2006-06

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知多半島・島攻め(その7・多幸の島)

「日間賀島(ひまかじま)」は知多半島南端「師崎」の沖、約2キロの三河湾に浮かぶ周囲5.5キロ、面積0.75キロ平方メートル、人口2000人という小さな島である。海産物に恵まれ、とくに「タコ」「フグ」が有名である。
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師崎を高速船で出発し約10分、日間賀島西港の岸壁に到着した。ここ西港は島の港の中でも一番の賑わいをみせる。降り立つと多くの土産物屋や民宿などが立ち並んでいる。島の住民の主な移動手段は「原付」であり、港や町の路地一帯には多くの原付が駐車していた。
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原付の中でもこの日間賀島で一番人気の車両が「YAMAHA ギア」というバイクであった。積載性の良さが漁港では喜ばれるらしく本当に沢山の台数を見かけた。この島には住人以外はクルマの持込みが禁じられている。また住民一戸当たりに対し一台のクルマしか所有出来ない決まりになっているという。

しかしこの島内での「道路交通法」は全く意味を持たない。信号も無くヘルメットをかぶっている人もいないし、原付3人乗りをして平気で走っている(ここはベトナムか!?・笑)まさに島内は内地とは隔絶された「治外法権の島」といった感がある。本来、島とはそういう場所なのかもしれない。
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この島では「タコ」の事を「多幸」、「フグ」の事を「福」と当て字して『ようこそ多幸と福の島、日間賀島』と紹介されている。なかなかの謳い文句だ。
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伊蔵ら4人はしばらく港の店を物色しながらウロウロしていたが、酒類でも購入しようという事になり、島内の海産物屋へ。チューハイを購入。いよいよ今夜の宿、「民宿・松鶴」さんへ向かう。この時点で伊蔵はもう早くまったりしたくて仕方がなかった(笑)
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ここ松鶴さんは親子三代現役漁師の方々が経営されている民宿である。西港から歩いて10分くらいの所にあり、客室全室より海が望める。入り口をくぐると右手に「いけす」が設けられており、伊勢海老やヒラメ等の魚達が美味しそうに(笑)泳いでいた。左手は食堂になっていた。

我々に用意された部屋は二階の一番西側から二つ目の部屋であった。部屋に入るなりメンバーの皆、空気の抜けたようにへたり込んだ。それぞれに疲れが溜まっていたのだろう。しかしこの部屋、異常に室温が高くとても暑い・・・。早速先程購入したチューハイを頂く事にする。そこかしこで「プシュッ」という開栓の音がこだまし、無事到着を祝い乾杯となった。グビリとやるとこれがとてもウマイ!伊蔵の乾いた身体を癒してくれた。身体が疲労しているせいか酔いのまわりもいつになく早い感じであった。

こうしてしばらく我々はチューハイを飲みながらグダグダした時間を過ごしたのだった。<つづく>
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知多半島・島攻め(その6・一同集結、日間賀上陸)

「師崎」に到着した伊蔵は達成感に浸っていた。しかしまだ午後2時前、集合時間の3時半までにはまだまだ時間がある。ひたすら走り続けていたので昼飯を食べる事を忘れていた。
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フェリー乗り場近くにおあつらえ向きの店があったのでここで遅い昼飯を食べる事に。イカやハマグリ、タコ等の姿焼きがメニューにあったのだが、日間賀島での食事までこれらのメニューは我慢する必要があった。とりあえず「ラーメン」と「ライス」を所望。そんなに見た目うまそうでは無かったが、今飢餓状態の伊蔵にとってはどんなものでも美味しく感じるのか貪るように摂取した(笑)

食後、時間を持て余したので港町師崎を歩き回ってみようと思い、歩き始めた。知多半島最南端は「羽豆岬」という。この岬に立ってみようと思った。
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天気も良く、海や沖の「篠島」、「神島」、そして上陸目標の「日間賀島」などが遠望(といっても近い・笑)出来た。潮の香りと風がとても気持ちよかった。
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岬の周りには遊歩道があり、グルリとまわる事が可能だ。太陽の光に海がキラキラと輝いて美しい。岬には小高い山があり、山頂には「羽豆神社」という社が祀られている。この小高い山は神域とされ、規模は小さい社ではあるが南北朝・室町・戦国時代には時の支配者によってたびたび改修が行われており,常に厚く信仰され豊かな土地を寄進されていたという。また山には「ウメバガシ」という樹木が繁茂しており、三河湾からの海風、伊勢湾からの海風、両側からの風を受ける事により、この「ウメバガシ」がまるで緑のトンネルのように彎曲して生えていてその先に社殿が鎮座しているのだという。
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この「ウメバガシ」という木は土木作業で使用するスコップやツルハシの柄の材料として知られている(後で土地の人に聞いた)岬を廻りきった伊蔵は港の町の方へと足を進めた。師崎漁港のちかくの町並の路地裏をとぼとぼと歩いた。路地は狭く、いたるところに民宿があった。漁港だけに鮮魚を扱うお店も多かった。ひととおり歩きフェリー乗り場に戻る途中、携帯に着信が入った!

