『飲む』のも『仕事』・第二夜

さて28日の晩の飲み会の件を報告しよう。
今夜の飲み会はお客さんである印刷会社営業「Mさん」からのお話で『懇親会』という名目で開かれるもの。印刷会社、加工会社、封筒会社等の営業マンが沢山集るとの事だ。場所は名古屋市内の「金山(かなやま)」というところにあるお店。

昨日は遅くなって泊まりとなってしまったので今日は終電で帰ろうと伊蔵は考えていたのだが・・・。集合時間はお店に午後8時という事だったがF部長と伊蔵は30分程早く店に到着。
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「Mさん」には国道19号沿いの仮面ライダーとウルトラマンのネオンのある店だからすぐに場所は分かるよと言われていたが実際にネオンを見てあまりの分かりやすさに伊蔵は唖然となった。なぜこのネオンなのか何か意味があるのかと思えばそうでも無いようなのでよく分からない。

『新和洋触感 RYU(リュウ)』
http://www.hotpepper.jp/s/H000015505/top.html?vos=nhppgooa99001

このお店の建物は元々この場所に建っていた民家を改造したものらしく、なかなか落ち着いた雰囲気が味わえるのが特徴だ。
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天井板が外されており立派な梁や柱がむき出しになっていた。店員さんに通された部屋にはすでに「Mさん」とその部下の「Tさん」がすでにお見えになっていた。早速ビールを注文。しかしなかなか注文後の店員の対応が悪くなかなかビールが来なかったので皆ちょっとイラついた(笑)
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この店のビールは『サントリー ザ・プレミアムモルツ』。矢沢永吉こと、永ちゃんのCMでよく知られているビールであった。しかし先程からの店員の対応の悪さによって我々は永ちゃんのCMように

『スゥワィコウ(最高)!』

というには程遠い気持ちになりながらもとりあえず乾杯した。
しばらく談笑していると次々に様々な業種の人達が集まり、営業マンの飲み会らしくまずは名刺交換から始まり賑やかな宴が始まった。伊蔵の前の会社の飲み会は仕事の話をしながらの飲むのは御法度みたいなところがあったが、今夜の会の始まり時点では頻繁に仕事の話が交わされたりしていた。流石営業マンの懇親会といった感じ。

基本的に伊蔵は人の話に非常に興味があり、聞く事や観察が好きなので非常に面白かった。バイタリティ溢れる営業マン達ばかりでとても元気が良い!そういう方達と一緒にお酒を飲む事によって伊蔵も元気が湧いて来るような気がした。まぁ実際バイタリティが無いと営業は勤まらないだろう。

最終電車の時間も迫って来て伊蔵はお暇を頂こうと思ったのだが案の定いろんな方から引き止められてしまった・・。よくよく考えれば自分だけ帰るのは失礼な事だと後から考えて思った。しかし明日も仕事なんだよね伊蔵は・・・。しかしこの飲み会も一種の『仕事』なんだと割り切って付き合う事に。「Mさん」は

『伊蔵くん!泡盛でも飲もう!』

なんて言って来て泡盛『美ら島(ちゅらじま)』をボトルで注文。一緒に飲む事になった。最期まで付き合うと決めた伊蔵はある意味強い(笑)早速飲みはじめる。結局閉店までメンバー全てがその店に居座った。
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飲んだ後のお約束、ラーメン屋に行く事に。
『九州博多・長浜ラーメン まき金山店』に入る。考えてみると先程の店で伊蔵は話を聞いていたり飲んでいたりばかりして居た為にほとんど何も食べていない事に気がついた。
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その為かここで頂いたラーメンは九州のラーメンという事で細麺のトンコツスープという普通のものであったのだが非常に美味しく感じられた。食べた後やっとこの『懇親会』は終了した。う〜ん楽しかったが疲れも出て来ているようだ。二日間連続ということもあるのだが。今夜もF部長宅にご厄介に・・・。
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明日は土曜だが出勤。頑張れるか心配だったがお風呂を頂いて『東京・ラスク』という御菓子を食べながらドップリとした睡眠についた伊蔵であった。<おわり>

『飲む』のも『仕事』・第一夜

27日・28日の二日間の晩はたまたま飲み会が重なってしまい、楽しかったが結構疲れる羽目に・・。まずは第一夜の出来事から話そうと思う。

27日の木曜日の晩は伊蔵が以前に勤めていた会社(以後『M社』と称す)の同僚達と飲んだ。うちの会社のF部長経由での誘いであり、営業マン同士の飲み会という事であった。普段は伊蔵は営業マンと飲む機会というものが少ない為、今回は久しぶりに営業マンの中に入っての飲む事になったという訳だ。しかも「M社」の事務の女性も来るというオマケ付き。

飲み会の場所は伊蔵の会社から歩いて10分程のところにある『鶏ちゃん(ケイチャン)焼き』のお店。一足先に伊蔵の会社までお見えになった「M社」の事務の女性『Iさん』。伊蔵は初顔合わせという事もあり、挨拶と紹介、伊蔵の「M社」との関わり等を話しつつ、Iさん・F部長・伊蔵はお店に向かった。「M社」の営業達は遅れて登場という事になるらしい。
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お店はビルの2階にあった。入ると左手にカウンターと厨房があり、右手に座敷きといった造り。ご家族でお店を切盛りしているという感じであった。とりあえず座敷きに腰を降ろし『生ビール』を注文(笑)まずは三人で乾杯という事に。

ここで伊蔵も今回初めて食する『鶏ちゃん(ケイチャン)焼き』について語らねばなるまい。鶏という文字が付いているので鶏を使った料理という事は何となくわかる。調べてみて驚いた事にこの『鶏ちゃん焼き』発祥は岐阜県の奥美濃・南飛騨地方の郷土料理なのだそうだ。鶏肉・キャベツ・タマネギ・ニンニク等に味噌や醤油ベースのタレを加え、鉄板の上で蒸したり焼いたりする料理である。お好みで唐辛子やキムチ等を加えて辛味を効かして食べると美味しい。
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「M社」の営業達が到着するまでの間、IさんとF部長と冷奴等をつまみながら楽しく語らい合った。Iさんは伊蔵より少し年上のお姉さんだがとても楽しく愉快な方であった。ついつい話術に乗せられ伊蔵もいつに無く饒舌になってしまった。「M社」の営業が彼女の事を兄貴とか姉御とか呼ぶ意味が何となく分かった次第(笑)

しばらくすると「M社」の営業マンである『K氏』と『小さいF氏』が現れた!彼等と飲むのは伊蔵も久しぶりの事。楽しい宴の始まりとなった。二人が現れると宴の雰囲気が急にヒートアップするのが分かった(笑)この二人は社内でも仲が良いらしく兄弟のような関係が見ていて微笑ましい限りであった。

次に同じ「M社」の営業マンで『大きいF氏』が登場!伊蔵が彼と顔を合わせるのもかれこれ3〜4年振りの事。時の流れの速さを感じざるを得ない。この頃には「鶏ちゃん焼き」も登場し皆で箸を付けた。伊蔵の方も生ビールから薩摩の芋焼酎『薩摩司』のロックに切り替えた。久しぶりに見る『大きいF氏』は少し痩せたように見えた。彼も何かと責任ある立場にある為、苦労も絶えないのであろう。昔の同僚達との近況等を交え飲みながらの談笑に伊蔵は大満足であった。

「M社」の面々は少し早めに引き上げていったがF部長が、「アキラも呼んでやろう!」という事で伊蔵とF部長はそのままお店の座敷きに居座る事に(笑)F部長がアキラ氏に連絡をとると丁度仕事の切りが付いた所らしく今から来るとの事。

ほどなくアキラ氏が登場。会社から自転車に乗って来たとの事だった(笑)仕事の労をねぎらいつつ乾杯。アキラ氏は仕事で流石に疲れていたようだったがビールは身体に染み渡るらしく旨そうに飲んでいた。先程の営業部との話題と制作部に携わるアキラ氏との話題には微妙な違いがあるところが聞いていて面白かった。伊蔵も「M社」に居た頃はアキラ氏と同じく制作の人間であったがなかなか営業部の仲間と飲むという機会が無く、双方の話が聞けた今回の飲み会は非常に貴重な時間だったと言えた。

三人で鶏ちゃん焼きのお店を出た後、F部長お得意の台詞がまた飛び出した・・・

『うどん食いに行くか!』

先程の店では伊蔵は話をしたり酒を飲むばかりであまり食べていなかったので小腹が空いていたから今回に限ってはこのF部長のお誘いは有り難かった(笑)
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鶏ちゃん焼きのお店から程近い場所にある『松屋』さんへ入った。うどんでも良かったが温かい蕎麦を頂く事にした。合わせてビールも注文(笑)
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実はこの『松屋』さんというお店、takeさんのお店のすぐ近くにあったのだが訳あってこの場所に移転したのである。温かい蕎麦は身体にも優しくとても美味しかった。食後、アキラ氏は自転車で会社方面に帰還して行き、伊蔵はF部長宅に今夜はご厄介になる事に。

