『遠州浜松』への旅/その25・『美酒粋料理いなせ』さんへ(4)

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これは『いなせ』さんオススメの品のひとつに数えられる『筑前煮』。大きくブツ切りされたゴボウ、竹の子、人参、鶏肉それぞれに十分にダシがしみ込んで甘くて美味しい。まさに“お袋の味”。オススメ品だというのも味わってみると良く分かる。
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焼酎に切り替えちゃいました(笑)実はこの前に焼津の地酒『磯自慢』をすでに飲み干している。この焼酎は『十割』というそば焼酎だ。大振りの陶器製の器でオンザロック。冷たいお水で喉を潤しながら飲む。少々飲み過ぎかも・・・流石の伊蔵も思い始めていた。気分良く酔っていても独りという緊張感は心のどこかにあるらしく“間”というものが持たず際限無く飲んでしまっている感じだった。
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次に注文したのは浜松への旅の前にm-kさんが薦めてくれた『野菜のセイロ蒸し』。セイロの香りが蒸される事によって野菜に移って実に美味しいのだという。これを胡麻ダレをを付けて頂く。
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セイロの中にはブロッコリー、玉蜀黍、蓮根、サツマイモが彩り良く並べられ蒸されて良い香りを放っている。箸にとって香りを確かめるとm-kさんの言った通り野菜の香りに混じってセイロの仄かな良い香りがする。野菜を胡麻ダレにチョイと付けて食べてみる。ホコホコとした程よい野菜の食感と胡麻の甘い香りと味わいが絶妙にマッチしてこれは旨い!セイロで蒸しただけなのにこの美味しさは一体なんであろう。伊蔵はあっという間に平らげてしまった。
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さらに伊蔵は焼酎『千夢一刻』をロックで注文。お酒が進んでお腹が冷えて来たせいか温かいものが食べたくなり『茶碗蒸し』を食べる事に。

気が付くといつの間にかカウンター席は全て埋まっていた。『いなせ』さんに入店すぐには緊張感で時間もなかなか経たなかったが、酔いが時間を加速させたのかすでに数時間が過ぎようとしていた。一体いつまで食べそして飲み続けるのだ!?伊蔵よ!<つづく>





『遠州浜松』への旅/その24・『美酒粋料理いなせ』さんへ(3)

『いなせ」さんの仕事は実に細やかだった。大将はじめ女将さんスタッフの方々が実によく動く。店内はすでに予約のお客さんで埋まり始めており、注文も間髪を置かずに大将に対して幾つも示されるがそこはやっぱりプロ。テキパキと仕事をこなしつつもお客さんとの会話も欠かさない。ピンッ!とした筋金が入った様な仕事振りに伊蔵は感激していたのだった。

お客さんとの会話というものを大将も女将さんも重視しているらしく、こちらが分からない事は説明してくれるし、逆に伊蔵など県外からのお客さんには地元の美味しい食材の事や名所などを質問されたりして実に会話のキャッチボールが楽しい。ひとりでお店に入っても困る事が無く、かえってじっくりと大将や女将さんとの会話を聞く事が出来て楽しいかもしれない。こういった大将と女将さんの細やかなサービスが多くのお客さんから大変好評でリピーターや常連客が多いというのも頷ける。
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伊蔵が次に注文した品は『海老しんじょ』。“しんじょ”もしくは“しんじょう”とは料理法でいうところの“くずし物”の一種で白身の魚等をすり潰して浮粉(小麦粉のでんぷん)、芋、味醂、塩、卵白などを混ぜて団子状にして、それを柔らかく茹でたり蒸したりしたものである。『いなせ』さんでの『海老しんじょ』は、団子表面をサッと天麩羅の様に揚げてあってこれにレモンをかけて塩をチョイとつけて食べるスタイル。これがまた実に美味しい!まずサッパリとしたレモンの味と甘い塩味が舌の上に広がりサクッと団子を歯で割ると中身のアツアツホクホクの海老風味のすり身が顔を出す。レモンと塩にこれがとても合う。

『アフ・・ハフ・・ハフフ!』

と言葉にならない不可解な言動を発しながらもその『海老しんじょ』を美味しく頂いた伊蔵であった。アツアツになった口の中をよく冷えた日本酒(開運)でチビチビと冷やしながらの食事はとても美味しくそしてとても贅沢な一時であった。
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次に注文した品は静岡県に来たならばこれは欠かせないという『桜海老のかき揚げ』。こちらも塩で頂く。表面はサクサクしていながらも中身はモッチリとした濃厚な桜海老の風味が味わえこれまた美味しかった。この時点ですでに伊蔵は二杯目の日本酒『花の舞 辛口(静岡県浜松市)』を注文している(笑)地元の食材を使った料理を地元の酒で頂くことほど合うものはあるまい。伊蔵がハイペースで日本酒を飲むのを見ていた女将さんが

『お酒はどんなものでも飲めるんですか?』

と問いかけて来た。伊蔵は大抵の物は飲めるが最近はビールと焼酎に落ち付いている。しかし日本酒は修行中だという風に説明すると女将さんは日本酒が一番好きなお酒だという。むむむ!流石は和食の店の女将・・・これは侮れない・・・となぜか競争心が沸いて来てしまう伊蔵であった。

酔いも手伝って大将と女将さんに伊蔵がこのお店を知る事になった仲間達がちょうど一年前にお店を訪れている事を話し、憶えているかどうか聞いてみた。お二人はなかなか思い出せなかったようだが、その時のあるエピソード等を話してみると

『ああ!そんなこともあって確かに笑いました(笑)』

と微かながら思い出したらしい。伊蔵はその時には残念ながら訪れる事が叶わなかったが今夜やっと『いなせ』さんに顔を出す事が出来、美味しい料理とお酒を頂いて感激している旨を伝えると、お二人ともとても嬉しそうに伊蔵の話を聞いてくれたのだった。こういう事は客である伊蔵のみならず、お店の方々にとってもやっぱり嬉しいものなのだろう。

伊蔵の浜松の夜はまだまだ続く。<つづく>




『遠州浜松』への旅/その23・『美酒粋料理いなせ』さんへ(2)

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伊蔵は『美酒粋料理いなせ』さんの店内へと第一歩を標した。
すると大将の粋の良い挨拶が店内に響く。

『いらっしゃいますぇーい!』

お店の名の通り実に“いなせ”な大将の第一声に思わず伊蔵にも気合いが入る。入口を入ってすぐの正面の厨房を前にしたカウンター席が五席並んでいる。伊蔵はそのカウンター席の一番右側の席へと腰を降ろした。伊蔵は端っこ好きなのである(笑)
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カウンター席の背後には日本各地の地酒や焼酎がズラリと並んだ棚があって実に壮観。酒好きの伊蔵にはタマラナイ。カウンターの上には大皿に盛られた幾つかの『おばんざい』や龜に入った焼酎等が並んでいてとても賑やか。カウンターに座っているだけでちょっと摘んでみたくなる雰囲気だ。

カウンター席の奥へと続く淡い間接照明に照らされた細い通路の奥には個室や座敷席がある。決して規模の大きなお店ではないがとても綺麗で雰囲気が良く居心地が良さそうだ。これくらいの規模、広過ぎないお店であるからこそ、お客さんに対しても細やかなサービスが行き届くというもの。

伊蔵は『いなせ』さんに“一番槍”で入りカウンター席に腰を落ち着けてからしばらくの間、店内の様子を眺めながらそんな事を考えていた。まずはビールを注文して喉でも潤そう。

『すみません。エビスをひとつお願いします。』

女将さんが冷たく冷えたグラスになみなみと注がれたエビスビールとお通しに『ひじきと豆の和えもの』を運んで来てくれた。
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伊蔵はグラスを手に取りグビリと一杯口へと注ぎ込んで喉を潤した。今日も日中はとても暑かったので冷たく冷えたビールがとても美味しかった。そして伊蔵は早速『いなせ』さんのお品書きを開いてみた。お品書きには本日のおすすめの品をはじめ、様々な品が並んでいたが伊蔵は浜松に宿をとって旅に訪れるのはこれが初めてだった事もありかねてから浜松の地の美味しいものを食べてみたいと思っていた。

