蟹を食す

先週末、友人の『アキラ氏』の風邪の全快祝いを兼ねてtakeさんの店で飲んだ。
今夜はロシア産だが蟹があるという。
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ババ〜ン!!かなり巨大な蟹ではないか!
(画像が何だか変な効果処理されているようですがデジカメの故障によるものです・・)
早速takeさんのオペが始まる。腹部の『フンドシ』と呼ばれる部位をべリッ!と剥がし捌かれて行く蟹さん・・。takeさんは蟹を捌きながら伊蔵にこう叫んだ!
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『伊蔵君!これはプレデターではないよ!一応言っておくけど(笑)』
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う〜む確かに蟹の硬そうでゴツゴツしたところは似ている・・・。しかしプレデターは多分食べても美味しくはないだろう・・と伊蔵は思いながら、蟹はアイツにも似ているなぁと思った。
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映画『エイリアン』に登場する『フェイスハガー』だ!こいつに顔面を塞がれてたが最後、エイリアンの卵を体内に植付けられてしまう。どう見てもこの『フェイスハガー』も美味しそうには見え無い。しかもこの生物の体液は強酸性である為、takeさんのように包丁で捌けば厨房のまな板やステンレス製の料理台はたちまち溶解してしまい、次の日からtakeさんのお店は営業不能の事態に陥ってしまう。これは伊蔵にとっても痛手だ(笑)つまり『フェイスハガー』はどうやっても料理出来ない困った奴なのである。
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やっぱり食べるなら『蟹』である(笑)
捌いた『蟹』の脚を軽く火で炙ってお皿に盛り付けてもらった。甘い香りが何ともいえなかった・・。このロシア産の蟹には残念ながら『カニミソ』が搭載されていなかったが脚の身の御味はなかなかイケました。次回は是非苦味の利いた『カニミソ』で一杯呑みたいと願う伊蔵であった。

地元のラーメンを食す

なかなか地元のラーメン屋さんに出向く機会が無い伊蔵だが、先日あるラーメン屋へ行く事が出来た。伊蔵の地元には多くのラーメン屋が存在するはずだが、地元に居る時間が絶対的に短い為にどこにどんなラーメン屋があるのかよくわからない・・。

今回伺ったラーメン屋さんは伊蔵が自転車で町中を走っていた折りに偶然見つけたお店。しかしいろいろ調べてみると結構前から営業されているみたいである。大きい通りから一本奥に入った場所にあるので今まで見落としていたのだ。

店内はごく普通。カウンター席とテーブル席があり結構広い。
伊蔵は『味噌四川ラーメン』を注文した。四川というからには辛いという事なのだがこの辛さも3段階から選ぶ事が出来る。『辛さ・中』を伊蔵は選んだ。チャーシューに関してもそのままか焼きを入れるかを選ぶ事が出来たので伊蔵は『焼き』を入れて頂く事にした。
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注文の品を待つ間、小さな器に入った胡麻を擂粉木でゴリゴリすり潰して待つ。このすった胡麻をラーメンのスープに投入し食べるわけだ。
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『味噌四川ラーメン』がやってきた。味噌の香りと焼いたチャーシューが食欲を誘う。特にチャーシューのぶ厚さには驚いた。食感はとても柔らかく「焼き」が入れてあるので香ばしさもある。スープは味噌の濃厚さも勿論だがピリリと程よく辛くて旨かった。伊蔵的にはもっと辛くてもよかったのだが味噌の味と香りを味わうにはこれくらいの辛さの方が良いのかもしれない。麺はストレートの細麺。麺量もそこそこ多い感じがした。値段は少々高めの940円也。でも美味しかったので満足した。ここの味噌ラーメンも『また食べに行きたい』というクセになりそうなお味であった。

他にもラーメン通に取り上げられているお店が地元にいくつかあるので機会があれば出掛けて行って食して報告したいと思います。

しかし食べ物の旨さをうまく伝える文章を書くのは難しい・・・

港・横浜OFF会(その14・最終回/麺に取り憑かれた人々)

今回で横浜OFFの報告も最終回。もうしばらくお付き合い下さいm(_ _)m

横浜市営地下鉄で横浜駅へと向かった草加君と伊蔵、果たしてもうひとりのメンバー『珍念さん』と相見える事は出来るのであろうか・・。横浜駅近辺というのは桜木町駅の辺りとは違って観光出来る場所が無く、駅に着いても何処へ行こうという目的も無かった。結局、横浜高島屋の地下にある『地下街』の喫茶店に入る事に。

二人とも結構疲れていたのだ(笑)
何度か草加君の携帯には『珍念さん』からの連絡は入っているようだが、どうも京都を出る時間が遅くなったらしく御対面出来る見通しが怪しくなって来ているようであった。喫茶店で草加君と伊蔵は昨夜のOFF会の思い出等、談笑しながらゆっくりと休憩していた。

ところで『鎖骨さん』はあれから無事に家に帰宅出来たのであろうか・・・。
彼女にメールを送ってみると無事に帰宅出来たとの返事が返ってきた。う〜んちょっと心配だっただけに伊蔵と草加君はひと安心した。結局この喫茶店で昼頃まで過ごしてしまった。その後喫茶店を出た我々は横浜駅西口側にあたる地上に出て見る事に。
丁度『ヨドバシカメラマルチメディア横浜』の建物が見えたので入って見た。少し前に伊蔵は秋葉原のヨドバシカメラに出掛けたのだが、そこと同じ位に活気があり、賑わっていた。

デジタルカメラ、携帯電話、パソコン等のコーナーを一通り見て回って外に出た。
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『ヨドバシカメラマルチメディア横浜』の入口近くの交差点の休憩ベンチで足を休めた。残念ながら『珍念さん』との対面は絶望的となってしまった・・。時間は午後1時を回っていた為、今後の予定を草加君と話し合った。草加君は今夜11時半に新宿発の高速バスに乗って名古屋に帰るので、都心方面へと向かうとの事であった。一方伊蔵は夕方までに名古屋に帰りたかったので草加君とは、ここ横浜で別れる事に。

先程の『地下街』に戻り、草加君はJR線方面、伊蔵は市営地下鉄方面へ通路が枝分かれする付近で別れる事となった。こんな場所で同じ出身地同士が別れるのも何だか不思議な感じがしたが(笑)今夜またネット上のBarで会う事を約束した。

伊蔵は市営地下鉄で新幹線駅のある『新横浜』へと向かったのだが、折角なので新横浜にある『新横浜ラーメン博物館』へ立ち寄ってみる事にした。新横浜駅からラーメン博物館までは徒歩で行ってもそんなに時間がかからないはずであったが、伊蔵は道を間違えてしまい『横浜アリーナ』方面へ迷い込んでしまった(笑)ガイドブックを確認しておくべきだった。
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『新横浜ラーメン博物館』は1994年にオープンした。各地の有名店を厳選して展示・販売するというフードテーマパークの元祖的存在である。入場料300円を支払い、伊蔵は中へと入った。ラーメン博物館は大きく三つのゾーンに分かれており、入口を入ってすぐの1階フロアは『プロローグゾーン』と呼ばれている。
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このゾーンでは毎回イベント内容が変わる展示スペースとラーメングッズ(お土産・ドンブリ・レンゲなど沢山販売)等を販売しているスペースとなっている。この日の展示は『北海道・旭川ラーメン』についてのイベントが開かれていた。
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ここではラーメンに関する基本的な知識や各地の有名ラーメンに関する紹介が分かりやすく展示されており見ていると非常に面白い。『ラーメン』は誰でも気軽に食せる庶民的食べ物の代表だが、ラーメンを作る職人や原材料を選ぶ厳しさ、味へのこだわりと飽くなき探究心等はとても奥が深く、食べる事だけが楽しみの伊蔵や多くの普通の人々にとってはなかなか足を踏み込んで行く事の出来ない領域である。『ラーメン』は中国から日本へ伝わった事に間違いは無いところだが、本場の中国ですらこの日本独特のラーメンのバリエーションの多さは無い事は誰もが認める事であろう。
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このバリエーションの多さはなぜなのだろうか。
ひとつには日本にはラーメンを作る上での素材に『美味しいモノが多い』ということがあるのだろう。日本列島北から南まで各地にその土地独自の名産物があり、これらを素材とし、いくつかの素材を巧くミックスしその店独自の味としている事が要因としてあるのではないかと伊蔵は思う。そうでなければこのバリエーションの多さは説明がつかない。

日本人で初めてラーメンを食した人物は江戸時代の水戸藩二代目藩主『徳川光圀(とくがわみつくに)』とされている。光圀とは水戸黄門として有名な人物なので御存じの方も多いだろう。徳川光圀は好奇心の強い学者肌で変わり者な藩主であり、1665年長崎に亡命していた明国の儒学者『朱舜水(しゅ しゅんすい)』を招いて儒学を学んでいた。その朱舜水から光圀が接待を受けた時に『ラーメン』を食したのだという。この時の接待に出された食事の記録は文献として残されており、茨城県水戸市のあるラーメン屋さんがこの文献を参考に当時光圀が食したであろうとされる『日本最古のラーメン』の復元に成功しており、実際にメニューとして食べる事が可能だ。

