伊蔵の『お伊勢参り』/その12・伊勢うどん(太田屋編)

伊勢うどんのお店『ちとせ』さんのうどんを食べ終えた伊蔵はニ軒目の伊勢うどんのお店に向かって歩いていた。予め目星はつけて置いた。『太田屋』さんである。この『太田屋』さんは先程の『ちとせ』さんと店の場所がそんなに離れていない。間髪あけずに“はしご”という形にはなってしまったが伊蔵の胃袋には「まだ若干の余裕」というものがありもう一杯食べる自信は十分にあったのだ。
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抹茶色の外壁の建物に暖簾が掛かる『太田屋』さんが見えて来た。午後二時近くとあってお店はお昼の休憩に入るところの様だった。暖簾をくぐって店内に入ると随分と綺麗なお店でテーブル席がいくつか並び店内の一番奥が厨房になっている。伊蔵は窓際の席へと腰を下ろした。この『太田屋』さんでは基本的な『伊勢うどん』を注文してみることに。店内は出汁をとるためなのか鰹節のと醤油の香りがほんのりと漂っていた。

ふと窓の外を見るとお店の大将と思われる方が片手に「おか持ち」を引っさげてスーパーカブで颯爽と出前に出かけるところであった。流石に慣れているらしく片手での運転でも無駄が無い動き。市内のどこかへと走り去って行った。
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しばらく待っていると太田屋さんの『伊勢うどん』(400円也)がテーブルに運ばれて来た。やはり小振りの丼に真っ黒な汁、太麺の上には葱がのせられているスタイル。太麺は『ちとせ』さんのそれより若干しっかりしている様に感じた。それでも普通のうどんに比べたらやはり相当柔らかい事は確か。

その太麺に汁を絡ませて早速頂いてみた。やはり思っていた通り汁の作り方については材料やその出汁の取り方でお店それぞれの個性が出るものらしく『太田屋』さんの汁は鰹の香りと風味がかなり引き立っているような感じがして『ちとせ』さんの汁とは明らかに異なっていた。汁の色はやはり真っ黒だが味はどちらかというと名古屋のきしめんの汁の味に近い感じがした。『太田屋』さん美味しい伊勢うどんどうもご馳走様でした。

胃袋に「若干の余裕」があった伊蔵も 流石に満腹(笑)身重の腹を抱えて『太田屋』さんの暖簾をくぐって外へ出た訳である。宿のチェックインが午後3時の予定なのでしばらく伊勢市街を歩きまわり消化を促さねばなるまい・・・・。<つづく>


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◆『太田屋』
・住所:三重県伊勢市岩渕1丁目10-23
・電話番号:0596-28-0546 
・営業時間:午前11時〜午後7時
・定休日:日曜日・祝日
・アクセス:近鉄『宇治山田駅』より徒歩5分





伊蔵の『お伊勢参り』/その11・伊勢うどん(ちとせ編)

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伊勢市街の西の外れから元来た道を歩き伊蔵は伊勢うどんの店『ちとせ」さんへと戻って来た。時刻は午後1時半前。お昼時の混雑もこの時間になれば解消されている頃だろう。お店の前に辿り着くと思った通り店内は空いているようだ。
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少々歩き疲れお腹も減っていた伊蔵は『ちとせ』さんの暖簾をくぐりガラリと戸を開けて店内へと入って行った。

店内はごく普通の“大衆食堂”的な雰囲気。座敷はなくテーブル席のみで外から想像していたより店内は広めだった。壁にはまるでお札のようなメニューがいくつも張り付けられている。『伊勢うどん』でも「肉」「月見」「山菜」「きつね」「山かけ」「かやく」「定食」など様々なバリエーションがあり注文出来るようだ。

店内にはご家族連れの観光客一組とご近所のおばあちゃん一人がテーブルに座って『伊勢うどん』を啜っているのみ。これはゆっくりと食べる事が出来ると分かりホッとした伊蔵は窓際の席に腰を下ろした訳である。お店の方もお昼時の忙しさからやっと開放されたと言った感じで『いらっしゃいませ。』という言葉尻から幽かな疲労感というものが感じられた。

伊蔵は基本形のシンプルな『伊勢うどん』を注文しようかどうか迷ったが結局玉子好きな伊蔵は『月見伊勢うどん』(500円也)を注文した。客席テーブルのひとつ壁の向こうで今まさに『伊勢うどん』が茹でられているのであろう。伊蔵の期待は高まるばかりであった。
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程なく小振りの丼に伊蔵が注文した『月見伊勢うどん』が盛られそれがテーブルに運ばれて来た!。パッと目に飛び込んで来るのはその真っ黒な汁である。それは限り無く濃い・・。『ちとせ』さんでは極上の「さしみ醤油」をベースに昆布や鰹から出汁をとる時間を合わせると三日間かけてこの汁を仕上げるという。その漆黒の汁に眩しいばかりに映える白い柔らかそうな太麺が浮かぶ。まさにモノクロの世界が丼の中に広がっている!その中で明るい色を添えているのはわずかながらに乗せられた葱のグリーンと玉子の黄身のイエロー。そのシンプルかつ色のコントラストがなんとも美しい・・・。

早速伊蔵は初めての『伊勢うどん』を口へと運んだ。その刹那また驚いた。麺にコシというものがあまり無いのである。『讃岐うどん』にみられる強烈なコシとは似ても似つかない。それは箸で簡単に両断出来てしまう程にフワフワとしていて柔らかい。一瞬(これは茹で過ぎなのではないか・・・?)と思うくらいであったがどうもこれが伊勢うどん独特の麺の特徴であるらしい。“うどん”の麺でこれ程柔らかいものを伊蔵は食べた事が無い。この麺に絡むのが真っ黒な汁なのだが思った程辛くはなくむしろ甘いのでどんどん食べれてしまう。

『伊勢うどん』の歴史は古いといわれているがどのくらいの歴史があるのかはさだかではないという。江戸時代前、この地方の農民が地味噌から出来た「たまり醤油」をうどんに少しかけて食べていたのが『伊勢うどん』の原形となっている。約360年前に浦田町橋本屋七代目小倉小兵が伊勢参りの参詣客相手にうどん屋を開業したのがはじまりだという。これを鰹節やいりこなどの出汁を加え、たまり醤油をのばして食べやすくしたものが現在の『伊勢うどん』の基本形。そしてそのうどんを『伊勢うどん』として初めて看板として掲げたのがこの『ちとせ』さんという訳だ。