明日の晩はお世話になっている会社のお客さんとの懇親会に伊蔵も招待されており、また肝臓を酷使する事になりそうなのだがこの件については次回に。<第二夜につづく>

不測の事態の為

数日『伊蔵通信』の更新が出来なかった・・・
不測の事態が起きたからだ。先日パソコンのキーボードが壊れてしまい、書き込みが出来なくなってしまったからだ。

パソコンの置いてある机の上部にエアコンがあるのだが、吹き出し口からどうも水がこぼれたらしく直下に置いてあったキーボードの中にその水が溜まっていたらしい。起動していつものように書き込みを行おうと思い、キーを叩いたが全く文字が表示されなくなっていた・・・。パソコン本体の方は問題なく動いていたのでそれだけは幸いだった。

キーボードを購入しようと思ったが、たまたま仕事関係の方から『初代iMac』をタダで頂けるという嬉しい話があり、キーボードだけでなく本体まで譲ってもらえる事になった。
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今日会社に届けて頂いたのでとりあえずキーボードのみを家に持って帰り、今それを使用して書き込みを行っているところなのである。

初代iMacは1998年発売の型なのでかなり古い。ネットでこの初代iMacについて調べてみたが現在のデジタル環境においてはやはり性能的にいろいろ問題があるようだ。使い道を考えなければと思っている。あとは設置場所も考えなきゃならない。

とりあえず『伊蔵通信』は更新出来るので一安心!

土用の丑の日

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今日は『土用の丑の日』。
伊蔵はパック弁当の鰻で我慢した(笑)鰻屋さんに出かけてもいいのだがこの時期はとても混雑していてなかなかスッと来店出来ないのでメンドクサイ・・。

鰻は現在、高騰中との事。稚魚の量が例年に比べて少なかった事や中国産鰻の輸入量が減っている事等が原因らしい。時期が時期だけに鰻屋さんも値上げしなければならないところも出て来ているらしい。この『鰻』という魚、はっきり生態があまり知られていない部分が意外に多い魚なのだ。

鰻はヘビのように長く、体表がヌルヌルとしている「淡水魚」として知られているが、産卵や孵化は「海」でおこなうのだ。しかも最近までこの鰻の産卵場所は不明であった。推測はいろいろ説があって長い間の謎とされていた。2006年2月に東大海洋研究所の塚本勝巳教授がニホンウナギの産卵場所をほぼ突き止めた。太平洋のマリアナ諸島西側付近が産卵場所らしい。グァム島の北西約二百キロ付近にある「スルガ海山」のさらに西約百キロにおいて教授らは孵化直後のウナギの稚魚(レプトケファルス)を大量に採取したという。
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そこからこの稚魚達は「北赤道海流」と「黒潮」に乗って約3000キロ離れた日本近海までやってくるのだという。この日本近海にやってくる頃には『シラスウナギ』とよばれる形にまで成長しており、これを捕獲して「養殖ウナギ」として育てるのだ(ウナギの孵化からの完全養殖技術は確立の域にはまだ達していない)

『土用の丑の日』について。
「土用」とは古代中国の『五行思想』から来ている言葉である。世の中の万物は『木・火・土・金・水』の五つの元素から成るという自然哲学の事である。世の中の現象はこの五元素がたがいに影響しあい変化循環しているという考え方だ。

この五行説では「木は春」「火は夏」「金は秋」「水は冬」というように割り当てられており、残りの「土」は季節の変わり目に当てられていて立夏・立秋・立冬・立春の前の18日間を『土用』という。「土用の丑の日」はその土用の期間の間にある丑の日を指す。
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「土用の丑の日」に鰻を食べる習慣は江戸時代に『平賀源内』(1728年〜1779年・江戸時代の本草学者、蘭学者、発明家。讃岐国高松藩(香川県)生まれ。長崎遊学中に手に入れたエレキテルの復元で有名)が夏に鰻が売れない事に困っていた鰻屋から相談を持ちかけられ「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、鰻屋の店先に「本日丑の日」と看板を出させたところ大繁盛し始めたのだという話が始まりとされている。確かに鰻は高タンパクでビタミンB類が豊富に含まれているため、この時期の夏バテ、食欲減退防止には効果的である。

蒲焼きは鰻料理の中でも最もポピュラーな食べ方の一つだが、よくいわれる事で関東と関西では作り方が異なっている。

●関東
背開きにして一旦蒸した鰻を焼く。
(腹開きにして蒸すと串から身がはずれてしまう)
●関西
腹開きにして蒸さずにそのまま焼く。

また名古屋での鰻料理の名物『ひつまぶし』。三種類の食べ方が楽しめるというものだ。

その1・・お櫃の御飯と鰻を混ぜて頂く
その2・・わけぎや海苔などの薬味を混ぜて頂く
その3・・ワサビとお茶を入れ、鰻茶漬けにして頂く

「ひつまぶし」は名古屋名物ではあるが伊蔵はあまり食べた事がない。以前に食べたが上記のその1とその2は美味しく頂けたが、最後のお茶漬けは鰻の油分がお茶の表面に沢山浮いて来て何だか美味しくいただけなかった・・。お茶漬けというものはサラッと頂きたいのでちょっと伊蔵には合わなかった。

鰻が高騰しているとはいえ『土用の丑の日』という事で鰻屋さんは大繁盛でしょうな。




バリウムはほんのりバニラ味

今日は午前中に『健康診断』があった。
伊蔵は訳あってここ3年間程「健康診断」を受けていなかったので久しぶりの診断という事になる。前の会社では健診センターのバスが会社前まで出向いて来ての診断だったが、今伊蔵が在籍している会社では各自が先方に出向いて診断するスタイルでこれも初めての経験であった。

場所は名古屋駅近くの某クリニック。
あらかじめ会社にて配付されていた問診表と大腸菌検査のサンプルを受付にて提出、診断についての注意の説明と診察服(下着の上に着る上っ張り)と診断チェック表とスリッパを受け取り、まず三階の更衣室に向かう。

更衣室で診察服に着替え所定の位置に診断チェック表を提出し、名前の呼ばれるのをソファで待つ事に。様々な会社や職業の人達が同じ階で診察を待っていた。比較的空いていたようであった。

『伊蔵さ〜ん、こちらへどうぞ』
『あっ、は、はい・・』

まずは身長・体重の測定、続いて視力検査・血圧測定といった具合だった。
視力検査ではまず、メガネ無しでの測定(ほとんど分からなかった・・)メガネ装着時の測定が行われた。身長・体重は目立って今までと増減なく変わりがなかった。血圧は上が116、下が85、6位だった。まあ正常値であろう。

次に尿を採取、血液採取であった。この提出時に出会った女性看護士で伊蔵好みの人がいたという事をここで記しておかねばなるまい(笑)血液採取は三種類の検査に回すのか、サンプル容器が三つあり、それぞれに採取された。この場所で面白かったのが、先程の伊蔵好みの女性看護士が、ある診察を受けに来ている人に次の言葉を発した事だ。

『すみませ〜ん・・尿なんですが、もうひと越え頂きたいんですけど・・』

どうもその診察を受けに来ていた人の尿の採取量が少なかった為らしい(笑)
血液採取の後二階に場所を移し、まず胸部レントゲン撮影、次にいきなり胃の撮影となった。胃の撮影では造影剤として有名な『バリウム(硫酸バリウム製剤)』と発泡剤を飲まねばならぬという事だ。う〜ん久々だ・・(伊蔵は以前に一度だけこの検査を受けた経験があるのだ)
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診察台に背中を向けて立ち、左手方向に備え付けられている紙コップに手を伸ばす。中にはバリウムが入っているのだ。

『はい、まず一口飲んでくださ〜い』・・・伊蔵はグビリと一口飲んだ。むむむ意外に飲みやすいぞ(笑)甘いバニラ味であった(バニラの他、チョコ味、ストロベリー味も存在するらしいが伊蔵はバニラ味しか今まで飲んだ事が無い)次に粉状の発泡剤を服用。

『はい、次は一気に全部飲み干してくださ〜い』明るい声で指示が・・美味しいビールなら飲み干せと言われれば飲む伊蔵だが、いくら甘く味付けされ飲みやすくなっているとはいえ、粘性の強いバリウムを一気に飲むのはやはり抵抗があるし、しかもゲップ出来ないのも辛い・・・。そして飲み干すとともに始まる怒濤の身体回転指示!

