2009-04

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岐阜市へ/その5・『丸デブ総本店』へ

JR岐阜駅前に細い入口の繊維商店街を見つけた。中問屋町といわれるところらしい。
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伊蔵はその商店街に吸い込まれる様に入っていった。中に入ってみると路地の天井には屋根があるアーケード街となっていた。商店街に立ち並ぶお店は岐阜らしくほとんどが洋服屋さん。朝早い時間だからなのだろうか開店しているお店は極わずか。ひょっとしたら店じまいしてしまったお店が多いのかも知れない。
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人通りもほとんどなく非常に寂れた感が漂う商店街だった。しかしこの商店街の雑多な風景は面白かった。
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この寂れた商店街を北へと向かって伊蔵は歩いていった。途中から商店街を抜けて『金華橋通り』という大通りに出て更に北へ。この日伊蔵はある中華そばの店へと向かう予定をしていた。それは前から訪れたいと考えていた老舗のラーメン屋『丸デブ総本店』さんだ。友人のtakeさんも岐阜へ買い出しついでに立ち寄った事があり話には聞いていた中華そば屋さんだ。
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そのお店は岐阜高島屋の西にある繁華街の入口から少し入った場所にあった。実際にお店を目にしてみると老舗というには立派な建物なので驚く。
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『丸デブ』さんの開店時間は午前11時。場所だけを確かめておきたかった伊蔵は早めにお店の前までやって来たのだった。しばらく岐阜の街をブラブラしてから再び訪れるに。
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お昼頃、再び『丸デブ』さんの店頭にやって来ると、ウヘェ~!行列ではないか。天候が悪かったせいかそれほど長蛇の列ではなかった。大人しく列に伊蔵は並びつつ店内の様子を観察。店内はお客さんで満席。それに店内にまで席が空くのを待つお客の列が出来ていた。う~むこれはしばらく待たなくては座れないなぁ~などと思いながらさらに店内を観察。

『丸デブ』さんの創業はかなり古く大正6年(1917年)創業。店名の“丸デブ”は商標として登録されている(初代が太っていたかららしい)。現在は3代目がお店を切盛りしているとのこと。歴史ある店である為か店内の客層も圧倒的にお年寄りが多い。若年層でこのお店に訪れるのはラーメンが好きであらゆる店を食べ歩いている人、もしくは数あるラーメン屋に関するネット情報を見て足を運ぶ人がほとんどのような感じがする。お年寄りが多いから必然的に食べ切るスピードも遅いわけでなかなか思う様に席が空かない(笑)結局店内に入れたのは20分ほど経ってからだった。

店内はテーブル席がいくつかと8人ほどが座れる小さな小上がりが奥にあり、店内の一番奥が厨房になっていた。伊蔵は店員のおばちゃんに小上がりへと通された。当然ながら店内は常に満席の状態なので通された小上がりでも合い席だ。店内はとても綺麗で古さというものは感じない。ただ厨房のカウンターの上には神棚が据えられ、その横には木札に筆で書かれたお品書きと創業大正十二年の文字が燦然と輝いていた。。『丸デブ』さんのメニューはわずかに“中華そば”と“わんたん”の二種類。そのどちらとも400円という安さ(以前は350円だったらしい)。

伊蔵は『中華そば』を注文。以前からこの『丸デブ』さんではスープの濃さ、ネギの量、麺の茹で具合を自分好みにカスタマイズ可能だと聞いていたので伊蔵は麺を硬め(店員のおばちゃんは硬めの事を“こわめ”という)で注文させていただいた。お年寄りは麺を柔めに注文する方が多かった。
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しばらくするとおばちゃんが丼一杯にスープが注がれた『中華そば』を運んで来てくれた。スープというよりお汁といった方が合っているかもしれないその甘い香りが辺りに漂った。自家製麺の太目の麺にネギとチャーシュー三切れにカマボコという至ってシンプルな中華そば。

金属製のレンゲにスープをすくって味わってみた。見た目の濃さからお汁が辛いと思われがちだがそんな事はなくさっぱりと飲みやすい。鶏ガラと生姜を煮込んだダシをたまり醤油で味付けしてあるスープとだという。ただちょっと甘めの為、伊蔵はテーブルの上に置かれていた胡椒を何度か振り掛けて食べた。まるで温かい和風のそばを食べているかのような錯覚に陥る中華そばだったが、ひょっとしたらこれが日本のラーメン黎明期の味というものなのかもしれない。丼が小さめなのであっという間に全てを平らげた。

たまにはこういう極々シンプルなラーメン(中華そば)を食べるのも新鮮でいいな。次回は“わんたん”も食べてみたい。『丸デブ』さん御馳走様でした!


