2006-08

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東京下町見学(その18・最終回)

たった二日間の東京見物であったがレポが思った以上に長文となってしまった。昨年の東京の旅からの思い入れが非常に大きかった事が原因かもしれない。今回の旅は伊蔵の東京の街の見方を変えた旅といえる有意義な旅であった。

昨年、神田の街で『神田まつや』の蕎麦屋の古い建物の佇まいを見てからというもの東京の下町に非常に興味を覚え、そうした記事を特集した雑誌は努めて読んでいた。今回時間の許す限り見て廻れたのではないかと思う。しかしまだまだ江戸東京には隠れた下町があるに違いない。次の目標を探さねば!と決意する伊蔵であった。
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旅の最後に伊蔵はJR東京駅丸の内北口前にある『丸の内OAZO(オアゾ)』へ寄ってみた。
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『丸の内OAZO』は2004年にオープンし東京駅周辺の新名所になっている商業施設である。数ある商業施設の中で伊蔵が最も行ってみたかったのが『丸善・丸の内本店』だ。
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丸の内OAZOの中で丸善は実に1階から4階までを占める巨大な本屋だ。フロアを紹介すると
●1階・・・ビジネス書
●2階・・・雑誌・文芸書
●3階・・・一般書・専門書
●4階・・・洋書・文具・ギャラリー
ざっとこんな感じ。
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店に入って見て思ったがあまりにも本が多くて目指すべき本がどこにあるのか分からない程である。しかし店内に検索機器が用意されていて容易に本が見つけられる様になっているので安心だ。帰りの新幹線を待つまでの間、じっくりと店内を堪能させて頂いた。

午後3時前に東京駅を出る新幹線に乗り、伊蔵は地元に無事帰還した。もう少し東京でゆっくり時間を取っていろいろ廻りたいところではあったがなかなかそうはいかないのが残念だ。これからも東京という街については細かく調べていきたいと思う。限られた時間でじっくり廻れる様にきちんとした下調べも大切だ。

今回の旅ではメモを取りながら廻ったので帰って来てブログにレポートを書くときに随分役立ったし、各所で頂いて来たパンフ、資料も役立った。またブログを更新する為に改めてその場所についていろいろ調べてみるという作業も非常に面白かった。新たな知識として伊蔵の頭の中に蓄積されることだろう。

最後にこの長いレポートを読んで下さった方々に一言お礼を申し上げなければならない。
伊蔵のレポートが何かの役に立てば幸いです。有り難うございました。<完>

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東京下町見学(その17・神田やぶそば)

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『湯島聖堂』を後にした伊蔵はしばらく秋葉原の電気街をうろうろと歩き、時刻は昼になった。かねてからの予定通りに『神田やぶそば』へと足を進めた。
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この『神田やぶそば』も昨日訪れた『神田まつや』と同じく蕎麦通にはとてもよく知られている老舗の名店である。場所も「まつや」とに程近い神田淡路町に在る。幕末の名舗、本郷団子坂の蔦家(つたや)の支店、連雀町店(れんじゃくちょう)(昭和8年までこの神田須田町と淡路町は連雀町と呼ばれていた)を明治13年(1880年)に堀田七兵衛が譲り受け、『蕎麦麦』の屋号で営業を始めた。以来100年あまり蔦家の廃業にともない『蕎麦麦本店』として看板を受け継ぎ江戸っ子独特の気質と味の伝統を守り現在に至っている。

こちらの『神田やぶそば』の店の廻りもビル群に囲まれてしまっていてこの一画だけがぽっかりと全く違った風雅な建物として残っている。高い板塀に囲まれた木造平家建ての建築物は関東大震災後に再築されたもの。店内も何度も改装されているという。

お昼時というのと蕎麦の有名店ということもあり、伊蔵がこの店に辿り着いた時にはすでに蕎麦屋の店先(板塀の中の庭)には順番待ちの団体客で埋まっていた。しかし伊蔵は一人だったのですぐに店内に通してくれた。
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店内は外から見た建物から想像するよりかなり広く右側に厨房、右側一番奥に帳場があり、左側は手前に椅子席、奥に座敷といったレイアウト。椅子席の方は店外の立派な庭を眺めながら蕎麦を楽しめる。しかし伊蔵が通されたのは座敷席の方であった。この『神田やぶそば』の店内に入るときも「神田まつや」と同じく