『はい、左回転して腹這いになって〜息を停めて〜はい、今度は右回転して横向いて息停めて〜ほい、今度は〜・・・』

毎回この検査の身体回転指示の言い回しの調子は『歌』のような一種名人芸的なものがあるなと伊蔵は思う(笑)なんとか回転し終わった。

次に超音波検査。診察台に横になり胸部に四ヶ所電極パッチのようなものを貼り、両足にも洗濯ばさみのような電極を足首部分に装着し数値を計測する(いまいち何の数値を検査しているのかよく分からなかったが・・)

お次は聴力検査。電話ボックス状の筒内に入りヘッドホンを装着、音が聞こえたら手元のボタンを押す。ボックスの中に入ると外界の音が一切聞こえなくて静かだった。最初検査の音が鳴っているのかどうかよくわからなかった。前日夜から食事を摂っていない為に伊蔵自身のお腹の音が

『きゅるる〜〜ん・・ぴゅるるるる〜ん・・・・』

なんて鳴って仕舞い、そちらの方の音がむしろ大きく聞こえてしまった(笑)聴力検査では伊蔵の左耳の調子が悪いという事が判明した。高い音が聞き取りにくいようだ。以前にもこう言われた事がある。小学生の頃、左耳を中耳炎で患った経験があるのでそれが原因かもしれない。

次はまた場所を三階に移し、最後のお医者様直々の聴診器診断である。診療チェック表を所定の位置に置きソファに座ってしばし待っていた。すると向こうから・・おおお!先程の伊蔵好みの女性看護士さんがやって来て

『伊蔵さ〜ん、こちらへど〜ぞ』

そう呼ばれてなんだか不思議と嬉しくなってしまいお医者様の元へ(笑)しかしお医者様に聴診器を当てられてる時にその女性看護士さんにお腹と背中を見られてしまう羽目になり恥ずかしかった・・・です。

『特に問題ありませんね・・』

簡単にお医者様の診断は終了、ちょっと拍子抜けだった。
こんな感じで全診察が終わったのだが、自分で健診センターに出向いて診断してもらうという今回初めての経験は案外いろいろ面白かった。あとは良い結果が出れば言う事無しというところではあるが。

結果についてはまた追って報告したいと思う。

65歳の金田一耕助

30年ぶりのリメイク作品『犬神家の一族』。
以前にもこのブログで書いたが順調に撮影は進んでいるようだ。
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同じく30年ぶりに金田一耕助役を演じる「石坂浩二氏」も65歳という年齢を感じさせない演技で撮影にのぞんでいる。この役者さんはもともと歳を感じさせない風貌だと伊蔵は思うし、なによりも『金田一耕助』役はこの人というイメージが強い。石坂氏は衣装も自ら着付けをし、金田一カバンも前作と同じ35年前に自ら購入したカバンを今回の映画でも使用するとの事。

金田一耕助の役は様々な役者さんが演じているが「石坂浩二」「古谷一行」の二人がやはりハマり役であろう。変わった役者さんでは『渥美清』(八つ墓村で金田一役を演じた)がいたがどう考えても『金田一寅次郎』といった感があった(笑)八つ墓明神伝説と相続殺人の関連を長々と話す下りの台詞は流石と思ったしハマっていたとは思うのだが。

とにかく今回の『犬神家』どういう作りの映画になるのか楽しみなリメイク作品だ。

大須商店街『サノヤ』

先日、takeさんのお店で飲んでいた折りにm-kさんから大須商店街の激安食料品店「サノヤ」の話を聞いた。
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『生鮮食品館サノヤ万松寺店』。とにかく品物が安いらしい。このお店の大須での歴史は意外と古く70年を有に越えるらしい。もともとは惣菜屋さんとして始まった店で、昭和38年に二代目店主がスーパーマーケット化し、現在三代目の「佐野由典さん」が店を守っている。

どんな品物でも安いのがこの店の特徴だが特に安いのがパックのお弁当。コンビニで売っているようなお弁当がなんと『250円』で売っている。これは元々が「お惣菜屋」だったという強みがあるからだと言われている。そのほか野菜なども独自の仕入れルートというものを持っているらしくとんでもなく安いとの事。

伊蔵はまだこの恐るべき安さの店には入った事がないが、店頭は見た事がある。夕方頃の事だったが大勢のお客さんで賑わっていたのを覚えている。しかし『弁当250円』は安い!安すぎる!!こんなお店が伊蔵の家の近くにあればなぁ〜などと考えてしまう。

ちなみに三代目店主の佐野さん、ジャズやボサノバが好きという事で店内のBGMに曲を流しているとの事だが確かな事は分からない。そのうち足を踏み入れたいお店ではある。

手羽先について

名古屋の食文化の中でも『手羽先』の人気は高い。ここ数年の名古屋メシブームにより関東地区への進出を果たし、現地でも熱烈な手羽先ファンが存在する。
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『手羽先』とは一種の唐揚げであり、鶏の羽先部分を材料に作る。タレ(各店により違い、秘伝の味とされている)を付け、塩・胡麻・胡椒を振り掛けて仕上げる中京地区独特の料理の事である。ビールのおつまみとしてこの手羽先は欠かせないものにまでなっていると言っても過言では無い。
地元名古屋圏での手羽先のいわゆる「二大巨頭」として挙げられる店は

●元祖手羽先唐揚げ『風来坊』さん:創業者・大坪健庫氏
http://www.furaibou.com/furaibo/top.htm
●(株)エスワイフード・『世界の山ちゃん』さん:代表取締役・山本重雄氏
http://www.yamachan.co.jp/index.html

である。手羽先の発明者は前述の『風来坊』創業者・大坪氏。創業当時は小さなお店で「ターザン焼き」といって鶏のもも肉を丸ごと揚げる料理が流行っていたと言う(当時映画やテレビでターザンが人気であったのとターザンが骨付きの肉を食べるシーンがあり、これをヒントに命名したという)。しかし、ある日このもも肉を手違いから仕入れる事を忘れてしまい、当時は鶏ガラのスープ取りだけにしか使用されていなくて棄てる部位とされていた「手羽先」をターザン焼きと同じ作り方でお客に急遽出して見たところこれが大当たり!店の看板商品になってしまったのだという逸話が残っている。

その後「風来坊」は手羽先という料理で愛知県だけでなく近隣の県や九州、北海道、関東圏、アメリカにまで店を持つ一大チェーン店に成長した。
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『世界の山ちゃん』の成長もめざましいものがある。こちらの「手羽先」の特徴は非常に『スパイシー』な事が挙げられる。「風来坊」とは違った味が楽しめるという事と親しみやすいお店の名前等が手伝って非常に若者からの人気が高いお店である。

『世界の山ちゃん』もここ数年でかなりの店鋪を関東圏に出店している。

名古屋人の好みの特徴として「旨い」「辛い」「濃い」というハッキリした味が好まれるというところがある。「赤だし」しかり「味噌煮込みうどん」、名古屋市千種区の味仙が発祥の「台湾ラーメン」などがその代表である。『手羽先』という料理はこれらの味をすべて兼ね備えている味であり、そのことが名古屋で重要な地位を占める料理となり得た訳といえるであろう。
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伊蔵は手羽先の元祖「風来坊」さんには残念ながら訪れた事が無いが、「世界の山ちゃん」さんには何度か訪れた事がある。最初に訪れたお店は上の画像の『世界の山ちゃん・葵店』。数ある山ちゃんのお店でもこの店は今では古株に入る歴史のあるお店である。

仕事が一段落して、その仕事に携わっていた者同士で打ち上げの意味で予約無しで出かけた。案の定、お店は大繁盛していてとても座れる状態ではなかった。店員さんに

『となりの店に行って見て下さい』

(え!?となり??自分たちは「世界の山ちゃん」に来たのに・・)などと一瞬思ったのだが、仕方なくとなりに向かうと・・・

『となりの山ちゃん』

という店が建っていたという嘘のような展開(笑)今でも思い出として残っている逸話だ。今ではこの「となりの山ちゃん」は葵店の拡張で繋げられ、一つのお店になってしまった。

最近名古屋の丸の内付近ではこういった飲み屋さんの進出がめざましく、ホントにいろいろなタイプのお店が出店しており、かなりの激戦区となっている。しばらくこういうお店に行っていないのでまた友人を連れて出かけてレポしたいと思っている伊蔵であった。

歴史教養番組

折角の連休だというのにこの天候・・全くもって不愉快な気分の伊蔵なんである。早く梅雨明けしてもらいたい。ブログのネタにも困ってしまう。
今日は好きなテレビ番組について語りたい。
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伊蔵の好きな歴史番組にNHKで毎週水曜日午後22:00より放送の『その時歴史が動いた』という番組がある。余談だが伊蔵がNHKで初めて見た歴史番組は鈴木健二アナウンサー司会の『歴史への招待』という番組であった。
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鈴木健二アナは映画監督の鈴木清順氏の実弟ですでに1988年にNHKを退職されている。昭和期を代表するアナウンサーで、著作も多く『気くばりのすすめ』はベストセラーとなった。鈴木アナの「歴史への招待」での司会振りとナレーションはまるで「講談」といった感じで話の中にグイグイ引き込まれる感じがしたものだ。

