2008-08

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『近江国・彦根』への旅/その7・彦根城博物館・表御殿

彦根のイメージキャラクター“ひこにゃん”との対面を終えた伊蔵は、『彦根城博物館』を見学する事にした。『彦根城博物館』は江戸時代に彦根藩の政庁であった表御殿の復元と博物館としての機能を一つにするという構想のもとに建設された施設である。彦根市制50周年を記念して昭和62年に開館した。徳川家譜代大名筆頭井伊家に伝わる武具をはじめ、各種の美術工芸品、古文書等様々な品々が展示されていて面白い。

彦根城博物館の館内中央には江戸時代の大きな『能舞台』が現存しておりかなりの迫力があった。これら展示スペースの最奥部に『表御殿』の中でも藩主が日常生活を営んだとされる“奥向き”と呼ばれる建築物が木造で復元されていた。展示スペースとの境界は重い鉄扉で仕切られていた。伊蔵はその鉄扉を開けてその“奥向き”スペースへと足を踏み入れたのだった。
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なかなか本格的に復元されていて感心。御殿内は迷路の様に通路が続いていた。但し現代の日本人の身長サイズに比べ御殿内の天井高は相当低い。御殿内部の各部屋に入る時など頭上に気を付けないと鴨居に頭をぶつけてしまう位に低いのである。たかだか二百年そこそこの間に日本人の体格が随分変化しまったという事である。
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これは『天光室(てんこうしつ)』と名付けられた四畳半の茶室。彦根藩13代藩主『井伊直弼』は幕閣の国政を担う政治家として知られる一方、茶の湯、国学、禅、居合などにも熱心な文化人でもあった。特に茶の湯については石州派の一派を創設、『茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう)』などの書物を著すほどの茶人であった。この『茶湯一会集』の冒頭には“一期一会”(今日のこの時の出会いは二度と再び巡ってくる事はない。今この時を大切に思い、心を込めて客をもてなすという茶道の考え方)の思想が主張されている。狭い茶室だがその茶の湯の思想は大きい。この狭い茶室の中にその思想自体が簡潔に充満しているように感じる。
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その後も伊蔵は表御殿内を隈無く歩き回った。各部屋の様子は藩主の居住空間としては少々狭くとても質素に感じた。最奥部にある藩主自身が寛ぐ部屋『御亭(おちん)』という部屋も驚く程に質素で狭い。ただ庭は立派だった。
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復元されて間も無い庭なので渋さとか威厳とかというものが無いが、これから年月を経ていく毎に風格ある庭になって行くだろう。規模はかなり広い庭であった。
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木造の表御殿復元部分についてはエアコンなどは勿論設備されておらず見学自体とても暑かったが一通り回って伊蔵の『表御殿』見学は終わった。次の目的地はいよいよ彦根城の天守閣である。伊蔵は天守へと続く石段をのぼり始めたのだった。<つづく>






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『飛騨のお土産』参上!!

彦根の旅レポの途中ですがここで別のお話。
先日の事、突然飛騨方面へ泊まりで買い出し出掛けたというtakeさんよりお土産を頂いた。彼は郡上・荘川・高山方面へと出掛け『鮎三昧』と仕入れの旅であったという・・。鮎は伊蔵の大好物である川魚。うらやましい限りである。takeさんが旅から帰って来た日の晩に伊蔵はお店に出掛けてみた。密かに『鮎土産』を楽しみにしていた伊蔵ではあったがどうやら手に入れる事は叶わなかったようだった。残念・・・。その代わりと言っては何だがtakeさんは別のお土産を買って来てくれていた。飛騨高山で手に入れたというそのお土産はスナック菓子であったがただのスナック菓子ではなかった!
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『白影スナック・伽哩棒(カレー味)』

むむむ!こっこれは!!その昔、伊蔵が好きだった特撮テレビ番組『仮面の忍者赤影』(原作・横山光輝)に登場する白影さんではないかっ!なぜこのようなスナック菓子が高山に!?と一瞬思ったのだが、考えてみれば忍者『赤影』とその仲間達『青影』『白影』の出身地の設定は“飛騨”だったという事に気が付き納得。『鮎』が食べれないのは残念だったが、この思わぬお土産は伊蔵を喜ばすには十分の品であった。
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『仮面の忍者赤影』という番組の時代設定は日本の戦国時代末期、織田信長の京都上洛前、豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃となっている。日本史でいえばこの時代の最も最先端の武器は『鉄砲』であったはずだが、そこは子供向けの特撮娯楽番組という事で時代背景無視の突拍子のない武器や空飛ぶ兵器、怪獣等が次々と登場する。
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これが子供達の心を掴んで離さず『仮面の忍者赤影』は当時の人気番組だった。当の伊蔵も大好きな番組であった。そんな人気番組という事もあって『仮面の忍者赤影』は長期に渡って放送され、ストーリーも、

