2008-09

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『近江国・彦根』への旅/その16・『焼牛たかし』さんにて(2)

『焼牛たかし』さんの店内最奥部のカウンター席に一人座り『ニラと玉子の炒めもの』を摘みながら生ビールも二本目に入っていた伊蔵は徐々に気分も解れ始めてきていた。実に静かなお店でゆっくりと過ごす事が出来るので本当にこのお店に決めて良かったと思った。

『今日はこちらへ観光ですか?』

カウンター席の向こう側の厨房にいた女将さんがまるで“美智子皇后陛下”のような声で伊蔵に問い掛けて来た。『ええ・・まぁ気ままな一人旅です。』伊蔵は少々苦笑気味に答えながらビールをひとくち口に含み、この彦根市には何度か訪れた事はあるがこの街に泊まっての旅というのは初めての事などなど女将さんと話したりした。一方の親父さんは黙って黙々と仕事をこなしておりなかなか話をするキッカケが掴みにくかった。
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伊蔵が『近江牛』の第一段として注文させて頂いた品は『近江牛のサイコロステーキ』であった。ドドーンと近江牛ステーキを注文しても良かったのだが寄る年波というやつで大量の肉を身体がすでに受付けなくなって来ている。ここは一品一品少量で『近江牛』を堪能しようと考えた末、この品を選択した訳だった。
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伊蔵の座るカウンター席の正面で親父さんが焼いてくれた近江牛が細かくサイコロ状に刻まれ小皿に盛られて運ばれて来た。大根おろしとポン酢、辛子で頂く。近江牛の焼き加減も絶妙だ。その断面は中がうっすらと赤くレアな状態で外側は程よく焼けている。何も付けずにそのまま口にコロリと運んで味わうとジュワジュワと甘~い肉汁が口一杯に広がり、美味しい事この上なかった。おろしポン酢との相性も良くさっぱりと頂いてもこれまた旨いし辛子をチョイと付けて食べるのも刺激的アクセントが肉の甘さと溶け合って美味しいのだ。

いつの間にか生ビールも飲み尽くしていたので生冷酒を一本注文し、サイコロステーキをつまみにチビチビやる事に(笑)この頃にはカウンター席に居た二人連れのお客さんもお勘定を済ませ店を後にしており、小上がりの二組の内の一組も引き上げていた。新たに訪れるお客さんは居ない。そんな様子を眺めて居た伊蔵を見て知ってか知らずか

『飲酒運転の罰則が厳しくなったでしょぉ・・お客さんも減ってるんですよ。』

女将さんが“美智子皇后陛下”口調で話し掛けて来る。確かに小料理屋や居酒屋等の飲み屋全般は道交法の改正によって集客数が減っているのは事実。『大変でしょうねえ・・』と伊蔵が答えると女将さんは苦笑の表情を浮かべていた。親父さんはお客さんから注文が入った時にだけ厨房に現れ仕事を地道にこなすという感じだった。

生冷酒がいつの間にか無くなっていた(笑)もう一本注文。合わせて『近江牛のタタキ』を注文しようと女将さんに声を掛けると先程まで黙って仕事をこなしていた親父さんが

『今日はタタキより刺しの方がいいよ。』

と言われた。ここは親父さんの言う事に従った方が美味しい物を頂けるかもしれない・・と思い素直に『近江牛の刺身』に注文を切替える事にした。『近江牛』という“牛肉”に対して親父さんは一方ならぬ愛着というか魂の様なものを持っている感じで、その日の美味しい『近江牛』の部位をお客さんに味わって欲しいと強く勧める事に感して実にはっきりとした物言いをなさる。伊達に怖い顔をしている訳ではない。仕事に厳しい職人なのだ。

ますます親父さんが気に入ってしまった。
もう少しお酒を飲んで親父さんと話しやすい気分になってからいろいろと聞いてみようと伊蔵は思ったのだった。<つづく>




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『近江国・彦根』への旅/その15・『焼牛たかし』さんにて(1)