現在の『その時歴史が動いた』の司会は「松平定知(まつだいらさだとも)アナウンサー」。NHKのエグゼクティブアナウンサーでありその名字から察しがつくように徳川家康の異父弟の「松平定勝(まつだいらさだかつ)」を先祖にもつ名家の出身のアナウンサーである。過去に彼はいくつか不祥事も起こしてしまったがそれは過去の事、ここでは語らないでおこう。
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この『その時歴史が動いた』という番組は歴史上での「その時」いわゆる歴史の転換期、ターニングポイントに焦点を搾りそこへ至るまでの当事者双方の出来事や人物の動きや性格など再現ドラマを挿入しながら紹介していくという進行の仕方をする。そして『その時』にいよいよ話が入る手前で、松平アナの名フレーズが入る・・・

『そして皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります・・・』

この台詞はもうこの番組には欠かせないフレーズとなっていてネット上のいわゆる「実況掲示板」では連発されたり、形を変えて使われたりしている(笑)

また毎回多彩な解説者も当番組に登場する。有名どころとしては「童門冬二氏(作家)」「小和田哲男氏(静岡大学教授)」「黒金ヒロシ氏(漫画家・彼は幕末期の歴史、とくに新選組関係に詳しい)」「堺屋太一氏(作家・元小渕、森政権時の経済企画庁長官)」等だ。

伊蔵が好きな解説者は「童門冬二氏(どうもんふゆじ)」。
童門氏は本名・太田久行さん。かつては東京都庁に勤めておられ都立大学事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任して退職後に作家となった方である。
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氏の解説は当時の歴史をなぞるだけの解説者とは違い、過去の出来事を現代に生きる我々が抱える問題に準えて分かりやすく解説するという特徴があり、聞いていてかなり面白い。また当時の人物像や政治背景や組織背景を現代の会社組織・上司や部下という観点に置き換えて解説されたりする。聞いている我々も必然的に納得しやすいのだ。

番組終了時は「その時」の紹介が終わり、その後の歴史・人物がどういう運命を辿ったのかが語られ終了となるのだが、その時また松平アナ恒例の挨拶が・・

『皆さん、今夜も御覧頂き有り難うございました』

と、テーブルの上に両手を付きお辞儀をする。この挨拶の仕方は松平アナ特有の挨拶の形であり他のどんなアナウンサーも行っていない。初めて見た時は「随分仰々しい挨拶だなぁ」と思ったものだが、慣れてしまいこれが無いと番組が終わった感じがしないという所まで昇華されてしまった。

番組内容も結構マニアックな内容のときもあるのでいつも楽しみだ。

弁護士・高林鮎子シリーズ

『弁護士・高林鮎子シリーズ』と聞いてピンとくる方は『火曜サスペンス劇場』ファンといっても過言ではなかろう。
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「火曜サスペンス劇場(通称・火サス)」は日本テレビで毎週火曜日に放送されていた2時間のサスペンスドラマだ。昨年2005年9月で放送は終了されてしまったのだが、人気のシリーズ物は再放送を頻繁に放送している為に終了した事に気が付かない(笑)

いくつかの「シリーズ物」が存在するが、中でも伊蔵が好きなのがこの『弁護士・高林鮎子シリーズ』である。実際このシリーズは大変人気が高く、何度も再放送されているので御存じの方も多いであろう。主なキャスト・登場人物は以下の三名。

●高林鮎子(眞野あづさ)
草鹿法律事務所所属の女弁護士。主人公。美人弁護士。

●竹森慎平(橋爪功)
草鹿法律事務所所属の調査員。鉄道オタクっぽい。

●草鹿達之介(丹波哲郎)
草鹿法律事務所所長。鮎子・竹森が推理に行き詰まった時、奥の部屋から現れて絶妙な助言を与える。普段は何をしているのかよく分からない(笑)

ストーリーパターンとしては、犯人が先に視聴者に分かる形。犯人が犯行を偽装する為、様々な公共交通機関(鉄道・バス・飛行機・タクシー・船)を巧みに使いアリバイを構築、その鉄壁のアリバイを鮎子・慎平コンビが崩していくというもの。このコンビは足を使ってアリバイ崩しをして行く為(犯行現場や足取りなど現地へ出掛ける)草鹿法律事務所の出張調査コストは相当かかっている事は否めないだろう(笑)

このように『アリバイ崩し』に重点が置かれているのだがいろいろなトリックを犯人が用いてアリバイ構築している為、アリバイ崩しに挑む鮎子・慎平コンビに視聴者は感情移入して楽しめる。きっと地図や時刻表を手に放送を楽しむ視聴者もいたのではないかと思う。また現地での宿泊先のホテル・旅館等もドラマタイアップしている為、大概宿泊施設看板が大写しになるカットがある。

鮎子:「慎平さん!!あれっ!」
(アリバイ崩しのヒントを現地にて見つけた時に発する台詞)

慎平:「鮎っぺ!!そうか!その手があったぁぁ〜〜〜!」
(彼は鮎子の事を鮎っぺと呼ぶ)

この台詞はこのシリーズのお約束である(笑)
旅と名所・アリバイトリック崩しが一度に楽しめるこのシリーズは何度見ても面白い。また犯人にも犯人の言い分というものもあり、仕方なく犯行に及んでしまったという悲しい現実もこのシリーズの最終場面では描かれる。これも特徴の一つである。そこで鮎子は、

『私が裁判のときはできる限りしっかりと弁護させて頂きます・・・』

とやっと弁護士らしい台詞を発し、ドラマが終了するというわけ。そしてエンディングテーマが始まる・・。他のシリーズものでも伊蔵が気に入っているものもあるが、人気からいったらこの『弁護士・高林鮎子シリーズ』には及ばないであろう。

蕎麦の塔

蒸し暑い日が続いている。暑過ぎて朝早くに目が覚めてしまう伊蔵である。
今日は7時前には仕事のメドがついたので帰ろうとすると携帯にメッセージが!前の会社の友人の「Y氏」からで『蕎麦でも食べに行きませんか?』というもの。

暑いし、伊蔵もサッパリしたものでお腹を満たしたいと考えていた所だったので早速承諾の返信をし、会社からさほど遠くない蕎麦屋「S」へ。
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Y氏と会って蕎麦を食べるのは春以来の事でありとても久しぶりの事なのである。伊蔵はビール、彼は「烏龍茶」でまずは再会を祝し乾杯。この蕎麦屋「S」はこの近辺では大きな蕎麦屋。メニューの蕎麦の量もかなりのボリュームで甘く見ると食べきれなくなる。味もそこそこだ。今夜の注文は・・・

●ビール&烏龍茶
●とろろ揚げ(ここへ訪れると必ず注文する品なのだ)一品
●手羽先明太子一品
●天ざる蕎麦

以上である。とろろ揚げについては以前このブログでも紹介したので今回は『手羽先明太子』について語ろう。
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これがその『手羽先明太子』である。一皿に二つ乗っている。この手羽先明太子というものはどういうものかというと手羽の部分を一度袋状に開きその中に明太子を詰め、カラリと揚げてあるというもので今まであるようでなかったメニューだ。しかも手羽先と明太子は非常に合う。
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上の画像で手羽のプクッとしている部分に明太子が隠されている。揚げたてが最も美味しい一品だ。しかしY氏は猫舌なのでアツアツではなかなか食べられない(笑)この手羽先明太子ととろろ揚げをつまみながら会社の近況や最近変わった事ないか等、報告しあった。(お互いあまり変わった事はなかったのだが 笑)そうこうしているとメインの『天ざる蕎麦』が現れた!
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ババ〜〜〜ン!!ってな感じのボリューム。まさに『蕎麦の塔』。ホントここの蕎麦のメニューは量が多い・・。蕎麦だけでもかなりの量なのにそれ以外に天麩羅もかなり付いてるのでちょっとこれはスゴイ。
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蕎麦つゆに入れる薬味等も豊富で楽しめる。伊蔵とY氏はこのボリュームに驚きつつも、箸を付け始めた。重箱3箱目くらいになると早くもお腹が一杯になってきた。とくに伊蔵の場合はこの蕎麦の前にビールを一本空けている為に余計に満腹になるのが早い。
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なんとか全て平らげたときには二人とも胃が蕎麦で満載状態になり言葉を失っていた(笑)すこしばかり今夜は食べ過ぎたようだ・・・。

行ってらっしゃい☆

14日よりtakeさんが米国本土に向けて旅行に出掛けるという事で13日に晩に見送りを兼ねてお店に余っている食材をやっつけに出掛ける事に。

平日の晩という事もあって客は伊蔵一人かと思っていたが、最終兵器というべき「オナゴ」が二人すでにお店に居座っていた(笑)m-k氏とR氏である。このふたりにお店で会うのは久しぶりである為、伊蔵の心は踊った(踊ったと言うべきか怯えたと言うべきか複雑な所であったが・・)
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久しぶりにお二人に会ってお酒を飲みながら話す事はとても楽しかった。二人とも当ブログ「伊蔵通信」の熱烈な読者という事も分かり、これからのネタ集めにも手が抜けないという事が改めて分かった伊蔵であった・・。しかしこれは有り難い事で、これからの執筆にもチカラが入るというものである。

明日出発が早いというtakeさん、出発日前日までお相手有り難うございます。気をつけて行ってらっしゃい!