伊蔵は1階の『プロローグゾーン』を後にしてB1階、B2階にある『体感ゾーン』に通じる地下へと続く階段を下って行った。
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階段の途中の踊り場には掲示板と壁掛け時計があり、時計の針が凄い勢いで逆まわりに回っていた(笑)なぜ逆回りに回転しているのか。これには意味がある。B1階、B2階にある『体感ゾーン』の展示コンセプトが『昭和33年の街並』だからだ。駅前商店街・飲食店などが忠実に再現されており、その中に有名ラーメン店のほか、カフェバー、駄菓子屋等が展示されているというわけ。
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入口は『鳴戸駅(なるとえき)』という架空の駅。ラーメンのナルトとカケているのだろう。その駅からは昭和の街並が見渡せるようになっている。
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再現された街並は伊蔵は納得出来たが、この人込みには納得出来なかった(笑)これはラーメンを食する事は不可能だな・・と瞬時に伊蔵は思ったので、とにかく街並を一通り回ってみようと行動を開始した。
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どこのラーメン屋の店先も行列また行列であった。施設の広さに対して訪れる観光客の方が圧倒的に多くてかなり歩き難かった。街並は流石に郷愁を誘うといった感がある。
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しかし昭和33年頃というと伊蔵が生まれる10年前という事となるので生まれる前の景色を見て懐かしいというのは厳密には間違っているのだが・・・。
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ここでこの『新横浜ラーメン博物館』に現在軒を列ねているラーメン店を紹介しておこう。

●和歌山 井出商店
 ご当地ラーメンブームで一躍有名になったラーメン店
(和歌山県/トンコツ醤油/創業:昭和27年/店主:井出紀生さん)

●支那そばや
 素材厳選・旨味凝縮・麺に対する徹底的なコダワリ「ラーメンの鬼」の店
(神奈川県/醤油/店主:佐野実さん)

●札幌 すすきの けやき
 全国的にも珍しい味噌ラーメン専門店。一見濃厚に見えるが実際はまろやかなスープ
(北海道/味噌/店主:似鳥栄喜さん)

●山形 赤湯からみそラーメン 龍上海本店
 山形県赤湯の地で45年間、お客様に育まれた「赤湯からみそらーめん」
(山形県/からみそ/創業:昭和33年/店主:佐藤晴美さん)

●旭川 蜂屋
 どんぶり一面をおおう焦がしラードとアジの風味、クセになる味
(北海道/醤油/創業:昭和22年/店主:加藤直純さん)

●東京荻窪中華そば 春木屋
 戦後の東京ラーメンの礎となった老舗中の老舗、煮干の香り漂うラーメン
(東京都/醤油/創業:昭和24年/店主:手塚英幸さん)

●博多 ふくちゃんラーメン
 ラーメンにうるさい博多っ子を虜にするキレとコクのあるトンコツラーメン
(福岡県/トンコツ/店主:榊伸一郎さん)

●熊本 こむらさき
 マイルドなトンコツラーメンと秘伝ニンニクチップが食欲をかきたてる
(熊本県/トンコツ/店主:山中禅さん)

など8店舗のラーメン店が入っている。どの店も全国的に知られている有名店だけあって、ラーメンもとても美味しそうだ。この文章を打ち込んでいるだけでラーメンが食べたくなって来た・・(笑)
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しかしなぜ我々日本人はこれほどラーメン好きな民族なのであろうか・・。
『ラーメン』・・・一見単純だがこれほど複雑で奥が深く難しい食べ物は他には無い。ラーメンのみを生業とする者には日本人にとっての人気の食べ物という事でお客に対して作り手側は気が抜けず、味覚に肥えたお客もいるし、ラーメン評論家と称する人も多く存在する為に下手な誤魔化しもきかない。大勢のお客の味覚に合わないような店は容赦なく閉店の憂き目に遭う。これほど恐ろしい飲食店商売は無いといえよう。
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伊蔵の街並巡りは続いていた。う〜んセットとはいえ実によく出来ている。狭い路地にはラーメン店に入る為に長い行列が出来ていた。伊蔵はこういう長過ぎる行列に並ぶのは苦手なので真似は出来無い。だが行列に並んでも旨いラーメンが食べたいと思う人達の気持ちが分からない訳ではない。
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先程も書いたが街の中には「駄菓子屋さん」もあり賑わっていた。しかしこういった駄菓子屋さんは『造られたセット』の駄菓子屋さんでは無く、実際に街を歩きまわって発見する駄菓子屋さんの方が伊蔵は好きだ。
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飲み屋街の路地を通って伊蔵は施設を一周し、『鳴戸駅前』へと帰って来た。ラーメンを食せ無かったのは残念だが来て見て良かった。こういったフードテーマパークはともすると寂れがちになる危険を孕んでいるものだが、『新横浜ラーメン博物館』はその心配は無用だろう。ラーメンが持つある種の『魔力』は完全に日本人の心を掴んでいるからである。
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ラーメンは食べなかったが見学だけで満腹した伊蔵は『新横浜ラーメン博物館』を後にして東海道新幹線『新横浜駅』へと向かった。新横浜駅は新しく駅ビルを建設中のようであった。こうして伊蔵は新幹線に乗り、名古屋へ夕方には到着したのだった。移動距離は長い今回の『OFF会』の旅だったが新幹線のおかげで快適な旅が楽しめた。またネットで知り合った友人達との『OFF会』はとても楽しかったし、次回も是非集まりたいと思えるような会合であった。<おわり>

これで『OFF会』の報告は終わりです。
今回も必要以上にレポが長文になってしまい読んで下さっている方々には
ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。  

伊蔵

港・横浜OFF会(その13・馬車道散策)

大成功の内に終了した『横浜OFF会』の次の日、伊蔵は結構昨夜に焼酎を飲んだにも関らず、心配された二日酔いもなくちょっとだけ気怠い朝を迎えた。まだ午前7時を回ったところだったので二度寝する事に(笑)

午前8時に起床し、昨夜OFF会が終了した帰りにコンビニに寄って購入した朝飯を食べ、シャワーを浴びてから午前9時前に宿をチェックアウトした。草加君と桜木町駅の出口での待ち合わせは午前10時。1時間早いわけだが、これは伊蔵が昨日の散策で見れなかった所を朝の時間を利用して回ってみようと思ったからである。昨日の内にかなり見て回ったつもりだったが、夜の内に宿で横浜のガイドブックを改めて検証したところまだまだ回るべき所が沢山出て来たという訳。

『横浜』は幕末に開港して以来、日本で最も早い時期に外国文化がどんどん流入した街という事もあって『日本初の○○』というものが多い街として知られている。これについては後ほど話そう。
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宿を出た伊蔵は桜木町駅近くの歩道橋を渡り『馬車道』方面へと向かった。『馬車道(ばしゃみち)』とは赤レンガ倉庫のある港から万国橋を経て外国人居留地のあった『関内』まで続いている道の事で、その昔は外国人が港から居留地までこの道を馬車で往来していたといい、これがこの通りの名の由来になっている。
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まず伊蔵が見たかった建物が『神奈川県立歴史博物館』。元々は『横浜正金銀行本店』として明治37年に建てられた(日露戦争の頃だ)建築様式は『ネオ・バロック様式』を基調としている。バロック様式の代表的建築物としては、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂やフランスのルーブル宮やヴェルサイユ宮殿などが有名だ。
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この建物は横浜繁栄のシンボル的存在で国の重要文化財にも指定されている。夜間はライトアップされるらしく、とても綺麗で幻想的だという。夜に訪れてみたかった・・。
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上の画像の道が『馬車道』。何の変哲もない小さな通りだ。しかしこの小さな通りから日本の『文明開化』が始まった事を思うと感慨深いモノがある。先程も話したが外国文化がいち早く日本に流入した場所という事で『日本で初めて』という謂れのあるものがこの馬車道付近には数多くある。いくつか有名どころを挙げてみると、

●『あいすくりん(アイスクリーム)』が日本最初に販売される
1869年(明治2年)馬車道通り常盤町五丁目に於いて、町田房造氏が「氷水店」を開業

●『日刊新聞』が日本で初めて発行される
1870年(明治3年)「横浜活版社」より『横浜毎日新聞』が日本初の日本語の日刊新聞を発行

●日本最初の『ガス灯』点灯
1872年(明治5年)日本人実業家高島嘉右衛門の中区花咲町に「日本ガス社中」という会社を作り馬車道通り沿いに『ガス灯』を設置・点灯した。

その他、電気・電信・鉄道など現代では当たり前になっているもののほとんどが横浜が発祥の地だ。上記したものの中で伊蔵は『ガス灯』の発祥の地にある記念碑を見る事が出来た。
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この記念碑は横浜市市民文化会館(関内ホール)の玄関先にある。二本のガス灯が並んで建っており、間に記念碑が据えてあった。興味深かったのは、その当時の(時代は多少下っていると思われるが)この場所の写真が記念碑と一緒に掲げられていた事だ。
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この写真をよく観察して見ると馬車道沿いに電信柱が建っている事がわかるし、街路樹等も植っている。家々は瓦葺きの屋根が多いが、そんな屋根の向こうに見えているのは、まぎれもなく先程伊蔵が見てきた『神奈川県立歴史博物館(当時は横浜正金銀行本店)』相違ない。では今現在ではこの場所はどうなっているか、伊蔵なりに撮影してみたので御覧頂きたい。
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当たり前だが凄い変わり様(笑)一番の違いは高層の建物が増えてしまい、視界が狭くなった事だろう。昔の写真では『神奈川県立歴史博物館(当時は横浜正金銀行本店)』の建物が一番大きく映っているのだが、現代ではビルの影になってしまって少ししか見る事が出来ない。上の二枚の写真の時代の差はわずか約百年・・。随分様変わりしたものだ。

