2008-05

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『遠州浜松』への旅/その6・浜松城へ・後編

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伊蔵は『浜松城天守閣』の東側に設けられた石段を登り城の内部へと進んだ。入場料は大人150円だ。内部は城というより資料館に近く普通の現代建築で少し残念。岐阜城や小牧城などの内部もこんな感じだ。

浜松城内では徳川家康の生い立ちと浜松城の歴史や甲斐の『武田信玄』との『三方ヶ原の戦い』についての紹介や武具の展示や城下町の紹介等が分かりやすく展示されていた。『三方ヶ原の戦い(1572年・元亀3年)』とは徳川家康の生涯において最大の負け戦としてよく知られている合戦である。

『桶狭間の戦い』で敗北した駿河の今川氏が衰退すると三河の徳川家康と甲斐の武田信玄は時を同じくして駿河に攻め入りこれを大井川を境にして領地を二分する事になった。家康にしてみると元々の自領であった三河の他に遠江(とうとうみ)と駿河の西半分を手に入れ勢力も広がった訳だが大井川という川を挟んで戦国最強と謳われた武田家と隣り合わせの形になったのである。いつ武田に攻め込められるかも分からないのでこれは落ち付かない。逆に信玄にしてみればやっと海に面した土地を手に入れた事で上洛への足掛かりを得た形となったのである。

やがて天下への野望に燃える武田信玄が上洛へ重い腰を上げた。
大軍を率いて遠江に攻め入って来たのだ。この時、家康は浜松城で篭城の構えをとっていたがそんな浜松城をまるで無視するかのように信玄は悠々と浜松城の北方を西上して行くのだった。これを見た家康は家臣が制止するも討って出る事にした。この頃の家康は若かったといわざるをえない。まんまと信玄の挑発に乗った家康は浜松城の北方の『三方ヶ原(みかたがはら)』で少ない軍勢で信玄と戦う事になった。結果は当然ながら徳川方の大惨敗。
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三方ヶ原の戦場から命からがら浜松城に戻った家康は恐怖の余り馬の鞍の上で脱糞していたという。城へ戻った彼はこの戦いでの惨敗を教訓として心に刻んでおくだけでなく、負け戦で逃げ帰って来た情けない自分の姿を絵に描かせ生涯この敗戦を忘れぬようにしたという。一方戦いに勝利した信玄はそのまま上洛するかに見えたがこの戦いの後すぐに病死してしまい彼の天下への野望はその途上で絶たれたのである。
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伊蔵は浜松城の天守閣からその戦いが行なわれたであろう北の方角を眺めて若き家康が何を想ってわざわざ無謀な戦いを信玄に挑んだのだろうかと考えた。若さ故に自分の領地を我がもの顔で通り過ぎる信玄をそのまま見逃す事が出来なかったのかもしれないし、同盟を結んでいた尾張の織田信長への同盟者としての役割と責任や気兼ね、恐れもあったのかもしれない。

戦国最強の軍団甲斐の『武田家』と自分を今川家の人質生活から解放してくれた恩人である同盟者の尾張の新興勢力『織田家』との間に挟まれた形の若き家康の苦悩・・・。

『男なら危険をかえりみず死ぬと分かっていても行動しなければ時がある。負けると分かっていても戦わなければならない事がある。』

と言ったのは、かの『キャプテン・ハーロック』だが当時の徳川家康もあるいは同じ気持ちだったのではあるまいか・・・と何となく思ってしまった伊蔵であった(笑)
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天守閣そのものの規模は小さいながらも浜松城にはスケールの大きな歴史というものが刻み込まれていた。徳川家康の出世は武田信玄に対して屈辱的な大敗北を喫した事に端を発していたのだ。それを生涯の教訓としながらその後も数々の困難な人生を地道に気長にコツコツと努力して晩年になってついに彼は天下を手中にしたのだった。まさに“我慢と努力の人”と言えよう。<つづく>