自動二輪時代(その3・ツーリングの思い出)

バイクの話の三回目。
「KL250R」のエンジンが焼け付きオシャカとなってしまったので伊蔵は思い切って排気量400ccのバイクを購入する事にした。
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『KAWASAKI ZEPHYR(ゼファー)400』。1980年代末バイクユーザー達はそろそろ「レーサーレプリカタイプ」の車体デザインに飽き始めていた。どのメーカーも変わり映えのしないスタイリング・性能のバイクばかり・・そのような時勢・市場の要求をいち早く読んだ川崎が「バイクらしいバイク」としてこの『ZEPHYR(ゼファー)』を発売した。案の定このバイクはヒットし、「ネイキッドバイク(裸の・剥き出しの意)」・「アンチレプリカバイク」の先駆者的モデルとなった。

このバイクのヒットによって他のバイクメーカーからもこぞってこの手のデザインのバイクを販売しはじめた。HONDA CB-1やSUZUKI BANDITなどのモデルがそうだ。

●KAWASAKI ZEPHYR400
空冷4サイクルDOHC4バルブ並列4気筒エンジン・排気量397cc・最高出力46ps/11000rpm・燃料タンク容量15リットル・乾燥重量177キロ

決して目新しい性能のあるバイクではない。エンジンはGPz400F用を中速重視にセッティングし直したもので水冷エンジン全盛の時代にあえて空冷エンジンを採用し独特のシリンダーフィンの美しさを強調している。新設計のエンジンではない為に製造面でのコストダウンにも成功し、400ccとしては破格の安さを誇った。一見、時代に逆行したといえる感じだがレーサーレプリカバイクがひしめく中でこのバイクの登場はひと際輝いて見えた。
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上の画像は1992年の夏に島根県の隠岐島(おきのしま)にツーリングに行った時のもの。高速で岡山の辺りまで走り、そこから日本海に向かって中国地方を縦断し雄大な大山(だいせん)の麓をかすめ、海に至った所で西に進路をとって境港(さかいみなと)まで走ってそこから隠岐汽船のフェリーに乗り隠岐島へと渡った旅だった。友人はHONDAのオフロードツアラー、トランザルプ400に乗り同行した。
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これは境港から隠岐島に渡る時に撮影したもので遠ざかる境港側を見ている。港湾内ではそんなに揺れなかったが外洋(日本海)に出るとかなり大きなフェリーなのにゆっくり上下に揺れた。

『隠岐島』はいくつかの島からなり、大きく分けると島前(どうぜん)・島後(どうご)と二つに分類できる。今現在領土問題で韓国との間でもめている『竹島』にも近い。境港から一番近い島の港までフェリーで2時間以上かかる場所にある。境港からまず島前の島のひとつ、西ノ島の浦郷港に渡って島内のキャンプ場にテントを設営し夜を明かした。
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この西ノ島には「国賀海岸」という絶景の景勝地がある。伊蔵はこの場所をあるバイク雑誌の特集記事で見かけ、是非訪れたいと思っていたのだ。
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その国賀海岸のなかでも「摩天崖(まてんがい)」と呼ばれる場所がとてつもない絶景なのだ。日本海の荒波と風浪に何十万年もの間削り取られてきた比類なきスケールの大断崖であり、海面から頂上まで257メートルの高さがある。伊蔵はその頂上に立ち、青い日本海を眺めて感動した。頂上付近は牧場になっており、馬や牛が放し飼いになっていた。
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帰り道が牛の大軍で塞がれていたのはちょっと怖かった(笑)牛といっても真っ黒な牛で見た目の迫力というものがある。バイクのホーンを鳴らしながら牛を追い払って道を走った記憶がある。この隠岐島は絶海の孤島という感じで、昔から後鳥羽上皇、後醍醐天皇などの貴人が配流された島としても有名である。
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島後(どうご)にも渡って、そこでは西郷港ちかくの民宿に泊まった。お婆ちゃんが経営している小さな民宿だったが新鮮な魚介類を手作りで料理してくれてとても美味しかった。

この島ではレンタルバイク屋で原付スクーターを借り、島内を一周した。島という所は不思議なものででなんだかゆっくり走ってみたくなる気分にさせられ、原付で走る事になったのだ。いろいろな名所を思う存分まわって来た。

400ccバイクでのツーリングで一番の思い出に残っているのはこの『隠岐島ツーリング』。とにかくなにもかも素晴らしかった。

『鮎の会』

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いつもお世話になってるtakeさんのお店。
そのtakeさんが来週より米国ラスベガス&ハワイ(マウイ)島旅行に出掛ける。その前にみんなで集まり『鮎の会』を開く事となった。材料の「天然鮎」は岐阜よりtakeさんが仕入れる事にし、伊蔵はメンバー動員係となった。緊急動員をかけたところ『鮎の会』当日までに多くの参加メンバーが集まった。

当日はお店の席が全部埋まる程の盛況ぶり(10席程で一杯になってしまう)。メンバーの皆さんは伊蔵がこの店に足を運んだ時に知り合いとなった人々や、建築家、伊蔵と同業の仕事関係の人、ネット上で知り合った人など多彩なメンバーである。

皆さんそれぞれ仕事を持っており、なかなか一時に会うという機会がここのところなかった。今回の『鮎の会』では珍しく皆さんの都合が合い、久しぶりにお互い元気な顔を合わせる機会となった。
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当日伊蔵は出勤日であったのだが、早めに仕事を切り上げ午後6時過ぎにはtakeさんのお店に入った。早速takeさんの『本日の食材』の紹介が(笑)「岐阜長良川の天然鮎」、takeさん行きつけの焼肉屋さんより仕入れた「牛肉の串」、ちょっと前にもこのブログで紹介した「オコゼ」という魚、「鰹のタタキ」など仕込みにかなりのチカラが入っていた。
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8時頃までにはほぼメンバーが揃い賑やかな宴となった。蒸し暑い日という事もあってビールが旨い!皆さんのビールを飲むペースもいつもより早いようであった。
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鶏ハムとブロッコリー、モヤシのナムル、トマトをお皿に盛ったサラダの一品。それぞれの食材の旨さも勿論だが食材自体のそれぞれ色がお皿の中で一つになり、見た目にも彩りの美しい一品であった。モヤシのナムルのピリリとした味も刺激的で良かった。
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鰹のタタキとワカメ、タマネギを和えた一品。サッパリとした中にも肉厚に切られたモチモチした食感の鰹のタタキのボリューム感が嬉しい。お皿の中に「海」を感じる品であった。
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砂肝のゴーヤチャンプルー。ゴーヤチャンプルーは沖縄料理として有名なのは御存じだろう。ゴーヤ(苦瓜)にはビタミンcが豊富に含まれており栄養満点。「チャンプルー」とは沖縄の方言でようするに内地でいう「ごちゃ混ぜ」という意味。肉の代わりに砂肝を合わせたこの一品、夏バテに効果がありそうなヘルシーなスタミナ料理といえる。
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そして現れた・・・・『長良川天然鮎』。
参加メンバーの中から「おおお・・」と、どよめきとも溜息ともつかない反応が見られた(笑)takeさんの手によって丁寧に串打ちされていく天然鮎たち・・美しい。
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串打ち完了!!適度に塩も振られ、これからこの天然鮎は炭火でじっくりと焼かれる。食べるのも楽しみな事だが、takeさんの店の良いところはこういった料理が料理される過程を見てお客さんが楽しめる事だ。ただ料理を注文して出来上がるのを待つだけとは違う。自分がこれから口に入れる食材が目の前で料理されそれが仕上がるまでの間におのれの『食べたいという欲望』をじっくり増大させる事が出来るというわけだ。
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じっくり炭火で焼かれ良い塩梅に仕上がった鮎。天候不順の為、少々小ぶりの「天然鮎」だったが問題は無い!ウマイから(笑)伊蔵は頭からかぶりついた!程よい塩加減と淡白な味と苦味が川魚の塩焼きのいいところだ。やっぱりウマイ!お酒も進む。この頃になるとメンバー全員のアルコール摂取量も十分になり酔っ払って皆めいめいに自分勝手な話にのめり込んでいた(笑)
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牛肉の串焼きも旨かった。見た目ゴツイがとても柔らかく咬めば咬む程、肉の旨味がしみ出してくる感じだった。
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「オコゼ」もカラリと唐揚げに変身!バリバリ丸ごと頂きました。最終電車がもうそろそろいう時間になると皆さん帰宅の徒につき始めた。美味しい食材とお酒に舌鼓を打った数時間に満足し帰っていた。最後までお店に残ったのは伊蔵をはじめ、お店にごく近い地域に住むメンバーばかりとなった。