『ガス灯』発祥の地の記念碑は伊蔵はすぐに見つけられたのだが『あいすくりん』の記念碑が一向に見当たらないので馬車道界隈を必要以上に歩き回ってしまった。結局見つけられなかったのだが、このブログを書く為にいろいろ調べてみたところ、意外な事実が!
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『ガス灯』記念碑の前を少し西に進むと馬車道沿いに上の画像の『太陽と母子像』という像があるのだが、このすぐ脇に『アイスクリーム発祥』の記念碑があった事が判明・・・・。伊蔵はこの『太陽と母子像』は目にしていたのだが、一見アイスクリームとは関係の無いこの像に惑わされ発見する事が出来なかったのだ!今さらながら悔やまれる出来事であった。
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歩き回っていると『横浜公園』にぶつかった。この公園の歴史は古く明治9年に開園したのだという。園内西端には『横浜スタジアム』や北側には噴水や広場、池など緑も勿論多く都会の真ん中のオアシスとなっている。今日も朝から良い天気で、歩いているだけで汗ばむほどだった。青い空に公園の緑が映えてとても綺麗だった。
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おおお!そうこうしている間に草加君との待ち合わせの時間が迫って来ている!伊蔵は早足で桜木町駅方面へと向かった。桜木町付近で『野毛小路』という商店街に迷い込んだ。
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朝早い時間なので商店街は閑散としていたが、この港の下町『野毛(のげ)』には600軒もの飲食店がひしめいているらしい。夜ともなれば勤め帰りの人達で賑わうという。夜はきっと違った風景がこの商店街を彩っているのだろう。

待ち合わせ時間の午前10時を少し回ってしまった。草加君はもう待っていた。伊蔵は1時間歩き詰めだった為その場で珈琲を購入、喉を潤した。草加君はその間、本日会えるかもしれないメンバーのひとり『珍念さん(京都在住)』に携帯で連絡をとっていた。

草加君と伊蔵は話し合い、『とりあえず横浜駅まで出向こう』という事になった。『珍念さん』は横浜駅近くで行われる友人の結婚式に出席する為に関東にやって来る事になっていたからだ。草加君と伊蔵はそんな訳で横浜市営地下鉄のホームへと続く階段を降りていった。<つづく>

港・横浜OFF会(その12・飲み屋にて/後編)

『宴もタケナワ』といった感じでメンバー4名の『OFF会』は続行していた。

それぞれ自己紹介はしたものの、こういった『OFF会』ではネット上のハンドルネームで呼び合うのが普通なのか、皆その名で呼び合いながら飲んでいた。本名で呼び合って飲むというのは何だか違和感があるからだ(笑)

この『くいもの屋 わん』には伊蔵の好きな焼酎も米・蕎麦・麦・芋、それぞれ豊富な種類が揃っており、これは嬉しかった。種類の違う焼酎をそれぞれロックで注文し伊蔵は飲んでいた。酔いもメンバーそれぞれ心地良く回って来て『マッタリ』した良い状態になってきたようだ。

名古屋名物『ういろう』の話に始まって、本日はどうやってここまで来たのか、何処を回って来たのか、普段の生活、家族の事、職場での出来事等、様々な話題が出た。世代が違うオジサン達3名の仕事の話は鎖骨さんにとって興味があったらしく、また鎖骨さんの就職活動の参考になったようだ。若いなりの悩みもあるらしく、斜さん、草加君、伊蔵らが社会人になる前の就職活動の内容について聞きたがっていた。

しかし伊蔵らが就職活動をしていた当時と現在とではかなり社会状態が異なっており(当時はバブル景気の時代)あまり参考にはならなかったのではないかと思ったが、鎖骨さんにとっては異なっていようが構わない感じであった。とにかく世代の違った人達の社会人としての考え方と自分の考え方の比較を楽しい会話で酒を飲みながら聞いていたい・・伊蔵にはそんな風に感じられた。前日朝まで飲んでいた事と今夜ハイピッチでお酒を飲んでいたせいか鎖骨さんは少々悪酔い気味であったが、こういう世代が違う人達と飲むのは我々オジサン達にとってもとても楽しいひとときだった。

楽しい時間というのはすぐ過ぎてしまうようで、斜さん、鎖骨さんの終電の時間がそろそろ来てしまったようだ(悲)6時間程飲んで話していたわけだが、半分くらいの時間にしか感じなかった・・・。う〜んもっと話していたかった。
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ビルの外はすっかり暗くなっていて『宴』の終わりを感じさせた。『OFF会』の終了を4名は惜しみつつ駅までの道を酔って覚束ない足を引きずって歩いた。
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駅方面には終電に間に合う様にと家路につく大勢の人々が歩いていた。斜さんは草加君の名古屋土産『ういろう』をまるまる一本、胸ポケットに差し込んで歩いている様がカッコ良かった(笑)斜さんとはJRの改札口にて別れる事となった。

『今日はとても楽しかったです。また集まれるといいですねぇ』

斜さんは最後にこう言っていた。本当にそうしたい。今回残念ながら参加出来なかったメンバー達も集めて『OFF会』を是非挙行したいものである。そして斜さんは『ういろう』とともにJR改札口の向こうへと去って行った・・・。

鎖骨さんは横浜市営地下鉄にて帰るらしい。彼女はかなり酔っていた為、心配になった草加君と伊蔵は地下まで付き添う事に。市営地下鉄ホームへと下って行くエスカレーターまで見送った。

『気をつけて帰れよぉ〜またなぁ〜』

草加君、伊蔵の見送りの言葉が鎖骨さんに聞こえていたかどうかはわからないが彼女は無事にエスカレーターで下って、改札口方面へと消えて行った。(大丈夫だろうか・・)鎖骨さんの家路に一抹の不安を覚えながらも草加君と伊蔵は地上への階段を登って行き、地上出口部分までやってきた。草加君の今夜の宿は桜木町駅近くにあるホテルで伊蔵の宿とそんなに離れていない。明日もしかしたら京都から横浜に出向いてこられる『珍念さん』に会えるかもしれない事もあり、明日も行動を共にする事にした。草加君と伊蔵はこの出口で午前10時に待ち合わせする約束をし、各々の宿へ向かって別れる事に。
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今回メンバーで初めておこなった『OFF会』は出会った当初はぎこちなかった雰囲気だったが結果的に大成功!とても面白かった。そして良い思い出にもなった。メンバー全員がそう思っている事だろう。頻繁に会う事は出来ないだろうが、定期的にこれからも開催したいと思う。宿に戻った伊蔵は今夜の『OFF会』の興奮がさめなくて、なかなか寝付く事が出来なかった・・・・。<つづく>

港・横浜OFF会(その11・飲み屋にて/前編)

伊蔵ら4名が『OFF会』の会場として向かった先は『鎖骨さん』が予約を入れてくれた『くいもの屋 わん 桜木町店』というお店。
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場所は『JR桜木町駅』から『野毛』方面へ徒歩5分のビルの地下一階にある。先程伊蔵が宿から駅へ来た道の途中にある。伊蔵は今夜は『呑む』事に決めていた為(笑)、お店から近い宿を選んでおいたという訳だ。駅から店へ徒歩5分の間、折角こうして会えたというのに、我々4名との間には実に微妙で不思議な緊張感が漂っており『間』というものが持たない感じであった(笑)

とにかく我々4名はビルの中に入り、地下へと続く薄暗い階段を下って行ったのだった。
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『くいもの屋 わん』というお店は株式会社オーイズミフーズが展開する飲食チェーン店のひとつで、店の雰囲気は『都会に佇む百年前の家屋』というコンセプトを掲げている。鎖骨さんは自分以外のメンバーが全て三十路のオジサンという事で『OFF会』会場にわざわざこういう店を選んでくれたという訳なのだ。非常に有り難い事である。
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店内はコンセプト通りの『小民家風』で伊蔵好みの構えであった。鍵付きの木製箱ロッカーに履物を収納し、薄暗い店内を店員さんに案内されて通されたのはカウンター脇の4名用の半個室のような席であった。(少々狭くないかぁ・・?)と伊蔵は思ったのだが、まぁ良しとした。めいめい着座し『OFF会』の幕開けとなったが・・・・

『やっべぇ静か過ぎる・・・笑』

メンバー皆が何だかよそよそしく、会話が途切れがちだ。こんな時は『酒』しかない!そんな我々の気持ちを察したのか鎖骨さんが酒のオーダーを矢継ぎ早に取ったのだった。やがてそれぞれの飲み物が届き、目出たく乾杯となった。伊蔵は乾杯の前に何か一言『ご挨拶』のようなものをしたかったのだが、いざとなると何を話してよいのやら分からず結局却下(笑)『鎖骨さん』の一言、

『かんぱ〜い☆』

で始まってしまった。(若いって素晴らしい!!)斜さんや草加君もそう思ったかどうかは分らないが、少なくとも伊蔵はそう思ったのだった。酒が進む内に草加君が何やらカバンの中から四角い物体をテーブルの上にドサリと置いた。おお!こ、これはっ!