さてお目当てのお店『焼牛たかし』さんの店頭に辿り着いた伊蔵。早速真っ白な暖簾をくぐってみた。入口の脇に本日のお品書きがホワイトボードに手書きで書かれていた。
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勿論『近江牛』がメインだがその他にも居酒屋メニューもちょこちょこあるようだ。いつものことながらだが少々緊張しつつも『焼牛たかし』さんのお店の戸をガラガラと開けた。店内左側にカウンター、左側に畳敷きの小上がりというレイアウト。
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居酒屋風ではあるが清潔で明るい店内であった。小上がりには二組のお客さんが既に座っており、カウンター席には二人連れのお客さんが座っていた。例の如く伊蔵は店内最奥部の端っこのカウンター席へと座ったのだった。偶然にも目の前が近江牛を焼く“焼き場”になっていた。これは近江牛を焼く香りも楽しめそうだ(笑)

下調べの通りお店を切盛りするのはご夫婦お二人。ご主人である親父さんは職人そのもの。厳しさに満ちているといった感じで第一印象はとても怖そうでこれも下調べ通りであった。逆に女将さんの方はとてもおっとりした感じで優しい表情が特徴的な方だった。今日の日中はとても暑かった為、伊蔵の喉はカラカラに乾いていた。取りあえず生ビールを注文する事に。
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生ビールで喉を潤しているとおもむろに親父さんがカウンターの向こう側から『つきだしです。』と渋い声で差出してくれたのが上の画像。あっさりとした三品。牛蒡と牛肉と玉葱、人参を砂糖醤油で味付けしたものとタコと胡瓜の酢の物、鶏肉の南蛮漬。どれもしっかりと味がしみ込んでいて旨い。

あとは何を注文しようか・・・店内に書かれたお品書きをツラツラと眺めてみた。すると『たかしおまかせセット』なるメニューが。近江牛料理を含めたセット料理のようだった。これを注文しようとしたが伊蔵はひとりである事に加え、近江牛を小上がりに備え付けられた焜炉にて丁寧に焼かねばならないという事で鄭重にお断りを受けた。こればかりはひとりで訪れた伊蔵が良くないし仕方が無い。少しでもお客さんに美味しく『近江牛』を食べて欲しいという親父さんの心意気が少し垣間みられた一瞬であった。

少しずついろんな品を注文してみようと思いまずは伊蔵の好物『ニラと玉子の炒めもの』を注文(笑)しばし店内を静かに観察しながらビールで喉を潤す。小上がりの席にいるお客さんはその話から察すると観光客の様であったが、あとのお客さんは地元のお客さんといった感じだった。しかしこの彦根屈指の観光スポットである『夢京橋キャッスルロード』の夜の人気の無さはどうしてなのか・・。
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『ニラと玉子の炒めもの』がやって来た。ふわとろの玉子がホカホカとして実に美味しそうだ。ビールと一緒にこいつを味わいながら旅先の夜をゆっくり過ごそう。
<つづく>




『近江国・彦根』への旅/その14・『焼牛たかし』さんへ

伊蔵はホテルを出てつい1時間程前に居た彦根城下まで歩いた。ちょうど彦根城の東側を中濠に沿う形で南の方角へと進む。やがて立花町という交差点で中濠は直角に折れ曲がり西方向へと真っ直ぐ琵琶湖方向へと続く様になる。伊蔵も濠に沿って西へ。やがて彦根城内から伸びる道が中濠を跨ぐ位置に来る。この中濠を跨ぐ様に架けられている橋が『京橋』である。
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伊蔵の今夜目指すお店はこの『京橋』の南側へと真っ直ぐ伸びる『夢京橋キャッスルロード』沿いにある。
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この通りには様々な土産物屋や飲食店や喫茶店、ブティック等が商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の建物に建て替えられて建ち並んでいるという彦根の観光名所だ。彦根市内でも屈指の観光名所と聞いて人で混雑していたら嫌だなぁ・・と考えていたのだが、いざ夜に出かけてみると想像以上に閑散としていて拍子抜けしてしまった。

