催という事だったからだ。この犬山祭、平成18年に国の重要無形民俗文化財に指定された。犬山の針鋼神社の例祭であり総数13輛の山車(だし)犬山では「車山」(やま)と呼ぶ祭用の車輛が市内を巡る有名な祭です。
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犬山駅西口ロータリーには「車山」が集結していてモノ凄い数の観光客がひしめいていました。実は伊蔵はこの犬山祭の車山を実際に目にするのは初めて。近い所に住んでいるのになかなか見る機会が無かった。
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近くで車山を見てみると、全ての車山のてっぺんには「カラクリ人形」が乗っており、造りも綺麗で凝ったものでした。京都の祇園祭も伊蔵は見た事がないのですが犬山の車山も決して負けていない位の造りだと思いました。全ての車山にカラクリ人形が乗っているのも珍しいと思います。
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この犬山祭はやっぱり夜が本番で、この車山一つ一つに365個の堤灯が灯りそれは綺麗だという。夜の祭は盛り上がる事でしょう。
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女神輿もなかなかいなせで良かった!「セイヤ!セイヤ!」かけ声勇ましく町の中に飛び出して行きました。

真清田神社

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真清田神社とは、愛知県一宮市にある2600有余年の歴史を誇る由緒ある神社であり、尾張総鎮守の神である「天火明命(あめのほあかりのみこと)」を祀る。尾張国の一の宮である。一宮市の由来はこの事からきている。
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毎年4月3日にはこの神社の行事として「桃花祭」というお祭りが開かれるという事だ。伊蔵は大江川の桜の開花状況の偵察を兼ねて出かけた。
この神社の社殿は昭和20年の戦災で消失してしまったが、昭和32年に再建された。なかなか立派な社殿だ。鳥居の外では祭の為の山車の準備が着々と進んでいるようでした。
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「桃花祭(とうかさい)」といわれる祭はもともと旧暦3月3日の桃の節句に日に行われていたが明治維新後は太陽暦が導入された為に現在では4月3日に行われている。桃の節句に因む氏子の皆さんの厄払いの祭です。流鏑馬(やぶさめ)等も行われるそうだ。
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街の中心部にあるにもかかわらず神域には大きな樹木等が残っていて市民の憩いの場所になっている感があります。今日は先日までの寒さが嘘のように暖かかったので参詣する人々も多く、あと足らないモノは桜の開花だけという感じでした。
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さて一宮市での桜の名所といえば大江川沿いです。開花偵察に伊蔵は向かいました。
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「・・・・・・・・。」むむむ・・まだ咲いて無いやん(苦笑)関東ではもはや満開だというのにこの地方ではもう少し先のようですね。川沿いには露店がもう営業を始めていましたが主役の桜が咲かないと何かモノ足りないです。
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そんな中でも一本だけ伊蔵の目を楽しませてくれた桜の木がありました。寂れた民家の敷地内に一本だけ佇む桜の木が満開だったのです。川沿いの桜とは品種が違うのか、この桜だけが満開でした。今週中にはこの大江川の桜も咲く事でしょう。楽しみです!
プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。某チャットの住人。血液型:B型

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