『いらっしゃいぃ~~~ん』

の独特の呼び声に迎えられた。これは老舗蕎麦屋独特のものなのか、江戸独特のものなのかは分らないが伊蔵のような地方の人間には珍しく感じた。またこの『神田やぶそば』の特徴として、お客さんの注文を厨房へ知らせる『通し』といわれる呼び声が店内に響いているというところだ。帳場には勘定を受け持つ男性と多分この店の女将さんが二人一組で立っており、この女将さんがお客から注文が入った紙を店内に何人もいる花番(はなばん)と呼ばれる店員さんから受け取ると

『せいろうぅ~いちまいぃ~~』
『お銚子一合おかわりぃ~~~』
『焼き海苔、むらさき(醤油のこと)いりませ~~~~ん』

といったようにまるで百人一首の歌詠みのごとくに注文を詠み上げ、厨房に通すのである。これが非常に耳に心地よい。注文を通し、蕎麦がお客に供されるチェックするのが帳場の女将の役目だというわけだ。そのため帳場のある場所は店内が一目で見渡せる場所にある。ここで伊蔵は『せいろうそば』一枚630円を注文した。
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やがて『せいろうそば』が伊蔵のもとに運ばれて来た。一枚では少々量が少ないようであった。周りを見てみるとだいたいの人が二枚注文するか、おかわりするか他の品物を注文している感じだった。画像では分かり難いがこの『神田やぶそば』で出される蕎麦は麺が淡い緑色をしているのが特徴の一つである。

この色は蕎麦殻の下の甘皮も一緒に挽いた「挽きぐるみ」だからこそ出るらしい。夏場は蕎麦の色が衰えがちで黒っぽくなってしまう為、工夫が成されている。蕎麦もやし(そばの若芽)をすったものを蕎麦粉に混ぜたことにはじまり、菓子用の色素や抹茶を使った事もあるそうだが、現在はクロレラを用いているらしい。おいしい蕎麦を気持ちよく食べていただくという姿勢がこの工夫にも現れているようだ。

蕎麦は蕎麦粉10・小麦粉1の割合で主に内地産(長野、青森、北海道、茨城他)の最上級粉を用いていて、蕎麦汁は昆布、鰹節だしの辛口のコクのあるものを使用している。「まつや」で蕎麦を食したときも感じたが江戸の蕎麦汁はとても濃くて辛いと伊蔵は思った。ここ『神田やぶそば』の蕎麦汁は「まつや」よりも濃い味のようだ。蕎麦と一緒に汁を啜ると濃厚な鰹の風味が広がる・・そんな感じだった。伊蔵は関西人ではないが、ここまで濃いコクのある蕎麦汁で蕎麦を食した事がなかったのでとても新鮮な印象を受けた。本来蕎麦とは淡白な味である為、濃い汁で食べるのも悪くはない感じもした。
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この『神田やぶそば』でも蕎麦湯をたっぷり飲み、店を後にした。店外の庭にはまだ順番待ちをしている人々が沢山居た。こういう有名な老舗店はあらかじめ時間を外して訪れる事が好ましいだろう。<つづく>

◆神田やぶそば
営業時間 11:30~19:00
定休日 年中無休(1月・8月を除く)
千代田区神田淡路町2丁目10
電話 03-3251-0287
交通アクセス
JR御茶ノ水駅 徒歩3分 
地下鉄丸の内線淡路町駅 徒歩2分 
地下鉄銀座線神田駅 徒歩5分 


東京下町見物(その16・湯島聖堂)

神田明神境内前の本郷通り(国道17号)を挟んで南側に都会の真ん中にというには不釣り合いなうっそうとした森がある。
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史蹟『湯島聖堂』がある森である。伊蔵はこの湯島聖堂には立ち寄る予定は無かったのだが、朝からこの暑さにまいってしまい日射しを避けるのに丁度よいこの森に自然と足が向いてしまったというわけ。
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聖堂敷地内は思った通り日射しや暑さをしのげる都会のオアシスといった感じで涼しさを感じる事が出来る。『入徳門(にゅうとくもん)』をくぐった所にある石段の下に立ち、上を見上げると何やら「黒い門」が見えて来た。伊蔵はこの『湯島聖堂』に関しての下調べをして来なかったので全くどのような場所なのかという事が分からなかった。この「黒い門」もよく見る神社特有の門の建築とは一風違っているようだ。
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この門は『杏檀門(きょうだんもん)』という。先程からの門の名称とこの『杏檀門』の建築様式を見るにおいて、中国に関係のある建物という事がわかる。神田明神の鮮やかな朱色の門とは全く違い、非常に渋い印象がある。
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杏檀門をくぐると前庭というか中庭のような広場があり、正面に神社でいう本堂にあたる建物、『大成殿(だいせいでん)』が見えた。明らかに中国様式の造り。ここで『湯島聖堂』の歴史について語らねばなるまい。