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◆『 丸デブ総本店』
・住所/岐阜市日ノ出町3-1
・電話番号/058-262-9573
・営業時間/ 11:00~18:00ごろ ※売切れ次第終了
・定休日/毎月6のつく日


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岐阜市へ/その4・JR岐阜駅南口『金津園』

JR岐阜駅北口については一通りつぶさに見て回った。伊蔵は反対側の南口に向かう事にした。JR岐阜駅南口は北口の華やかな雰囲気と違い、独特の暗さというものが漂う。北口と同じ様に綺麗に整備はされたもののちょっと雰囲気が異なる。
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そのJR岐阜駅南口から西へすぐの場所には全国的にも有名な歓楽街『金津園(かなずえん)』がある。この存在があるから駅南口は一種独特の雰囲気を醸し出しているのかもしれない。
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JR岐阜駅南口から西へ歩いてわずか3分。加納水野町という町の全てが風俗店でひしめいる。その店舗数は66軒に及びその総称が『金津園』と呼ばれている。この『金津園』で働く泡姫は実に1,500名以上を有するという。
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全国的に見ても県庁所在地の主要駅から歩いてすぐの場所に、しかも一町全てが風俗店で占められている場所は珍しく『金津園』という名は、札幌の『すすきの』、東京の『吉原』、滋賀の『雄琴』、京都の『島原』、神戸の『福原』、福岡の『中洲』とともに知られる全国屈指の色街として知られている。

バブル期にはビジネスでの接待や名古屋に出張ついでのサラリーマンや観光客で大いに賑わったといわれるこの色街も現在の不況の影響もあって当時ほど勢いが無い。しかしながら世の男性達の本能に直に訴えかけて来るこの特種な商売はこの世に男と女がいる限り決して滅びる事はない。

『金津園』では自分の予算に合わせてお店を選べるというものの、やはり安い遊びとはいえない。長い時間楽しみたければそれ相応に簡単に“諭吉”に羽根が生えて飛んで行ってしまう(笑)。だが男達はただ一時の快楽を求めたいが為に高い金を支払いついつい遊んでしまうのである。恋人がいなくて疑似恋愛に浸りたい男、奥さんとの性生活に飽きてしまった男、夜勤明けにちょっとだけ顔出し男、日々の生活に疲れ果て癒しを求めにやって来る男などなど・・『金津園』に足を運ぶ男達の人間模様は様々である。
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そしてほんの一瞬の快感の後に心の中に去来するもの、これまた千差万別なのだ。スッキリ元気発剌な男、オレは馬鹿だと罪悪感や自己嫌悪に苛まれる男、確かに気持ちは良かったがそこにはやっぱり愛は無いと悟り一層嘆き悲しむ男、他の店にハシゴしようとする裕福絶倫男(これは最近流石にないらしいがバブルの頃は結構あったという)などなど・・そういった男達を長時間に渡って一日何人も相手にする泡姫達も大変だ。彼女らの側にもこういった場所で働かざるを得ない理由がこれまた人それぞれにある事だろう。

伊蔵はこういった人間の欲望渦巻く夜の『金津園』街を南北に貫く道を歩いてみる事にした。『金津園』を形成する加納水野町の南側から北側に向けて歩き、JR岐阜駅南口へと抜けるルートである。『金津園』の南入口にはまず『無料案内所』がある。初めて『金津園』にやって来たお客に対しお店を紹介してくれる施設の様なものだろうが、最近はネットで予め調べれば自分の予算や好みの女の子の居る店は簡単に検索可能なのであんまりこの案内所を利用するお客は居ない様に思える。
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それでも『無料案内所』の前には人が立っており、伊蔵が『金津園』内へ足を踏み込もうと歩いていると挨拶をしてくる。駅へと急ぐフリをして先へと進む(笑)。無料相談所を過ぎると路地の両側一帯は全てがソープ街で店先には呼び込みのオッチャンや黒服がズラリと並んでいた。格好のカモとなった伊蔵は一つ店を通り過ぎる毎に次々に声を掛けられた訳だった(笑)夜のソープ街『金津園』をデジカメ片手に歩いている伊蔵もどうかと思うのだが(でもなかなか撮影する気になれなかった)この呼び込み攻撃には少々閉口してしまった。