アキラ氏より到着したとの報告であった。ほどなくアキラ氏、たいがぁ氏と合流。なんだか「異国での再会」のようであった(笑)流石にクルマだ。自転車とは違い到着が速い。しばらくするとバイクでの参加の草加君も到着。皆時間通りに到着した。めでたしめでたしだ。
伊蔵はかねてからの計画通りアキラ氏のクルマに自転車を分解し積み込んだ。クルマは師崎に一泊1500円の駐車場を見つけ、そこに駐車する。草加君はフェリー乗り場のすぐ近くにバイクを駐車する。

高速船の出航時刻表を確認すると午後4時の船があったので早速乗り込む事に。乗り場は島に渡る人々で結構混雑していた。
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高速船は飛沫をあげて海上を疾走しはじめた。いよいよ「日間賀島」に上陸だ!眼前の波間に島がぐんぐんと迫って来た。
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一体この島で何が我々を待ち構えているのであろうか・・。<つづく>

知多半島・島攻め(その5・そして師崎へ)

「野間灯台」を出発した伊蔵、海からの向かい風に悩まされていた。必然的にペースダウンとなってしまう。大腿部の痛みもマッサージの甲斐無く、断続的に続いていた・・。
野間の集落を過ぎると「内海(うつみ)」の町に入った。名鉄内海線の終着駅のある町である。この町も小さな町ですぐに通過してしまった。

この辺りで伊蔵と同じく自転車乗りの人々と頻繁にすれ違った。伊蔵とは逆方向に走っていくのだが、ちゃんと挨拶やゼスチャーを返してくれた。「すれ違い様のつかの間の交流」ってやつだ。伊蔵の疲労した身体にこの「交流」は大いなる力を与えてくれる。同じ趣味を通して交わされるつかの間の交流・・。これはとても嬉しい事だ。
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午後1時25分、「豊浜魚ひろば」に到着。この豊浜魚ひろばでは豊浜漁港から水揚げされた新鮮な海の幸が低価格で手に入れられる。家族連れや観光客で賑わっていた。
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この魚ひろばの駐車場に入る手前のグランドで「豊浜鯛まつり」に使用される鯛のハリボテの製作風景を見る事が出来た。この祭りは明治18年頃、中洲神社の祭礼に船大工の森佐兵衛という人が「ハツカネズミ」のハリボテを作って奉納したのが始まりとされている豊浜の奇祭である。ハツカネズミがその後魚類になり、大正初期に「大鯛」に、昭和初期には胴内ではやしながら海に泳がせるようになり、長さ10~18mの竹と木の骨格に白木綿を巻いて作った大小の鯛5匹が若者達にかつがれ、7月上旬の土日に街中や海を練り回る。
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京都の「祇園祭」や高山の「高山祭」では山車(だし)が出るが、ここ豊浜では山車の代わりに鯛のハリボテがその代用になるというわけだ。流石に「海の町の祭」といえるだろう。
豊浜の町を抜けるといよいよ「師崎」まで数キロの距離になる。あとわずかでこのツライ旅も終わるのだと思うと大腿部の痛みや疲労を忘れてペダルを漕ぐ足にもチカラが漲ってくる。そしてついに伊蔵の眼前に目指すべき目的地が!
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おおお!!あの先端が「師崎」だっ!あそこまで走れば今までの苦労が報われる・・・。伊蔵は最期のチカラを振り絞って「師崎」へと向かった。そして・・
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午後1時45分、伊蔵はついに目的地点「師崎」フェリー乗り場に達した!全走行時間6時間15分(西区での休憩時間を除く)であった。予想では5~6時間をみていたのでまずまず予想通りの走行時間であった。<つづく>

知多半島・島攻め(その4・孤独な旅、野間灯台)