●『金目教編(きんめきょうへん)』
●『卍党編(まんじとうへん)』
●『根来編(ねごろへん)』
●『魔風編(まふうへん)』

大きく四つのパートに分れていて飽きるという事が無かった。特に記憶に残っているパートは『金目教編』と『卍党編』であとの二つのパートについては断片的にしか覚えてはいない。菓子袋の裏面には物語冒頭の懐かしいナレーションが記載されている(金目教偏での冒頭のナレーション)。
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“豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた。それを信じない者は恐ろしい祟りに見舞われるという。その正体は何か。藤吉郎は金目教の秘密を探るため飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ・・・”

takeさんから貰ったこの『白影スナック』の他にも『赤影スナック(飛騨牛ビーフ味)』『青影スナック(紅芋バターしょうゆ味)』などがあるようだ。赤影や青影がピンチに陥った時、空の彼方から『影』と大きく墨文字で書かれた大凧に乗りサイレンの音とともに現れ、
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『あぁ~かかげどのぉぉぉ~~!!(赤影殿~)』

と叫びながら助けに現れる格好良い白影のおじさん(牧冬吉さん)が伊蔵は好きだった(大凧は敵に攻撃されていつも燃えてしまうがなかなか空から落ちない・笑)。なのでこの『白影スナック』の飛騨土産はとても嬉しかった。

早速家に帰って『白影スナック』を頂いた。カレー味という事で辛いのかと思ったらそうでもなく、ほんのりとした優しい辛さのスナック菓子であった。その味は“優しいおじさん白い影”そのままの美味しさだった。有難う白影のおじさん!

●白影のテーマ(Youtubeより)
http://jp.youtube.com/watch?v=6ECRy_rTGbk

●仮面の忍者赤影(主題歌)
http://jp.youtube.com/watch?v=wTVPc1w7EF4&feature=related

●油断禁物の術(2001年公開/『RED SHADOW 赤影』より)※伊蔵のお気に入り
http://jp.youtube.com/watch?v=6BV_rd1eROo&feature=related




『近江国・彦根』への旅/その6・“ひこにゃん”現る!!(2)

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係員のお兄さんの合図が出たにも関らず、当の『ひこにゃん』はなかなか会場内に姿を見せなかった。見せないというより照れて入って来ないという感じの仕種でチラリ・・・と戸口の付近に留まっているようだ。これだけの仕種の可愛さで観光客達の拍手喝采を取ってしまうのだから凄い。『ひこにゃん』はその歓声に応え、モチのような身体と短い足でヒョコヒョコと会場の中央まで移動して来たのだった。
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ここでこの彦根市のイメージキャラクター『ひこにゃん』について語らねばなるまい。このイメージキャラクターは元々昨年に彦根市で行なわれたイベント『彦根城築城400年祭』のイメージキャラクターとして誕生した。デザインをしたのは大阪府の桜井デザイン所属のイラストレーター『もへろん』氏である。

このイベントを広く全国の人達に知ってもらう為にと考え出された『ひこにゃん』であったが、この着ぐるみのキャラクターの“ゆるさ”“可愛さ”がなぜか多いにウケてしまいマスコミに多く取り挙げられる事になった。その為、当の『彦根城築城400年祭』のイベント内容等がひこにゃん人気の影になってしまい、霞んでしまうという笑えない事態にもなったのである。イベントは無事に終了したが『ひこにゃん』の人気は衰えず、今ではすっかり彦根市のイメージキャラクターとして定着してしまったようだ。
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『ひこにゃん』の外見状の特徴は白い猫が金色の角の装飾が施された赤い兜を冠っているというもの。これにはちゃんと由来というものがある。

何故『猫』なのか。これは彦根藩二代藩主『井伊直孝(いいなおたか)』が豪徳寺という寺の門前の大木の下で雨宿りをしていたところ、白い猫が現れ直孝に向かって手招きをしたという。『??』と思った直孝はその白い猫の方へ近寄ってみた。すると先程まで雨宿りをしていた大木に雷が落ちた。直孝は猫の手招きによって命を救われたのだった。直孝はこの白い猫に感謝し、豪徳寺を井伊家の菩提寺としたという逸話が元となっている。