伊蔵は丼の中に浮かんだ玉子の黄身を箸先で突つきその漆黒の汁に馴染ませて飲んでみた。これがまた甘い汁の味をさらにマイルドにさせ太麺にも絡んで非常にイケるのである(笑)

そうか・・これが『伊勢うどん』というものなのか・・・。日本各地の『饂飩文化』の複雑さにあらためて気付かされた伊蔵であった。『讃岐うどん』に見られる異常なフィーバーぶりようにこの『伊勢うどん』を伊勢市の活性化に上手く生かせないものかとも少しばかり思った。

伊蔵のとなりのテーブル席に陣取っていたご家族は丼の残り汁を飲み干してはいかなかったようだが伊蔵は結局その漆黒の汁を全て飲み干してしまった(笑)温かい『伊勢うどん』は確かに美味しかったがこれは“冷し”で頂いてもかなり美味しいのではないかと思う(ちとせさんでは夏のメニューとして『冷し伊勢うどん』も出している)。

『ちとせ』さんの『月見伊勢うどん』を完食した伊蔵はしばし店内でゆっくりと寛いでいた。まだ口中には幽かに甘い醤油味が残っており初めて食べた『伊勢うどん』の素直な美味しさに伊蔵は感動しつつその余韻に浸っていたのである。しかしながらさすがにうどん一杯では満腹感というのがいまいち。これはもう一杯食べる事が出来そうだ。折角なのでもう一軒別の伊勢うどん屋さんを“はしご”して訪ねてみようと急に思い立った。

『ご馳走様でした。初めて伊勢うどんを食べましたが美味しかったです。』
『それは有難うございます。よかったですね。』

伊蔵はお勘定を支払う時にお店の方に素直な感想を述べた。うどん屋名利に尽きるという感じでお店の方もとても嬉しそうだった。また伊勢に来る機会があったら立ち寄ってみたいと思う。『ちとせ』さん美味しい『伊勢うどん』ご馳走様でした!伊蔵は次なる伊勢うどん屋へと歩を進めたのだった。<つづく>


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◆伊勢うどん『ちとせ』
・住所:三重県伊勢市岩渕1-15-11
・電話番号:0596-28-3879
・営業時間:午前10:00〜午後7:00
・定休日:日曜日
・アクセス:近鉄鳥羽線「宇治山田駅」から徒歩3分



伊蔵の『お伊勢参り』/その10・さらに伊勢市を散策

『明倫商店街』出口を出て細い路地を通り抜けると伊蔵はまた近鉄宇治山田駅前の大通リに出た。宇治山田駅のそばに辺りの建物とは明らかに不釣り合いな程に古いお店が伊蔵の目に飛び込んで来た。
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“割烹”という看板を掲げているので飲食店には間違い無いがその建物から察するにかなりの老舗の料理屋のよう。そのお店の名前は割烹料理店『大喜』さんという。
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これは酒樽の底を利用しているのだろうか・・丸い大きな木製の看板に日本酒『剣菱』の商標と『寿司』『割烹』の文字と屋号が見える。むむむ・・・伊蔵はこの『大喜』さんの店構えに興味津々となってしまいしばらくお店の様子を観察する事にした。
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お店の入口に紺色に染め抜かれた暖簾が架かっていることから開店中であることには間違い無いようである。しばし観察していると年輩のお客さんが次々と入って行くのを見た。
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気軽に入る事の出来るお店なのか?・・・ふとお店入口を見ると「お品書き」が置かれているのを発見した。
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ふむふむ・・ランチ風の弁当などの品も出してくれているらしい。お値段もべらぼうにお高い訳ではないようだ。しかしながら伊蔵は昼食はいまだ食べた事がない『伊勢うどん』を食べる事にしていたのでここで『大喜』さんに入店する訳にはいかなかった。どうせなら夜だ!そうだ夜に立ち寄ってみよう。きっと美味しいお酒やお食事を饗して頂けそうな予感が伊蔵にはした。旅に出たならば地の美味しいものを食べねばという気持ちが強く働くもの。是非今晩訪れてみようと心に決めた伊蔵であった。

伊勢市駅付近にも寂れた商店街があった。
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随分小さな規模の飲食店街で歩くとすぐに通り抜けられてしまう。
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夜はそれなりにお店も営業しているのだろうが昼間の商店街はひっそりととても寂し気な雰囲気が漂っていた。
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次に伊蔵が向かったのは伊勢市街の西の外れにある『月夜見宮(つきよみぐう)』。上空から眺めるとほぼ正方形の土地に建つ神社である。正方形の土地の周囲には濠が掘られていて水がたたえられており、低いながらも石垣が見られるのでまるで平城のようだ。『月夜見宮』のへの入口は南に面していた。さてこれから『月夜見宮』へ足を踏み入れようとしたその時、伊蔵の携帯電話が突如振動を始めた。はたしてその相手はtakeさんであった。takeさんには出発前に伊勢に旅する旨をメールで発信しておいた為、電話が掛かって来る可能性は限りなく大なのであった(笑)

takeさん 『伊蔵くん、今どこだね?(笑)』
伊  蔵  『伊勢だて伊勢!歩いとるて(笑)』
takeさん 『おみゃ〜さんなぁ〜んでまた伊勢だね?(笑)』
伊  蔵  『なんでかねぇ・・』(なぜか菅原文太 声で)

などという会話から始まりしばらく『月夜見宮』の入口付近で話していた。takeさんからは“旨い物でも食べて来い”との激励の言葉を貰い携帯を切った。
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『月夜見宮』の神域にも立派な巨木が植っていた。神域内は訪れる人も少なくとても静かでとても街中にいるとは思えない。
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正殿の脇の小道を奥に進んでみると今にも朽ち果てそうな木の根元に小さなお稲荷さんの祠があった。なぜこの場所に稲荷が祀られているのかよくは分からなかったが・・・。
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さぁそろそろ時間的に頃合いもよくなって来た感じがするので伊蔵はお目当ての『伊勢うどん』を食する為、先程の『ちとせ』さんへと向かう事にした。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その9・明倫商店街にて

