2007-05

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横浜散策編/その8・野毛山不動尊・野毛坂

横浜の二日目。午前8時過ぎに宿で目が覚めた伊蔵は二日酔いもなく清々しい朝を迎えていた。草加君とは昨年と同じく午前10時に『野毛ちかみち』の入口で待ち合わせの約束をしていたが、例によって伊蔵は早めに起き待ち合わせ時間前に一人でブラブラと付近を歩き回ってみる事にした。シャワーを浴び支度を整え9時に宿をチェックアウト。桜木町駅へと続く『平戸桜木道路』を歩き始めた。

桜木駅方面へと歩く伊蔵の前方に見覚えのある人物が伊蔵とは反対方向へ歩いて来る姿が見えた。おやおや??草加君ではないか!お互い朝の意外な出会いに驚きつつ挨拶をかわした。草加君も朝の涼しい時間に付近を散策したかったらしい。草加君も伊蔵も一人旅や一人で歩き回るのが好きな性格なのである。待ち合わせ時間にまた再会する事を確認し、草加君は西方面へ、伊蔵はみなとみらい方面へと向かった。
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この日も朝から快晴でとても暑くなりそうであった。みなとみらい地区は後で草加君とまわる事になるのでその時の模様は後で話す事にして、ここでは野毛坂方面へ歩きに行った事を書こう。

『野毛(のげ)』という地名は古くは「崖」を意味する言葉といわれている。この名の通り横浜市中区花咲町、野毛町、宮川町と横浜市西区との境界には野毛山があり急な崖状になっている。街中にこの様な急な山道がある事自体が中部地方に住む伊蔵にとっては不思議な光景で驚く。昨日『横浜OFF会』の会場だった『くいもの屋 わん』の建物の裏手の細い道を西方面に進むと突然目の前に断崖が現れたのには驚いた。

その断崖には石段が山頂まで延びていて山頂に社があるのが見えた。『成田山横浜別院(野毛山不動尊)延命院』である。
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『成田山横浜別院』の開基は1870年(明治3年)、比較的新しい。千葉県の成田山本山新勝寺より御分霊を勧請したのが始まりである。本堂は昭和20年に戦災で焼失したが昭和29年に再建された。本尊である不動明王は徳川家の秘蔵仏で元禄年間(1688~1703)成田山中興開祖・照範上人が徳川家より祈願を懇嘱された際に本尊として賜ったもの。この事から通称『野毛山不動尊』とも呼ばれている。
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とても大都会の真ん中に位置するとは思えない程の山腹に取り付けられた石段を伊蔵は登って行った。登り切った場所から振り返ってみると・・
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そこには野毛の街が広がっていた。自然と密集した都会の人工物が混在した実に不思議な風景であった。関東にはこういう極端な二面性を持つ風景が同居している場所というのが多い様に感じる。
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境内は都会の喧噪などは全くなく別世界の様な落ち着いた静かな佇まいを見せていた。もし伊蔵がこの辺りに住んでいたとして、仕事を終えて桜木町駅で降りて自宅へ帰る道すがらこのような静かな場所を通って帰れたら・・いいなぁ~などと伊蔵は勝手に考えてしまうのだった。野毛で飲んだ帰りなどは酔って石段から転げ落ちそうなので避けた方がいいとも思った(笑)
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本堂を正面に見ながら左側には『水子地蔵尊』があり細い路地がその向こうへと延びていた。一体どこへ繋がっているのだろう・・伊蔵は吸い込まれる様にその路地へと向かった。
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その路地は所々階段状になっている下り坂であった。小さな旅館や狭い土地にへばり着く様に建てられたマンションや住宅地の中をその路地は貫いていた。
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一瞬『ここはどこだったろうか・・・』と思ってしまう程、静かな路地だった。その路地は百メートル弱で途切れ不意に大通りへと出た。大通りは『横浜根岸道路』でその場所は通称“野毛坂(のげざか)”と呼ばれている地点であった。
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野毛坂の両側は崖になっている。野毛山を分断して人工的に造った道、いわゆる“切通し”というやつで昔は『野毛の切通し』と呼ばれていた。
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この『野毛の切通し』は横浜の開港直後に横浜港と東海道とを結ぶ(横浜道)為に突貫工事で造られたという。おっとそろそろ草加君との待ち合わせの時間が近づいてきたようだ。伊蔵は野毛坂を下り再び野毛の街へ戻って来た。<つづく>
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横浜散策編/その7・OFF会の後