それは名古屋の名物『ういろう』であった(笑)斜さんと鎖骨さんは関東の人達なのでこういうものには馴染みがない。草加君はわざわざお土産として持参したというわけ。初めて見る『ういろう』に斜さんと鎖骨さんは興味津々という感じであった。

『ういろう(外郎)』とは特に名古屋の物が有名だが、その他の地方にも存在するようだ。名古屋で『ういろう』を製造している二大巨頭となっているのが、

●『青柳ういろう』(あおやぎういろう)
●『大須ういろ』(おおすういろ)・・大須ういろでは『ういろう』を『ういろ』という。

である。いずれも米を粉状にし、それに砂糖を加えて型にに入れ蒸して作るのが代表的な『ういろう』の作り方だが、最近ではいろいろな種類や味のものがあるらしい。地元の人間であるはずの伊蔵は子供の頃はよく『ういろう』を食べたのだが、最近はほとんど食べていない・・・。

『ういろう』の登場で場が少し弾んだ(笑)お酒も身体に染み込んで来てメンバー間の緊張感もほぐれて来たようだ。食事の方も注文していたが、お酒とお喋りの方が楽しくなって来ていた。斜さんは『ビール党』のようで、どっしり落ち着いた感じでチビリチビリと飲んでいた。一方、草加君の方は昼間に『中華街』で食した『巨大炒飯ドーム』の悪影響が残っている様であり、食べ物やお酒も少し控え目に摂取している感じだった。

鎖骨さんと伊蔵は『酒好き』という事もあり、かなりのハイピッチで飲酒を続行していた(笑)しかし『若さ故の飲酒スピード』という一点においては伊蔵は鎖骨さんの後塵を拝する結果となっていたのは間違い無い。鎖骨さんは前日も朝まで友人達と飲んでいたという・・・。流石に伊蔵の年齢でこういうマネは身体が受け付けないだろう。悔しいが仕方無い(笑)こんな感じで1時間程が過ぎたが、まだ午後6時。店内にはまだお客さんもまばらなのに、この狭い個室ではこのような酒宴が繰り広げられていたのだ。<つづく>

港・横浜OFF会(その10・そして僕らは出会った)

『OFF会』の集合時間まで、宿でゆっくりする時間があったにもかかわらず、伊蔵は落ち着きの無い時を過ごしていた。『この胸騒ぎは一体なんなのだ・・・』

ネット上にある『BAR』では毎晩のように皆で話をしてよく知っているはずの仲間達なのだが、やはり実際に現実世界で会うという事に対してある種の「期待」と「抵抗感」に似たモノが心の中に渦巻いているのだろう。いや、抵抗感というのは間違っているのかもしれない。とにかく今の気持ちを簡単に表現するとすれば、

『ドキドキしている』(笑)

ということだ(笑)おそらく今日の『OFF会』メンバーの誰もが同じ気持ちであろう。お、あれこれ考えているうちに午後4時をまわっている・・。伊蔵の宿から集合場所の『JR桜木町駅』までは道を真っ直ぐ歩いて10分足らず。あっという間に着いてしまう。草加君はもう到着しているだろうか・・・。伊蔵は意を決して午後4時15分、宿を後にして『JR桜木町駅』方面へと歩いて行ったのだった。

週末という事もあってか夕方となって街の中は人も増えて来たようだ。人が多過ぎるのか道が狭いのかよくわからないが、非常に歩き難い。『JR桜木町駅』までそんな雑踏の中を歩いて行った。駅の構内に入るとすぐに改札口があり、駅北口のすぐそばに今回の『OFF会』の集合場所である『ブックガーデン桜木町』という本屋さんがある。

『う〜〜〜むぅ・・・』

店頭を見る限りまだ誰も到着していないようだ(笑)いやっ、ホントは来ていて本を読んでいるのではあるまいかっ?!などと小心者の伊蔵はそんなことを考えていた。しかしメンバーが来ていたとしても会った事が無いので分からないのだが・・(笑)

とりあえず本屋に入り、立ち読みを始めた。そして午後4時半を過ぎた頃、立ち読みをしていた伊蔵の肩をツンツンする手がっ!(だっ、だれだ???)振り返ると・・

それは草加君であった(笑)

ふぅ〜〜〜驚いた・・。「まだ皆みえてないみたいだよ・・」「そぉですねぇ〜」などと本屋の奥で話しながら他のメンバーを待つ事に。草加君は他のメンバーの連絡先を知っている為、連絡をとっているようであった。伊蔵は引き続き立ち読み体勢にはいった。しばらくすると草加君が『伊蔵さん、斜さん(しゃさん)がおみえになりました。』

おおおお!訳も無く伊蔵はドギマギしてしまい、在り来たりの挨拶しか出来なかった(笑)

・斜さん『はじめまして、し、斜です・・・。』

・伊蔵 『斜さん、こちらこそはじめまして、伊蔵です・・。』

・斜さん&伊蔵
   『いやぁ〜実際に会うなんて不思議な感じですなぁ』(笑)

こんな感じの御対面となった。斜さんはまゆ毛がキリリッ!っとしたなかなかの男前の真面目な好人物という印象を伊蔵は持った。草加君も伊蔵もそうであったが、まさか自分が実際に『OFF会』などというものに参加するとは思っていなかった。斜さんにも同じ事を聞いてみた所、やはり同意見であった。しかし面白いのはみんな変に気を使った敬語でしか会話出来ない事であった(笑)ネット上では気軽な感じで話してたのに・・。伊蔵も草加君も斜さんも年齢が30代なので自然にそういう話し方になってしまうのであろう。

結局今夜の『OFF会』の参加メンバーは4名という事になった。
●斜さん ●鎖骨さん ●草加君 ●伊蔵の4名だ。もうひとり京都から参加の『珍念さん』は、たまたま明日横浜でご友人の結婚式があるらしくこちらの方へ来るという。今夜は会え無いが、明日ひょっとして時間が合えば会見出来るとの事であった。益太は先にも記した通り、嵐の為に残念ながら不参加となった。

さてこれで集合場所には3人名までは集まった。残るは『鎖骨さん』である。彼女は今回の『OFF会』を発動させた功労者であり、今回のメンバーの中では一番若い。彼女は我々3人が自分の年齢より一回り近く上の三十路の中年だという事をネット上で承知で今回参加するのだ(笑)。最近はネット犯罪も多く、こうして気軽に会う事は全てが安全であるという保証は何処にも無い。にもかかわらず彼女が我々と会って『OFF会』を開催したいと思ったのは、『BARギコONLINE』での毎晩に渡る我々との会話を楽しみながら聞いて『この人達なら』と信用して会ってみたくなった事は推察出来る。しかしそれまでには随分と時間がかかった事もまた事実である。

草加君に『鎖骨さん』から連絡が入ったようで5時頃にはこの場所に来れそうだという事であった。本屋の店頭で我々3人は彼女の到着を待ったのであった。程なく彼女は現れた!

『鎖骨さん』は流石に若く伊蔵が思っていたより背が小さくて大きいクリクリした目が特徴の女性であった。『鎖骨さん』は歳上のオジサン達を目の前にして流石に緊張気味で、しきりに

『やっべえ!やっべえ!』

と連発していた(笑)それは『鎖骨さん』だけに限った事ではなくて、実は我々オジサン3人も緊張して『やっべえ』状態だったのは間違いなかった(笑)この緊張から早く脱する為には『酒』が必要である。我々メンバーはめでたくこうして御対面を果たした訳であった。そして足早に今夜の『OFF会』会場の飲み屋さんへと足を進めたのであった。<つづく>
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港・横浜OFF会(その9・関内〜伊勢佐木町散策)

草加君と昼食を共にとった後、別行動に移った伊蔵は『JR関内駅』方面へと向かった。

『関内(かんない)』とは一体何か?これは横浜開港後に外国人居留地が作られた場所であり、江戸幕府は意識的に『武士』と『外国人』との接触を避けたかった為、この地区の入口に「関門」と呼ばれる関所のようなものを設けた。この関門の内側の事を『関内』と言ったのだ。反対に「関門」の外は『関外(かんがい)』と呼ばれた。

『関内』に至る道には川や堀割りが作られて、橋が架けられていたがその全てに「関門」が設けられた。武士は『関内』には入る事が許されなかったという。明治維新後は日本の近代化が進み、関門の意味も次第に薄れてきた為、廃止になったが『関内』の呼び方は現在まで残っている。

とりあえず伊蔵は『横浜スタジアム』のすぐ西側のJR根岸線のガードに沿った道を『関内駅』へと足を進めた。程なく関内駅前に到着。
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あとから調べてみて分かったのだが、この関内駅付近にサザンオールスターズの原由子氏の実家である天麩羅屋『天吉(てんきち)』がある。お店の主人は原由子氏のお兄さん。創業明治5年の老舗天麩羅屋らしい。江戸前の食材を使った天麩羅は格別でサザンファンのみならず、食通にも愛されているお店だという事だ。
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関内駅西側には名古屋でいう『久屋大通』のような『大通り公園』といわれる通りがある。公園と一体化した通りで南区まで続いている。大通り公園の地下には横浜市営地下鉄が走っており、公園中央部に『伊勢佐木長者町』という駅がある。

しかし伊蔵の目的はこの大通り公園ではなく、横浜の庶民的雰囲気を残す商店街『伊勢佐木町通り』である。大通り公園を左手に見ながらさらに先に進む。それらしき通りの入口を左折して通りに足を踏み入れた。思っていたより道幅が狭い商店街であった。
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まず目に飛び込んで来たのが『横濱カレーミュージアム』だ。
『イセザキモール(伊勢佐木町1丁目・2丁目部分、3〜7丁目は伊勢佐木商店街と呼ばれる)』の丁度入口付近に建つカレーのテーマパークである。その雰囲気はレトロモダン。全国から厳選された名店12店からなる。新横浜にある『ラーメン博物館』に良く似た施設と考えればいいであろう。
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イセザキモールにはゲームセンターやパチンコ屋、飲食店など普通の商店街にあるものは全てが揃っていた。気が付いたのは結構『古書店』が多いという事だった。古本の青空販売みたいな事も行われていたし、普通に店舗を構えているところもあった。
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何よりも全国各地にある商店街が寂れていく事が多い中、ここイセザキモールの商店街は訪れる人も多いらしく、非常に活気がある。伊勢佐木町は古くからの繁華街で明治時代から様々な商店がこの通り一帯に軒を列ねていたという。伊勢佐木の名もこの地の開発者、伊勢氏と佐々木氏の名を一つにして名前が付いたのだという。