近鉄『宇治山田駅』前の道に架かる歩道橋上に伊蔵は立っていた。
フト西の方面を眺めるとかなり古めかしい佇まいの商店街の入口を発見した。
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『明倫商店街(めいりんしょうてんがい)』である。戦前から存在する商店街であるらしい。現在では名称が親しみを込めて『めいりん村』と改称されている。近鉄宇治山田駅前の立地とはいうもののその商店街は人通りも少なく随分とひっそりとしている。伊蔵は惹かれる様にその『明倫商店街』へと足を進めた。
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商店街と言うよりは“横丁”といった方が相応しい規模だ。道はクルマ一台分くらいの幅員しかない(当然クルマの乗り入れは出来ない)。その狭い道の両側にはびっしりと店舗が並んではいるが開店しているお店は少なかった。定休日という訳でもなさそうなのにこの静けさは一体なんなのだろう。これがいわゆる“シャッター通り”というやつなのか・・・・。
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衣料品店を中心に靴屋さん、薬局、酒屋、八百屋、喫茶店をはじめとした飲食店を見る事が出来たがどこもやはり閑散としている。
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バブル期前にこの宇治山田駅前を大規模に再開発する話が持ち上がっていたそうだがバブル崩壊後、再開発の計画そのものが消えて無くなったのだという。その後商店街の店は軒並み減少したらしい。そのまま開発が行われていたらよかったのか悪かったのかは分からないがとにかく昔の姿そのままでこの『明倫商店街』は現在まで残っている。この昔ながらの商店街を活性化させようと組合の方々が『伊勢の名所の一つにでもなれば・・』とその存続に懸命に頑張っているようだ。

伊勢市周辺には『明倫商店街』よりも規模の大きな商店街が存在するが閉店して空いているテナントも多くどこもそんなに活気というものがない。駅前にもかつてはジャスコ伊勢店、三交百貨店があったようだが現在では全て閉店している。伊勢神宮という日本屈指の名所のお膝元なのになぜこれ程までに寂れてしまっているのだろうか・・・。

いろいろ調べてみると、確かに伊勢神宮に訪れる観光客は年間に何百万人とはいるものの伊勢市に宿泊する人が殆どいないということが分かった。では観光客はどこへ泊まるのだろうか。その答えは伊勢市を通り越した先にある観光地、鳥羽や志摩の方へと流れてしまっているという事実。伊勢神宮を参拝し終わった後、泊まるのは鳥羽・志摩方面というツアーの図式が確立してしまっており、そのあおりをまともに受けてしまっているのが伊勢市という訳である。せっかく伊勢神宮に訪れる観光客がいるにも関わらずその人達を街に留まらせる術というものがこの街には無いのだ。
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伊蔵は『明倫商店街』の狭い路地を歩き続けていた。
その通りは結構複雑に入り組んでおり迷路のようだった。商店街を訪れるお客さんはまるでこの商店街と共に人生を歩んで来られたようなお年寄り達がやはり多い。また商店街にお店を出店している方々もまたしかり。今日は週末の土曜日なので平日の商店街の様子は分からないが、学生などの若年層はこの商店街を利用することがあるのだろうか・・・。もしお客さんが今見たようなお年寄りばかりだとしたらこの商店街は存続は危ぶまれるだろう。下手をすると消えてなくなってしまうかもしれない。商店街の組合の方々に頑張って欲しいと願わずにはいられなかった。
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明倫商店街をくまなく散策した後、商店街入口で心ない観光客が路上にタバコをポイ捨てしているのを見ていた人(きっと商店街の人なのだろう)がその吸い殻を腰を屈めながら拾い、くずかごに捨てている姿を見て伊蔵は心が痛んだ。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その8・伊勢市街へ

外宮を後にした伊蔵は伊勢市街を歩き回る事に。
小手調べに神宮参道の脇道を近鉄『宇治山田駅』方面へと進んで行った。
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至る所に伊勢の名物『伊勢うどん』の看板を掲げた飲食店を見る事ができる。伊蔵は今までこの『伊勢うどん』なる食べ物を食した事が無かった為、今回の旅を機にこれを食べようと旅に出る前に『伊勢うどん』を出すお店を5店舗ほどピックアップしておいたのである。
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伊勢市街には沢山の『伊勢うどん』を出す飲食店があるがその中で伊蔵が目を付けていたのがこの『ちとせ』さん。1917年(大正6年)の創業の老舗のお店だ。しかもこのお店は『伊勢うどん』という看板を最初に掲げた店として知られていて観光客のみならず地元伊勢でも人気の高いお店だという。『老舗』『元祖』という言葉に弱い伊蔵は旅の前に『ちとせ』さんには絶対に行かねばならぬという決意を固めていたのだ。

旅の前日に伊勢市街地図を予めプリントアウトし『伊勢うどん』の店の位置を書き込んで来たので道に迷う事は無い。程なく『ちとせ』さんを発見する事が出来た。
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しかし時刻はお昼時とあって店内はかなり混んでいるようであった。その証拠にお店の前には何台ものクルマが路上駐車されていた。この事から分かるようにお店の評判は確かなようである。『伊勢うどん』の看板を最初に掲げたお店というのもお店に来るお客さんは知っているらしく店外に掲げられた看板を携帯で撮影しているのを見かけた。ゆっくり『伊勢うどん』を食べたかった伊蔵は時間を外してから『ちとせ』さんを再訪する事にし、近鉄『宇治山田駅』方面へと向かった。駅は『ちとせ』さんから歩いて5分もかからない距離である。
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このレトロな近鉄『宇治山駅駅舎』は大阪府出身の建築家、久野節(くのひさお/1882〜1962)氏が設計し1931年(昭和6年)に完成した。
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その壮大な駅舎は完成当時では珍しい高架ターミナル駅だった事と伊勢神宮の最寄駅という事も手伝い『伊勢では電車も高天原に着く』と言われ別名『高天原駅(たかまがはらえき)』とも呼ばれたそうだ(高天原とは日本神話に登場する神々の住まう場所の事)。
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またこの近鉄『宇治山田駅』は天皇陛下をはじめとする貴賓客や正月の恒例となっている内閣総理大臣の伊勢神宮参拝の乗降駅として利用されている事でも有名である。これら貴賓客を迎える為、駅舎二階には貴賓室が設けられている(一般人は立ち入る事は出来ない)。戦前から建っている建物だがそのスケールの大きさは今でも変わらない。駅コンコースには明かり窓から陽が差し吹抜けの天井も高く柔らかな形の大きな照明が取り付けられていてそのレトロさ加減がなんともイイ。