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『遠州浜松』への旅/その5・浜松城へ・前編

『あつみ』さんで浜松の美味しい鰻を堪能させて頂いた伊蔵が次に向かった先は『浜松城』。浜松にはこれまで数える程しか足を運ばなかった為にこの城を見るのは今回が初めての事。『あつみ』さんから『浜松城』まではしばらく歩かねばならない。

『あつみ』さんのお店があるモール街を北に向けて歩く。
右側にかつて浜松を代表する百貨店であった『松菱』左側には複合商業施設『ザザシティー浜松』の巨大な建物がモール街の両側を固めていた。これらの建物を抜けると鍛冶町の大通りが東西に延びている。この辺りが浜松市でも一番の賑わいをみせる地区になっているようだ。

この広い鍛冶町の道路を渡るとその先にはモール街とはまた別の繁華街が北へと延びていた。肴町、田町を南北に貫くこの通りは『アルコモール有楽街』という若者向けの飲食店やショップが建ち並ぶ繁華街である。
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なかなか綺麗な繁華街で道も石畳風のレンガで敷き詰められている。道沿いには数々の飲食店やカラオケ店、ゲームセンターなどがあり大変賑やかだ。明日の晩に伊蔵が予約を入れてあるお店も実はこの繁華街にある。お店の場所はこの時に確認しておいた。

さらに北へと向かうと旧東海道へぶつかった。これを越えてさらに北へと歩き、『池町交差点』で方向を変えて西に進むと浜松市役所が見えて来る。ここまで来れば目指す『浜松城』はもうすぐである。『市役所前交差点』でまた北に方向を変えてしばらく歩くと市役所脇に細い道があった。浜松城へ向かう道らしい。伊蔵はその道を進んでみる事に。
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城の案内板があったので見てみると今伊蔵のいる場所は浜松城の二の丸辺りになるようだ。城の近くまで来れば天守閣が望めるとばかり思っていたが見る事がなかなか出来なかった。

浜松城の本丸へと進む坂道を伊蔵は登って行った。
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坂道の途中で浜松城に残る荒々しい石垣を観察する事が出来た。坂道を登り切るとそこは本丸御殿のあった場所である。しかし現在はただの広場になっていて何も残ってはいない。
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本丸の広場の片隅に銅像が立っていた。『若き日の徳川家康公』の銅像である。
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この『浜松城』は今川家の家臣であった飯尾氏が最初に築城(引馬城)したとされる。
1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いにおいて駿河の戦国大名今川義元が尾張の織田信長に敗れると今川氏は急速に弱体化した。桶狭間以前の松平元康(後の徳川家康)は今川家で人質生活を送っていたがこの戦いで今川家が敗退すると松平氏の元々の居城であった岡崎城に入った。

桶狭間の戦いの後今川家が衰退するに至ると、家康はそれまでの本拠地であった岡崎城を離れ浜松に移りここを本拠地として三河・遠江・駿河の領国経営を始める。以後彼は17年間浜松城を本拠とした。いずれ天下を掴む事になる家康の出世のきっかけとなった城である事から『浜松城』は別名“出世城”とも呼ばれている。

家康が天下統一を果たし終えた後の『浜松城』は徳川家ゆかりの譜代大名が城主となった。その大名達が浜松城主を経験した後に老中や大坂城代、京都所司代などの幕府要職へ登用されたりした事も“出世城”といわれる所以である。天保の改革で有名な『水野忠邦(みずのただくに)』も浜松城主を経験し老中となっている。
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本丸の脇へと延びる石垣沿いの坂道を登る。戦国期の荒々しさがそのまま石垣の積み方に現れている様で物々しい。さらに登ると小振りの天守閣が姿を現わした。
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浜松城は明治維新後、廃城となり取り壊されてしまった。現在建っている天守閣は昭和33年に再建された鉄筋コンクリート製の三層三階地下一階の城である。
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規模は小さいが質実剛健・質素倹約という言葉がとても合いそうな浜松城天守閣。特徴的なのはやはりその石垣だ。この石垣は自然石を上下に組み合わせて積み上げる『野面積み(のずらづみ)』という工法で造られている。この石垣は滋賀県の彦根城の石垣にも似ているので多分同じ工法だろう。
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一見するとすぐに崩れてしまいそうだが表面に顔を出している石は奥が深くなっていて内側に小石や砂利が敷き詰めてあり安定性や水はけも良くとても堅固な造りなのだという。これらの石は浜名湖北岸で産出される『珪岩(けいがん)』であり浜名湖や佐鳴湖の水路を利用しここまで運んだのだという。