そろそろ『帰りましょうか』という段になって、またまたあらたな刺客が店に現れた!『黄色い悪魔』事、たいがぁさんである(笑)

彼は今日の『鮎の会』に誘っていたのだが不参加という事になっていたはずだった。この「たいがぁさん奇襲攻撃」によって帰ろうとしていたメンバー全員が帰れなくなってしまう羽目に(笑)しかしここからの時間の宴もなかなか話が弾み面白いものであった。

結局、伊蔵はこの宴のあとtakeさんのお店に泊めさせて頂く事に。takeさんも今日の宴にはかなりの力を注いだ為に非常に疲れているようだった。
メンバーの皆を店の外で見送ってから、takeさんと伊蔵はお店の席を並べ、それを寝床としてまるで『二匹の鮎』のように真っ直ぐな姿で深い眠りに就いたのであった。

自動二輪時代(その2・KL250R)

バイク話の続編です。
前述したように「YAMAHA SRX400」に憧れていた伊蔵ではあったがオフロード車の楽しさを知ってしまった伊蔵は結局『KAWASAKI KL250R』という250ccバイクを中古で手に入れた。
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たしか名古屋市内中川区のバイク屋で購入したと記憶している。

●KAWASAKI KL250R
水冷4サイクルDOHC4バルブ単気筒エンジン・排気量249cc・最高出力28ps/9000rpm・乾燥重量117キロ・燃料タンク容量11リットル

このバイクの最大の特徴は、見た目はオフロード車だが「ツインカムエンジン(DOHC)」を搭載している事だ。当時のオフロードバイクのエンジンは「空冷OHCエンジン」が主流。オフロードを走るためには車体重量を軽くする必要がある為だ(実際悪路での重いバイクは堪った物では無い)。なのにこの「KL250R」はあえてエンジン重量が増す「水冷DOHCエンジン」を搭載していた。

これは厳密にいうとこのバイクがオフロードバイクではない事を表している。オン・オフ道を選ばず快適なツーリングが楽しめるように開発されたバイク(当時はデュアルパーパス車と呼ばれていた)なのである。こういうバイクは他には数える程しか無かった。
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このハイメカ・オフローダーは全回転域でスムーズかつトルクフルなエンジン特性でオフロードランは勿論、高速道路走行においても振動が少なくストレスの無い走りを見せてくれた。伊蔵はこのバイクで高速道路を走り、現地に着いてから山道に入ってはオフロードランを当時は楽しんでいたものだ。
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写真は岐阜県から「油坂峠」を越えたところにある福井県の「九頭竜湖(くずりゅうこ)」付近にツーリングに出かけた時のもの。当時は東海北陸道などはまだ開通していなくてずっと国道を走って現地へと向かった。
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友人も同じ車種の旧型に乗っていた。九頭竜湖から林道に入っては走行した。車体は若干重くて扱いにくかったが走行には全く支障はなかった。
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このバイクで矢作川上流にも友人B氏の駆るオフロードバイク「YAMAHA DT200」と一緒に出かけた事があり、そこで豪快にコケてしまって背中で路上を対向車線まで滑っていったという苦い経験もある(笑)対向車が来なくて本当によかったが。
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このバイクにもいろいろな思い出が沢山残っている。当時の写真を見ると伊蔵もとても楽しそうだ。良いバイクだったが、エンジン性能を過信しすぎた伊蔵の不注意でエンジンを回し過ぎ、シリンダーが焼き付いて悲劇的最期を迎えてしまった・・・。可哀想な事をした。<つづく>

『鮎』

伊蔵の好物のひとつに川魚があるが、中でも「鮎(アユ)」「鱒(マス)」は大好物だ。今日は『鮎』のお話。
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■画像提供/takeさん

『鮎』という魚は、アユ科アユ属アユに分類される魚で日本を代表する淡水魚である。幕末の頃、シーボルトによって世界の学会に発表され紹介されたという。当時はサケ科の魚の一種とされていたが、口元等に独特の特徴が見られる事から独立した科『アユ科』に分類された経緯があるそうだ。

鮎といえば体表の粘膜から発する香り(スイカともウリの香りとも例えられる)から「香魚」とも呼ばれている。また一年で一生を終わる魚なので「年魚」とも。鮎は普段水のキレイな清流の岩に付着している水苔や珪藻を食べている。川の環境によって鮎の香りや味が微妙に異なるのはこの水苔や珪藻の質の違いによるのが主な理由だという。

もともと「鮎」という漢字表記はナマズを表す文字であった。文字自体は奈良時代頃から使用されていたらしいがナマズという意味での事だったそうだ。我々が今日頭に浮かぶ「鮎」が「アユ」と言う意味で使われるようになったのはもっと時代が下ってからだという。

魚へんに占うと表記される文字にも諸説あって、「日本書記」や「古事記」などの書物に散見出来るという。第14代仲哀天皇の妃「神功皇后(じんぐうこうごう)」が三韓征伐に向かう際(三韓とは古代の朝鮮半島存在した新羅・百済・高句麗の三つの国の事)、九州のある川において戦勝を祈願する為「占い」を行った。「この戦いに勝たせてくれるならば魚を釣らせたまえ」みたいな感じだったらしい。この時に釣れた魚が「鮎(あゆ)」だったのでこの文字が当てられたと言う説があるようだが確かな事はいえない。
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「鮎」にはいろいろな料理の方法があるが、伊蔵の好みはやっぱり「塩焼き」だな(笑)「甘露煮」や「天麩羅」も美味しいけどね。

鮎の内臓を塩漬けにした「ウルカ」というのも酒の肴として最高だという。白子を使った「白ウルカ」、鮎の身を細かく刻んで作る「切り込みウルカ」、内臓を使った「苦ウルカ」等、作り方も地方や使用する部位によって異なるらしい。この「ウルカ」というものはまだ伊蔵は食した事が無いので何とも言えないのだが、きっと酒好きな人には合うのだろうと想像している。いつかこれを食べながら焼酎を飲みたいものだ。

『姿良し、香り良し、味良し』の鮎・・・まさに今が旬の時期の川魚であろう。

自動二輪時代(その1・憧れだったバイク)

先日更新した「原付時代」の続編です。
原付バイクに乗りはじめると不思議なもので排気量の大きなバイクに乗ってみたいという気持ちが次第に頭をもたげて来る。1980年代当時の伊蔵もその一人であった。

当時のバイクメーカー全般で絶対的な人気を誇っていたのは「レーサーレプリカ」と呼ばれるバイクカテゴリーであった。極端な前傾姿勢で跨がりハンドルの切れ角も狭く、強力なブレーキ性能と高出力高回転型マルチエンジン搭載、太く軽い材質のフレーム、カウル(風防)で全身を覆いエンジンが見え無いタイプのバイクの事だ。

絶対的速さを追求していくと、どんなバイクメーカーが造ってもデザインが画一化してくるのは否めなく、どのメーカーのレーサーレプリカも同じようなデザインばかりといった時代であった。勿論伊蔵も当時はこのレーサーレプリカが気にはなったのだが、伊蔵的には

『バイクらしいバイク』

が乗りたい理想のバイクであった。そんな中、とても気になっていたバイクがある。それは
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『YAMAHA SRX400』である。

●YAMAHA SRX400
 空冷4サイクルOHC4バルブ単気筒エンジン・排気量399cc・最高出力33ps/7000rpm 

スリムな車体にシンプルな単気筒エンジン、その美しいスタイリングはまさに『バイクらしいバイク』といえるデザインであった。SRXは400ccと600ccの2タイプが用意されていた。
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単気筒エンジンの良いところとして挙げられるのは、4気筒マルチエンジンに比べ、高回転までエンジンは回らないがその分だけ燃費が良く経済性に優れているというところだ。また、大排気量の単気筒エンジンは「ビッグシングル」と呼ばれ、ドッドッ・・っという独特な単気筒特有のエンジン音を楽しむ事が出来るのも魅力である。トルク感も抜群で、コーナー出口からスロットルを開けていく時のダッシュ感は4気筒マルチエンジンには無い特性といえるだろう。
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当時の伊蔵は専門学校生で名古屋の学校に通っていたのだが、路上の片隅に停められているSRXを見ると近寄って行き、細かいエンジン部分や少し離れた所からマジマジと眺めては憧れていたものだ。今考えるとこれは怪しい人物だ(笑)

このSRX、デザイン的によほど優れていた為かその後大きなデザイン変更はなく販売されていた。伊蔵も憧れのバイクという事ではあったが、原付バイク「MTX50R」によってオフロードバイクの楽しさを知ってしまったので結局中型自動二輪免許を取得して購入したバイクはこのSRXではなかった。その件については次回語る事にしようと思う。<つづく>

魚づくし

昨夜の事である。仕事ももう終わりかけていた時分、携帯をふと見ると先日の日間賀島同行メンバーのひとりの「アキラ氏」より連絡が入っていた。

今夜の彼は『どうしても飲みたいモード』に気持ちがシフトしていたらしく、そのお誘いの連絡であった。早速takeさんの店に連絡を入れ、出陣!