大きな行事が無い時にはかなり閑散としているこの伊勢市だが伊勢神宮のお膝元としての歴史は古い。まだまだこの街には古いものが残されているようだ。伊蔵は近鉄宇治山田駅を後にして散策を続行する事にした。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その7・建築様式について

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伊勢神宮の社殿の建築様式は『神明造(しんめいづくり)』と呼ばれる。これは神社建築の様式のひとつである。茅葺きの切妻屋根で破風が屋根を貫く形で『千木(ちぎ』が角の様に突き出し、棟の上には円筒型の『鰹木(かつおぎ)』が並ぶ。神殿入口は屋根に対し平入りで中央に位置し、周囲に高欄を設けてあるのが特徴。
特に伊勢神宮正殿は『唯一神明造』(他に類例のない純粋な神明造りの意)と呼ばれ、他の神社建築とは区別されており、この建築様式は伊勢神宮正殿にしか用いる事が許されていない。
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この簡素で美しい建築のルーツは古代の穀物倉庫である「高床式倉庫」である。多くの主たる古代文明は「農耕」に根ざして発祥したといってよく、農耕に欠かせない太陽を恵みの神と崇める例は日本だけではなかった。太陽神の恵みである生活に重要な穀物を納める倉庫を“神の宿る住まい”としたのも何となく頷けるものがある。
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伊勢神宮内宮と外宮の各建築物は同じような形をしているものの細部を観察すると数々の相違が見られる。まず外宮の『千木』(屋根から突き出た角のような部材)の先端は地面に対して垂直に削ぎ落とされている(外削ぎ)が、内宮の『千木』は地面に対して平行に落とされている(内削ぎ)。また屋根の上に載せられている円筒形の部材『鰹木』の数も内宮は10本、外宮は9本と異なっている。
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一般に千木が外削ぎで鰹木が奇数本の場合は男神、内削ぎで鰹木が偶数本の場合は女神が祀られている場合が多いのだが外宮に祀られている『豊受大御神』は女神であるのにかかわらず外削ぎ・9本であり前述の法則は当てはまっていないのである。これは何故だかはよく分からない。

派手な塗装や無駄な装飾は一切無い質素でシンプルなこの日本古来の建築物は実に目に美しく映るから不思議だ。この心を打つ美しさは日本人のみならず外国人にも絶賛されている。特に豪華で華麗な神殿や教会建築ばかり目にしている外国人にはこの伊勢神宮の社殿の数々はそれとは別の美しさというものを余計に感ずるらしい。

日本人である我々はこういう文化や建築技術を『遷宮』という形で連綿と受け継いで来た先人達に感謝しつつこれを日本の誇りとしなければならないだろう。
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伊蔵は一通り外宮を回り終えたので伊勢市街を歩き回る為、神域を後にする事にした。そろそろ腹も空いて来たし(笑)しばらく堅いレポートが続きましたが次回はいよいよ伊勢市街歩きの様子を書き記したいと思います。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その6・遷宮について

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御正殿のすぐ隣には『古殿地』と呼ばれる空き地がある。その広さは現在御正殿が建っている敷地に等しい。この空き地は次の“式年遷宮(しきねんせんぐう)”の際に新しい御正殿が建つ場所なのである。遷宮とは特に伊勢神宮の『神宮式年遷宮』の事をいう。20年毎に正殿をはじめ別宮等の社殿や鳥居、装束、御神宝に至る一切を造り替えて新しくする事である。この為、伊勢神宮の神域内にある各社殿の敷地の脇には必ず同じ広さの敷地『古殿地』が設けられている。

『古殿地』は砂利が敷き詰められた広大な敷地で遠くの方に小さな小屋のようなものが建っている(一番上の画像参照)。これは『心御柱覆屋(しんのみはしらおおぎや)』と言われるものでこれを正殿の中心として社殿が建てられる。この『心御柱覆屋』の中には神が宿る御柱(神は一人、二人ではなく一柱、二柱というように数える)が埋められている。
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遷宮の制度は今から約1,300年前の天武天皇の時に定められ、持統天皇の時(西暦690年)に第一回目の遷宮が行われた。遷宮は戦国時代に一時中断された事もあったもののその後20年毎に連綿と続けられ平成25年には第62回目の式年遷宮が行われる事になっている。すでにそれに向けての様々な行事が始まっているそうだ。
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なぜ20年毎に遷宮を行うのか。日本神話の話の時にも書いたが神道では『穢れを祓う』という精神がありこれが神宮の各社殿の建て替えの理由のひとつといわれている。『穢れ』は神の生命力を衰えさせる。それを防ぐ為、20年に一度穢れた全ての物を一新し新たな社殿に神をお移しする事により神の生命力を常に若く新鮮にそして永遠に持続させるのが遷宮の大目的である。世界のどの神殿建築でもこのように建て替えをするような例は無く、世界的に見てもこれは日本民族独自の行事であり稀有な神殿建築が伊勢神宮なのだ。

しかしこの『遷宮』には巨額な金がかかる。
前回の平成5年の第61回式年遷宮で掛かった総経費は300億円を軽く越えている。その費用は国民の浄財で賄われているらしい。建築費は勿論の事だが社殿を建てる巨木の育成とその調達や建築技術継承に掛かる経費は計り知れない。

今まで建っていた社殿に使用されていた木材は表面を削り直して橋や鳥居の材料や修繕の材料として再利用されるのだが、わずか20年で全ての社殿を建て替えるのはちょっと勿体無いような気がする。しかしコツコツと20年毎に遷宮を行なって来た事で古代建築が昔の姿そのままの姿で残されて来た訳だし、その古来からの建築技術が絶えまなく現代まで継承されている事を考えると長い目で見ればあながち勿体無い事ではないといえるだろう。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その5・参拝