伊蔵は『浜松城天守閣』に登ってみる事にした。<つづく>





『遠州浜松』への旅/その4・鰻料理の老舗『あつみ』さん・後編

じっと待つ事、約20分・・・
ついに伊蔵のテーブルに『白焼重』が運ばれて来た!
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これが『あつみ』さんで最も人気のあるメニュー『白焼重』だ!白焼きだけに身にはタレは付いていないが白焼きの下のふっくらホカホカの御飯には鰻のタレが控え目にかけられている。
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この白焼重とともに出て来る小皿がある。醤油の他に山葵、生姜、大根おろし、赤芽などの薬味が少量のっている。白焼きをお好みの薬味をのせ醤油に付けて頂ける様になっているのだ。この美味しい食べ方の説明まで仲居さんが細かく丁寧に説明してくれた。

早速『白焼重』を頂く事にする。白焼きというのはシンプルな料理方だけに味にごまかしが効かない難しい料理。果たしてどんな味がするのだろうか。まずは鰻そのものの味を楽しむ為、そのまま何も付けずに食べてみた。これが驚く程フワフワとして柔らかいのである。柔らかさとともに口の中に広がるのは鰻のさっぱり淡白な甘い味と備長炭の幽かな香ばしい香り。そのままでも美味しいが薬味と醤油を付けて食べるのもなかなかオツで美味しかった。この鰻の身の柔らかさ、伊蔵が名古屋で食べる鰻とは食感がかなり違っていて面白かった。

『あつみ』さんでは二年ものの養殖鰻を厳選して使用して調理をしているとの事。昭和35年までは天然鰻を使っていたという。その鰻を背開きし備長炭で二度焼きする(一度素焼きをした後、火から上げて冷水をかけてアクを飛ばす“蒸らし”という作業の後、再度仕上げで焼く)。

鰻の捌き方については、

『江戸背開き、大坂腹開き』

といってよく二つの捌き方に大別される。
江戸は武士の都であった事から“腹開き”というと「切腹」を連想させるという事でこの捌き方は忌み嫌われ“背開き”になり、逆に大坂は商人の町であり売り手と買い手が「腹を割って」正直に商売をする事が好まれたので“腹開き”となったというのが通説となっている。浜松では“背開き”つまり関東風であるようだ。
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一品料理で注文した『肝焼き』も運ばれて来た。う~む一体何匹分の鰻の肝なのだろう・・・結構のっている。プルプルとした食感とタレの甘さがとてもいい。ここはちょっとお酒が欲しくなってしまうところだが我慢した(笑)肝吸いは白焼重にセットで付いているので焼きと吸い物両方を伊蔵は堪能出来た訳だ。
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お漬物もいい塩梅で漬かっていてボリボリ・・と頂きました(笑)さて至れり尽せりの『白焼重』にセットで付いて来るのはこれだけではない!デザートも付いて来るのだ。
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ドド~ン!『メロン』である!甘いこのデザートをスプーンですくって食べて終了!『あつみ』さん御馳走様でした!

ひとつ驚いたのが伊蔵がこの『白焼重』を頂いている最中に『あつみ』さんのお昼の鰻が無くなってしまいオーダーストップがかかってしまった事だ。『あつみ』さんではその日に用意された数の鰻のみ捌いて焼く。その数は限られている。開店後30分~40分でオーダーストップ。驚くべき繁盛振りだ。すでに店頭入口にはお昼の鰻が売り切れた旨のお知らせが掲げられている。伊蔵は改めて早く来店して良かったと思わずにはいられなかった。