『儒教(じゅきょう)』という紀元前の古代中国で興った教えがある(儒教に対しての細かな説明は長くなるので避ける)。春秋時代中国の「魯(ろ)」という国の『孔子』によって体系化された。この儒教の中の学問的な部分を『儒学(じゅがく)』という。この教えは日本にも5世紀頃に入って来た。この儒教の教えは時代が下る毎にいろいろな学者によって様々な解釈がされるようになり、その中から『朱子学(しゅしがく)』『陽明学(ようめいがく)』などの考え方が生まれたりした。

この儒学の中の『朱子学』を封建支配の為の思想として用いようとしたのが徳川幕府であった。徳川家康は当時の儒者の中でも高名だった『藤原惺窩(ふじわらせいか)』に対し仕官を要請したが惺窩はそれを辞退し、自分の弟子である『林羅山(はやしらざん)』を幕府に対し推挙した。以後の羅山は家康、秀忠、家光と徳川三代に渡って学問面での重要なブレーンとして幕政に関与し、上野の忍が岡に居を構え、孔子を祀る孔子廟『先聖殿』を建て、私塾とした。

羅山の孫、『林鳳岡(はやしほうこう)』の時代になると幕府は幕政の部署に『大学頭(だいがくのかみ)』という職を設け、鳳岡はその職に着き、幕府四代将軍家綱、綱吉、八代将軍吉宗の時代まで重用された。
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五代将軍綱吉(生類憐れみの令で有名、犬公方とまで呼ばれれ評判が悪い将軍だが学問奨励の面ではその評価が高く、最近歴史的再評価がなされている)の元禄時代、林家にあった『先聖殿』を神田昌平坂近くに移した。林家の私塾から幕府官立の『昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)』となり幕府の教育・研究機関の役割を果たす事になった。これが『湯島聖堂』の前身となる。
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この『湯島聖堂』の建物は関東大震災によって焼失し、現在の建物は昭和10年(1935年)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計により、鉄筋コンクリート造りで再建されたものだという。屋根の上に鯱が載っているが普通日本の建築に見られる鯱は屋根に対して内側を向いているのにこの建物の鯱は外を向いているのが面白かった。この鯱は鬼犹頭(きぎんとう)という想像上の神魚で、水の神として火(火災)を防ぐため祀られているという。
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鬼犹頭の他にも屋根には猫に似た動物の像が載っている。鬼龍子(きりゅうし)という。神社の狛犬などと同じく悪鬼邪神が内部に入って来ないように守っているのだという。
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大成殿内部はとても質素なイメージ。壁や天井が黒くガランとした感じだった。学問所なので余計な装飾は不要という事であろうか。中央の祭壇には孔子が祀られている。
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これが孔子の肖像画。なんだかヒゲ面の怪しい商人が手を合わせてニギニギしているような肖像画だが(笑)まぎれも無く、釈迦、イエスと並び聖人と称せられる『孔子』である。
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こちらは湯島聖堂の森の中にひっそりと佇む孔子像。孔子は自らがが体系化した『儒教』が2000年もの長い間(孔子だけでなくその他の思想家、宗教家等を含めて)、世界の歴史の中で影響を及ぼし続けるなんて事を果たして考えていたのだろうか?とふと考えてしまった。逆に人間の精神的・本質的な部分は変わらないからなのかもしれないとも思った。だから本質的部分を突き詰めて人に説いた世界中の哲人・聖人の考えは長い間もてはやされているのかもしれない。

しかし後世の人達は聖人達の素晴らしい考え方を自分の都合の良いようにねじ曲げて利用している事が多々あるのも事実だ。アメリカとイスラム諸国との戦争やパレスチナの問題など同じ事が言えるのではないかと思う。人間の歴史というのは今も昔も本当に争いごとが絶えない。なんて事を考えながら伊蔵は『湯島聖堂』を後にした。<つづく>

東京下町見学(その15・天野屋)

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神田明神の参道大鳥居の脇に『天野屋』は在る。弘化3年(1846年)創業の老舗甘酒茶屋である。この店の甘酒は『酒』の文字が付くがアルコール分は一切含まれていないそうだ。一般に出回っている甘酒は甘さを付ける為に砂糖と酒を加えているが本来の甘酒とは炊いた『米』と『糀(こうじ)』のみで造るものなのだそうだ。

『糀』と『米』を混ぜ合わせ60度で10時間ほどおくと甘酒は出来上がるが糀をじっくりと発酵させないと米のデンプン質を引き出す事は出来ないため、ただ混ぜ合わせるだけでは甘さは引き出せないという。ここ『天野屋』ではその重要な原料である『糀』から造っている。