豊受大神宮(外宮)御正殿の鳥居をくぐり伊蔵は賽銭を投げ込み神社での一般的な神拝方法で参拝を行った。いわゆる「二拝・ニ拍手・一拝」という方法だ。しかしこの伊勢神宮での正式な神拝の作法は『八度拝・八開手(はちどはい やひらで)』とされる。これは日本古来のもので最も丁重な神拝作法といわれている。つまり拝を八度行い八回柏手を打つ作法である。

また『出雲大社』と『宇佐神宮』に限ってはこれまた特殊な作法がありこちらは『二拝・四拍手・一拝』となっている。これには意味があり、古来から信じられていた「怨霊信仰」や「言霊信仰」といった事で説明がつけられるとされるのだが長くなるのでここでは省かせて頂く。
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実際のところ御正殿前には参拝者が殺到しているので八度も礼をして八回柏手を打っている余裕というものが無い(笑)伊蔵はしばし神に祈りを捧げつつ早々に鳥居の外へと引き上げたのであった。
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『神』という存在は民衆ひとりひとりの願い事や物事に干渉し、いちいちそれらを細かくチェックして願望を叶えて下さるようなそんな小さな存在ではないと伊蔵は常々考えているので本気では祈らない罰当たりな人間だが、しかしながらこういう大神宮に参拝すると一瞬なりとも敬虔な気分にひたる事が出来、常日頃の自分の行いをゆっくりと振返り反省する事が出来るような気がする。行き過ぎた信仰は下手をすると自分の生き方全てを歪めてしまう事が多々ある事は過去の事件、出来事でもわかる事だが、忙しい日常にあたふたしながらもこういう自分を振返る時間をたとえ一瞬でも持つ事は人間にとって必要な事なのかもしれない(やり方は人それぞれあるだろうが)。
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『神』にどんな願い事をかけようとも叶う叶わないは“ようは自分次第”という事だ。『神』はそこまで人間一人一人の事には干渉しないもっと大きな存在なのだ。ただ人智を超えた大きな存在だけに我々人間どもの小さくて拙い願望の少なくとも「ヨリドコロ」にはなってくれている様な気がする。だからこそ今日も多くの参拝者がこの場所に訪れているのだろう。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その4・外宮にて

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外宮(豊受太神宮)に辿り着いた伊蔵。表参道に架かる『火除橋(ひよけばし)』を渡ると正面に『一の鳥居』が見えて来た。一の鳥居の脇にに手水舎があり参拝者はここで水によって心身を清める。伊蔵も両手と口をすすぎ外宮の森の中へと進んだ。伊勢市駅からこの外宮まで神宮参道を歩いて来たが今日はとても天候が良く汗ばむほど暖かかったという事はすでに書いた。
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しかし神宮の神域の森へ一旦足を踏み込んでみるとかなり涼しい事に気が付く。ス〜っと汗が引いて行くとでも言おうか。神宮の巨木が強い日射しを遮っているからなのだろう。だが神域に身を置いている事もありただ単にそれだけの理由で涼しいという事でも無い様な気分にさせられる不思議な感覚に襲われた伊蔵であった。
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涼しく静かな森の中をしばらく進むと『二の鳥居』が姿を現わした。外宮は内宮とは違い規模が小さいのでこの二の鳥居を越えれば『御正殿』まではもうすぐである。広大な参道には参拝客達がいたが想像とは違いかなり人出が少なく感じた。お昼が近い事もあって団体客の参拝ツアーのスケジュールが内宮の方に絞られているのかもしれない。内宮の方が圧倒的に観光地化が進んでいるからである。
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伊蔵は外宮御正殿前に辿り着いた。この御正殿に天照大御神の“食事係”である『豊受大御神』が祀られている。板塀の内側での撮影は禁じられている為、板塀の外では至る所で記念撮影が行なわれていた。
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御正殿前の鳥居のそばにはこれまた立派な巨木が植っており圧倒される。これら巨木に囲まれて鎮座する御正殿はまさに神の住う家というに相応しい神々しさを漂わせていた。伊蔵は参拝の為、御正殿の鳥居をくぐる事にした。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その3・日本神話について

『神宮参道』を歩いて来た伊蔵は内宮方面へと通じている大きな道路『御木本道路』の横断歩道を渡り、『豊受大神宮(とようけだいじんぐう)』つまり外宮の表参道へと入って行った。豊受大神宮の御祭神はその名が示す通り『豊受大御神(とようけおおみかみ)』という食物・穀物を司るとされる神さん。現在では広い意味で産業の守護神としてあがめられている。豊受大御神 は元々千五百年前に『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』の食事を司る神さんとして丹波国からこの伊勢(山田)の地へと迎えられ外宮が建てられた。
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天照大御神は女の神さんとして知られている。
どうやら自分一人では食事も満足に出来なかったらしく時の天皇である『雄略天皇(ゆうりゃくてんのう』の枕元に現れ

『私の為に丹波から食事係を呼び寄せなさい』

と言われた事で豊受大御神 が呼び寄せられた。いわば豊受大御神 は 天照大御神専用のシェフという役割を担う事になったのである(伊勢神宮外宮社伝/止由気宮儀式帳)。う〜む食事が一人で出来ないからといって専用のシェフを呼び寄せて食事を用意させる 天照大御神・・・なかなか 強引な女神である。

日本神話として広く知られている『古事記』や『日本書紀』だがその中で伊蔵が知っている話はほんのわずか。知っているのは伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の『国生み』の話や、アマテラスの『岩戸隠れ』の話、スサノオの『ヤマタノオロチ退治』の話、ヤマトタケルの『熊襲(クマソ)征伐』の話、『因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)』の話など結構みんなが知っているような有名どころの神話でしかない。一度じっくり読んでみるのも面白そうなのだがなにせ神様が沢山出て来るので非常にややこしそう(笑)