そこでまずは海に近い浜松の美味しい魚を食べてみようと思い『旬のお造り』を大将に造ってもらう事にした。

『旬のお造り入りましたァ〜!』
『ありがとうございまァ〜す!』

大将ともうひとりの若い板前さんとの掛け合いがこれまた“いなせ”でイイ。お造りが出て来るまでの間にも大将や女将さんは伊蔵に何かと声を掛けて下さリ、ひとりで来店し少々緊張気味だった伊蔵にとってはこれはとても助かったし嬉しかった。伊蔵はどこからやって来たかやこのお店を知ることになったキッカケなどをお通しを摘み、エビスビールを片手に話をさせて頂いた。
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やがて『旬のお造り』が伊蔵の前に姿を現わした!大将には一人盛りとして量を調整して造って頂いた。この辺りの細やかな注文も聞いてくれるのが有り難い。今日の『旬のお造り』は鮃(ひらめ)・鰹(かつお)・鰆(さわら)の焼き霜・鯖(さば)が細長いお皿に盛られていた。これらの魚を生姜醤油と山葵醤油で頂く。

鮃(ひらめ)は伊蔵は社会人になるまでは煮物しか食べた事が無かったが、刺身で初めて食べた時の驚きは今でも憶えている。この鮃の刺身の良いところはその“歯応え”にある。コリコリとした歯応えと白身魚独特の淡白な味がいい。箸で摘み口の中に入れると思わず舌鼓が飛び出してしまう程の美味しさ(笑)鰹(かつお)もこれまたモッチリとしていて非常に美味しかった。見た目の色も鮮やかな赤色で実に美味しそう。鰹は回遊魚で4〜5月頃に黒潮に乗って南から駿河湾や東京湾に達する。ちょうど今の時期は脂がのって旨い事この上ないのである。まさにとろける程の美味しさ。

鰆(さわら)の焼き霜も良かった。鰆は魚偏に春と書く事から春が旬の魚。冬から春にかけてが旨い。『焼き霜』という料理法は魚の皮目にサッと塩を降った後、バーナー等で炙って焼き目をつけたものである。こちらも脂がのっていてトロリと美味しい。鯖(さば)は伊蔵が最も好きな魚だけに風味を味わいつつゆっくり食べた(笑)伊蔵は大将に対して思わず口をついて感想が漏れた。

伊蔵・・・『すごく美味しいです・・・。』
大将・・・『ありがとうございます!』

浜松の旨い魚を食べたかった伊蔵は大満足!『旬のお造り』は脂ののったその身に合わせてその味わい、素材の旨さが十分楽しめたのだった。何だか日本酒が飲みたくなって来た伊蔵は、地元のお酒(静岡県)の『開運(静岡県袋井市)』を所望。
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ついでに『冷奴』と『かにみそ』も頼んでしまいました(笑)居心地が良くなってチビチビと長時間楽しみたくなって来たからだ。日本酒は枡に入れたグラスに女将さんが一升瓶を持ってそれこそなみなみと注いでくれる。酔いも手伝って入店前の緊張感はどこかへ行ってしまった感のある伊蔵であった(笑)

入店後一時間ほど経つと次々にお客さんが店内に入って来た。そのほとんどが予約のお客さん。やっぱり店を紹介してくれたm-kさんの言う通り予約を入れておいて良かった。予約を入れていなければ入れなかったかもしれなかった。緊張感も程よく解れて来た伊蔵は雰囲気の良い『いなせ』さんのカウンターで次に何を食べようか、何を飲もうかほろ酔い気分の中で考えていたのだった。<つづく>



『遠州浜松』への旅/その22・『美酒粋料理いなせ』さんへ(1)

さて浜松の夜を楽しむ為に伊蔵が予約したあるお店のというのは
『美酒粋料理いなせ』さんという浜松市内の繁華街にあるお店である。
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この遠州浜松のレポートの序章にも書いたがこの旅に出るちょうど一年前にこのお店に訪れる機会があったのだが、当時伊蔵には横浜に行くという先約があり、残念ながら伺う事が出来なかった。それ以来ずっと気になっていたお店なのだった。

ちょうど一年前に浜松行きの旅を企画したのは友人m-kさんだった。彼女の友人eさんと伊蔵の友人であるアキラ氏、そして伊蔵の当初は四名で浜松に行く予定をしていたが前述の理由から伊蔵はやむを得ずこの旅には参加出来なかった。

特にm-kさんは“美味しいものを食べる事”と“温泉”には目がない御仁であり、料理が美味しい『美酒粋料理 いなせ』さんと『舘山寺温泉』のある浜松への旅の企画は初めから必然的であったといってよい。旅に出掛けた三人の事後報告を聞くと相当に楽しかったとの事だった。それを聞いてからというもの伊蔵はどうしても浜松へ行きたくなって仕方がなかったが、なかなか出向く機会に恵まれず、気が付いた時にはあっという間に一年という歳月が過ぎ去っていたのだった。

そして一年後、この浜松の旅に出かける前にm-kさんに『いなせ』さんに行って来るという報告をした。彼女からは『絶対にオススメだから!楽しんでこやぁ〜』と太鼓判を押され、事細かくお薦めの料理を紹介してもらった。知らない土地で一人で初めての店に入り食べ、飲むという事は誰しも緊張と不安がつのるものだが、m-kさんのお薦めの店であるしその料理の美味しさにも太鼓判が出ている以上は、是非出向かねばならないと決意を新たにする伊蔵であった。

掛川、浜松と歩いて来た伊蔵は宿へと戻り『いなせ』さんの開店時間である午後五時に得意の“一番槍”で入店すべく準備を進めていた。宿からお店までは歩いてでも10分も掛からない事はすでに前日にお店の場所を確認した時に計測済みであった。その移動時間を見越して伊蔵は宿のシャワーで禊(みそぎ)をし身を清めてから宿を出、『いなせ』さんへ向かったのだった(笑)
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『美酒粋料理いなせ』さんは宿のある「モール街」から北へ真っ直ぐ行った先の『アルコモール有楽街』という繁華街メインストリートからわずかに横道に入った場所の瀟洒なビルの三階にある。メインの通りから外れているという事と、ビルの三階にお店があるというところがこれまた目立たず“隠れ家”っぽくてとてもいい。
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ビル内には幾つかのBARや飲食店が入っている様だった。予定通り開店時間の午後五時に間に合う様にビルの下までやって来た伊蔵だったが、流石にこの時期の午後五時というのは明る過ぎるのは言うまでもあるまい・・・。

(少しばかり予約した時間が早過ぎたか・・・。)

と一瞬、躊躇したが伊蔵は思い切ってビル内へと足を進めた。ビルにはエレベーターが設置されていたが伊蔵はなぜか階段で三階まで足を使って登って行った。これは極度の緊張感を和らげる為の行為に他ならない(笑)

三階まで階段を登ると外の景色が開け、ちょっとしたバルコニーの様なスペースを歩いて行くとその先に『いなせ』さんのお店の入口がある。そのバルコニーの様なスペースに階段の踊り場から足を踏み入れた時、伊蔵は店先を箒で掃き清めて開店の準備に勤しむ一人の和服の女性と出くわしたのだった。

この方こそ『美酒粋料理いなせ』さんの女将さんであった。
すぐ女将さんだと分かったのは旅の前にお店についての情報を下調べしておいたからであった。噂通りの綺麗でやんわりとした感じの女将さんであった。

『こっ今夜予約した伊蔵と申しますが・・・。』

伊蔵は少々緊張気味な心中を察せられまいと必死で自然体を装いながらも目の前の女将さんに申告すると、女将さんは店先での清掃作業の手を停め、

『伊蔵さんですね。お待ち申し上げておりました。』

と、何とも丁寧かつ柔和な笑顔で女将さんは伊蔵を迎えてくれたのだった。
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女将さんに促され『美酒粋料理いなせ』さんの玄関までやって来た。伊蔵はついに一年越しの思いを胸にここまでやって来たのだ!