この旅に出掛ける前にこの『夢京橋キャッスルロード』に点在する飲食店については細かくリサーチしておいた。伊蔵は『近江牛』が食べたかったのでそれを重点に調べてみるとこの通り辺りで観光客に近江牛を食べさせてくれる人気のお店は『千成亭』という近江牛の専門料理店であることが分かった。

●近江彦根『千成亭』
http://www.sennaritei.co.jp/

昨年9月に友人のたいがぁ氏は名古屋市内から自転車でこの彦根まで走破した時、この『千成亭』チェーン店のひとつである『らく宴』(この甘美な店の響きに彼は惹かれたのかもしれない)において“近江牛ハンバーグ”を賞味している。名古屋市内から彦根市まではかなり距離がある。それを人力のみで走り切った彼の行動は賞賛に値する。それは腹も減るだろう・・・しかしハンバーグというところが彼ならではである(笑)

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◆画像提供/たいがぁ氏

伊蔵はこの『千成亭』で食事をとも考えたが何分独りの旅ガラス。観光客に囲まれてひとり食事をするのは何とも落ち付かない。もっとひとりでゆっくり出来、近江牛と地元のお酒を味わえるお店はないものかと探していた。

そんな中探し当てたのが『焼牛たかし』さんというお店。小じんまりした店構えで観光客もあまり立ち寄らず、訪れる人はむしろ地元のお客さんが多いという。お店を切盛りするのはご夫婦お二人のみ。近江牛をお値打ちに出してくれるお店らしい。ネット上のブログ記事をいくつか読んでみるとお店のご主人は見るからに頑固そうだという・・・ここだ!ここに決めた!よく分からない納得のもとに伊蔵は旅の前にこの『焼牛たかし』さんを訪ねる事に決めたのだった。
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『夢京橋キャッスルロード』の通りの中程にその『焼牛たかし』さんのお店はあった。午後五時から営業という事なので開店に一時間程遅れてしまい今回は“一番槍”という訳には行かなかった。純白の暖簾に細字の墨文字で店名が染められている。店頭には小さいながら粋な店灯籠も。入口の三和土には打ち水がされていて何とも雰囲気が良い。果たしてどんな空間がこの純白の暖簾の向こうに広がっているのであろうか!伊蔵は暖簾をくぐりガラリ戸を開けて店内へと入って行った。<つづく>





『近江国・彦根』への旅/その13・宿へ

国宝『彦根城』を一通り見学し終えた伊蔵は、今夜の宿へ向かって歩いていた。彦根市内での今夜の宿は『彦根ステーションホテル』。その名から駅から近い場所にあるのかと思っていたがそうではなくJR彦根駅から10分程も歩いた町外れにそのホテルはあった。
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今回の旅もギリギリでの予約であったが彦根市内のホテルをネットで検索をかけると意外に簡単に予約がとることが出来た。しかも一泊朝食付きである。伊蔵が彦根市街を歩きこのホテルに辿り着いたのは午後5時近くであった。6階の部屋に辿り着くと予めエアコンが効かされていてとても涼しかった。流石に炎天下を歩いて来てぐったりとしていた伊蔵はベッドへとしばし倒れ込んだのだった。

しばらくの間寝ていたようだ(笑)夜になったら市内へと出て夕食を食べようと思っていたので慌てて起き準備を始めた。客室の窓から外を眺めると外はまだ十分過ぎる程明るく、街としては規模の小さい彦根の町並と彦根山山頂にどっしりと佇む彦根城が見え、ホテルのすぐ隣には彦根警察署の殺風景な灰色の建物が建っていた。

彦根では予め美味しい物を食べようと思っていた。食べる物は二つ。ひとつは『近江牛』ともうひとつは未だに伊蔵が食べた事がなくとても気になっていた近江の郷土料理『鮒寿司(ふなずし)』を食べるという目的があった。どちらを先に食べようか迷っていたが今晩は『近江牛』を食べる事に決めた。旅に出る前にある程度伺うお店も下調べしてあった。