伊蔵の日本神話でのトラウマとなっているのはやはり黄泉国(よみのくに)での『伊邪那美(イザナミ)』。『伊邪那岐(イザナギ)』の妻だ。
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神話の神の中で初の夫婦神と知られている二人で日本列島を作ったとされる(国生みの話)。二人は様々な神を生んだが“火の神”を生んだ際、女陰に火傷を負ったイザナミはこれが元で死んでしまい黄泉国(よもつくに/死者の国)へと旅立ってしまう。悲しみに暮れた夫のイザナギはイザナミにもう一度逢いたいが為に黄泉国へ出掛ける。この辺りは神様なのに妙に人間っぽくて面白い(笑)

さて黄泉国で イザナギはイザナミの懐かしい声を聞く。しかしイザナミはなぜか自分の姿を決して見ないで欲しいとイザナギに言うのだがそこは愛する妻の声だけではどうしても我慢しようがないイザナギ、自分の欲望に負けて見ちゃったんだなこれが(笑)この気持ちは男なら誰でも分からんでもないだろう。

しかし見てはいけないと言われた約束を破ってイザナギが目にしたのは腐敗した身体に蛆虫がわき八人の雷神がまとわりついている変わり果てたイザナミの恐ろしい姿であった・・・

この姿に驚いたイザナギは一目散に黄泉国から逃げるが自分に恥をかかせたと怒ったイザナミは追い掛けて来る。地上の世界と黄泉国との境まで来た時、イザナギはイザナミに対して離縁を求めた。しかしイザナミは

『あんたの国の人間達を一日千人殺したる!』

と離縁の条件を付けた。これに対してイザナギは

『おみゃ〜さんがそうするならオレは一日に千五百の産屋を建てたるわ!』

と言った。これにより人間の死や寿命というものが決まったという。
これが黄泉国の神話の簡単なあらすじ。この神話を伊蔵は子供の頃に読んだが黄泉国でのイザナミの腐敗した身体の描写にすっかり参ってしまい日本神話と聞くとどうしてもイザナミを思い出してしまう様になってしまった。

前述の話の続き。黄泉国から逃げ帰ったイザナギは穢れ(けがれ)を祓う為に水で禊ぎをした。その時三人の神が生まれた。

左目を水ですすぐと『アマテラス(天照大御神)』が右目をすすぐと『ツクヨミ(月讀)』、鼻をすすぐと『スサノオ(建速須佐之男)』が生まれたという。これを『三貴紳』という。イザナギはこの三神に対してアマテラスには「高天原」、ツクヨミには「夜」、スサノオには「海」の統治を任せる事にした・・・

日本の神話に関わらず世界各国の神話は何らかの事実(自然現象や先住民族に対しての征服戦争等)に基づきそれを正当化もしくは神格化したりさらにイメージを膨らませ国情や宗教等に合わせて童話化・伝説化したものが多い。単に神話をそのまま読むのではなくその影にある事実を想像し当てはめながら読んで行くのことは面白い(実際はかなり大変だが)。神話に基づいたへんてこりんな学説が非常に多いのもこの為だろう。

古代の人々の神話を造る際の想像力というのは素晴らしいといわざるをえない。<つづく>




伊蔵の『お伊勢参り』/その2・神宮参道〜外宮へ

無事に伊勢市へと辿り着いた伊蔵。まずは神宮参拝の順序にしたがって伊勢神宮外宮(げくう)を目指して駅前から延びる『神宮参道』を歩く。現在ではこの参道のもう一本北側に立派な国道が同じように外宮へ通じているが歩くならば昔ながらの細い参道をお薦めしたい。さすがに昔からの外宮参りの参道だけに道の両側に立ち並ぶ老舗旅館や土産物屋、飲食店には歴史というものが感じられる。中でも圧巻なのが参道沿いの老舗旅館『山田館』さん。
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木造三階建てのその建築物はまるで伊勢の町を神宮と共に見つめ続けて来た枯れ果て年老いた老人の様だ。この旅館には約100年の歴史があるのだという。現在の館主さんで四代目を数える。
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この老舗旅館の名前の由来はこの辺りが伊勢市になる前の地名である“宇治山田(うじやまだ)”の「山田」からきている。そもそも地名の“宇治”とは神宮の内宮領、“山田”とは外宮領を差していたのだそうである。宇治山田市という地名そのものは消えてしまったものの近鉄の駅名や付近の学校名などにその名が残っている。

外宮へと続く『神宮参道』はかなり閑散としていて歩く人もまばらだった。内宮の賑わいとは全く違い少々寂れてしまっているように感じた。この参道にはかつて市電が走っていたらしい。その頃の参道はかなりの賑わいをみせていたようである。
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伊勢市の駅周辺の様子も人通りも少なくかなり静かな町という印象が強い。内宮周辺に見られる『おかげ横丁』などに代表される大規模な観光地化がこの外宮周辺では行われていないのが町の印象を閑散とさせている原因だろうと思うのだが、しかしただ観光客を引き付け土産物を売り捌くだけの観光化やどこかわざとらしいレトロチックな町並演出は伊蔵は好きではない。この外宮周辺は確かに寂れてはいるがどこかにきっと良い部分があるはずだ。伊蔵は今回それを歩いて探してみたいと思っている。
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『神宮参道』を歩く伊蔵の前方に鬱蒼とした森が見えて来た。『外宮(げくう)』の森である。伊勢市駅前から神宮参道を真っ直ぐに歩いて来たがあまりの陽気の良さに汗ばむ程だった。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/その1・伊勢市へ

伊勢市は三重県の南東部に位置する都市で『伊勢神宮』が鎮座する場所という事から別名『神都(しんと)』とも呼ばれる。名古屋市からは『近鉄(近畿日本鉄道)』を利用するのが最も便利で早い。“竹下景子化”(彼女は近鉄のCMに出演している)した伊蔵は近鉄特急に乗るべく特急のチケットを購入する為に窓口へと急いだ。