またストリートミュージシャンによる『路上ライブ』も盛んに行われている場所としても『伊勢佐木町』は有名である。現在ではすっかり有名になってしまったフォークデュオ『ゆず』もこの伊勢佐木町にある横浜松坂屋の前で路上ライブを行っていた事で知られている。伊蔵が訪れたこの日もバンドが路上ライブを行っていた。
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もうひとつ伊勢佐木町の名を有名にした人物が『青江三奈(あおえみな)』さんである。ここ伊勢佐木町を歌った『伊勢佐木町ブルース』が1968年(昭和43年)に大ヒット。日本レコード大賞を受賞した。その独特な歌い方は現在でもよくモノマネされたりする程。青江三奈さんは残念ながら2000年(平成12年)に亡くなられたが、伊勢佐木町の名を全国に知らしめたこの功労者を記念して、ここイセザキモールの4丁目パーキング前に『ブルースの碑』が建立されている。

碑の後の看板は随時リニューアルされており、上の画像の看板で『四代目』になるという。さて伊蔵が今夜とってある宿のチェックインの時間がこの辺りで近付いて来た。伊蔵は伊勢佐木町から進路を北へと変えた。しばらく進むと『大岡川』のほとりに出た。
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『大岡川』に架かる橋から今夜の『OFF会』が開かれる桜木町方面を望んだ。ランドマークタワーと大岡川のゆったりした流れが見える・・。

(いよいよだ・・いよいよ皆と顔を合わせる事が実現する・・・)

と、あとわずか2時間あまり後に実現する『OFF会』に想いを馳せる伊蔵であった。宿には予定通り午後3時にチェックイン。通された部屋もシングルという事であったが十分な広さとベッドも広々。上々の部屋であった。十分休んでシャワーでも浴びてから出掛けても間に合うくらいなのでゆっくりする事にした伊蔵であった。<つづく>

港・横浜OFF会(その8・中華街)

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さて伊蔵と草加君が自らの腹を食べ物で満たす為に訪れた『横浜中華街』。本町通りから『朝陽門』をくぐり、中華街の中へと進入する事に。
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この『朝陽門』は中華街の東を守護する門で、五行思想でいうところの東方を護る『青龍』のレリーフが施されている。中華街の入り口的存在だ。しかしさすがに横浜を代表する観光地、狭い地域に人の数があまりに多過ぎる・・。
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その中華街の中でも一番人通りの激しい『中華街大通り』に伊蔵と草加君は足を踏み入れた。友人のtakeさんが紹介してくれたお店というのは、以前この中華街をtakeさんが訪れた際に偶然立ち寄ったという『フカヒレラーメン』の美味しい店。この中華街大通りにある『シウマイ(焼売)』で有名な『崎陽軒(きようけん)』近くにあるらしい。(崎陽軒ではシュウマイの表記をシウマイとしている)ただtakeさんがお店の名前を忘れてしまったらしく、とにかくフカヒレラーメンだけを頼りに探すしかない状態であった。
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『崎陽軒』は有名店だけにすぐに見つかったが例のフカヒレラーメンの店は不明であった。いくらウロウロしても分からなかった為、takeさんに電話をしてみた。

伊蔵『伊蔵ですが例の店どこ?』
take『それが店の名を忘れてしまってよぉ、分からんのよ・・・探してみてくれ!』

うひゃ〜〜結局分からず仕舞い(笑)草加君とその後も何度も路地に入ったりしてみたがそれらしい店は見つからなかった。そのうち腹の具合もかなり減ってきて『とにかくどこかで食べましょう』という事に・・。そこで飲食店がひしめくある細い路地へと向かった。
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そこで草加君と選んだ店が『滿珠園』さんというお店。「まんじゅえん」って読むのだろうか。店内は以外と広かったが少し薄暗かった(笑)椅子へと座った伊蔵と草加君は、かなり歩いたせいか結構疲れがドッと押し寄せて来た。メニューを見ながら思ったがかなりの数の料理バリエーションがあって迷った。伊蔵は『牛スジラーメン』と『ライス・大』、草加君は『炒飯/大盛り』を注文した。腹が減っていた事もあるが、折角中華街に来ておきながら二人ともオーソドックスな注文にちょっと苦笑ぎみであった。

最初に草加君の炒飯のスープが届き、次に伊蔵の注文した『牛スジラーメン』が運ばれてきた!
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『うおおお!』ブツ切りされた牛スジ肉がゴロンゴロン入っている!器の直径は大した事は無く普通のサイズだが深さがかなりあるようである。まずはスープを頂く。ベースは醤油であろうが複雑な味わいのスープであった。最初はちょっと薬臭い感じがしたが飲む毎にハマるような味わいがした。薬臭いのは多分、漢方薬が微妙に混ぜてあるのかもしれないと思われた。麺の方は細麺。牛スジ肉はとても柔らかく口の中ですぐにほぐれる程。良い味が付いている肉であった。この肉と一緒にライスを食べるのは満足であった。

そうこうしているうちに草加君が注文した『炒飯/大盛り』がどどど〜ん!という感じで運ばれて来た!この量に明らかに草加君は狼狽していた・・。大皿の上に巨大な炒飯のドームが鎮座している感じであった。

『伊蔵さん・・少し食べてもいいですよ・・』

草加君にそうは言われたものの伊蔵の注文の品もかなりの量なので遠慮気味に頂く事にした。普通の炒飯だったがとてもパラパラしていて旨かった。それからしばらくの間、伊蔵と草加君は無言で自分たちの注文した品を平らげる為に奮闘したのだ!

一足先に伊蔵が平らげ終えたが、草加君はかなり苦しそうであった。あとひと山の炒飯を残し手に持つレンゲがストップしてしまったようだ・・。伊蔵は助けてあげたかったがもう胃袋に隙間というモノが無い・・・。しばらく間があった後、草加君は皿の上に残ったひと山の炒飯を一気に平らげた!それを見ていた伊蔵は心の中で

(大盛りに耐えてよく頑張った!感動したっ!)

と叫んだのだった(笑)食後の二人は過剰気味の満腹感から身動きがとれ無い状態に陥り、しばし店内で無言でくつろいでいた。これからの行き先などを草加君に聞いてみると彼は中華街の外れにある『えびす湯』という銭湯に行くという。無理もない、前日から高速バスで夜通し走って横浜に来ているのだから汗を流したいのであろう。伊蔵は伊勢佐木町(いせざきちょう)方面を歩いて回りたい為、中華街を出た所で草加君とは別行動になりそうだ。
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『滿珠園』さんを後にした伊蔵と草加君は『関帝廟(かんていびょう)』へと向かった。関帝廟とは『三国志』で有名な武将『関羽(かんう)』を祀る廟の事である。関羽は高潔な人で義にも厚く『簿記法』を発明したことから商売の神様としてここ中華街の人々からの信仰が厚い。(義に厚いという事も商売にとって一番大切な「信用」という点において商売人から神として祀られている所以であろう)
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そもそも中華街の歴史は開港されて以来、この地が外国人居留地として栄えた事に始まる。欧米人が多かったが商取引や貿易が盛んになるにつれ、中国人も多数この横浜にやって来た。そういった中国人の為に不馴れな日本食や洋食ではなく中国料理を食べられるように考え、外商に勤める料理人が独立し、主として中国人を対象に商売を行ってきたのだという。
主に広東や上海出身の華僑(かきょう)の人達が多い為、現在の中華街にある中華料理屋も広東料理を出す店が多いのだという事だ。
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しかしこの『関帝廟』、日本の質素で朴訥な寺院とは違って派手な色使いが目に鮮やかに飛び込んで来る。色の鮮やかさだけでなく、非常に細かい意匠や細工が素晴らしい。日本の寺院でこの関帝廟に似た派手さと工芸の細かさが似ている建築物は『日光東照宮』くらいであろう。
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参拝方法も日本のそれとは随分異なっているようだ。驚くのはここで参拝用に使用されている御線香は「毎日香」もビックリの巨大サイズでしかも太く、まるで花火のような御線香である。それにしてもこの関帝廟の彫刻は見ているだけで飽き無い。というか何かしらオメデタイ雰囲気になってしまう伊蔵であった(笑)
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関帝廟で中国文化の洗礼を受けた伊蔵と草加君は境内前の『関帝廟通り』を西に向かって歩き、『地久門』という門をくぐった所で別行動をとることに。『OFF会』の集合場所はJR桜木町駅の改札口付近の本屋『ブックガーデン桜木町』の前に午後4時半なので、それまでしばしのお別れという事になる。草加君と別れた伊蔵は『福健路』を通って『横浜スタジアム』のすぐ近くをかすめて一路『伊勢佐木町』へと向かったのだった。<つづく>

★余談だが・・・★
この横浜行きから帰って来て分かった事だが、フカヒレラーメンで有名なtakeさんの紹介してくれたお店の名前は『まるた小屋』という名前であった。調べてみて分かった事だがあれだけウロウロしたのに案外近くにあったという事が判明。訪れる事が出来なくて非常に残念であった・・・。次回は是非訪れてみたい!