しばらく伊蔵とtakeさんとで飲みながらアキラ氏の到着を待つ。かなり待ってからおもむろに戸が開き、アキラ氏が現れた。仕事の労をねぎらいながら三人で乾杯!お互い仕事の苦労を語りつつの食事となった。
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まずは疲れた身体に優しい「お豆腐」。そして最近takeさんがハマっている「鶏ハム」。今夜はこの鶏ハムにドレッシングがかかっていたのだが、これがなかなか合っていてウマイ。熟成途中の鶏ハムも見せてもらった。
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このように鶏肉に塩胡椒で下味をつけておき、ジップロックの中に入れ、空気を抜き冷蔵庫にて寝かせて熟成させる。食べるときには十分に肉に塩胡椒の味が染み込んでいるというわけである。美味しいものを食べると仕事のストレスも忘れて充実した時間を過ごす事が出来る。アキラ氏もホッとしているようだった。
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今夜伊蔵が一番楽しみにしていたものが「鮎」である。
先日takeさんは岐阜にプチツーリングに行った折りに「天然鮎」を安く手に入れるルートを開拓したという事を聞いた。岐阜長良川はある意味「鮎の本場」である為、名古屋で仕入れるより安く手に入れられるらしい。今夜の鮎も頭から尻尾まで全て平らげた。
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お次は「キンキ」と「太刀魚」。太刀魚は子持であった。これを塩焼きで頂く。「キンキ」は正式な名称は喜知次(きちじ)という(宮城県や岩手県ではこう呼ばれる)。昔はこのキンキ、使うといったら蒲鉾にするくらいだったという。それが漁獲量の減少からいまや高級魚になってしまった。
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この魚は煮付けや唐揚げにしても旨い。DHAやEPAなどの多化不飽和脂肪酸もたっぷりの魚でビタミンEもこの魚を食べる事によってしっかり吸収できる。身は白身で脂がのっておりプリプリの肉厚。これを食べながら飲る焼酎は最高であった。
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さらに酒が進んでしまった原因は「鳥皮」だ!酒好きな伊蔵にとってこれは力石徹のカミソリアッパーにノックアウトされた矢吹ジョーの気分であった・・。タマランっす(笑)口へと運び咀嚼するとジューシーな肉汁がジンワリ出て来て伊蔵は異空間へと飛んで行ってしまいそうであった。
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本日のシメは蕎麦と味噌汁であった。日本人で良かったと思うのが味噌汁を飲んでいるときだ。お酒を飲み過ぎた時でもアツアツの味噌汁を飲めばなんだか不思議と「シャッキリ!」とし、幸せを感じるものだ。
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今夜はいろいろな魚を食べさせて頂いた。まさに「魚づくし」。伊蔵の終電時間も近くなりtakeさんも炭火を落とし店仕舞いとなった。アキラ氏も数時間ではあったがこういう美味しい時間を過ごせて少しは気分が楽になった事であろう。たまには息抜きも大切だという事だ。(しかし伊蔵自身は息抜きし過ぎなのは否めない・・・笑)

原付時代

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『HONDA MTX50R』伊蔵が初めて所有した原付(50cc)バイクである。当時の50ccバイクは圧倒的に2サイクルエンジンが多かった。2サイクルエンジンの利点は4サイクルエンジンに比べ、同じ回転数で爆発回数が2倍ありエンジン回転の吹け上がりが速く、かつ強力なトルクを発生するところにある。小排気量でも力強い走りが出来る為、当時は需要があったわけだ。また4サイクルエンジンに比べエンジン構造が複雑ではない。しかし現代地球環境問題の叫ばれる中、2サイクルエンジンは衰退の一途を辿っている。

この2サイクルエンジンの欠点は4サイクルエンジンに比べ燃費の点で差をつけられる事。同じ回転数で2倍爆発しているわけだから燃費が悪いのは当たり前だ。また静粛性の点でも4サイクルに軍配があがる。2サイクルは低回転時には「パラパラパラン」と不安定なエンジン音だがひとたびスロットルをひねって高回転にするとカン高い音をあげ、怒濤の加速が味わう事が出来る。この加速が2サイクルエンジンの一番の魅力であろう。

●HONDA MTX50R(1985年製)
水冷2サイクル単気筒排気量49cc・最高出力7.2ps/8500rpm・乾燥重量87キロ・始動方式プライマリーキック式・燃料タンク容量8リットル

 
当時の伊蔵は原付バイクでもどれにしようかかなり迷っていたのだが、普通の原付の車格にあるまじき大きさ(125cc程の大きさがあった)に惚れてこのバイクをいろいろな場所に行って中古車を探した。結局瀬戸市内のとあるバイク屋で程度の良い車を見つけ手にいれた。

この時期HONDAの他のメーカーでも同じようなオフロードタイプの原付が発売されていた。
●YAMAHA DT50
●SUZUKI TSハスラー50
などが代表的なオフロード原付バイクであった。
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友人が『SUZUKI TSハスラー50』に乗っていたので彼といろんな場所に原付ツーリングに出かけた。上の写真は1988年(昭和63年)に恵那の阿木川ダム近くでのスナップ。当時ダムはまだ工事中で完成はしていなかった。阿木川から更に南に向かって岩村、明智、足助と抜けて豊田市まで抜けて帰って来たツーリングであった。ちょっと原付で走る距離ではないが、当時はこんな長距離ツーリングを当たり前のようにしていた。
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エンジンは上の画像のようにとても小さいのだが7.2馬力を8500回転で発生する。ノーマルエンジンでは時速60キロを越えるとリミッターが作動しエンジンがそれ以上回らなくなってしまうのだがなぜか伊蔵の手にいれたこの中古車はリミッターがカットされており、道路状態や諸条件が整えば80キロ以上を出す事が可能であった。大きな車体は振り回しやすく、ワインディングでは思った以上に速く走る事が出来た。
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こいつで伊勢湾・三河湾一周を一泊二日で慣行したし、南知多の海岸や浜名湖の向こうの中田島砂丘などに入り込んで遊んだり、山の林道に入り込んだりいろいろな所に行った。嘘のような話だが山の中の道を走行中、突然現れたイノシシと並走したのもこのバイクであった。道を選ぶ事無くかなり使い勝手が良かったバイクだったといえよう。
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『HONDA MTX50R』・・伊蔵の思い出の原付バイクである。

宮田製カリフォルニアロードの思い出

伊蔵は今現在乗っている自転車『GIANT OCR-2』に乗り換える以前、『ミヤタ カリフォルニアロード』という自転車に乗っていた。
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1980年代初頭に購入した自転車に長年乗っていた訳だ。当時伊蔵は高校に入学して間もない頃であった。当時はこういう「ランドナータイプ」や「ロードスポーツタイプ」の自転車が流行であった。メーカー市販車の中でこの「ミヤタ カリフォルニアロード」と「ブリヂストン ロードマン」が人気の双璧となっていた。
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上の画像は昨年たまたま東京にある「交通博物館」(今年埼玉県大宮に移転した)に行った時に展示されていた1974年製(昭和49年)「ブリヂストン ロードマン」である。まだまだ自転車で遠くまで旅する人が沢山いた時代だ。

『ミヤタ(宮田工業)』という会社は最初から自転車を製造していた訳では無く、元々は「銃器」を製造していた事を御存じであろうか。初代「宮田栄助」は水戸藩の鉄砲指南役、国友家(くにともけ)に師事し製銃技術を磨き、その後常陸国笠間藩のお抱えとして苗字帯刀を得た鉄砲師であった。維新後の「廃藩置県」により藩が解体されると上京し、東京京橋において1881年(明治14年)宮田製銃所を創設した。