窓口には行列が出来ていた。まだ午前9時台だったが近鉄を利用してどこかに出掛けようとする人達はかなり多いようだ。伊蔵は午前9時50分発の鳥羽行きの特急に乗る事になった。目的地の『伊勢市駅』には午前11時12分に到着予定。ざっと1時間半の電車の旅となる。昨晩はほとんど寝ていない伊蔵にとってこの電車での旅は心地よい睡眠時間を確保してくれそうである。
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濃紺とオレンジ色のツートンカラーが何だかスズメバチを思わせる近鉄特急の車両に伊蔵は乗り込んだ。ゆったりとした窓際の席に座り一息。これから始まる旅の事を考えると眠たいはずなのになかなかすぐには眠る事が出来なかった。そして午前9時50分、鳥羽行きの近鉄特急は定刻通り『近鉄名古屋駅』の地下ホームを滑るようにゆっくりと走り始めたのだった。近鉄を利用するのは昨年大阪に出掛けて以来の事。ついこの間の旅だと思っていたが随分時が経っている事に気が付いて改めて驚く。

しばらく窓際の席から外の流れ走り去る景色を見ていた伊蔵は『桑名駅』を過ぎた辺りからいつしか眠りに落ちてしまった。心地よい電車の振動を揺りかごに伊蔵は眠り続けた。気が付くと列車は『津駅』付近を走っていた。そんなに長い時間眠っていたわけではなかったが随分と深い眠りを満喫出来た感じだった。電車は三重県内をさらに南下、向かって右手には青山高原の山塊、前方には志摩半島一帯の山々が遠望出来る。

松阪牛で有名な松阪市を通過すれば目指す伊勢市はもうすぐ。伊蔵の電車の旅ももうそろそろ終わりだ。電車は程なく時間通りの午前11時12分に『伊勢市駅』へと到着した。近鉄伊勢市駅とJR伊勢市駅は東西で隣接しており、東側が近鉄、伊勢神宮外宮に面した西側にJRの駅舎が配置されている。駅のホームに降り立った伊蔵は一旦階段を上がり線路を跨ぐ高架橋通路を歩いて西口であるJR伊勢市駅側へと向かった。
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後で分かった事だがこのJR伊勢市駅の駅舎に比べて近鉄の伊勢市駅駅舎はとても特急列車が停車する駅とは思えない程に貧弱な駅舎であった。どちらかというと伊勢の表玄関はやはりJRで裏口は近鉄側と言えなくもない。
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JR伊勢市駅のロータリーには伊勢神宮を参拝する観光客目当ての黒塗りタクシーが無数に停車していたが案外乗車する人が少ないようで運転手達は暇を持て余している様であった。また

『ようこそお伊勢さんへ』

と大きく墨文字で書かれた大きな灯籠も駅舎脇には建っていて伊勢神宮のお膝元らしい演出がなされている。このJR伊勢市駅前から真っ直ぐに延びる道路が『神宮参道』になっていて伊勢神宮の『外宮(げくう)』へと通じている。伊蔵は伊勢神宮参拝のしきたり通りに外宮を先に参拝してから明日『内宮(ないくう)』に参拝するという風に決めていた。今日はこの伊勢市駅周辺を1日中歩いて回ってみようと思う。果たしてどんな発見が待っているのだろうか。<つづく>



伊蔵の『お伊勢参り』/序章

伊蔵は近頃『旅』に餓えていた。
今年に入ってから何かと忙しくブラリと出掛ける事がしばらく無かったからだ。やっと仕事の忙しさも落ち着きをみせはじめた為、連休を利用して三重県の伊勢を巡ってみようと思い立ったのである。

出掛ける場所はどこでも良かったのでいくつかの選択肢があったが伊蔵自身、伊勢に出掛けるのは随分と久しぶりである事や今年が『前厄』の年にあたっている事もあり神社の『大親分』である伊勢神宮に参拝し『厄落とし』が出来れば良いと思った事、伊勢の町を歩いて廻って美味しいものを食べてみたいという想いで全く突発的に伊勢行きが自分の頭の中で決定したのだ。

突発的に決まった為、伊勢での宿を出発前日にネットで予約した事でも慌てぶりが分かる(部屋が見つかってよかったが・笑)。無事に予約が出来てとりあえず宿の心配は無くなったのだが出発の前日に伊蔵が以前に勤めていた会社の飲み会に参加する予定が入っており飲み会で飲み過ぎてしまう自体になれば旅に差し障りが出てしまいそうなのが少々気掛かりではあった。

出発前日の晩、心配していた事が現実となってしまった(笑)
久しぶりに会う元同僚達と味わうお酒の味とその楽しさはこれまた格別であり、伊蔵はお酒を飲まずにはいられなかった。一次会・二次回のカラオケ・〆のラーメンまで付き合ってやっと会社に辿り着いたのは午前3時半であった・・・・当たり前だがもう出発までわずかの時間しかない(笑)

数時間といえど寝ておかねばと思い会社の椅子の上で眠りについたのだった。しかし朝は思った以上に早くやって来た(当たり前だ・笑)椅子の上では熟睡も出来るはずがなく、顔を洗い歯を磨き終わってから午前7時半には会社を出て昔から馴染みの喫茶店へ向かいモーニングを注文。熱いコーヒーとパン、ゆで卵で朝食を済ませた。ここで一度自宅に戻ってから改めて出直そうとも考えたがここはこのまま伊勢に向かう事にした伊蔵。歩いて名古屋駅へと向かった。幸い天気も良く絶好の旅日和という感じだ。<つづく>



岩倉/五条川の夜桜見物

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先週はじめ、仕事が早めに終わったので電車を岩倉駅で途中下車し五条川の夜桜を見に行ってみた。五条川の川沿いには約千本もの桜が植わっておりこの季節には大変な賑わいをみせる事でつとに有名な桜の名所。伊蔵はこの有名な桜の名所の昼の姿は何度も見た事があったのだが夜桜を見るのは今回が初めての経験なのだった。新聞報道によるとこの時期は午後9時まで五条川はライトアップされ満開になった夜桜を楽しめるという。