●まるた小屋ホームページ
http://www.maruta-goya.net/

港・横浜OFF会(その7・山下公園と港の見える丘公園)

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伊蔵と草加君は『山下公園』へと入った。入ってすぐのインド水塔そばの休憩所で一服することに。天気も良く山下公園には沢山の人々が集まって来ていた。ここ『山下公園』は関東大震災の時の瓦礫を使って造成した日本最初の臨海公園である。シーバスなどの観光船の乗り場や後ほど紹介する客船『氷川丸』が係留されているかなり大きな公園だ。

休憩所で飲み物を飲み、一服した我々は山下公園散策へと出発した。
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ここ山下公園内にひとつの小さな像がある。

『赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった』

『横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった』

のちょっぴり悲し気な詩の童謡で有名な『赤い靴』。『赤い靴はいてた女の子像』だ。伊蔵は子供の頃、この童謡の詩を間違って覚えてしまっていたのだった。「異人さん」の部分を「ひいじいさん」と間違えていたのである(笑)
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この赤い靴の女の子は実在の人物で、その名を『岩崎きみ』という。明治35年7月15日、静岡県で生まれた。母親の岩崎かよは「きみ」を連れて北海道へと渡るが、北海道開拓の厳しい生活苦から、かよは「きみ」をアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻へと養女に出す。詩の中にある『異人さん』とはこの宣教師夫妻の事である。

ヒュエット夫妻が日本での宣教活動任務を終え、「きみ」を連れて故郷のアメリカに帰国しようとするが、不幸な事にこの時点で「きみ」の身体は不治の病「結核」に侵されていたのである。身体が弱っており長期の船旅にも耐えられないほどであった。

であるから、赤い靴をはいた女の子は『異人さんに つれられて 行っていない』のだ。可哀想に「きみ」は教会の孤児院に預けられ療養していたが、その甲斐無く明治44年9月15日にわずか9歳で亡くなったという・・・・。う〜ん悲しい話である・・。

この『赤い靴をはいてた女の子像』は思ったより小さくて、注意して歩いていないと通り過ぎてしまう程だ。実際に伊蔵もこの像が見たくて探していたところなかなか見つからなくて、草加君が

『伊蔵さん、これの事じゃないですか?』

の一言で『おおお!』と気が付いた次第である(笑)
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先程、紹介した客船『氷川丸』である。
昭和5年に建造され、当時は『太平洋の女王』と称せられた客船である。全長163メートル、デンマーク製ディーゼルエンジンを2基搭載、乗員130名、乗客280名で日本郵船の所有。太平洋を238回も横断したという。昭和36年からここ横浜港に係留され船内は一般公開されている。現代の豪華客船に比べると規模が小さい船だが、238回も太平洋を横断したというのは流石に凄い。
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この日の『山下公園』では世界の食が楽しめるイベントが開かれており、数多くの屋台が出ていて人出も相当なもので賑わっていた。この後、伊蔵と草加君は山下公園から公園通りの大きな道路へと出て、『港の見える丘公園』へと向かった。

『港の見える丘公園』は中華街近くの小高い丘にある公園の事で、開港当時この一帯は外国人居留地で丘の上はイギリス軍、丘の下はフランス軍が駐留していたという場所である。丘にはフランス領事館やイギリス総領事官邸などが存在していた。
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上の写真は、丘の麓から木製の急な階段を登った丘の中腹にあるフランス領事館跡のもの。一部の基礎部分、外壁が残っているのみの廃虚であった。まわりでは趣味で絵を描いている人が多く居たし、老人会主催のウォーキング大会のようなものも行われていた。領事館跡を過ぎると森が途切れて視界が開ける場所があった。
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その場所からは港ヨコハマが一望出来た。丘から見る港というのもなかなかオツなものだった。『港の見える丘公園』で気が付いたのは、この一帯に住み着いた『猫』の多さ(笑)ひっきりなしに観光客が訪れる場所だけに全く人を怖がらない。
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餌を与える人達もいるらしいく、都会を生きる猫達の毛並みと健康状態はとても良好のようである。しかしちょっと目つきが悪いゾ!(笑)この公園をうろうろしていた時点で早くも昼を過ぎてしまっていた。丘を下れば、そこは『横浜中華街』、飲食店探しに困る事はなかろう。草加君は予め、我々共通の友人であるtakeさんより中華街で是非訪れて欲しいと教えられたお店があるという。そこへ向かって腹を空かせた我々は丘を下っていったのだった。<つづく>

港・横浜OFF会(その6・関内のレトロな建造物)

伊蔵と草加君は共に『万国橋』を渡って街中に歩いて入っていった。
横浜開港後、外国人居留地となった関内(かんない)一帯は開港時の頃を偲ばせるレトロな建築物が多く残っており、それらを歩いて見てまわる事を伊蔵は楽しみにしていた。伊蔵は『Fuji FinePix F700』、草加君は『RICOH GR DIGITAL』というデジタルカメラを手にそういった建築物を訪ねて歩いては撮影していったのであった。
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まず最初に目にした建築物は『横浜郵船ビル』。昭和11年、和田順顕の設計。
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ギリシャ式の列柱が並ぶ景観は壮観だ。ギリシャ式列柱の種類には『ドーリア式(ドリス式)』・『コリント式』・『イオ二ア式』があるが、この横浜郵船ビルの列柱は『コリント式』のようだ。ギリシャ式列柱の特徴を一言で解説しておくと以下のようになる。

●ドーリア式(ドリス式)
『荘重』。アテネの『パルテノン神殿』の柱がこのタイプ。ギリシャ式列柱建築の様式では最も古い。飾り気が無い列柱様式だが、安定感が前面に出ている様式。
●イオ二ア式
『優美』。『アテナ=ニケ神殿』の柱がこのタイプ。ギリシャ式列柱建築中期の列柱様式。ドーリア式とは異なり、非常に細身で軽快感がある様式。
●コリント式
『華麗』。『オリンピア=ゼウス神殿』の柱がこのタイプ。ギリシャ式列柱建築末期の列柱様式。柱上部の彫刻や意匠等が非常に凝っており、豪華で華麗な印象がある様式。

この『横浜郵船ビル』は現在、日本郵船歴史博物館となっており近代日本の海運の歴史等を見学し学ぶ事が出来る施設となっている。
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『横浜郵船ビル』の前の道を更に進むと、イスラム風の塔がビルの上から顔を覗かせている『横浜税関本館庁舎』が見えて来る。この建築物は昭和9年に当時の大蔵省営繕管財局によって竣工した。関内の街の建築物にはこの『横浜税関本館庁舎』に見られるような『塔』を持つものが他にもあって『横浜三塔』と称される。三塔の中の一つに数えられているこの塔はそのスラリと美しい景観から『クイーンの塔』と呼ばれている。随所に半円形の開口部が見受けらるロマネスク様式が特徴だ。
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お次は、『神奈川県庁本庁舎』。こちらの『塔』も『横浜三塔』のひとつに数えられている。ドッシリとしたこちらの塔は『キングの塔』と呼ばれている。こちらの建築物は昭和3年竣工。神奈川県を代表する近代建築のひとつ。この建物を見ていると、名古屋市の『市役所』や『愛知県庁』等の建築物がダブって見えた。建物中央部に塔を建てるこの様式は『帝冠様式』と呼ばれていて、昭和初期にはこのような建築物を造る事が(とくに官庁舎など)流行になったようである。
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そのキングの塔の前の『日本大通』の道を挟んだ向かい側のひっそりとした森の中に佇む建築物が『横浜開港資料館(旧イギリス総領事館)』である。こちらの建築物はイギリス工務省によって昭和6年に建てられた。
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横浜開港にまつわる資料等が多数展示されている。小さな建物だが外壁に蔓草がビッシリ這った景観は何ともいえない情緒があってとても良い。
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次に訪れたのは『横浜市開港記念会館』。ここの『塔』も横浜三塔のひとつで『ジャックの塔』と呼ばれている。大正5年に開港50周年を記念し建てられた。赤レンガ造りの佇まいは『東京駅』と同じ匂いを感じる。
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近代的な街並の中にこのような赤レンガ造りの建造物は非常に良く映える。スマートな時計塔もエキゾチックで緑豊かな街『横浜』にマッチしていて景観が良い。
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『関東大震災』の時に屋根のドームは焼失してしまったそうだが、平成元年に復元されたとの事だ。この『横浜市開港記念会館』国の重要文化財に指定されている。
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街の中には外国人が多く居留した港町らしく教会も多く見られる。上の写真は『横浜海岸教会』。山下公園へ向かう道すがらにたまたま前を通ったのだ。教会横には開港広場という公園があり、市民の憩いの場となっている。
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先程のような文化財級の建築物だけでなく、街のそこかしこには古い建物が普通に残っているのが横浜の特徴である。足を使って歩くには丁度良い規模の街というところも伊蔵には嬉しかった。なかなかこういう都市部で歩いて楽しめる街というのは少ないであろう。この後、伊蔵と草加君は『山下公園』方面へと足を進めたのだった。<つづく>

港・横浜OFF会(その6・横浜の歴史について)

なかなかメインの『OFF会』の話題に辿り着く事が出来ない。
申し訳無いがお付き合い願いたいと思う。

『赤レンガパーク』を後にして万国橋を渡り、横浜市中区の街に入った所まで書き進めたが、東海地方に住む伊蔵にとって横浜という街は出掛ける事も少なく、馴染みが無い為、少し『横浜』という港町について調べてみようと思う。
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『横浜』が世界的な大港湾都市となった歴史的始まりは、1853年(嘉永6年)の6月に『マシュー・カルブレース・ペリー』が率いるアメリカ東インド艦隊の軍艦4隻が鎖国政策をとっていた江戸幕府の治める日本(現在の神奈川県横須賀市の浦賀沖)に来航した事に始まったといってよい。