『天野屋』の店の地下には『土室(つちむろ)』というレンガで周囲を補強したトンネルがあり、そこで糀を手造りで造っている。この土室は天野屋の敷地外にも幾筋も延びていたらしいがバブル期に地上にビルが多く建ってしまい、いくつかの土室は潰されてしまって現在使用されているのは一部だけだという。
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この辺りの地質は『関東ローム層』の高台であり土を掘っても水の噴出も無く、また水分をよく吸収する土質であり湿度が一定に保たれる環境が糀の熟成に一役買っているのだという。伊蔵はこの『天野屋』に入って甘酒は頂かなかったのだがこの甘さはとても砂糖を使用していないとは思えない程だという(しかし嫌みな甘さではないという)。
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ここ『天野屋』では甘酒の他にも『味噌』『納豆』などの発酵食品も手に入れる事ができる。このような歴史ある老舗だがこれらの商品はネット通販でも購入可能だ。

●天野屋ホームページ http://www.amanoya.jp/

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天野屋の店舗脇を覗くと御主人の趣味なのか沢山の骨董品が並んでいた。古そうな信楽焼の狸が立っていた。
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狸の胸にはこのような張り紙が貼られていた。

『私は昭和十三年生まれの古狸です。戦火を逃れ、神田明神の参道で毎日皆様を見守っています。狸は(他を抜く)といわれ、旅館、料亭、商家等に縁起が良いので沢山の仲間がいます。天野屋と共に末永く私を可愛がって下さい。  古狸より』

伊蔵よりずっと歳上の狸さんだ(笑)くだけた表情が何ともいい雰囲気を醸していて張り紙通りに話し掛けているような可愛さがある。
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ショーケースには『ビクターマーク』で有名な犬が並んでいた。なんだかこの並び過ぎのところが伊蔵は笑えた。伊蔵好みは左から二番目の犬の表情がいいと思うのだがいかがだろうか。(小さいのは見え無いですがね・笑)<つづく>

東京下町見学(その14・神田明神/後編)

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さてさて東京下町見物も数える事14回になってしまった・・・。調べはじめると止まらないのが伊蔵の癖、御勘弁頂きたい。『御社殿』での参拝の後、伊蔵は境内をウロウロと散策し始めたのだった。結構ウロチョロしたつもりだったが今回の旅を終えて『神田明神』についていろいろ調べていたところ、この神社境内に『銭形平次の碑』が存在する事が判明し伊蔵は見ていない事に後悔してしまった。完全な伊蔵の下調べ不足である・・。
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なぜこの『神田明神』境内に銭形平次の碑があるのかというと、銭形平次が神田明神近くの長屋に住んでいたという設定からという事が理由らしい。平次の碑とともに平次とともに捜査をする『八五郎』の碑もこの神田明神にはあるという。う~~ん悔しい見忘れた・・・。
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『御社殿』脇の『鳳凰殿』の前には『少彦名命(すくなひこなのみこと)・えびす様』の像があった。像というより巨大なオブジェといった感じ(笑)円弧を描いた海の波の中にイルカや鯛、亀、飛魚などがおり、小さな舟に乗った少彦名命がいるといった像である。
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これがなかなか可愛い像でユーモラスであった。日本神話をモチーフに造られた像らしい。『少彦名命』は『大国主命(おおくにぬしのみこと)』と協力して日本の国造りに貢献された神様である。大国主命は他にも名前が沢山あり、神田明神では『大己貴命(おおなむちのみこと)』として祀られている。また大国主の大国の文字は『だいこく』とも読める為、一般には『大黒様』と言った方が通りがいいであろう。
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こちらがその『大黒様』の像。そのお姿にありがたい迫力が感じられ伊蔵は思わず手を合わせてしまったのだった。
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ここ『神田明神』の祭礼は『神田祭』または『天下祭』とも呼ばれていて日本三大祭、江戸三大祭のひとつとしても有名である。上の画像のような神輿がいくつも行列して町を練り歩くとても賑やかなお祭りだという。一説には平将門の怨霊を鎮める為の祭礼だともいわれている。
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初めて訪れた神田明神の伊蔵の印象は怨霊を祀る神社とはいえやはりとても美しい社殿と境内を持つ神社だという感想を持った。これは境内の周りが大都会特有の灰色のビルに囲まれている為、社殿や諸門の朱色が際立って美しく映るからかもしれない。社殿の色合いが似ている京都の『平安神宮』ではこういう印象は受けなかったであろうと伊蔵は思った。江戸東京の庶民の尊敬と町の歴史を見続けてきた『神田明神』。来てよかった。<つづく>

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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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