名鉄『岩倉駅』の東口から徒歩5〜10分程歩けば五条川のほとりに達する事が出来る。駅からの途上にある商店街ではこの桜を見物する多くの人達を目当てにいつもより遅く店を明けている店舗を何軒か見かける事が出来た。暗い夜道を歩いて行くと前方がふいに明るくなって来た。夜桜のライトアップと夜店の明かりだ。
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初めて見る岩倉の五条川の桜まつりは予想通り大変な賑わいを見せていた。岩倉駅付近の閑散とした街とは違いこの川沿いのみに人が一極集中している光景は何だか一種不思議な雰囲気をかもし出している。この時期に限っては岩倉市の人口はかなり増加している事だろう。
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夜の冷え込みにも関わらず夜桜を見物する人の数に驚きつつも伊蔵は五条川沿いに作られた遊歩道を上流に向かって歩いた。数多くの夜店が立ち並び盛んに見物人に声をかける露店商達。祭りならではの光景だ。見物人も河原近くに降りて夜店で手に入れた焼きそばやお好み焼き等を食べている。五条川沿いに建つ民家のガレージではゴザを敷いて宴会を行っている様子も見られた。
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この晩、五条川の桜はほぼ満開の状態で桜の木は見事に咲き乱れ綿菓子の様にモコモコしていた。伊蔵の様にデジカメで桜を撮影する見物人もいれば携帯でパシャリと撮影する人もいる。なかなか夜桜の撮影は難しく実際の美しさを表現する事は困難。この美しさは実際に現地に行って見た方がよっぽど感動するだろう。
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岩倉の街の商店街の皆さんもこの『桜まつり』の時期は忙しくて大わらわの状態だ。皆で協力して街を盛り上げようと頑張っている姿はなかなかパワフル。しかし桜はパッと散ってしまうのでこの岩倉の街がこれほど賑やかなのはほんのわずかの期間だけなのがなんだか少し悲しい事ではあるが・・。
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伊蔵は結局五条川を1時間程かけて歩き回り駅方面へ向かって帰る事にしたがまだまだ見物人の夜桜見物は長々と続きそうだった。
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※今回の記事で『伊蔵通信』もおかげさまで更新500回目を迎える事が出来ました。長々とした文章をいつも読んで下さっている方々に厚く御礼申し上げます。有り難うございます。これからもコツコツと記録していきたいと思いますので応援の程を宜しくお願い致します。   伊蔵




春の食材を堪能!

『飛騨の春の食材』を自ら現地へ赴き仕入れて来たというtakeさんからの連絡を受けて伊蔵は金曜日の晩にお店に出掛けた。店内にはすでに先客が居た。友人の『たいがぁ氏』とその友人『Nさん』の二人だ。すでに二人ともご機嫌な様子(笑)伊蔵もこの二人に会うのは久方ぶり。楽しいひとときを過ごせそうだ。
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takeさんのお店のカウンターの片隅には飛騨で仕入れたらしい立派なシイタケが一箱置かれていてその肉厚な勇姿を芳香を漂わせつつ鎮座していた。人工栽培したものではなく原木に生えた天然ものとの事。網焼きして醤油をチョロっとかけて食べればさぞかし美味しいだろう。これは楽しみだ。
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海の食材も用意してくれた。それは『めかぶ』。めかぶはワカメの根の付近の襞状になった部分の事。ワカメの増殖の役割を果たしている生殖帯で葉や茎の部分よりもアルギン酸、ヨード、カルシウムが多く含まれているという。表面はヌメリがある。このヌルヌルの主成分はアルギン酸やフコイダンと呼ばれる水溶性食物繊維。最近特に注目されている栄養素で食べると糖尿病、ガンなどの予防にも効果があり身体に役立つ成分といわれている。また「めかぶ」は海水中の栄養分であるビタミン・ミネラルを十分に吸収しているので別名『海の野菜』とも呼ばれている。めかぶは食べてみるとしっかりとした歯応えがあり磯の香りがした。

今夜は大変有り難い事に伊蔵の料理のリクエストにtakeさんが応えてくれた。その料理とはまさに春の食材である『土筆(つくし)の玉子和え』である。
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この料理は伊蔵にとってはまさに「お袋の味」とも言える料理。伊蔵の地元では昔は山が多くいたる所の土手にはこの時期にツクシが顔を覗かせていた。それらを家族や近所の友達等と取って来ては家でお袋が『玉子和え』を作ってくれたのだ。今ではわざわざツクシをいちいち土手に取りに行って手間のかかる下拵えをして料理する家庭は随分と減っているだろうし、ツクシを食べるような子供も多くはいないに違い無い。
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このツクシをtakeさんは『柳川鍋風』に仕上げて出してくれた。ツクシの頭の部分もそのまま使っているので少々の苦味はあったがそれ程でもなく逆にその苦味が美味しい。実に懐かしい素朴で懐かしい料理であった。

そんな春の食材を堪能していると次なるお客さんがお店に入って来た。最近知り合った『おれんぢさん』(なぜかtakeさんのお店では“りんご君”と呼ばれている人物)である。おれんぢさんに引き続き現れたのは『Uさん』。少し遅れて『しぶさん』も登場!おれんぢさんもしぶさんも全てUさん繋がりの方。今夜のお客は非常に多い(笑)大変賑やかな夜となった。
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次に出て来たのは飛騨といえばコレという『飛騨牛の霜降り肉とハツ(心臓)』。刻み山葵と玉葱のスライスを乗せて醤油を付けて頂く。新鮮な飛騨牛というのはとても美味しい。今回の飛騨牛は『A4級』というランクのもので申し分無い味。ハツも刺しにしては全く臭みというものは無くむしろ噛めば噛む程に旨味が出て来る感じ。ちょっと驚きの味だった。
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お次はこれまた春の食材の代表格『フキノトウの天麩羅』。こいつも文句無く旨い!絶妙な塩胡椒加減にフキノトウのほんのりとした苦味が効いていてビールやお酒のツマミに非常に合うのだ。

あまりの『春の食材』のオンパレードに今夜のお客はいつしか壊れていたのかもしれない・・・伊蔵も例外ではなく飲み過ぎてしまった。『おれんぢさん』の

『あ〜カラオケ行きたいなぁ〜』

の一言で一同雪崩のようにカラオケボックスに乱入する事になってしまったのである(笑)この辺りから伊蔵の記憶は断片的に失われている。しかしデジカメの撮影記録は正直で酔っていて撮影した為か大部分がブレてはいたが記録として残っていた。こんなに飲んだのは随分久しぶりだ。自分の酔い振りに少々大人げなさを感じたが「春だしまぁいいか・・・」などと妙に納得し改めて楽しい夜だったと思いつついつの間にか泥酔していた伊蔵であった。






プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。某チャットの住人。血液型:B型

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