『太平の眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず』

当時流行した茶葉の銘柄である「上喜撰」と、江戸湾に突如現れた「蒸気船」をかけたこの有名な狂歌が言い伝えている通り、この『黒船来航』は鎖国日本におけるまさに一大事件であった。ペリーは幕府に条約締結をこの時迫ったのだが、幕府側に『一年間だけ待って欲しい』といわれ一度は引き上げた。
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翌年の1854年(嘉永7年)に再来航したペリーは幕府によって武蔵国久良岐郡横浜村字駒形(現在の横浜市中区)に用意された応接所に部下約五百名を伴って上陸、幕府との交渉の末『日米和親条約』を締結することに成功する。

この条約によって日本はアメリカ船の物資補給の為、伊豆下田と箱館(函館)の二港の開港する事、下田へのアメリカ人領事の赴任を認めるなどの要求をのんだ。
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この下田にアメリカ総領事として『タウンゼント・ハリス』が赴任して来る。彼はアメリカの本来の目的であった日本との通商条約を結ぶ為、奔走しはじめる。幕府側はアヘン戦争などに見られる『清国』の状況も知っていた為、このまま条約締結を拒めば、欧米列強の日本侵略の懸念が考えられる事から、幕府の大老『井伊直弼』は京都朝廷の勅許を得ずにこの条約の締結に踏み切った。この条約が『日米修好通商条約』である。

この条約で、外国人の居留を認める事、神奈川・長崎・兵庫・新潟の開港が決められたが、アメリカ側が神奈川で開港を求めていた地は、当時すでに栄えていた『神奈川湊(かながわみなと)』の事だったのだが幕府側は外国人居留地を遠ざける為、当時『横浜村』と呼ばれていた半農半漁の地を開港地としたのだ。この事が『横浜』の街の将来を決定付けた。

その後の横浜は明治維新を経て『国際港』としての性格をますます強くし、世界有数の貿易港として大発展していったのだ。<つづく>

★余談だが・・・★
あるニュースの一特集で見たのだが、日本開国の功労者の『ペリー』だが、当のアメリカ人にはあまり知られていない存在の人物だそうである。彼は64歳でニューヨークで亡くなったが、彼の墓に詣でる人はほとんどいないという・・・。また彼の住んでいた家は現在、日本人が経営する『マンガ喫茶』になっているという。なんとも不思議な日本との因縁である。

港・横浜OFF会(その5・赤レンガパークにて)

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地元横浜市民から『ハマの赤レンガ』と呼ばれて親しまれている『赤レンガ倉庫』。南側に1号館、北側に2号館がありこの二棟が建つ一帯は『赤レンガパーク』として整備されている。
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1号倉庫は1913年、2号倉庫が1911年に竣工した。設計は明治期に多くの官庁建築物を手掛けた『妻木頼黄(つまきよりなか)』。建築の勉強の為にアメリカやドイツに留学している。この赤レンガ倉庫の佇まいがどことなく「ドイツ的」なのも何となく頷ける。
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この赤レンガ倉庫は明治44年に完成した『新港埠頭』の税関施設を保存活用したもの。正式な名称は『新港埠頭保税倉庫』というらしい。1989年まで税関施設として使用された後、横浜市が所有権を取得、現在観光資源として活用している。1号館は様々なイベントが開催可能な劇場ホール(文化施設)となっている。2号館は商業施設としてファッション、雑貨、飲食店などの店舗が入っている。
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伊蔵がこの赤レンガパークに足を踏み入れた時間は午前10時をいくらか過ぎていたのだが、店舗はまだそのほとんどが開店前であった。しかし天気が良いせいか訪れている人出は多かった。倉庫の裏手辺りを通り抜けるとちょっとした広場があり、その向こうは海であった。
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右手に「大さん橋埠頭」、遠くには「横浜ベイブリッジ」「大黒埠頭」が望めた。風がとても強い為もあって海面には白波が立っていた。

(この辺で一度、草加君に連絡をとって見よう・・)

と、伊蔵は思い携帯電話を取り出した。つい30分位前には彼はここに居たはずなのだが・・・。ひょっとするともう他の場所に移動してしまっているかもしれないなぁ・・などと考えながらコールした。数回のコールの後、はたして草加君は電話に出た!

●伊蔵『草加君おはようございます。バスの長旅お疲れ様でした。今どこにおるん??』

●草加『伊蔵さんおはようございます。僕は今赤レンガ倉庫のそばで海を見ています・・』

(な、なにぃ〜〜〜!!ということは伊蔵のすぐ近くに居るという事ではないかっ!)

伊蔵は携帯を耳に当てたまま、周りを見回したのだった。すると・・・・

[(; ̄Д ̄)ノ 『あ゛・・・。』 『あ゛・・・。』\(°o°;)]

ほとんど二人同時に相手に気が付いた(笑)。しかも50メートルも離れていない場所でお互いに携帯電話で会話していたのだ。携帯で話すような距離ではない。

(これじゃあ玩具のトランシーバーで話す距離だよ・・・笑 )

お互い苦笑しつつの再会・合流となったわけであった。伊蔵はホッとして一服タバコが吸いたくなったので、広場にあるベンチでしばし草加君と休憩する事に。
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ベンチに腰を落ち着けて草加君と、益太(マスター)が参加出来なくなってしまった残念話や昨夜の高速バスでの話などを話しながら休憩。そして否応無しに『OFF会』への期待と不安が高まって来るのであった。同じ東海地区に住む伊蔵と草加君はこれまでに何度も『飲み会』を行っていて会うのも慣れているのだが、その他の地域の人に会うのはこれが初めての事である。緊張しないのがおかしい。

しかし『OFF会』の集合時間までにはまだ時間がある。この後何処を回るのか草加君に問うてみたところ、概ね伊蔵が計画していたコースとさして変わりなかったので、一緒に横浜の街を回る事にした。街へはこの『赤レンガパーク』から『万国橋』を渡っていくのが一番手っ取り早い。とりあえずこの広場から『万国橋通り』へと向かう事に。
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途中、赤レンガ2号館裏にもう一つそこにレンガ倉庫が在ったかのような基礎部分のみを残した『遺跡』っぽい遺構があった。日本の遺跡に多い寺院跡や城跡などでは大きな木造の柱を支える礎石が残っている事があり、そういったものは伊蔵はよく見る機会があるのだが、こういう近代のレンガ建築の跡というのを見るのは初めての経験だ。レンガでキッチリ積まれたその遺構はまるで『モヘンジョ・ダロ』の遺跡を見るような、そんな感じがした(笑)
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『万国橋通り』に出ると最初の交差点に一風変わった歩道橋がある。『サークルウォーク』という歩道橋だ。その名の通り交差点の四隅を囲むように円形の歩道が架設されている。ちょっと写真におさめたくなったので撮影してしまった。この歩道橋を渡って『万国橋』を渡ると、伊蔵が楽しみにしていたエキゾチックでノスタルジックな建造物が点在する『馬車道(ばしゃみち)』周辺の街に至るのだ。<つづく>

港・横浜OFF会(その4・みなとみらい〜赤レンガ倉庫)

伊蔵はまず『帆船日本丸』を見に行く事に。
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白い船体が美しいこの帆船『日本丸』は1930年(昭和5年)に大型練習帆船として進水し、その後半世紀に渡って約183万kmを航海し約11,500名の実習生を育て、1984年(昭和59年)引退。練習船としての役割は『日本丸2世』へと受け継がれた。現在は横浜マリンミュージアム横に繋留され展示公開されている。
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●船籍港:横浜港
●船種:帆船(4檣バーク型)その他ディーゼル機関による機走が可能
●建造造船所:神戸川崎造船所
●総トン数:2278トン
●全長:97メートル
●全幅:13メートル
●マスト高(水面からの高さ):46メートル
●総帆数:29枚
●定員:138名

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今日はとても天気が良く、青い空に真っ白な日本丸はとても映えて美しかった。日本丸の周りではこの日、フリーマーケットが開催されており、人出が多かった。伊蔵は日本丸の周りを回ってから『赤レンガ倉庫』方面へと続く『汽車道(きしゃみち)』と呼ばれる海の真ん中を通っている道へと足を進めた。
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『汽車道』とは明治40年に新港埠頭の物資輸送の為に敷設された臨海鉄道の遺構の事で現在は「海の中道」のような感じで遊歩道として活用されている。道の途中からはみなとみらい21地区のホテル群や、よこはまコスモワールドの大観覧車などを望みながらゆっくり歩く事が出来るようになっている。
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遊歩道の路面には臨海鉄道の名残りであるレールの跡がそのまま残されている。『汽車道』の途中には『港三号橋梁』、『港二号橋梁』といった鉄骨造の橋が架けられている。上の画像の橋は明治40年に敷設された臨海鉄道用に架けられた当時の鉄道院の設計したトラス橋で、アメリカン・ブリッジ・カンパニー社が建造したもの。この橋の形を見ていると昔ここを鉄道が走っていたのだなぁと何となく感じる事が出来る。
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汽車道は『みなとみらい21新港地区』へと続き、正面に『ナビオス横浜』のホテルが見えて来る。ホテルにには大きな口が開けられていて汽車のレールはその口の中に吸い込まれるように続いていた。口の向こうには『赤レンガ倉庫』が小さく見える。以前はこのレールは倉庫まで続いていたのかもしれないなどという想いに耽りながら伊蔵は進んだ。
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『ナビオス横浜』の大きな開口部から空を写真に収めた。今日は本当に天気が良く、ナビオス横浜の建造物と空のコントラストがとても綺麗だ。
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ナビオス横浜のすぐ脇にある『アンカー(錨)のモニュメント』。デカイ(笑)このモニュメント近くの大通りを越えると『赤レンガ倉庫群(赤レンガパーク)』はすぐそこである。
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先程の携帯メールで「草加君」は赤レンガ倉庫に居るという事であったが彼はもうこの場所から去ってしまったであろうか・・・。とにかく『赤レンガパーク』へと向かった伊蔵であった。<つづく>