ひこにゃんの冠る朱色の兜にも意味がある。
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これは『井伊の赤備え(いいのあかぞなえ)』からきている。赤備えとは戦国時代の軍団編成のひとつ。井伊家の率いる軍勢は甲冑や武具、旗差物に至るまで全てが朱色に塗られていた。その軍勢の精強さは比類がなく『井伊の赤鬼』と呼ばれて敵側から大いに恐れられたという。

元々この“赤備え”の軍団編成は井伊家のものではなく、甲斐の武田信玄が作り上げたものであった。武田家滅亡後、信玄が作り上げた軍団の強さを十分に認めていた徳川家康は武田家の旧臣達を多く召し抱え、特に井伊家の下に配属せしめた。井伊家の軍勢の強さの秘密はこれら武田家の旧臣達の力が大きかったのである。以後井伊家の軍勢はその強さと赤備えという編成を武田家から受け継ぐ形になった。
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このように彦根のイメージキャラクター『ひこにゃん』の外見上の特徴は、彦根の発展に大いに寄与した井伊家に伝わる逸話や、軍団編成の特徴を両方とも兼ね備えたものだと言えるのである。しかしながら会場での『ひこにゃん』にはそうした由来の勇猛さというものは全く無くとてもカワイイのである(笑)全国にキャンペーンがあれば出張していく事もあるというこの『ひこにゃん』、撮影慣れもしているらしく観光客が撮影しやすいようにちゃんとポージングもしてくれる可愛い奴なのだ。
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やがて『ひこにゃん』と観光客同士の2ショット撮影会が始まったのだが、予想以上に『ひこにゃん』と一緒に写真に収まりたいと考える観光客が多くて驚いた。驚いたと同時に『ひこにゃんの“中の人”も大変だよなぁ~』と思わずにはいられなかった。一体“中の人”にはどんな人が入っているのだろう・・・。交代人員は勿論いるだろうが、これだけ気温が高く暑い日には着ぐるみ内の温度は相当なものになるだろう。

可愛く愛橋の良い『ひこにゃん』のパフォーマンスを見ていると“中の人”はひょっとすると女性なのであるまいか・・と勝手に推測する伊蔵であった。2ショット撮影会で盛り上がる会場を後にしつつ『ひこにゃん』に別れを告げた。実際に『ひこにゃん』を目にして見たがその可愛さというものは伊蔵に十分に伝わったし、このキャラクターに人気が出るのも分かる様な気がした。<つづく>

※追記
彦根市にはこの『ひこにゃん』の他にもキャラクターが存在する。井伊家より前の彦根の主人である石田三成をモチーフにした『みつにゃん』、三成の家臣である島田左近をモチーフにした『しまさこにゃん』がいる。ちなみこの二匹の猫キャラと『ひこにゃん』は関ヶ原の戦いでは敵同士であった為、ライバルという間柄といえる。残念ながら今回の旅では見かける事がなかった。

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◆ひこにゃん特設サイト
http://hikonyan.hikone-150th.jp/


『近江国・彦根』への旅/その5・“ひこにゃん”現る!!(1)

『表門橋』を渡り終えると右手に大きな建築物が見えて来る。
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『彦根城博物館』と復元された『彦根城表御殿』である。以前に伊蔵が彦根城を訪れた際にはこのような建物はまだ無かったように記憶している。

博物館前のチケット売場で彦根城・博物館・玄宮園を巡る事が可能な共通券を購入。まずは『彦根城博物館』内に入ってみる事にした。博物館の入口で何かのイベント案内している人がいた。耳をすませてよくよく聞いてみると、なんと三時から『彦根城博物館』内に彦根市が誇る大人気マスコットキャラ“ひこにゃん”が現れるという!伊蔵は慌てて時間を確認した。三時まであと数十分であった。伊蔵はそそくさと博物館内へと移動したのだった(笑)

博物館内に入るとちょっとした会議室へと案内された。この会議室が『ひこにゃん登場場所』となっているらしい。すでに室内は家族連れやコアなひこにゃんファンで埋まっていた。伊蔵は室内の最後尾にあぐらをかき、今や遅しとその『ひこにゃん』の登場を待ったのである。
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『ひこにゃん』は大きなイベントの予定が入っていない場合は彦根城天守閣付近やこの博物館に時間区切った形で観光客にその姿を見せているらしい。登場場所や時間については『ひこにゃん専用ホームページ』なるものがちゃんとあり、スケジュール表等で確認が可能となっている。そしてやって来た登場時刻午後三時。登場前に係員のお兄さんが我々観光客の前で『ひこにゃん』の登場に際しての注意事項を説明しはじめた。主な内容は以下の通りであった。