伊蔵はいつも旅先でするようにシャワーで禊ぎをしてからホテルを後にした。出掛ける先は彦根城の城下にある観光スポット『夢京橋キャッスルロード』と呼ばれるストリートである。彦根城の濠に架かる『京橋』の南側にある通りの事だ。多額の費用を使って開発された観光スポットとして彦根では特に有名な場所である。観光客相手に様々な飲食店や土産物屋がレトロ調木造建築で造られ建ち並んでいる。

『近江牛』を頂けるお店も多々あるが伊蔵は有名処の店ではなく、独りでゆっくり『近江牛』とお酒が味わえるお店を選んでおいた。そのお店については次回。<つづく>




『近江国・彦根』への旅/その12・大老ありてこそ

伊蔵は『玄宮園』の広大な庭園内を後にしてそのまま内濠と中濠の間を抜けて行った。その先にはちょっとした広場がある。その広場には一体の像が立っていた。
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日本史を習った者なら誰でも知っている『井伊直弼大老像』である。

◆『井伊直弼(いいなおすけ)』(1815~1860)
近江彦根藩第13代藩主。江戸幕府大老。『井伊直中』の十四男として生まれ、後に兄の12代藩主『井伊直亮』の養子になり13代藩主を継ぐ。江戸幕府の大老に就任してからはアメリカとの『日米修好通商条約』の調印や、いわゆる“安政の大獄”を行ない幕府に抵抗する反対派や尊皇攘夷派の志士達を次々に捕らえては斬罪に処し、幕府の権力と治安の維持に務めたが、その反動により江戸城桜田門外で水戸藩浪士達によって暗殺される。(桜田門外の変)
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日本史において“出過ぎる者は消される”という事がよくある。彼もそのひとりであった。長い日本の歴史をひも解いて行くと『蘇我馬子』しかり『源義経』しかり『織田信長』しかり、ここ数年では『ホリエモン』しかり。能力に引い出過ぎた者、強権を行使して改革を急速に断行する者、旧勢力を排除する者には何かしらの不思議な力が加わり、彼らを歴史の表舞台からいきなり引きずり降ろしてしまうのである。かといって彼らの非業の死は全くの無駄では無く、彼らがその時点の歴史に介在しなければその死の後の大いなる歴史の回転はなかった。歴史という“時の神”は変革期に合わせる様に必要とするべくして彼らをこの世にタイミング良く送り出したとしか思えないというところが歴史というものの面白さだろう。
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大老井伊直弼も天皇の勅許を待たずに『日米修好通商条約』を結んだり、『安政の大獄』ではかなりの酷い事を思い切って行なって非難を受けたが、彼は彼なりにそれは幕府の為、ひいては日本国の為に良き事であるという強い信念を持ってそれを断行した。彼は確かに非業の死を遂げたが、彼がいなければその後の歴史はひょっとしたら違ったものになったかもしれない。どうしても歴史教育では彼の行なった酷い部分だけに目が行ってしまいがちだが、むしろ彼は“開国を推し進めて日本を救った”という見方も出来る。
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『一身に 責負ひまして 立ちましし 大老ありてこそ 開港はなりぬ』 井伊文子

井伊大老像の脇に上の文字が刻まれた小さな碑文が立っている。彦根市長を勤めた直弼の曾孫にあたる『井伊直愛(いいなおよし)』さんの奥さんである文子さんの詩である。(文子さんは歌人で随筆家。琉球王室の子孫でもある)。もし直弼がこの時期の尊皇攘夷派を押さえなければ、暴走した彼らによって欧米列強との勝てるはずも無い無謀な戦争へと突入し日本はお隣の清国(中国)と同じ様な植民地と化していたかもしれないのだ。

彼は歴史の上でやるべき事をやって桜田門に散って行った。しかしその死は無駄ではなかった事はその後の歴史が証明している。もし彼が桜田門で暗殺されなかったならば彼が次にやろうとしていた事は果たして何だったのだろうか。<つづく>



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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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