『横浜OFF会』終了後、草加君と伊蔵はそれぞれメンバーを見送り『野毛ちかみち』を通って地上に出た。酔い覚ましの為に草加君と『野毛』の商店街を歩く事にした。
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昨年は昼間にこの商店街を訪れた伊蔵はいつか夜の野毛商店街(野毛小路)を見てみたいと思っていた。今回そのチャンスが来たというわけだがゴールデンウィーク初めの日曜日とあって閉店している店も多く思っていた程、商店街は混んではいなくてヒッソリとしていた。この『野毛小路』は“横浜の下町”と呼ばれ、様々な飲食店がある。戦後間も無い頃は“闇市”として、また最寄りの駅である『JR桜木町駅』が国鉄時代終点駅であった頃の野毛は大変な賑わいだったそうである。桜木町駅から先に鉄路が伸びると徐々に寂れ始め今は往時の賑わいはないが野毛の街の人々は協力して商店街の復活を考え、1986年から『野毛大道芸』、『野毛飲兵衛ラリー』などのイベントを開催して商店街に再び人を呼び込み街の活性化を図る努力を行なっている。
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またこの野毛は美空ひばり主演の映画『悲しき口笛』の舞台としても知られている。彼女は横浜市磯子区丸山町の魚屋『魚増』の長女として生まれ、戦後この地に出来た横浜国際劇場の専属歌手として活躍した。野毛にある『松葉寿し』の店頭にはシルクハット姿の美空ひばり像が置かれている。創業28年の創業当時、美空ひばりはこの寿司屋をよく訪れたという。今でもひばりファンが多く来店するという。

そんな横浜の下町の夜の風景を眺めながら草加君と伊蔵は『野毛小路』を彷徨った。多くの店が遅い時間とあって閉店していたが、そんな中あるラーメン屋がまだ営業中だった。
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『三陽』というラーメン屋さんである。ここ野毛では有名なラーメン屋さんとして知られている。まずその特異な看板がとてもよく目を引く。
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なんだか“下ネタ満載”といった感じの看板なのである(笑)でも味は確かなようでいつもお客さんが絶えない。ユニークなメニュー名は全て大将の考案したもの。苦労人の大将は愛知県は三河の生まれで屋台時代を経て昭和43年にこの野毛の地にラーメン屋を開業した。この店で特に人気なのは『チンチン麺』というニンニクとニラを入れたタンメン風塩ラーメンと餃子、『バクダン』と呼ばれるニンニクを揚げて味噌を搦めたもの。あとはネギトリといって鶏の唐揚げに特製のタレをかけてネギを添えたもの。絶品らしい。

●『ラーメン三陽』
・住所/〒231-0064 神奈川県横浜市中区野毛町1-38
・電話/045-231-0943
・営業時間/11:30から24:00(日曜日・祝日のみ23:00まで)
・定休日/不定休
・ホームページ/http://sanyou.hp.infoseek.co.jp/

とにかくニンニクがベースのメニューが多く、臭くなるのは必至なので食べるならある程度の覚悟が必要だという。伊蔵も是非食べてみたかったが飲んだ後の〆にという気にはなれず今回は断念する事にした。次回横浜に来た時は是非食してみたい。
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その後もしばらく草加君と『野毛小路』を歩き回った。どことなく懐かしい感じの商店街を歩いてまわるのは楽しい。いつまでもこういう雰囲気を大切に残していってもらいたいと思う。
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明日、草加君と横浜の街を歩いてまわる事を約束し我々はそれぞれの宿へと向かって別れたのだった。<つづく>

横浜散策編/その6・馬を眺める

『根岸森林公園』内の『馬の博物館』を見学した伊蔵が次に訪ねた場所は同じ公園内にある『ポニーセンター』という場所である。この『ポニーセンター』は生きた馬のそのままの姿に出会う事が出来る。牧場によく見られる厩舎の前には馬場も作られていて乗馬体験等の定期的イベントも開かれているそうだ。
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公園内をしばらく歩くと馬場と厩舎が見えて来た。厩舎には6頭の馬が繋がれている。『ポニーセンター』の馬達を紹介してみよう。

●ウメノマッキー(サラブレッド)
●ブラックジョーカー(サラブレッド)
●ロッキー(クォーターホース)
●マーカス(ハフリンガー)
●マロン(アメリカンミニチュアホース)
●宝海太郎(道産子<北海道和種>)