先程からの緊張感は醒めるどころかどんどん上昇し続けるばかりだったが、今夜は一人だとはいえ、きっと今夜は楽しく過ごせるのではないかという確信に満ちた思いというものが、伊蔵の心に少しづつだが確かに広がりつつあった。<つづく>




『遠州浜松』への旅/その21・再び浜松へ

※随分別のレポの紹介が長くなり過ぎました。
伸び伸びになっていました『遠州浜松』への旅レポの続きです。

掛川市にて『掛川城』の見学と昼食を終えた伊蔵は、JR掛川駅から再び列車で浜松市街を目指して戻る事になった。その列車の車中、伊蔵の携帯が震えた。誰かと思い携帯を取り出してみると友人のアキラ氏であった。浜松の旅を満喫しているかどうかという内容であった。今日は平日の月曜日。伊蔵は休みを取って旅に出ているが、アキラ氏は職場で昼休みを利用して伊蔵に連絡を取ってくれたらしい。彼には浜松に着いてから連絡してみよう。
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午後1時、伊蔵は浜松市内へと戻って来た。本日の晩は浜松市内の繁華街『田町』であるお店を予約してあるのだが、晩までのの予定は無いので市内をぶらぶらと歩き回ってみる事にする。伊蔵はJR浜松駅から東側に向かって歩き、巨大な春巻かライターのような高層ビル『アクトタワー』の下にやって来た。
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『アクトタワー』の下には市民の憩いの場が作られていた。今日は非常に暑く木陰で休憩している人々の姿を多く見かけた。伊蔵は取りあえずこの『アクトタワー』の下から浜松市内を南北に伸びている『アクト通り』という大通りを来たへ向かって歩いてみる事にした。
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『アクト通り』は浜松市民の遊歩道といった存在であるらしい。画像中央のベージュ色の通りがその『アクト通り』である(クリックで拡大)。遊歩道沿いには樹木も植えられていたが、この通り自体がまだ新しい事もあって鬱蒼としているという訳ではない。樹木の他にも大きな道を潜るように設けられた地下道には、その高低差を利用して人工的な川や滝が造られていてこういう暑い日に歩けば非常に涼し気で気持ちがイイ。

『アクト通り』の北の端まで辿り付いてしまった伊蔵はさらに北に向かって歩いた。そこには深い森に囲まれた『浜松八幡宮』があった。この八幡宮は浜松市街にありながら戦災の被害を受けなかったという事で境内には大きな樹木が昔からの姿そのままで残っており、市の保存樹林に指定されているという。一通り涼しい境内を歩き回った後、伊蔵は遠州鉄道の高架が通っている大通り(遠州鉄道・八幡駅付近)に出て見た。
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遠州鉄道・八幡駅からは巨大な『YAMAHA本社工場』を望む事が出来た。YAMAHAは『山葉寅楠(やまはとらくす)1851〜1916)』が日本初のオルガン・ピアノ製造の創始者として創業を始めた会社であり楽器製造や二輪製造を行なっている。現在では世界企業にまで発展しているまさに浜松市を代表する大企業である。

伊蔵は再度『浜松城』を訪れしばし休憩しながらアキラ氏へメールの返事を送った。浜松の旅を満喫している事と今晩訪れようとしているお店を楽しみにしていると。

伊蔵は浜松城を後にして浜松駅近くの宿へと戻る事にした。今から歩いて宿に付けば少し休憩してから予約のお店に向かう事が出来る事だろう。このお店については次回詳しく書き記したいと思います。<つづく>


三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その7

三重県・亀山市の『亀八食堂』はネット上でいくつも紹介されている通りのお店であった。多くのお客さんに愛されている素晴らしいホルモン屋さんだ。時刻も正午になってまた一段とお客さんが続々と食堂内に入って来る。凄い盛況ぶり(笑)大抵がグループで連れ立ってやって来るお客さんが多いのだが、中には“独り鉄板”する剛の者も居たりする。地元に住む家族連れも多いようだった。
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気の合った仲間が大勢集まって気軽にワイワイとホルモン焼きやうどんを突つく事が出来る“大規模なお店”という事が『亀八食堂』をこれほどまでに人気を持つに至ったひとつの要因であるとも言える。また長距離トラック運転手のスタミナと腹を満足させるに十分な量も選択出来るというのも嬉しいに違い無い。そうしたトラック運転手同士の食事や情報交換の場としての機能も『亀八食堂』には備わっているかのようだ。

また亀山市という交通の要衝に存在するという事も大きな意味があるのかもしれない。近くに鈴鹿峠をひかえ、中部・東海圏と関西圏のちょうど間に位置する亀山市の『亀八食堂』は、どちら方面のお客さんも立ち寄りやすい場所にあるのだ。クルマやトラックドライバーやライダーの心理から言っても立ち寄るべくして立ち寄る場所という感じがする。

これから関西へ向けて鈴鹿峠という峠越えの前に飯でも食べて少し一服というライダー達も多いはずだ。関西方面から峠を下って来た者もしかり。また名阪国道の亀山インターも近いので高速を使って帰る、または出掛ける者達にとって『亀八食堂』はきっと休憩と憩いの場ともなっているに違いない。交通の要衝(特にここは中部圏、関西圏との境目にある)に店があると言う事は日本各地からやって来る人の数が多いと言う事でもあり、この店の存在が多くの人に知られやすいともいえる。
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このような絶妙な場所に『亀八食堂』を築きあげた“もみあげオヤジ”さんとは一体何者なのだろうか。takeさんの推測では彼も元々はやはり“長距離トラックドライバーであったのではないか”と言う事だった。根拠というものはなく、全くの推測でしかないが“もみあげオヤジ”さんのその風貌、渋いハスキーな声から考えるとこの説は何となく頷けるものがある。この場所でこの商売は絶対イケる!とひょっとしたらドライバー時代に考えたのかもしれない・・・・。
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鉄板の上のホルモン味噌焼きうどんを食べ尽くした我々はしばし満腹感の余韻に浸りグダグダと時を過ごしてした。宴の後のテーブル上は何となく寂寥感が漂う。
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グダグダした時を過ごす間にもお客さんはひっきりなしに『亀八食堂』に入って来ていた。我々は重い腹を抱えて亀八を後にする事にした。(上の画像はたいがぁ氏。画像合成でマスクを付けさせてもらいました・笑)お勘定は五名でしめて8,650円也であった。
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takeさんは『亀味噌』を持参したプラスチック製の桶に分けて貰っていた。この『亀八食堂』では『亀味噌』を分け売りしてくれるのである。この『亀味噌』がtakeさんのお店で活用される日も近いであろう。どんな料理になるのかが非常に楽しみなところである。こうして一度足を運び、そして食べてみたかったホルモン味噌焼きをやっつけ満足の内に『亀八食堂ツアー』は終了したのだった。<完>



三重県亀山市・伝説の食堂『亀山食堂』へ/その6

野菜からしみ出した水分とホルモン、肉の脂と亀味噌が渾然一体となっている鉄板上目がけて『玉屋の白玉うどん』を我々は投入し始めたのだった。
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次々にパックを破り計5玉を投入後、再び鉄板上をめいめい箸で撹拌!良い具合で味噌ダレが残っているのでうどんに程よく絡む。最初の焼き方が上手くないとこうは上手くいかない。いわゆるうどん投入前に焼き過ぎの状態になると折角野菜からしみ出した水分が蒸発してしまい、味噌も乾いてしまって鉄板を焦がす原因になってしまうばかりでなく、そこにうどんを入れたとしても味噌が絡まないという最悪な状態になってしまうのだ。
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『白玉うどん』を投入し撹拌し始めると味噌とうどん玉が程よく混じり合い一見色目が“カレーうどん”の様な様相を呈する様になった。我々はさらに撹拌作業に没頭したのであった。
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勿論トウガラシ『カプサイシン絨毯爆撃』も再び行なわれた。味噌で茶色く色どられた真っ白な麺は見るからに美味しそうである!鉄板物に限らず鍋物の後に投入する『うどん』又は『御飯』というものは、それまでの料理の残り物と融合・合体する事によりそれ単体とは全く別の美味しさを醸し出すから不思議だ。淡白な食材が濃い味を吸収し、全く別の味わいに変化する様を我々は箸を掻き回しながらひしひしと感じていたのであった。
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『亀八特製ホルモン味噌うどん』の堂々の完成である!めいめいの箸に担がれた白玉うどんはほんのりと味噌の色で染められ茶褐色と変化し、まるで麺の滝を見る様であった。早速このホルモン味噌うどんを頬張るとこれが実にオイスゥイィ〜〜〜〜のであった。我々メンバーが『名古屋人』であるからなのか分らないが『味噌』と『うどん』の組み合わせは実に我々の味覚にジャストフィットしておりこれ以上ない程に旨いのである。
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みるみる内に『亀八特製ホルモン味噌うどん』は鉄板上から姿を消して行ったのは言うまでもあるまい。先を争う様にメンバーの皆がうどんをかき込んだ為、あっと言う間に無くなりつつあった。ある意味これは亀八食堂の“旨さの王道”を見る様であり、それにすっかり呑まれてしまっている自分達にハッとされられてしまうのであった。
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ホルモンを焼き始めて約45分後に鉄板上の食材はすっかり姿を消してしまった。心配していた鉄板の焦げ付きもtakeさんの指導の甲斐もあって皆無であった。我々の亀八デビュー戦は成功に終わったようだ。<つづく>






三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その5

takeさんはホルモン焼きには欠かせない麦酒を所望なのであった(笑)
それが分かった瞬間、テーブルの片隅で何かが光った!それは音がするほどのアキラ氏の鋭い眼光であった・・・。この日のアキラ氏はクルマを運転しているのは読者もお分かりだろう。しかし彼は大概運転手なのだ。お酒が好きな彼も麦酒を飲みたい事に違いはないがそこは運転手の悲しい性である。草加君はそこまでお酒を嗜まないので我慢する程ではない。