店内でお勘定を済ませ美味しかった『白焼重』の御礼言うと女将さんと厨房内で一生懸命に汗を流しながら大きな団扇で鰻の焼きの作業をする5代目が

『どうも有り難うございました!』

笑顔で伊蔵を見送ってくれた。その満面の笑顔が忘れられない。
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浜松の老舗鰻料理店『あつみ』さんは噂通り大変人気のあるお店だった。白焼きもとても美味しかった。訪れるなら開店前に並ぶのが賢明です。<つづく>

◆『うなぎ料理 あつみ』
・住所/静岡県浜松市中区千歳町70
・電話番号/053-455-1460
・営業時間/昼11:30~14:00 夜17:15~19:30(売切れ次第終了)
・定休日/水曜(月1回連休あり)
・ホームページ/http://unagi-atsumi.com/




『遠州浜松』への旅/その3・鰻料理の老舗『あつみ』さん・中編

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店舗突入“一番槍”は残念ながら成らなかった伊蔵であったが無事に開店すぐに『あつみ』さんの店内に入る事が出来た。開店前に店頭で並んでいた伊蔵とその他のグループと浜松まつり参加の団体さんが店内に入った為、すぐに一杯になってしまい店内には客が入れなくなり次にお店に入るには約40分待たなければならない状態に。それでも外には続々と人が並んでいるらしくひっきりなしに暖簾を開けては時間予約を入れて行く人達が居た。(う~んやっぱり早めに並んで良かった)と思わずにはいられなかった。

『あつみ』さんの店内は入口を入ってすぐ左手が厨房になっていて右手が少人数用のテーブル席がいくつか並んでいた。伊蔵もそこに座っている。奥の方が座敷になっているようだ。厨房では女将さんらしき方が何名かの仲居さんをテキパキと指図している姿が見えたりしてなかなか老舗の鰻屋さんらしくて潔い。

店内は結構シックな感じで落ち着く。外にすぐ繁華街があるとは思えないほど静かだ。淡いグリーンの壁に黒を基調としたテーブルと椅子。静かな店内には耳障りにならない程度のボリュームでジャズっぽいBGMが流れていた。鰻料理がお客の前に姿を現わすのは捌く作業、焼きの作業などを含めると少々時間が掛かる為こういった落ち着いた店内の演出は必要なのだろう。

仲居さんが伊蔵のテーブルにお茶とお品書きを運んで来てくれた。
お品書きを見るまでも無く、実は旅の前に伊蔵の心の中では注文する品をリサーチ済みですでに決定してはいたのだが一応目を通す事にした。
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お品書きは大きく『丼』と『重』に分けられているが器が違うのみで中身は一緒、値段の違いは鰻の量との事であった。そういったお品書きについての細かな説明まで仲居さんはしてくれるので接客は非常に丁寧で伊蔵は少しばかり恐縮してしまった。

伊蔵は予め決めていた品を注文する事にした。それは『白焼重(2,625円也)』である。普通のうな重とは違うところに意味がある。鰻の白焼きは味も料理の仕方もシンプルだけに誤魔化しが効かない。一品料理で“白焼き”というものは他の店でも度々目にするがそれを御重にするのはなかなかお目にかかった事が無い。鰻本来の味を楽しみたかった伊蔵は『あつみ』さんの鰻料理の中でも大変人気で美味しいと評判の『白焼重』を食べてみたかったのである。

この『白焼重』に一品料理も付けてみた。『肝焼き(630円也)』である。肝は『肝吸い』の方がどちらかといえば定番だが焼いて食べる肝の旨さを経験してからの伊蔵は迷わずこれを注文した。肝は吸いものにするより焼いた方が断然美味しいのだ。

仲居さんに注文をし終えた伊蔵は鰻が仕上がるのをジッと待った。禁煙席だけにジッと待つのは少々きつかったが旅の記録を取ったりこれからの予定の確認等をしながら鰻が焼き上がるのを待った。お店の入口では相変わらずお客さんが引っ切りなしに店内に顔をだして入れるかどうか確認をとっていたがもはや1時間以上待たねば入れない様な状況になっているようで仲居さんや女将さんが済まなそうにお客さんにその旨を丁寧に説明していた。