港・横浜OFF会(その3・横浜入りと悲しい知らせ)

伊蔵は『横浜OFF会』の前日の5日はなかなか寝付く事が出来なかった。ネット上では知り合って随分になるのに、実際に会ってオフ会をするという事は気持ち的に落ち着かないし、ドキドキする。あまり睡眠をとる事が出来ずに早朝に伊蔵は目覚めた。

午前6時頃に前日に高速バスにて先に出掛けた「草加君」にメールを送ってみたところ、無事に向こうに着いたとの事だったが、同時に悲しい知らせも受けた。なんと「益太(マスター)」がOFF会に参加出来ないとの情報が入ったのだ。例の『台風並の低気圧』の通過にともなって「益太」の地元、東北では停電により電車が止まってしまっているという・・。
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「益太」の住む町の海の沖では「サンマ漁船」が遭難し、乗組員全員が行方不明になる海難事故が発生していた。かなりひどい嵐のようだ。伊蔵は世話になっていた「益太」に今回初めて会う事を楽しみにしていただけに非常に残念だったが、交通機関がストップしていては致し方ない。

伊蔵は地元の駅を午前7時過ぎには出て名古屋に向かって進んでいた。そして午前8時04分発の『のぞみ106号』東京行きに乗り込んだ。「新横浜駅」までノンストップで所要時間1時間34分で到着する。いつも思うが『速い』(笑)。午前9時半に『新横浜駅』のホームに降り立った伊蔵は「益太」と「草加君」にメールを送り、無事に着いた旨を知らせた。

「益太」のメールの返事は「OFF会」に参加出来なくて申し訳ない。残念だ・・と連絡があり、草加君からは『今、赤レンガ倉庫にいる』との返事が。言い忘れたが今回の『OFF会』の集合場所は『JR桜木町駅』なのである。集合時間は夕方の4〜5時頃なのだが伊蔵はこの地域をゆっくりと散策して見たかった為、早めに現地に入る事にしたのだ。

とりあえず伊蔵は新幹線『新横浜駅』改札を出て横浜市営地下鉄のホームへと歩く。市営地下鉄新横浜駅から桜木町までは『湘南台行き』の列車で数十分で到着。
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『JR桜木町駅』はその昔は『横浜駅』として開業した。1872年(明治5年)に品川〜横浜間に初めて鉄道が敷かれた当時この場所に設置されたのが初まり。つまり日本で一番古い駅という事であり由緒ある駅といえる。場所は神奈川県横浜市中区にある。駅の東側は『ランドマークタワー』(高さ295.8m、地下3階、地上70階の日本一の高さを誇るビル)などをはじめとするランドマークプラザやクイーンズスクエア横浜などが広がる。

反対に桜木町駅の西側は『野毛(のげ)』という地区が広がっている。こちらは古くからある飲食店や商店が数多くあって駅の東側とは違って落ち着いた雰囲気といった感じだ。野毛山公園や動物園もあったりする。

桜木町駅東側へと抜けてみると空は綺麗に晴れ上がっていてとても気持ちが良かった。若干風が強いようではあった。視界にはランドマークタワーがやっぱり目立つ。伊蔵はとりあえずタワー方面へと足を進めたのであった。<つづく>

港・横浜OFF会(その2・参加予定メンバー)

『BARギコ ONLINE』では幾人かの友人が出来た伊蔵であったが前述したとおり、友人が全小国に散らばっている為に『OFF会』をする事は難しかった。そんな中、同じ地方に住む『草加くん』とは昨年7月に名古屋市内で二人だけのささやかなOFF会が初めて実現していた。
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そして今回の『OFF会』。ご本人達のプライバシーに差しつかえない範囲で参加予定メンバーをご紹介しよう。

●益太(マスター)
この小部屋BARを立ち上げた人物。このBARのメンバー最長老。どんな世代に対しても相談に乗る面倒見の良い人物。『年越し風呂』が慣習。東北在住。

●草加雅人さん(草加くん)
小部屋BAR創設当初からのメンバー。ネット上で伊蔵と友人になって以来、初めて実際に会う事になった人物。伊蔵の名古屋における大切な飲み仲間となっている。「草加雅人」のハンドル名は「仮面ライダー555」が由来。愛知県名古屋市在住。

●斜さん(しゃさん)
偶然に小部屋に現れて以来、たびたび訪れていた紳士な人物。東京都在住。

●珍念さん(ちんねんさん)
競馬好きな人物。BARでの発言、文面は詩的であり簡潔。最近は学業が忙しいらしい。彼もBARでは古い友人のひとり。京都府在住。

●鎖骨さん(さこつさん)
今回の『横浜OFF』実現の実質的功労者であり、メンバーの中で紅一点で最年少。彼女のOFF会への強力な誘いがなければ今回の実現は不可能であったと言ってよい。神奈川県在住。

●伊蔵(いぞう)
当初は幻の焼酎から名を貰い、『森伊蔵』のハンドル名でBARに入り浸っていたが常連化してハンドル名から『森』を削除した。酒好きな岐阜県在住の人物。

この他、声をかけていたメンバーもいたのだが諸事情により不参加となった。予定メンバーは結局上記の6名になった。場所を『横浜』に設定したのも「鎖骨さん」が神奈川県在住であるのと、関東にメンバーが多く集まりやすい場所ということで決定した。

決行日は10月7日の晩という事になった。東海地方に住む草加君と伊蔵は長距離を移動しなければならない。草加君は前日6日深夜出発の高速バスにて一足早くに名古屋を出発。伊蔵は当日、新幹線にて横浜へ向かう事となった。

6日から7日にかけて日本列島近くに台風並の勢力を持つ低気圧が通過するというニュースが報道されていたが、名古屋地方の6日の天候は夕方から晴れ間もみえ始め、心配する必要は無く思われた。<つづく>

港・横浜OFF会(その1・はじめに)

今回は横浜にて開かれた『OFF会』について話そうと思う。
まず、この『OFF会』開催に至るまでの経緯を話さねばなるまい。

約二年弱前、伊蔵は以前に勤めていた会社を辞め、毎日暇を持て余していた。そんな中パソコンでのネットサーフィンは絶好の暇つぶしとなっていた。そのネットサーフィンにも飽きかけて来た頃、『チャット』というものに興味を持ち始めた。

●『Chat/チャット』
不特定多数の人がコンピューターのネットワーク上に設けられた一ヶ所に集まり、リアルタイムにテキストによる会話を行う事の出来るシステム。

当時はテキスト(文字)のみによる会話が主流であり、そういったチャットサイトしか無かったように思える。そんな中、伊蔵は画期的なチャットサイトを2004年11月に発見した。

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『BARギコ ONLINE(バーギコ オンライン)』

今までのテキスト文字のみのチャットとは違い、どちらかというと「オンラインゲーム」風のチャットという感じ。インストール不要でブラウザとFlashのプラグインのみで楽しめる。『2ちゃんねる』のキャラクター『ギコ猫』を一個人に例え、好きなハンドルネームを設定出来、サイト内に疑似的に作られた『街』の中を自由に動き回れ、出会った他のギコ猫達とのチャット会話を楽しめる(キャラクターが喋ると吹き出しが表示され会話がテキスト文字として表示される)これまでのチャットには無い画期的なサイトであった。

『街』には様々な施設が存在した。
牛丼の吉野家・交番・BARがいくつか集まっているビル・公園/噴水・イベントホールなどがあった。ビルには個人個人の趣味に合わせてBARがいくつも用意されており、自分と共通の趣味や会話が成立しやすいように工夫されていた。やがてこのサイトも全国の人に知られる所となり、たびたびサーバーに負荷がかかり、ダウンする事が多くなった。

そのうちビルに入っているBAR(いわゆる大部屋)以外にも「小部屋」のBARを個人的に作れるシステムが出来上がり、様々な人物がめいめいにBARを作るようになった。この頃は結構『乱立』ぎみではあったが。『街』での会話に飽きかけていた伊蔵は、その小部屋の中でひとつのBARに目星をつけて『来店』した(部屋の名前はふせさせて頂く)

この小部屋で知り合った仲間というのが、今回『OFF会』を行った仲間である。ここでの会話はとても面白く、毎日出掛けるようになった。ネット上での事ではあったが常連さんや顔見知りなども出来るようになり、楽しかったものだ。部屋に入って来る人の性別、年齢、出身地なども様々で全国各地に散らばっていて多彩だった。

その後、『BARギコ ONLINE(バーギコ オンライン)』の『街』は度重なるダウンの末、消滅してしまったが(小部屋システムはまだ生きている)、住人が『一時避難所』として制作を進めていた『BARギコっぽい ONLINE』の方が現在では有名になってしまった。『BARギコっぽい ONLINE』に対して、最初に存在した『BARギコ ONLINE』は『本家』と呼ばれている。しかし本家と言われてもすでに理解出来ない人が多いであろうと思われる。

『OFF会』の話題に戻そう。
先程も記した通り、メンバーは全国各地に散らばっていて、なかなか一ヶ所で『OFF会』を行う事が難しかったのだが、関東地区のメンバーの一人の強力な要請により、今回の『OFF会』は実現の運びとなったのである。

次回からはこの『OFF会』の模様を含め、伊蔵の横浜散策記を同時に進行していきたい。また長丁場な文章になるかもしれないのでご了承頂きたいと思う。<つづく>