●ひこにゃんに対してみだりに叩いたりケリを入れないで可愛がって下さい。
●ひこにゃんとの2ショット撮影は可能ですがお客さんの人数が本日は多いのでひこにゃんの体力を十分に考え、時間を区切らせて頂く場合があります。

との事であった(笑)『ひこにゃん』の体力を考え・・という下りはウケた。このような気温の高い日にはひこにゃんの“中の人”も全身キグルミなので相当に体力消耗が激しいのであろう。注意事項の確認の後、ついに『ひこにゃん』の登場となった。会場内に一斉に携帯カメラ、デジカメの起動音等がそこかしこで鳴り響き、観光客達の視線が入口付近に集中した!伊蔵もその中のひとりである。そして・・・・入口付近に“ひこにゃん”が姿を現わした!<つづく>


『近江国・彦根』への旅/その4・彦根城表門へ

彦根城中濠へと達した伊蔵、中濠沿いの松並木(いろは松)の道を進む。前方に中濠に架かる橋があり横幅の長大な建物が見えて来る。『佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)』である。
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佐和口多聞櫓は佐和口門と言われる彦根城への入口の一つの両側に建てられた長屋状の建築物である。上の画像は佐和口門を正面に見て右側の建物でこちらは昭和35年に復元されたもので鉄筋コンクリート造である。佐和口の左側の建物は創建当時そのままの姿で残っている建築物で重要文化財となっている。
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これが彦根城佐和口門。昔は櫓門があったらしいが今は残っていない。現在はこの入口で左右二つに別れてしまっている佐和口多聞櫓は佐和口櫓門が存在した当時はこの門の上で繋がっていた姿をしていたという。伊蔵は佐和口門、巨大な多聞櫓の間を歩いた。道はこの門で屈曲状になっており先へと続いている。

さらに進むと彦根城の内濠が正面に見えて来る。左手には元禄時代に建てられたという重要文化財である『馬屋』が長々と続いていた。城内に当時のままの馬屋が残っているのはここ彦根城のみという事で大変貴重な建築物らしい。伊蔵が訪れたこの日はこの『馬屋』が特別公開されていた。
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『馬屋』の建物の前や内濠沿いに続く道には『井伊直弼と開国150年祭』のイベントの幟がいくつも設置されていた。幟には彦根のマスコットキャラクターである『ひこにゃん』もプリントされている。伊蔵は彦根城の表門へと続く内濠沿いの道をさらに歩く。表門といっても今は門は残されてはいない。内濠を跨ぐ木造の橋『表門橋』が架かっているのみである。
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内濠を跨ぐ木造の『表門橋』のたもとには彦根城の石碑が置かれていた。石碑には、

『琵琶湖八景 月明 彦根の古城』

と、刻まれている。漆黒の夜空に青白く輝く月。その月光が琵琶湖の湖面を白くゆらゆらと照らし、まるで琵琶湖に浮かぶ島のような彦根山の山上の古城を幻想的に浮かび上がらせるその情景を伊蔵は想像した。う~む・・・これは実際に見たとしたらさぞかし美しかろう・・と思いつつも琵琶湖八景という事は、この彦根城の他に七景あるわけで一体それは何処なのだろうか??という疑問が沸き上がって来てしまった(笑)
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『表門橋』から内濠の石垣を見ると他の城郭にはほとんど見られない珍しい遺構を見る事が出来る。濠の水面からいきなり高い石垣が切り立っているのが普通の城だが、ここ彦根城では高い石垣の外側にもう一つ小さな石垣が設けられ二重になっている。その間には土手がありまるで鉢巻きの様にグルリと石垣を取り巻いているのを観察する事が出来る。
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これは城郭用語で『犬走り』という。この土手状の部分、敵が濠を越えて攻めて来た場合の一種の“緩衝地帯”で城の防御機能の役割を果たしているのだ。また一説には地盤の緩さを補強する為の手法であるともいわれている。この手法を用いた城は少なく江戸城と会津若松城の石垣の一部にわずかに見られるのみだという。

伊蔵は『表門橋』を渡りいよいよ彦根城の中心部へと足を踏み入れたのだった。
<つづく>



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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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