そんなお客さんを横目に伊蔵は鰻の焼き上がりを待っていた訳だが“旨い物を食べるには早く来なければならんのだよ”と思わず言いたいくらい待たねばならないと分かり切っているのにお客さんは引っ切りなしにどんどんと詰め掛けて来るのであった。

注文をし終わってから約20分を少し過ぎた頃だろうか。
やっと伊蔵のテーブルにその『白焼重』が運ばれて来たのだった!<つづく>



『遠州浜松』への旅/その2・鰻料理の老舗『あつみ』さん・前編

浜松市入りした伊蔵。この日まず最初に目指すお店は鰻料理の老舗『あつみ』さんだ。
1907年(明治40年)浜名湖の漁師だった初代渥美吉重氏が鰻屋を始め現在お店のご主人は四代目を数える。まさに鰻料理の老舗である。浜松ではかなりの有名店として知られている。
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『あつみ』さんはJR浜松駅から歩いても10分も掛からない“モール街”と呼ばれる小さな繁華街の通り沿いにある。この場所は浜松での二日間伊蔵がお世話になるホテルのすぐそばにある為、ホテルの場所を確認しつつの来店となった。

伊蔵がこの『あつみ』さんの店頭に到着したのは午前11時前。『あつみ』さんのお昼の開店時間は午前11時30分という事を予め伊蔵は調べていたので十分早めに着いた事になる。流石に店頭にはまだお客さんの姿は見え無かったが『あつみ』さんは有名店である為行列が必至のお店なのである。伊蔵は行列に加わって何十分、何時間も待つという行為自体が旅を楽しむ時間の無駄と考える方なので待たなくてよい方法、つまり“一番槍”で店内に入ろうと考えていたのである。

とはいえ少しばかり到着が早過ぎたようである(笑)開店時間まで約40分程もあるので伊蔵はこの小さな繁華街を歩いて回ってみようと思った。
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『あつみ』さんの店の前の細い通りは“モール街”と呼ばれている南北にわずか数百mの繁華街。数々の飲食店やゲームセンター、パチンコ屋等が建ち並んでいる。

◆浜松市モール街ホームページ
http://www.mall-st.jp/

しかしながらモール街はわずかに数百m・・・伊蔵はあっという間に歩き終えてしまった(笑)そこでモール街の枝道へ侵入してみた。
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そこには小さな飲み屋が沢山立ち並んでいた。昼間なのでそんなに怪し気な感じがしないが夜に訪れたならばきっと薄暗い路地にいくつもの淡いネオンがボゥ~っと輝いて怪しさ倍増であろう。
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枝道のさらに枝道を進むとホントに細い路地にいくつかのBARやスナックの看板が・・・ポッカリと口を開けた路地の奥に入り込んだら最後二度と抜け出て来れないような感じすらある(笑)モール街の西側一帯にはこのようなお店が集団で固まっているようだった。

伊蔵は繁華街巡りを終了し『あつみ』さんへ戻ってみる事に。
しかし悲しい事にすでに店頭にはお客さんの行列が出来始めていた!しまったやられた・・・繁華街巡りなどせずにそのまま店頭で待っていればよかった・・・いくら悔やんでも後の祭である。仕方なく入店“一番槍”を断念せざるを得なくなった伊蔵は列に大人しく並んだのであった。伊蔵の前には男性のグループが5人程とカップルが一組陣取り、伊蔵の後には家族二世代グループらしきお客さんが並んだ。まだ開店まで20分以上あるというのにである。

日射しがモール街に降り注ぎかなり暑かったが伊蔵はじっと開店時間を待った。開店5分前位に店内から客の順番と人数を確認しにおばちゃんが出て来た。同時に暖簾も掲げられた。う~んいよいよだ。

そして午前11時30分、鰻の老舗『あつみ』さんは時間通りに開店。伊蔵を含めたグループ第一陣が店内へと案内された。伊蔵はひとりだったので入口近くの一番テーブル禁煙席へと通された。一番槍は無理だったが一番テーブルとは・・・(苦笑)<つづく>



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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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