ざっとこんな感じだ。
馬と言っても様々な種類の馬がここ『ポニーセンター』にはいる。
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馬はいい・・・なぜかよく分からんが(笑)“目が優しい”ところに伊蔵は魅力を感じるのかもしれない。黒い目を見ているとこちらの心の中を見透かされているとすら思える。上の写真は道産子の『宝海太郎』である。道産子だけあってガッシリとした体格。とても優しそうな馬だ。
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こちらの綺麗な白馬はサラブレッドの『ウメノマッキー』。道産子馬とは違い流石にスマート。気品すら漂うその姿はとても美しい。この『ウメノマッキー』は今年このポニーセンターにやって来た“新入り”の馬である。
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こちらは・・ち、小さいぞっ!?アメリカンミニチュアホースの『マロン』。思わず笑ってしまう程小型の馬である。ちょっとした大型犬くらいの大きさしかない。恥ずかしがり屋な表情がまた何ともいえず可愛いのだ。特に子供に大人気な馬であった(笑)
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最後に紹介するこの馬は、サラブレッドの『ブラックジョーカー』だ。その名の通り真っ黒な体躯をしていて堂々としている。怪し気な名前が気になる(笑)ちょっと落ち着きのない馬で馬具が気になって仕方がないのか、しきりと首をブルンブルンと振り回していた。かつては競走馬だったプライドが彼を苛立たせているのだろうか・・。
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オレは『ポニーセンター』なんぞに繋がれるのは十年早過ぎるぜ!オレはまだまだやれる!まだまだ走れるぜっ!

彼の遠くの一点を見つめる厳しい眼差しを見て伊蔵は勝手に想像を巡らすのだった(笑)残念ながらこの日は馬場で走行する馬達を見る事は出来なかった。ひととおり『ポニーセンター』の馬達を見終わった後、伊蔵は公園内のベンチに座りタバコを一本吹かした。隣のベンチには老人一人と老人のペットなのだろうかシーズーが座り、タバコを吹かす伊蔵の方をジッと見ていた。老人とシーズーが引き上げると伊蔵も根岸駅へと向かって引き上げる事にした。

来たときと同じ『不動坂』を下り始めた時、根岸駅への近道(抜け道)を伊蔵は発見した!
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おお!行きにこの道を発見していれば・・・。この抜け道は坂の脇に隠れる様にあった。山の斜面に点在しているマンション群や住宅地の裏に九十九折りの様に細い歩道が続いていたのである。
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このヒッソリとした抜け道を通って麓に辿り着いたらそこは根岸駅前のすぐ近くであった。行きに費やした時間よりかなり短時間で着いてしまった。下り坂だったというのもあろうが行きにもっと細かい地図を見てから行動すべきだった。この後伊蔵は根岸駅から関内駅までの切符を購入し、関内駅からOFF会の集合場所である桜木町駅までを歩こうと考えた。そうすれば宿のチェックインに丁度良い時刻となるからである。

次回は『OFF会』終了時からの報告をしたいと思います。
(報告が前後してしまって分かりにくいですが・・・)<つづく>

横浜散策編/その5・根岸森林公園『馬の博物館』

『根岸森林公園』は流石に昔は競馬場だっただけあってかなり規模の大きい緑が多い公園であった。横浜という大都市のすぐそばにこのように広大な地域が緑で囲まれているというのはちょっと珍しい。地域住民の憩いの場として親しまれているらしく、スポーツにいそしむ
人や犬等のペットの散歩コースとして活用されているようで、伊蔵が訪れたこの日も沢山の人で賑わっていた。
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ここ『根岸森林公園』は1866年(慶応2年)に完成した日本初の洋式競馬場『根岸競馬場』の跡地である事はすでに述べた。1867年から1942年(昭和17年)に幕を下ろすまでの76年間この地で競馬が行なわれていた。その後太平洋戦争中は海軍省に接収、敗戦後は連合軍に接収された。1969年(昭和44年)には競馬場跡地が一部返還され森林公園化された。現在でもこの辺りの一部の土地は米軍関係者、米軍の管理化にあって立入りが禁止されている。
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早速伊蔵は森林公園内へと入って行った。公園内中央は少し窪地となっていて一面芝生が敷き詰められていてゴルフ場の様な景観を見せていた。
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しばらく樹木の木漏れ陽の中を進むと『馬の博物館』の入口が見えて来た。伊蔵は“競馬”はやらないのだが『馬』自体は好きなのである。いつか乗りたいと思っているのだがいまだにその機会が無い。
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『馬の博物館』は日本最初の競馬場『根岸競馬場』のあった場所を記念して馬についての知識を広く普及しようと建てられたもの。日本中央競馬会『JRA』の外郭団体『馬事文化財団』が運営している。『馬』は犬や猫等とともに古くから人間の歴史に密接に結びつきのあった動物だ。戦争・農耕・通信や移動手段・競技・食用など様々な手段で『馬』は人間と関って来た。それら人間との交流を幅広い分野で分かりやすく学ぶ事の出来るのがこの『馬の博物館』というわけである。
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『馬の博物館』の建物の前には『シンザン(神賛)』の銅像があった。伊蔵は競馬は詳しくない為にこの馬について少し調べてみた。