『すまんな!アキラ』

アキラ氏の先程までの鋭い眼光はこのtakeさんの一言で光を失ってしまった。やがて我々のテーブルに『キリン クラシックラガー』の褐色の瓶が運ばれて来た。アキラ氏の喉がグビリッ!と鳴った様な気がした。
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『まぁまぁtakeちゃん・・・』
『ウム・・すまんのう』

麦酒所望の下知を受けた際にtakeさんに対して怪訝な表情を浮かべていたたいがぁ氏も一旦飲むとなったら腹が座ったようでtakeさんのワンカップのグラスに“コポコポコポ・・・”と冷たい麦酒を注ぎ始めたのだった。

『まぁまぁ伊蔵氏・・・』
『これはこれは・・・(苦笑)』

かく言う伊蔵も麦酒の冷たい喉越しの魔力にはどうしても勝てずたいがぁ氏からグラスに麦酒を注いで貰ったのであった。シャキーン!またアキラ氏の鋭い眼光がワンカップグラスの中の泡立つ琥珀色の液体に向けてロックオンしているのが肌で感じられたが、

『すまぬなアキラ!』

takeさんとたいがぁ氏、伊蔵の容赦のない押しに彼はついに玉砕を覚悟したようだ。我々は“麦酒”アキラ氏は“麦茶”の図式がこの瞬間決まったのであった。たった一字の違いではあるもののこの違いは我々メンバーにとっては大きい違いなのである。この日は雨模様とはいえ、大変蒸し暑かったのでホルモン焼きと一緒に味わう麦酒の喉越しは格別なものがあった。返す返すもすまぬ!アキラ氏!
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鉄板上の味噌仕立てのホルモン焼きには惜し気も無くトウガラシの『カプサイシン絨緞爆撃』がtakeさんの手によって行われていた。これによってホルモン焼きは二倍にも三倍にも美味しくなるのだ。
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甘い味噌にピリリとした刺激が加わり旨い事この上ない。ますます食が進むし麦酒も進むという訳だ。ホルモンとトントロも最初に行った“蒸し”の作業が効を奏し実にいい仕上がりで適度に歯ごたえもあり実に美味しい。鉄板上に大量に積まれていたキャベツとモヤシもシナシナ状態になり、亀味噌との相性も抜群で味もこれまた甘くて美味しいのだ。

鉄板の上ばかりに気が取られていて気が付かなかったが、すでに『亀八食堂』内はお客さんでごった返していた。老若男女を問わず、カップルまたは小さな子供連れなど実に様々なお客さん達が次々に『亀八食堂』へと入って来るのだ。ホルモン焼きという男臭い大人の食べ物を出す食堂にこれ程バリエーションに富んだ客層が足を運ぶ事は珍しい。しかもこの食堂の規模はホルモン焼き屋としては大きい部類に入るので、それが全部客で埋まってしまう事自体が凄い事に思える。
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そろそろホルモン焼きもほぼ半分食べ尽くした我々。ここで新たな食材を鉄板上に投入せねばならない頃合いとなった。その食材とは、
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『うどん』である!ここ『亀八食堂』ではうどんの玉を注文すると袋に包まれたままテーブルに運ばれて来るのだ。うどんのパッケージには『玉屋の白玉うどん』と表記されている。調べてみると三重県鈴鹿市にある『玉屋製麺所』が作っているうどんであるらしい。我々はこのうどんを人数分の5袋を注文していた。これを全て鉄板上へと投入する作業に早速掛かったのだった。<つづく>



三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その4

『亀八食堂』での我々の鉄板上での戦が始まった。
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まずはガスコンロに火を入れ鉄板を熱する。鉄板上には最下部からキャベツの塊、モヤシ、ホルモン、トントロの順で食材が層を形成しておりそして最上部には味噌が大量にぶちまけられている。まさに“ホルモン王のピラミッド”状態(笑)コンロに火を入れてわずかの時間で早くも鉄板上のキャベツが“シュ〜〜”と音を立てて白い水蒸気が登り始めている。亀八食堂の鉄板は分厚く無く、熱伝導率が抜群な事に加え、キャベツに火が通りやすくする為に予め湯通ししてあり、適度に柔らかく仕上がる様に工夫されているのだ!

『諸君!今だ!かかりたまえ!』

takeさんの下知が箸隊四名(まぁ五名だが)に下った。
しかもその下知は実に順序に細かい。流石は料理人takeさんである。
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まずは蒸気を上げ始めたキャベツとモヤシをピラミッド上部へと移動させホルモンや豚肉を包み込む様に覆うのである。こうする事によりホルモンと豚肉を蒸し焼き状態にするのだ。肉が十分に蒸し上がった頃合を見てから最上部の味噌と絡めつつ鉄板上をホルモン、野菜、味噌の“カオス状態”へと持って行く。肉、野菜共に蒸され、野菜からは十分に水分が放出する。この水分が亀八味噌を程よく溶解させ、さらにこのふたつが融合する事によりはじめて鉄板を焦がす事なく綺麗に食べる事が可能なのだ!

実際に亀八デビュー間もないお客さんの大半は鉄板を焦がしてしまうようだ。焦がした後の鉄板はお客さんが引き上げた後に例のもみあげオヤジさんがヘラで一生懸命ガリガリと鉄板を清める事になるのである。
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我々はオヤジさんの手を煩わせてはいけない!というよく分からない使命感に燃えながら鉄板を掻き回し続けたのであった。次第に味噌と野菜からしみ出した水分とホルモンの焼ける匂いが混じり合い何とも言えない香りが辺りに立ち込めて来た!
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額に汗を浮かべながら鉄板上を掻き回しながらも『きゅうりの漬物』を摘む。歯応えとサッパリとした清々しい味が嬉しい。ワンカップのグラスに注がれた冷えたお茶も熱い鉄板を掻き回す作業をしているとみるみる内に無くなってしまう。しかもメンバーそれぞれがこの鉄板上の模様を携帯やデジカメで撮影していた。『食う』『飲む』『混ぜる』『撮影する』という二重三重の作業を我々は一気に行なっていたのである(笑)
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さぁいよいよホルモンの味噌焼きの方も食材全体に味噌と水分が程よく行き渡り褐色に染まって実に旨そうな塩梅になって来た!早速食い付きたいところだが

『まだまだ・・・もう少し焼いた方が良い・・・』

歴戦を戦い抜いて来た武将の様にtakeさんはホルモン焼きには慎重だ。歴戦の武将と書いたがあながちこれは間違いではなくtakeさんは子供の頃からホルモン焼きの英才教育を親御さんから受けており十分に慣れ親しんでいるのである。
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ぬおおお!イイ感じに焼き上がったぞい!実に旨そうだ!メンバーのみんなは餓えた野獣の様に箸を握りしめている(笑)がっつくぞ!と思ったその時、おもむろにtakeさんが

『たいがぁ、あれを頼む!』

その下知を聞いたたいがぁ氏は怪訝な顔をしながら

『takeちゃん・・・あれとは!?まさか・・それはなりませぬ!』

今回はこの辺に致しとうござりまする。<つづく>



三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その3

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『亀八食堂』の開店時間である午前11時寸前、伊蔵とたいがぁ氏は食堂入口に一番槍で店内に突入すべく陣取った。というのも他のお客さんが入口近くにクルマを停めた為、先に入られない様に用心したのであった(笑)そして・・・

開店の午前11時がやって来た。
店の奥から亀八の主である“もみあげオヤジ”さんがおもむろに姿を現わし扉を開けた。オヤジさんは一切無言で開店作業を進めていたので何だか怖かった。(開店の準備は終わった入るのならさっさと入りな)とそのいかつい背中が言っている様であった。まずは伊蔵とたいがぁ氏が店内へと歩を進めた。その刹那、たいがぁ氏が後から片足を伊蔵の前に突き出し店内への第一歩を標してしまったのである!いわゆる『抜け駆け』というヤツだ。油断も隙も無い・・・。取りあえず片足分は負けたが一番槍で身体を店内に入れる事には成功した。

『イラッシャイマセ!』

店内に入ると不意に上記のような自動アナウンスが!入口にセンサーがあり客が入ると自動的にアナウンスが掛かるようだ。う〜むホルモン焼きの食堂とはいえなかなかハイテクではないか。『亀八食堂』は近年改装されたとの事を小耳に挟んではいたが、改装前からこの自動アナウンスがあったかどうかは分からない。
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店内は普通の町のホルモン焼き屋と比べるとかなり広く席数も多かったので驚いた。テーブル席の他に座敷席も豊富に用意されている。我々五名は店内北側の角の座敷席へと陣取った。開店すぐとあって店内はガランとしている。果たしてこれだけの席数がお客で埋まる程、お客さんがやって来るのだろうか・・・。
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『亀八食堂』のテーブル席、座敷席を問わず卓の上にはガスコンロの上に載せられた40〜50cm角の四角い鉄板が置かれている。この鉄板の上でお客自らがホルモンを焼く訳である。座敷に腰を落ち着けた我々は亀八名物の『ワンカップのグラス』にお茶を注ぎ取りあえず喉を潤したのだった。