明治陸軍からの「村田銃(陸軍軍人・村田経芳が発明)」の発注を受けて宮田製銃所は発展したのだが、そんなとき東京築地の外国人居留地に住む外国人が自転車の修理をこの宮田に頼む。修理する場所がこういった製銃所くらいしか当時の日本には無かったからである。この修理の出来が外国人達の評判を呼び、副業のようになってしまったという。その後、自転車の将来を見越した宮田は1902年(明治35年)製銃業を廃し、自転車製造業に乗り出したというわけだ。

話が逸れた。この「ミヤタ カリフォルニアロード」と一緒に色々な旅を経験した。富士山、富士五湖、箱根峠、鎌倉、横浜、東京、筑波(科学万博開催年)、下呂、京都。数えると切りがない思い出をこの自転車は残してくれた。
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社会人になってからというものしばらく乗る事が出来なかったが数年前から自分の健康の事を考え、また乗り始めた。購入から20年近く経ていながら昔と変わらない走りで伊蔵を楽しませてくれた。
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しかし昨年の一月に前方不注意のクルマによって「カリフォルニアロード」は命の火を消してしまった・・伊蔵の命を身代わりになって助けてくれた形となった。沢山の思い出や経験を授けてくれただけでなく伊蔵の要求する無理な道に入り込んでもキチンと走ってくれたカリフォルニアロード。事故に遭わなければまだまだ一緒に楽しく走れたであろう。『ありがとうカリフォルニアロード・・。』
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知多半島・島攻め(その10最終回・さらば日間賀島、半島縦断)

朝飯のあと、部屋に戻ったのだがチェックアウトまでの時間にまだ時間が残っており、メンバー全員また寝てしまった・・(笑)眠りから醒め、外を見ると小雨が降っていた。バイクで来ていた草加君は本日のバイク走行が心配そうであった。
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また海面をみるといつの間にか潮が引いており、岩礁が顔を覗かせていた。さっきまではあんな岩は見えていなかった。チェックアウトし、西港へと向かい「土産」を買う事に。
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西港までの道筋で見かけたマンホールの蓋。タコのパターンとフグのパターンのデザインがあるようだ。辿り着いた西港では昨夜島で宿泊した観光客でごったがえしていた。これから篠島や伊良湖や鳥羽、師崎それぞれの目的地へ渡るのであろう。
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海産物売り場も土産物を購入するため客が多かった。タコをはじめ貝や干物など様々なものが売られていた。みな生きておりとても新鮮だ。
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「港町の朝の賑わい」というものを満喫しながらメンバーは土産物を物色したのであった。伊蔵は「ちりめんじゃこの佃煮」と「ミル貝の切り身」を購入。試食させて頂いたところ、とても美味しかったし、御飯が好物であるF部長のお土産としてじゃこは最適だと判断したからである(笑)購入した土産物屋の方々はとても愉快な人達で土産物の勧め方も上手くて好感が持てた。
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西港で高速船を待つ間に「多幸福の鈴」という鈴を発見した。説明板には・・

『日間賀島はタコとフグで有名な島です。願い事をしながら軽く鈴を鳴らして下さい。願い事がかなうかも・・・』

と表示されてあった。一応伊蔵はこういうものを発見するとお賽銭を入れ鈴を鳴らしてみたくなる衝動かられる為、この時も鈴を鳴らして祈ってしまった(笑)
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高速船が到着したので乗り込んだ。滞在時間は短かったが様々な思い出をこの日間賀島は伊蔵の心の内に残してくれた。

『ありがとう!日間賀島・・・』

遠く離れ行く島に感謝の意を表しながら伊蔵は島を後にしたのであった。

約10分後、我々は師崎に降り立った。
ここからどういうルートで帰るか打ち合わせの後、アキラ氏のクルマにはたいがぁ氏と伊蔵が同乗し、草加君はバイクでクルマを先導という形になった。とりあえず国道247号を北上、豊浜方面へと向かった。
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さらば師崎・・。国道沿いから見える海も潮がかなり引いていて岩礁が所々むき出しの状態であった。豊浜港手前の「まるは食堂」に立ち寄る。
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ここ「まるは食堂」は知多半島では有名な観光名所であり大概の観光ガイドで紹介されている。宿泊施設、食堂、天然温泉まで完備しており、かなり手広い経営を行っているが、もともとは豊浜漁港で鮮魚の行商をしていた「相川うめ」というおばあちゃんが食堂や旅館を始めたのが前身だという。まさにグランドマザーといえる。天然温泉はこの「うめさん」の名前をとって『うめ乃湯』と呼ばれていて、多くの観光客で賑わう。
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温泉脇には龍神様の祠と魚の霊の供養塔が祀られていた。「まるは食堂」のすぐ前は伊勢湾が迫っているがこの時間は「干潮」にあたっており、かなり沖の方まで岩礁づたいに歩いていけた。伊蔵らはその岩礁地帯へと足を踏み入れてみる事に。
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普段は海底に没してしまうこの岩礁には様々な海生物が生息しているのが確認出来た。まずは「フジツボ」。岩に幾つもへばりついていた。驚いたのは岩の窪みに残された海水の中に「ナマコ」がいた事だ!
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手でつまむと縮んで硬くなり体内からチュ〜〜っと海水を放出して面白かった。ナマコの他にもこんな「軟体生物」も発見!
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「アメフラシ」である。こいつは棒などで突っつくと身体から紫色の液が出て身を危険から守る行動をする。伊蔵もやってみたが、なぜかこのアメフラシは寝ているのか死んでいるのか定かではなかったが紫色の液体を見る事は出来なかった。
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だれだっ!!こんなとこにラーメンを捨てたのはっ!(笑)実はこれはラーメンではない。先程のアメフラシのタマゴなのである。「海素麺(うみぞうめん)」と呼ばれているが伊蔵的には「海ラーメン」と呼びたい。この「海素麺」は食べる事が可能だが、なんとなく気味が悪い・・。アメフラシの身は一般には食用にしないが、島根県隠岐島や鹿児島県徳之島などでは食用にしているという。しかしアメフラシが毒性のある海藻等を食べていた場合、その毒が体内に蓄積している可能性もあり、食べる場合はそれなりの注意が必要だという事だ。

「まるは食堂」での休憩の後、知多半島の東側を北上するルートを選択したのだが、途中で雨が本降りとなり、バイクの草加君は雨具に着替えての走行となってかなり辛そうであった。昨日はイイ天気だったのに・・・。一応刈谷市の「ハイウェイオアシス」という場所を目指していたのだがなかなか場所が判明せず、とりあえず刈谷市内の「横綱ラーメン」にて昼食にする。
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草加君は雨の中バイクで走行していた為、身体が冷えきっている事だろう。温かいラーメンは身に沁みたと思う。伊蔵はラーメンを食べている時、先程「まるは食堂」前の岩礁で見たアメフラシのタマゴ(海ラーメン)が頭にチラツキ、何とも言えない気分になってしまった・・・(笑)
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昼食の後、草加君のバイク偵察により、「刈谷ハイウェイオアシス」の場所が判明し、中に入ってみた。観覧車のほか足湯や温泉もある。野菜や海産物や名産品などもこの施設で手に入れる事が可能だ。ひととおり回った後、国道1号で北上、途中で草加君とお別れし、名古屋市へと帰還した。

たった一泊二日の旅であったが伊蔵にとっては長い旅に出ていたような不思議な感覚が残った。片道とはいえ自転車による旅のせいであろう。島の民宿でも話し合ったのだが今後もこういった会合を企画することを誓い合った。次回は天気が良いといいが・・・。

伊蔵も今回、長距離を自転車で走りきった事で今までと違った自信がついた。
次回はどこまで走ろうかと今から楽しみになって来た。伊蔵の旅はまだまだ続く。<おわり>

知多半島・島攻め(その9・早朝の島内探険)

酒・身体の疲労も手伝っていつの間にか眠りに落ちていた伊蔵は、かなり深い睡眠をしたらしく早朝5時に目が覚めてしまった(まるでおじいちゃんだ・笑)

まわりを見ると三体の死体がっ!いや違う!(笑)たいがぁ氏、アキラ氏、草加君がまだ眠っていた。かれらは一体何時頃に就寝したのであろうか・・。島の明け方はなんだか蒸し暑かった。周りを海に囲まれているから湿気が多いのであろう。早く目覚めたのはこの蒸し暑さのせいでもあった。

とりあえず「朝風呂」。伊蔵が一番早いのではないかと思ったが、風呂に行くと先客の御老人が一人おり丁度お風呂を出るところであった。

『おはようございます』

お互いに挨拶を交わし、伊蔵は貸切状態のお風呂へと身を沈めた。
いやぁ〜〜「朝風呂」とは気持が良い。身体の暖まった頃に湯舟の端に行き、海に面したガラス窓を解放した。外気が火照った身体に当たり、非常に気持が良い。昨日の天候とはうって変わって今日は曇り空。一雨あるかもしれないなと思った。