●『シンザン』(1961-1996)父・ヒンドスタン、母・ハヤノボリ
日本競馬史上二頭目、戦後初のクラシック三冠馬(皐月賞・日本ダービー(東京優駿)・菊花賞を制した馬)当時八大競走で牡馬が最大限勝てるレースが五つでそれを全て制したことから「五冠馬」と呼ばれる。その走りは『鉈の切れ味』と呼ばれた。引退後は種牡馬となって数多くの優駿を競馬界に送りだした。サラブレットの長寿記録、軽種馬の長寿記録を持っていてこれは現在まで破られていない。1996年7月6日老衰により永眠(享年35歳)。葬儀は盛大に行なわれ、普通馬は火葬されるのが常だがシンザンはテンポイント以来の土葬が行なわれ、生まれ故郷である北海道谷川牧場に墓が建てられシンザンはそこに眠っている。

競馬についての知識がなかった伊蔵にもこの『シンザン』の名がどこか記憶に残っていたのはこの馬の長寿にあったのだという事がわかった。フト、サントリーの缶コーヒー『BOSS』のコマーシャルの『宇宙人ジョーンズ地球探査シリーズ』の第七弾、『宇宙人ジョーンズ/牧場編』を思い出した(笑)。このCMでは競馬ファンに惜しまれつつ現役を引退した競争馬“ディープインパクト”と俳優“トミー・リー・ジョーンズ”が共演している。このCMシリーズは伊蔵も好きなものの一つになっている。一日に三回も“種付け”するというディープインパクトを世話する厩務員ジョーンズがしみじみと呟く・・
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『この惑星では・・引退してからもキツイ・・』

『人間』の人生においても定年退職してからも同じ事がいえるが『競争馬』の一生というのもなかなか大変だといわざるをえない。

話を『馬の博物館』へと戻そう。入館料200円を支払って中へ。この日の『馬の博物館』では春期特別展『三国志をいろどる馬たち』という催しも行なわれていた。展示室は1階と2階に別れていた。2階部分が入口となっている。残念ながら館内は撮影禁止。2階部分では主に根岸競馬場だった頃の紹介と展示がなされていた。また馬の模型が置いてあり馬具の名前など説明がされていた。普段間近で見る事がないものばかりなので伊蔵は近くに目を近付けて見学した。
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階段を下って一階に行くと春期特別展『三国志をいろどる馬たち』の展示室があった。中国は大陸だけあって馬が歴史に大きく関って来た。展示品は馬を題材にした埴輪や秦の始皇帝が全国巡幸時に使用したとされる四頭立ての馬車『銅車馬(どうしゃば)』のレプリカ、『絵本三国志』の展示、NHKで昔放映されていた実際に人形劇で使用されていた三国志のキャラクター人形など見ていてかなり面白かった。三国志では関羽が乗っていたとされる一日千里を走ると言われた名馬『赤兎馬(せきとば)』についての掛け軸や説明もあった。他にも漫画家である横山光輝氏の『三国志』のコミックの展示もあって楽しめた。本で三国志は読めなくても漫画でならと読んだ人も沢山いる事だろう。

このほか馬の祖先から現代馬までの進化の過程や馬の生態を細かく知る事の出来る展示室もあり、また自分の馬力を測定出来る「馬力測定機」なるものをあったりして面白かった。思った程『馬の博物館』は規模は大きくはなかったが楽しめた。