『亀八食堂』の店員さんはもみあげオヤジさんを含めても3〜4名程しかいないようだ。これだけの規模を誇るお店では少な過ぎるような気がするが、店員はお客さんの注文を聞き材料を鉄板の上に置くのみであり、後の調理はお客さん任せなので手間が全く掛からない。お客さんが帰れば鉄板を綺麗に本通りにする作業だけであるから少人数でもキチンとお店は回って行くのである。ホルモン焼きならではの素晴らしいシステムだ。

しばらく座敷で寛いでいると早速もみあげオヤジさんが注文を取りにやって来た。すでに旅の前にtakeさんは注文する品とホルモンの分量等を把握済みであったので矢継ぎ早に注文し終えてしまった。注文の品は以下の通り。

●ホルモンA(5人分)
●トンテキ (5人分)
●キモ(3人分)
●うどん玉(5人分)
●きゅうりの漬物(2皿)

takeさんが考えた注文内容であるから分量的にこれで間違いあるまい。もみあげオヤジさんは注文の品伝票に書き上げ、しわがれた渋い声を残しつつ厨房方面へと消えていった。ちなみにホルモンと一緒に焼く野菜は注文しなくても分量に合わせて大量に付いてくる。ホルモンAとBというメニューが亀八には存在するがこの違いはよく分らないがどうやら脂身の多い少ないで区別を付けているらしい。基本的に分量は人数分を注文するのがちょうど良く、調整はうどんと御飯で行なうのが『亀八食堂』での正しい食べ方らしい。

そしてしばらくすると注文した品がもみあげオヤジさんの手によって我々の鉄板の上に無造作にぶちまけられた!!
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う〜む・・圧倒的迫力といわざるをえない。これぞ『亀八』といったその光景に我々五名はしばし鉄板上に視線が釘付けとなっていた。一番上に乗るのは亀八特製の味噌『亀味噌』である。つまり味噌仕立てのホルモン焼きという事。そして大量のキャベツとモヤシ。キャベツは一度サッと湯通ししてあるようだ。これらの食材を焦げ付かせぬよう細心の注意を払いながらみんなで掻き混ぜるのである。

我々はtakeさんの指示に従いながら鉄板上のこれら食材の塊に対して箸を向けた。
まさに戦闘開始といった感じである。<つづく>




三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その2

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我々は依然として『亀八食堂』の開店時間である午前11時を駐車場内で待っていた。駐車場内には我々の他、先程も話した三台の大型トラックしかいない。本当に噂通り流行っているお店なのか?・・・と一瞬だが疑ってしまう程の静けさである。開店前から行列になるという事は無いようであった。
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『亀八食堂』敷地のすぐ脇には先程の国道1号(旧道)とJR関西本線が通っている。国道と鉄道の路線に挟まれた土地に食堂の敷地があるといった立地。決して目立つ様な店構えではない。
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国道沿いにあるとはいえ、旧道であり昔ほど交通量は無い。なのに何故この店にそれほどの集客のチカラがあるのであろうか。疑問は深まるばかりである。

しばらくするとお店の方なのか一台のクルマが駐車場内に滑り込んで来て食材らしきものを店の裏に搬入し始めた。開店時間までもうわずかだが、元来がホルモン焼きの店である為に手の込んだ仕込み作業は無いらしく店の方の出勤時間も開店時間ギリギリであるようであった。と、もう一台黒塗りのバンが駐車場に滑り込んで来た。

『伊蔵君!見たまえあれ!【もみあげオヤジ】だっ!』

takeさんが興奮しながらも小さい声で伊蔵に耳打ちした。黒塗りのバンの運転席を見ると頭を短く刈り込み、口にくわえタバコ、上着に白衣を着、下半身には真っ黒なスラックスといった怖そうな出で立ちで顔は限りなく険しいオヤジが乗っているのが見てとれた。まさしくそれは『亀八食堂』の主である“もみあげオヤジ”であった。
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このオヤジさんは亀八食堂の名物オヤジで亀八ファンにはとても人気がある。なにしろネットで「亀八」「もみあげ」このただ二つのキーワードを打込み、そしてググればそれだけでヒットしてしまうほど(笑)怖そうなのに心優しく笑顔がカワイイと評判の名物オヤジなのである。こういう亀八のトレードマーク的なオヤジさんも店の人気の一つの要因なのだろう。

もみあげオヤジさんは黒塗りバンから降りると店内へと消えて行った。
『亀八食堂』、開店までもうすぐである!<つづく>


三重県亀山市・伝説の食堂『亀八食堂』へ/その1

※またまたひとつ別のレポを書きたいと思います。
『遠州浜松』への旅レポの続きはもうしばらくお待ち下さいm(_ _)m

三重県亀山市に有名な食堂がある。その名を『亀八食堂』という。
東名阪自動車道亀山インターを降りてすぐの旧国道1号沿い存在するその食堂は長距離トラック運転手のみならずツーリングを楽しむライダー達、またごく普通の家族連れやカップル、親しい友人同士で賑わう『ホルモン焼き』専門の食堂である。三重県人であればこの食堂の事を知らない人間はいない程の食堂であり昔は三重テレビでコマーシャル放送されていた程である。

伊蔵自身がこの『亀八食堂』の存在を知ったのは随分前の事になる。
当時仕事で三重県鈴鹿市にたびたび出掛けていた伊蔵はクライアントから『亀八』の事を聞いたのだ。当時からかなりの有名店として知られていたらしい。長い事この食堂の存在を忘れていたがある日不意にこの『亀八食堂』が記憶に蘇る出来事があった。

『伊蔵君!三重に有名なB級グルメの店を発見したよ!』

そう言って目を輝かせ語る人物はtakeさんであった。
旨い食材やお店等を日夜ネット検索している彼の目にどうやらこの『亀八食堂』がヒットしたらしい。「それってひょっとして亀山の亀八食堂でしょ?」と記憶が蘇った伊蔵が言うとはたしてそうであった。昔からこの亀八食堂は長距離トラック運転手独自のネットワーク(いわゆるトラック無線や運転手同士の口コミなど)やお客の口コミ等で有名だったが、ネット社会になってからというものそれこそ加速的にこの食堂の存在は一般の人達に知られる事になっているようである。この出来事があってからいつかメンバーを揃えて『亀八ツアー』を組みたいと思うようになった我々であった。

その話題があってからしばらく時が経ってしまったが6月29日日曜日(くしくもニクの日!)に『亀八ツアー』は決行される事になったのである。メンバーは以下の通り。

●takeさん
●たいがぁ氏
●アキラ氏
●草加君
●伊蔵

のいつものメンバー“ホルモン戦隊ゴレンジャイ”である(笑)
このメンバーが集まると必ず当日は雨になるジンクスがある。今回も雨であった・・・。

takeさんとたいがぁ氏、伊蔵はアキラ氏の運転するクルマで亀山入りする手はずになっており、草加君とは現地で落ち合う事になった。晴れていればtakeさんと草加君はバイクで出かける事になっていたものの残念ながら当日は雨。とても走れる状態の天候ではなかったのであった。

当然ながら人気店である『亀八食堂』へは“一番槍”で突入する事が求められた。
開店時間は午前11時との事だったのでそれに合わせて名古屋を出発する事に。雨模様の中、午前9時にtakeさんの店を出発した我々は丸の内インターから名古屋高速へと入り一路三重県は亀山市へ進路をとったのだった。道中ではtakeさんとたいがぁ氏の目下の最重要テーマ『今回の雨について』について果てしのない会話が続いていた。

『流石takeちゃん!雨男だねぇ〜』とたいがぁ氏が言えば
『何言っとりゃ〜す!おみゃ〜こそ天災を呼ぶ男だがや!』takeさんも負じと応戦する。たいがぁ氏が友人とともに福井県へ旅に出た際、石川県の輪島付近を震源とする大地震に見舞われ帰るのに大変苦労したらしい。その事をtakeさんは言っているのだ(笑)彼等のお互いに対する文句は果てしなく終わりが無いのだ・・。
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我々を乗せたアキラ氏のクルマは雨の東名阪自動車道を西南へと走行していたが途中、御在所パーキングエリアにて小休止する事になった。休日とあってクルマは沢山駐車していたものの、流石にツーリングライダーの姿を見る事はなかった。この雨の中をむき出しの身体ひとつで走ろうと思うツワモノはどうやらいないらしい。しばし我々四名はパーキングエリア内の売店を物色、休憩をしたのだった。その後も東名阪を順調に進むはずだったが鈴鹿インター手前からこの雨の影響なのかちょっとした自然渋滞にハマってしまった。流れているだけまだ良かったが。