『なぜそこまでツライ思いをして自転車で走るのか?』

よく聞かれる質問だ。いろいろ理由がある。

●健康・肥満解消・心肺能力向上・ストレス解消の為
●出発地から目的地への「点と点」の旅ではなく、
道中を旅の楽しみのメインとする「線の旅」を楽しみたい為
●走破した時の「はかりしれない達成感」を得る為
●自分の足で旅をしたという実感を得たいと感じる為
●ゆっくりとした旅での発見が毎回ある為
●人と違ったカタチの旅がしたい為
●食べ物、ビールを美味しく頂く為(これがメインかもしれぬ・笑)

などが伊蔵の自転車による旅の主な理由というところか。大概の人はこの自転車による「ツライ旅」に共感しにくいため(日本では特にこの傾向がある)、自転車旅を趣味とする人々は往々にして「孤独な旅」となる。また「暇人」・「マゾ」・「変態」等と罵声を浴びる事もある。しかしそんなことは伊蔵は気にしない。大多数の人が感じる事の出来ない「旅」というものを満喫することが出来ている自負心があるからだ。

余談に逸れてしまった。話を知多半島攻めに戻そう。
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伊蔵は「美浜町」に入った。師崎のある南知多町のひとつ手前の町になる。国道を少し離れ、海岸沿いの県道へ自転車を進めた。海水浴シーズン前なので道沿いの海の家やレストラン等は閑散としていた。しばらく進むと道が途切れてしまったので再び国道へ戻る羽目に・・。
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午後12時半、「野間灯台」着。海からの向かい風が強くなって来た事や伊蔵自身の疲労もあり、大分走りのペースが落ちて来たようだ。灯台のベンチでタバコタイム。この「野間灯台」は大正10年(1921)に建造された灯台で伊勢湾航路の安全を見守っている。国道のすぐ脇にあって立ち寄りやすく、知多半島のシンボル的存在となっている。

大腿部の痛みが激しいのでベンチに座りながら自分でマッサージする(笑)日焼けしている事にも気が付いた。数時間でかなり焼けてしまったようだ。目指す「師崎」まであと数十キロというところか・・。到着予定時間よりは大分早めに着くであろうが、身体がこんなに疲労するとは思わなかった。あきらかに運動不足。まだまだ走り込みが足りないのだろう。
とにかくペダルを漕がない事には前に進まない。伊蔵は灯台のベンチから腰をあげた。<つづく>

知多半島・島攻め(その3・海沿いの道)

坂道をクリアするとなだらかな下り坂だった。気温と体温がどんどん上昇しているのが分かるのでこの下り坂は風を受けながら下り、非常に心地よかった。下りきると平坦な道が伊勢湾に向かって真っ直ぐのびていた。

名鉄新舞子駅前に午前11時に到着。駅前の踏み切りを渡ると「新舞子マリンパーク(人工海浜)」に通じる「ファインブリッジ」が見えてきた。
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人工の浜辺には巨大な風力発電用の風車が2基建っていた。伊蔵は海を眺めながらしばし休憩をとる事に。海水浴シーズンにはまだ早いが今日のこの天候ならば泳いでいる人がいても可笑しくなかろう。
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「ファインブリッジ」の下の浜辺では「潮干狩り」を楽しむ家族連れが多かった。泳いでいる人は流石にいなかったが、海岸沿いのマリンスポーツ店ではウィンドサーフィンやヨットの準備に余念のない人々も見かけた。そんな人々を見ながら水分補給と休憩を済ませた伊蔵は海岸沿いの細い道をしばらく走る事にした。

国道155号のひとつ西側の旧道を南下する。午前11時半名鉄常滑駅前通過。ここまでの走行時間は約4時間。まずまずの出来だ。この分だと集合場所の「師崎」に案外早く到着出来るかもしれないと思った。

常滑駅を過ぎると右手に「中部国際空港セントレア」の島影が海の向こうに見えてきた。空には飛行機も飛んでいる。反対に左手には「常滑焼の町」としての常滑市の町並が残っている。歴史と文化、世界へ開かれた大空港とが混然としている町だ。

市街地は案外小さく、自転車で走るとあっという間に通過してしまう。市街を走り抜けると眼前が開け、また海岸沿いの道路となった。
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「小鈴谷」と呼ばれる地区の海岸でまた休憩。ここでも「潮干狩り」を楽しむ人達が沢山いた。ここでやっと正午となった。
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この時点で大腿部の筋肉と臀部の痛みが出て来ていた。すでにこの時点で知多半島の3分の2を制していた伊蔵に残された道程はあと3分の1。ここで止めるわけにはいかない。<つづく>

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伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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