伊蔵はこの後、実際の馬を見る事が出来る『ポニーセンター』へと出掛けた。<つづく>

横浜散策編/その4・石川町駅~根岸へ

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『元町商店街』のあまりに洗練され小綺麗な街並の景観にがっくりした伊蔵は堀川沿いの小道をJR石川町駅へと向かって歩いていた。昨年にも横浜を訪れた事もあって今回はちょっと違った場所を見てみたいと考えていた伊蔵は、かねてから下調べをしておいた。石川町駅から南へ二駅行った場所に『根岸』という場所がある。そこへ行ってみようと考えた。

元町地区から南側というのは『本牧・山手』という地区でその名の通り“山地・台地”になっていて、伊蔵がこれから乗車しようと考えている『JR根岸線』もこの山地に穿たれたトンネルを進む形で南へ向かう事になる。伊蔵は石川町駅で切符を購入してホームへと続く階段を登っていった。ほどなく列車の到着を知らせる華やかなメロディがホームに鳴り響き(笑)列車がホームに滑り込んで来た。

列車に乗るといきなりトンネル。次の『山手駅』はトンネルとトンネルの狭間にあって、まるで新幹線の『新神戸駅』のようであった(笑)この山手駅の次が伊蔵の目指す『根岸駅』である。
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ここ『根岸』は幕末に外国人居留地となって発展した場所である。彼等外国人の娯楽として持ち込まれたのが『競馬』。1866年にこの根岸に日本初の『西洋式競馬場』が完成した。現在根岸の街を見下ろす高台の上にある『根岸森林公園』がその跡地なのだ。伊蔵が見たかったのはこの『根岸森林公園』内にある『馬の博物館』なのであった。

『根岸駅』前は想像していたより都会という感じではなく普通の地方の駅といった感じだった。流石に駅前はいろんな店が建ち並んでいたが北方へ目を向けると緑豊かな山が見えていて住むにはとても環境が良さそうな場所である。反対に南側に目を向けると高速湾岸線の高架が見え、その向こうには新日本石油の根岸製油所のコンビナート群が見える。その向こうはもう海だ。

伊蔵が目指す『根岸森林公園』は先程話した北方の山の上にある。“根岸台(ねぎしだい)”と呼ばれる楕円形の台地だ。駅からはさほど離れてはいないがかなり起伏がある台地なので登るのに苦労しそうだ。伊蔵は地図を見ながら駅のロータリーから一旦東の方向へ『本牧通り』を歩いていった。『日石前』という交差点で左折。眼前に根岸台の台地が立ちはだかっている。百メートルも進むと道路は台地に突き当たってしまい、大きく左にカーブしつつ坂道となっていた。この坂道は『不動坂』と呼ばれている。カーブ付近に『白滝不動尊』があるのでそこから名付けられたのだろう。

しかしこの『不動坂』・・・。運動不足の伊蔵にはかなりキツかった。勾配もかなりありしかもダラダラと長く続くのである。汗が吹き出して来るのと息が上がるのとで疲れてしまった。普段この坂道を歩いて登る人もそんなにいないらしく歩道も付けられていない。多分どこかに“抜け道”が存在するのだろう(実際帰り道にそれを発見する事に至る)。

その昔『不動坂』は外国人居留者達の乗馬遊歩道として使われていたのだという。また坂の途中から眺める根岸湾は美しく彼らから“ミシシッピー・ベイ”と呼ばれていたらしい。今ではその面影はどこにもないが・・。

息が上がりながらも『不動坂』を中腹まで登った伊蔵。道は今度は右カーブになって東側に回り込んでいた。少しの間平らな道になる。山手という場所柄なのか高級な住宅やお洒落なお店が多いようだ。不動坂上バス停を過ぎる辺りからまた坂道となる。この坂道の途中に欧風料理を食べさせる『ドルフィン』というレストランがある。
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あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった

このレストラン、ユーミン(荒井由実)の『海を見ていた午後』という曲の歌詞に登場するお店として知られていてファンが多く訪れソーダ水を注文するのだという。ただ単に汗を流し息を切らせて『不動坂』を登って来た伊蔵とは違ってなんと詩的な歌詞だ・・・。

そんな逸話のあるレストラン『ドルフィン』を右手に見ながら坂道を登っていくと目の前に広大な森が見えて来た。やっと辿り着いた!『根岸森林公園』である。<つづく>

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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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