鈴鹿インターを越えると幾分流れが早くなり順調に進んだ。もうすぐ亀山インターというところで前方の山上に白亜の巨大な工場が見えて来た。
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『シャープ亀山工場』である。敷地面積約33万平方メートル(10万坪)という途方も無い広さと規模を誇る工場では液晶パネルの製造や液晶テレビ(AQUOS )完成品までを一貫して生産している。ここで生産される製品は亀山産(亀山ブランド)としてブランド化していてとても有名だ。『液晶テレビ』『カメヤマローソク』『亀八食堂』は亀山市の三種の神器といっても過言ではあるまい。その工場を右手に見ながら通過すると東名阪亀山インター出口はすぐである。

亀山インターを出た我々は国道1号を少しばかり亀山市街方面へ向けて走った。すぐに新しい道であるバイパスと旧国道とに道が別れる交差点があり我々は旧国道(右折)へとクルマを進めた。目指す伝説の食堂『亀八食堂』はもうすぐのはずだ!予めネットで店の場所は調べておいた。亀山インター方面から店に向かうと建物が死角となって分かりにくいと紹介されてあったが、
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熱帯地方をイメージした毒々しい色使いの派手なラブホテルとその隣のサークルKの斜向かいだとの情報を掴んでいた我々は迷う事無く『亀八食堂』に午前10時半前に無事に到着を果たしたのであった。
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元々、長距離トラック運転手御用達の食堂として始まったと思われる『亀八食堂』の駐車場は必要以上に広大な敷地面積を誇っている。駐車場の面積に比べて店舗の敷地面積は十何分の一ほどでしかない(笑)
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すでに駐車場には三台のトラックが“ガラガラガラガラ・・・”とディーゼルエンジン特有の軽いアイドリング音を立てて駐車していた。この三台は多分前日の深夜にこの『亀八食堂』へと到着し運転手はそのままトラックの運転席で夜を明かし、そして亀八開店と同時に飯を食べてスタミナを十分付けた上で亀山インターから日本各地へ荷物の配送業務へと旅立つのであろう・・・いってらっしゃい!!と伊蔵は勝手に想像を膨らませるのであった。

しばらく駐車場で時間潰しをしていると草加君の乗るクルマが現れた。彼も迷う事無く無事に現着出来て良かった。草加君と会うのも随分久しぶりだったので思わぬ亀山市での再会を我々はお互いに喜びあったのだった。<つづく>




BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/国産車後編

ノスタルジックカーショーのレポも今回が最終回。
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このモスグリーンにスパルタンな印象のクルマは『スズキジムニーSJ10型』。愛知県瀬戸市のレストア専門のあるお店が出展していた車両である。その仕上がりは素晴らしい。レストアに関してはベース車両の状態がかなり良かったらしいがそれでもボディの修復、補強、各部品の交換、インテリア、エンジンに至るまで実に細かく手が加えられているようだ。
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『スズキジムニーSJ10型』は1976年に発表されたクルマでかなり古い。エンジンは冷却2サイクル直列3気筒で排気量は539cc、最高出力28馬力/4,500回転、最大トルク5.3kg-m/3,000回転を発生。車両重量も675kgと非常に軽くその走行性能は高い。このレストア車両では排気量を600ccまでボアアップさせ自社オリジナルのタコ足チャンバーを装着しパワーアップがはかられている。その最高速度は120kmに達するとの事。まだナラシ運転中との事で高回転までエンジンを回す事が出来ないらしいが将来的には11,000回転まで回せる程の驚くべき性能を秘めているらしい。
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こちらは『ダイハツ ミゼット』。実に可愛いクルマである。上の画像の車両はレストア前の車両だがこれをフルレストアした車両も展示されていた。それがこれだ!
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おおお!これは凄い!まるで新車のようではないか!素晴らし過ぎる職人芸である。このミゼットを展示していたのは山梨県南アルプス市にある『復元カレラ』さんというクルマのレストア、その販売・買取、パーツ製作をはじめ骨董品売買・アンティーク売買も行なっている会社のブース。

●『復元カレラ』HP
http://www.restore-g-360.com/index.html

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まさに“復元”の名に相応しいその物凄い高度な技術に伊蔵は深い感銘を受けた。ホント全くの新車のような仕上がり。
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運転席はこんな感じ。全てがピッカピカである。中央のレバーは変速機兼バックギア切替レバーなんだろうが詳しい事は乗った事がないので分からない(笑)
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こういうクルマで旅が出来たらどれだけ楽しいだろう。後部にいろいろ積めるスペースもあるし雨の心配も無い。後部スペースがもう少し長ければ後のスペースで寝られるかもしれないなどと伊蔵の旅への妄想はどんどん膨らんでいく。メーカーさん、このクルマをベースに究極のエコカーを本気で開発しては貰えんだろうか・・・。メーカーはしないかも知れないが個人でガソリン要らずのソーラーカーを作ったりする人が現れそうではあるが。

前々年に訪れて以来のBP名古屋ノスタルジックカーショー2008。
今回も楽しませて貰いました。まだまだ紹介したいクルマやバイクがありますがこの辺でレポートを終了したいと思います。<おわり>


BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/国産車前編

BP名古屋ノスタルジックカーショー2008のレポの今回は国産車編です。
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今回も何台か展示されていた『トヨタ2000GT』。みんな綺麗に手入れされていてとても綺麗で新車の様だ。
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トヨタ車には名車といわれるクルマが何となく少ないのだが“国産車で唯一のボンドカー”に選ばれる程の素晴らしいまでに美しいスタイリング。このクルマは普通の国産車とは別格という事はみな同じ意見だろう。
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こちらは度々ノスタルジックカーショーで見かける『なんちゃって2000GT』(笑)ユーノスロードスターをベースにそれらしく見える様に手の込んだ造りがしてある。
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“ハコスカ”こと『日産スカイラインGT-R』も沢山展示されていた。このノスタルジックカーショーの展示車両の中では最も数が多い・・てか多過ぎ(笑)
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いまさら詳細にこの『GT-R』の名車振りについてここで語る事もあるまい。
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GT-Rのエンジンは水冷直列6気筒DOHC排気量1,989cc、最高出力は160馬力/7,000回転、最大トルク18.0kg-m/5,600回転 を発生する。
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ハコスカの他『ケンメリGT-R』も展示されていた。この他今回は歴代のスカイラインシリーズが展示されていた。
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中でも懐かしかったのがこのスカイライン。通称『ジャパン』と呼ばれるクルマ。展示車両は前期型の丸目四灯(丸目ジャパン)のタイプ。
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このクルマのリアビューはスカイラインである事を強烈に印象付けている。その昔は本当によく見かけたクルマだ。
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こちらもスカイラインシリーズでは有名な『2000RSターボ』。赤と黒のツートンカラーがイカしている。う〜むしかしどうしても過剰な武装とハイテク機器で固めた『西部警察』の車両を思い出してしまう(笑)
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RS系の後期型である通称『鉄仮面』も展示されていた。フロントがグリルレスになっている事からそう呼ばれたクルマである。
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東京モーターショーに出掛けた時にはあまりの人混みで見る事すら叶わなかった最新の『GT-R』。このノスタルジックカーショーで初めて間近で見る事が出来た。見れば見る程『ハコフグ』のような顔つきのクルマである(笑)
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リアはやっぱり丸目四灯。これが一番スカイラインらしく見える。う〜むやはり今回のショーでも日産車は圧倒的に多かった。特にこのスカイラインシリーズは名車といわれるものが多く他の国産車を圧倒している。最後に紹介する日産車はこちら。
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ドラマ『あぶない刑事』でおなじみ『日産レパード』である。このクルマは伊蔵も好きだ。シンプルで端正なその姿と色合いがイイ。
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ドラマもウケて人気のクルマとなった。この後このクルマはマイナーチェンジを経て『レパードJフェリー』へとフルモデルチェンジするのだがそのJフェリーはこのクルマとは似ても似つかない“モッサリ”したスタイリングと変化してしまって非常に残念だった思い出がある。<つづく>



BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/輸入車・後編

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次に紹介するのはもはやスーパーカーの代名詞と言ってもよいほど誰でも知っている『ランボルギーニ・カウンタック』。排気量は5,000cc前後でV型12気筒エンジンを縦置きに載せている。出力は400馬力を軽く越えるというモンスターマシンである。余談だが臨済宗建長寺派圓光禅寺第49代住職でもありタレントの『織田無道』氏はカウンタックのウォルターウルフ仕様車を所有していた事でも知られている。
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前回紹介したミウラも見た目から来る迫力があるがこのカウンタックはそれをも越える奇抜なスタイリングを有している。その姿はあたかも小型宇宙艇の様だ。伊蔵の小学生時代にスーパーカーブームがあったのだがその当時最も人気のクルマとして誰もが知っていた。普通のクルマの概念をデザイン面、性能面、装備面(リトラクタブルヘッドライトやガルウィングドア等)至る所まで打ち破ったクルマとして現在でも不動の存在感を醸している名車だといえるだろう。
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次は『フェラーリ・ディーノ』。イタリアの自動車会社フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの息子の名を冠したクルマだ。そのスタイリングはフェラーリでありながらフェラーリらしからぬ流麗なデザイン。デザインはピニンファリーナである。
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「とても速ぇ〜んだ。フェラーリだからよ!当たり前じゃん」的な威丈高な面が一切見られず、ある種の淑やかさえ感じられるこのディーノ、フェラーリのクルマの中でもこのクルマがやっぱり一番伊蔵は好きだ。
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こちらは『フェラーリ・テスタロッサ』。先程のディーノの控え目さからすると対極に存在する様なクルマである。このクルマが発表された当時は日本では『バブル景気』に沸き立つ前であった。やがて高景気に沸き立つ日本の至る所でこのクルマを見かける事になった為、余計に伊蔵には何ともいえないバブリーな嫌らしさが漂ってくるクルマに思えて仕方が無いのだ。
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高価なクルマでこれに乗っている事自体が一種のステイタスであった時代だった。しかし投資や見栄だけでクルマに乗るなんて事自体がクルマに対して失礼な事だと伊蔵は思うのである。
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こちらは♪緑の中を走り抜けてく真っ赤な『ポルシェ911』(笑)う〜んポルシェ・・・いいねえ。カエルのような愛嬌あるその姿。だが一度アクセルを踏むとリアの空冷エンジンが“バサバサバサ・・・”と唸りを上げて十分に速く走る事が出来るのである。
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カエルの様な可愛いフロントもイイのだが何と言ってもポルシェは『尻がイイ』のである(笑)実にイイ尻のカタチをしている・・・。後期型になるにつれてさらにその尻は肥大化していくのだがこの頃の911の尻が一番イイ。

『SUZUKI GSX1100S カタナ』と『ポルシェ911』との対決をテーマとしたバイク乗りのバイブルと称される東本昌平(はるもとしょうへい)原作の漫画『キリン』ではポルシェ911の特徴的なリア部分を揶揄して“デカ尻女”と称されていた。まぁとにかく伊蔵がここで言いたいのは『ポルシェは尻がイイ』という事です。

この他にも紹介したかった輸入車があるのですが長くなりそうなのでこの辺で筆を置きたいと思います。次回は国産車編です。もうしばらくお付き合い下さい。<つづく>


BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/輸入車・前編

もうしばらくBP名古屋ノスタルジックカーショー2008レポにお付き合い下さい(苦笑)今回はクルマ編、輸入車について書きたいと思います。しかし全部を紹介すると長くなりそうですので気になったクルマのみの紹介とさせて頂きとうございます。
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まず紹介するクルマは『BMW2002 turbo』。数あるBMWの歴代車種の中でもとりわけ伊蔵が好きなクルマである。通称“マルニ”と呼ばれるクルマだ。ベースとなったのは同じ2002シリーズの『2002tii』というクルマでこの“マルニターボ”は2002シリーズの最高峰に位置付けられる。1973年にフランクフルトショーでデビューした。
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このクルマは心臓部に排気量1990cc直列4気筒SOHCターボチャージャーエンジンを積み5,800回転で170馬力、4,000回転で24.5kg-mを発生する世界初の量産ターボカーとして知られている。見た目からも分かるが車体は非常にコンパクトに造られているのでこれだけ高出力のエンジンで引っ張れば速く無い訳がない。
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クルマ然としたこの何の変哲もないスタイリング・・・。なのになぜこうもカッコイイのだろうか。捻りも何も無いスタイリングはある種のスパルタンさを醸し出すのかもしれない。現在でも人気の高いクルマである。
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次に紹介するクルマは“走る潜水艇”こと『ロータスエスプリ』(笑)なぜ潜水艇と呼ばれるのか分かる人はきっと映画007シリーズでの衝撃的シーンを見た人達であろう。
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007シリーズ第10作目『007私を愛したスパイ』においてこの『ロータスエスプリ』は“ボンドカー”として登場するのである。しかもロジャー・ムーア(当時のボンド役)の運転するこのクルマ、カーチェイスどころか海に潜る事も何のその潜水艇に変型してしまうのである(笑)
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そもそもこのクルマのスタイリングが潜水艇にしてもおかしくない形をしているので水中でロータスエスプリが漂っていても何も違和感は無かったのだが海の中での危機を脱した後に波打ち際から砂浜へ普通に水中から何事もなかった様に走り出て来る『ロータスエスプリ』に凄まじい衝撃を感じた日本国民はきっと多数いるであろう(笑)

これ程の映画界に登場したクルマの中で衝撃を感じるのはこの『ロータスエスプリ』とバック・トゥ・ザ・フューチャーの『デロリアン』くらいなものだ。あと個人的に挙げるなら映画『キャノンボール』でジャッキー・チェンとマイケル・ホイが乗っていたハイテクマシン『スバル・レオーネ』、映画『ザ・カー』に出てきた誰も乗っていないのに走る漆黒の殺人カー、映画『クリスティーン』に出てきた学園の不良グループにメチャメチャに破壊されても翌日までに自己修復し新車に治ってしまい自分を破壊した不良グループに対して復讐に自分で勝手に走って行ってしまう巨大な真紅のアメ車も好きである(笑)

少し話が逸れた・・・

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イタリアの猛牛・三浦さんも展示されていた(笑)『ランボルギーニ・ミウラ』である。このクルマを伊蔵は初めて間近で見たが見れば見るほどこれはイタリア人にしか造れない造形美だろうと思った。
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トラクター販売等で成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニ氏がフェラーリに対抗すべく立てた会社がランボルギーニ社。その会社で生産されたクルマの代表格がこの『ミウラ』である。随分昔の『スーパーカーブーム』の際もこのクルマは大人気を博していたものである。
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このクルマの奇抜なデザインを手掛けたのはマルチェロ・ガンディーニ。イタリアのデザイナーだ。机上の奇抜さだけに留まらず実際にそれを製品として販売してしまうランボルギーニ社も凄いし偉い(笑)
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V型12気筒の巨大なエンジンは運転席の直ぐ後(ミッドシップ)に横置きに置かれ、最高出力は実に350馬力を叩き出すという。これだけでも当時は大騒ぎとなった。そんなクルマは日本はおろか世界にも類を見なかった為大変な話題になってこれは当然である。流石は前身がトラクター会社、やる事なす事が牧場や農園のように実にデカイ(笑)<つづく>


BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/小排気量バイク編

今回は小排気量バイクのご紹介。
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小排気量バイクで古いものといったらやっぱりホンダスーパーカブ。今回のショーでもやっぱり来ていた。
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1958年製『ホンダスーパーカブC100』だ。排気量49cc、空冷4サイクル単気筒OHVエンジンは9,500回転で4.3馬力を発生する。現在の原付カブに比べて高回転でしかも出力も高い数値となっている。
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この初代スーパーカブには現在のカブのような無骨な感じはなくどことなくデザインに優雅さを感じる。だが基本的なデザインはほとんど変わってはいない。半世紀もの長きに渡って生産され生き残ってきた偉大なバイクである。
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同じスーパーカブでも上の画像のような変わり種もあった。カブ生産50周年を記念して造ったというカスタムモデルである。赤い方はレーサー仕様、モスグリーンの方はツーリングカスタムの様だった。ちょっと見た目にはベースがスーパーカブとは思えないがエンジンやフレーム部分、フロントフォーク部に目を凝らしてみると紛れもなくカブだと分かる。
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カブ用のカスタムパーツは数えきれない程販売されているがここまでカスタムしてあるバイクはちょっと珍しい。カブ用のパーツだけでなくカブ系(ベンリーやモンキー等)パーツも使われている。そのまま取り付けられないパーツについてはステーを自作して取り付けてあるという。
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しかしカッコイイなぁこのカブ(笑)メーカーにもこれくらいのバイクを造れる力があればいいのにと思わずにはいられない。
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こちらは『ホンダ ベンリィSS50』。空冷4サイクル単気筒OHCエンジン、排気量49ccは11,000回転で6馬力を発生するという物凄い高回転・高出力型のエンジンを搭載している。
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紛れもなく原付バイクだが現代の原付バイクの様な安っぽさは全く無い。むしろ高級感さえある。現在のバイクのパーツというのは軽い樹脂製のパーツで覆われているのでどうしても安っぽさが漂ってしまうのである。
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それに比べるとこの当時の原付バイクの姿はどうだ。ほとんどのパーツが金属製なので実に高級感がある。しかもこのスマートさに加えたカッコいいデザインといったら何ともいえない。最近まで同名のバイクが当のホンダから生産・販売されてはいたもののここまでのスマートさと洗練されたカッコよさは残念ながら無かった。
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これは“CB”の名が初めて付けられた市販スポーツ車の元祖的存在のバイク『HONDA ベンリィCB92スーパースポーツ』。空冷4サイクル2気筒OHCチェーン駆動、排気量124.67cc、10,500回転で15馬力を発生し最高速度は130キロに達する高性能スポーツバイクだ。
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ズングリしたデザインのバイクだがどのバイクにも似ていないところがかえって素晴らしい。高性能さやスピードを求めて行くとどのバイクも結局同じデザインに行き着いてしまうものだがこの時代のバイクにはどれもメーカーそれぞれ個性的な独自のデザインが見られとても興味深い。<つづく>


BP名古屋ノスタルジックカーショー2008/大型バイク編

浜松の旅のレポートの途中ですが別の話を挟ませて頂きます。
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6月22日の日曜日、毎年この時期に名古屋港のポートメッセ名古屋で開催される古き良き時代の名車が集まる祭典『BP名古屋ノスタルジックカーショー』に二年振りに伊蔵は出掛けた。前々回のショーの模様に付いてはこの伊蔵通信でもレポートさせて頂いた事がある。悪天候の中、伊蔵は名古屋駅から『あおなみ線』を使って名古屋港方面へと向ったのであった。今回はまずこのショーで展示されていた古いバイクの紹介をしよう。
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ノスタルジックカーショーはそのほとんどが古いクルマの展示だが最近はバイクの展示も多くなって来た。上の画像はKAWASAKIの新旧『Z』シリーズの数々。名車がこれだけ揃うのも珍しいがそのコンディションの良さも驚く程に素晴らしい!
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これは『KAWASAKI Z1(ゼットワン)』。川崎重工業が1970年初頭から主に北米向けに輸出・販売されていた排気量903ccの大型バイクである。
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このバイクの心臓部である空冷4サイクルDOHC2バルブ並列4気筒エンジンは82馬力を発生する。
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このバイクの素晴らしい点はいくつ挙げてもキリがないが、まず一つ挙げるとすればその美しいスタイリングであろう。このバイクが登場するまでのバイクのスタイリング(特に大排気量車)はどれもズングリムックリしているのが普通であった。それに比べこの『KAWASAKI Z1』の姿の美しさはどうだ!ボリューム感に溢れたフューエルタンクからシート、そしてテールにかけての流れる様なデザイン・・・。銀色に輝く巨大な空冷DOHCエンジンから後部へと跳ね上がる様に延びる4本マフラー。まさに芸術品である。
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30年以上も前のバイクであるが古臭さは微塵も感じさせない優れたデザインである。そのデザインの良さ、軽快感、加速のよさが受けて大いに売れた。
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国内のみならず元々輸出用として開発されたバイクなので海外でもこのバイクのファンは大勢いる。またメル・ギブソン主演で彼の出世作でもある映画『マッドマックス』にも悪の暴走族「トーカッター一味」が乗るバイクとして多数登場する事でも知られている。この事からも海外で非常に売れていた事が分かる。
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次に紹介するバイクは『HONDA CB750Four』。本田技研工業が1960年代末から販売していた大型バイクである。当時すでに二輪のロードレース世界選手権を制覇していたホンダは販売面においても海外へと進出すべき時期に来ていた為、この大型バイクの開発が始まった。この当時のホンダの二輪製造技術の粋を全て盛り込んであるバイクである。CB750のエンジンは空冷4サイクル前傾並列4気筒OHC。排気量は736ccで67馬力を発生する。
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川崎重工業も同時期に4サイクル4気筒エンジンの大型バイクの開発を進めていたが開発競争はホンダに先を越される形になった。川崎重工業はホンダに遅れること数年後に先程も紹介した『Z1』を誕生させる。CB750は『750(ナナハン)』の代名詞になった記念すべき名車であるがスタイリングはやはり『Z1』に軍配が上がるだろう。お世辞にもスマートなバイクでは無くエンジンの幅もある事から“CB750に乗るとガニ股になる”とまで揶揄されたとか。この『HONDA CB750Four』も『KAWASAKI Z1』とともに現在でもかなりの人気車種で程度の良いものやフルレストアされた車両などは驚く程の高値が付いている。
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この時代のバイクはなぜか素晴らしくそして美しい。昨今のバイクに見られる様な便利さ、快適さを重視した装備などは全くといっていいほど無い。そういう余計なものは一切削がれ“走る”というただそれだけの為に存在している様な感じである。走る事のみに当時の技術が全て傾けられ生まれた名車といわれるバイクらしいバイク達。本当の美しさとはシンプルである事なのかもしれない。<つづく>



『遠州浜松』への旅/その20・さらば掛川

掛川城御殿レポの続きです。
御殿の玄関から西側周りで『三の間』『次の間』『御書院上の間』『小書院』『長囲炉裏の間』と順に見学して来た伊蔵は御殿の東側へ続く通路を進んでいた。東側部分には上級武士(目付・奉行など)の部屋のほか下級武士(足軽)など藩内の政務を行なう役人達の各部署の部屋が集中していた。これらの部屋は畳張りではなく板張りの部屋が多い。現代人からすればとても質素で暗く狭いと感じる部屋ばかりであった。
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こうした殺風景な部屋ばかりを延々と観光客に見せても詰まらないので東側の部屋では甲冑や刀剣類、大名行列のミニチュアなどの展示物が置かれていたりした。たまたま展示されていたのが上の画像。山内一豊とその妻・千代が主人公の大河ドラマ『功名が辻』で使用された例の“十両の小判”。先にも話をしたが千代が大切に保管していたお金で夫の功名の為に馬を買ったという逸話の小判である。これら展示物の他にも色々な物があったが極め付けはこれ。
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『信長製ゴールデンスカル三点セット(盃加工済み)』である(笑)これもドラマ功名が辻で使用されたもの。左から

●『浅井長政(あざいながまさ)』
●『朝倉義景(あさくらよしかげ)』
●『浅井久政(あざいひさまさ)』

いずれも『織田信長』に滅ぼされた戦国武将達の髑髏である。
信長は北近江の浅井氏と越前の朝倉氏を滅ぼした翌年の新年の祝賀の席で彼らの頭蓋骨を金箔で塗り込めさらに頭頂部を切断し盃にして自分の部下達にこの盃を使って酒を飲ませて戦勝と新年の祝いをしたと伝えられている。いくら敵であった相手とはいえこの信長やり様は異常だが『天下布武』を旗印に天下の統一を急いでいた信長にとって歯向かう相手に対しては徹底的に容赦のない弾圧を与えて滅ぼしてしまわねばいつまでたっても戦乱の世は終わらないと感じていたからなのだろう。

掛川城御殿で一番脳裏に焼き付いたのがこの“黄金髑髏”だった伊蔵であった・・・。

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御殿を見学し終えた伊蔵は掛川城全体を望める公園で一休みして今後の予定を立てる。今夜の浜松市内に予約してあるお店に行く為に昼飯を抜こうと伊蔵は考えていたがせっかく掛川市に来たので何か食べようと思い御殿内に置いてあった掛川市の観光ガイドマップを広げ思案していた。
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結局、旧東海道沿いにある商店街のそばとうどんのお店『まる金』さんへ入る事にした。店内に入るとお客さんが一人のみ。店内に据え付けられたテレビにはニュースが流れていた。そのニュースの音声のみが店内に響いていてどこかうら寂しい。まぁこういう静かな店の方が伊蔵は落ち着ける為、特に苦にはならなかった。
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伊蔵が『まる金』さんで注文したのは『親子南蛮そば』700円也。これといった特徴が無い味ではあったものの歩いて腹が減っていた伊蔵は美味しく頂いた。

そばを食べ終わると早々に『まる金』さんを後にして伊蔵はJR掛川駅へと足を向けた。街自体には活気というものは無かったものの山内一豊の建てた掛川城は立派であった。思い切って足を運んだ甲斐は十分にあったと思う。伊蔵は掛川を後にして浜松へと向かった。<つづく>