ある店の前でデジカメ撮ってると

呼び込み/『お兄チャン、見学かね??』
伊  蔵/『そんなもんです・・』

そんな感じで切り抜け、またあるお店の前では、
呼び込み/『お客さんうちど~ですか?』
伊  蔵/『すみませぬ・・今日はちょっと・・』
呼び込み/『お客さんとお会いしたのも何かの縁、今ならうちのスーパーモデル級の女の子をつけますよぉ~』
妙に時代がかった呼び込みに思わず笑ってしまいそうになった。

伊蔵心の叫び
別にスーパーモデル級じゃなくても普通の娘の方が好みなんですけど・・・それにスーパーモデル級の女の子というのを信じて実際出て来た試しが無いんですけど・・

伊  蔵/『また今度寄らしてもらいますわ!』
呼び込み/『じゃあまた今度頼んますねぇぇ~お客さん!』

と、まぁ道を歩いているだけでもこんな状況で大変でした(笑)結構面白かったけどね。様々なお店から声を掛けられつつも伊蔵は無事に『金津園』のド真ん中の路地を南から北へと抜ける事が出来た。きっと今夜もまたこの『金津園』ではいろんな男と女の人間模様が渦巻いている事だろう。<つづく>

◆岐阜特殊浴場防犯組合/岐阜・金津園オフィシャルサイト
http://www.gifukanazuen.gr.jp/site/entrance.html


岐阜市へ/その3・岐阜シティ・タワー43からの夜景

『岐阜シティタワー43』の最上階である43階展望室への専用エレベーターはビル内の北側の入口を入ってすぐの場所にあったのだが、前述したように展望室からの夜景を見ようとする人々の姿をエレベーター前で見かける事が無かった。この時、時刻は午後8時をいくらか過ぎようとしていた位なのでそんなに遅い時間ではない。夜景を楽しむ人が少しくらい居てもおかしくないのに・・・。
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最上階からエレベーターが地上まで降りてきたので伊蔵は早速乗り込み、最上階43階のボタンを押したのだった。エレベーター内部は北側がガラス張りになっていて外の景色を見る事が出来るようになっていた。エレベーターが動き始めるとぐんぐんと岐阜市の街並が足下へ遠のいていく。スゥ~という浮遊感に伊蔵は浸りながら岐阜市街の景色を見ているとエレベーターは約45秒かけて地上約150mの最上階へ到達した。

エレベーターの扉の向こうにいきなり広いスペースがあり、ガラス張りの大窓の向こうに雄大な岐阜の夜景が広がっていると思ったのだが、エレベーターを降りたら正面はなんと壁だった(笑)。壁伝いに細い通路が奥へと続いていた。
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その通路を東の方向に進むとやっと夜景を見る事が出来た。
想像していたより展望室は狭かった。見学者も伊蔵の他に男女のグループが5~6名ほどという実に寂しい展望室でだったが、しかし混雑している展望室よりはよっぽどいい。ゆっくり夜景を静かに鑑賞する事が出来るのは嬉しい。
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この部屋は『東側展望室』でその他に『西側展望室』もあり東側とは区切られ、ふたつの展望室は細い通路でもって繋がっていた。一番夜景が綺麗であろう南側の眺望はzettonグループのレストラン『forty three』に独占されており、レストランの中に入って食事をしなければこの夜景は拝む事が出来ない。きっと濃尾平野が一望出来、遠く名古屋市の夜景も見る事が出来るだろう。
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東側展望室から先程伊蔵が歩いてきたJR岐阜駅北口を望む。下から眺めていたよりも高く感じる。岐阜市街は名古屋ほどメガロポリス的な街の灯が多くなくてひどく暗く感じたが駅の周りと大通りのみは明るい。
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西側展望室にも行ってみた。西側展望室は東側に比べてスペースも狭かった。やはり一番夜景が綺麗であろう真南方向はレストランの壁に阻まれて見る事が出来なかった。上の画像中央のひときわ明るい大通りは忠節橋通りで岐阜市街北側方向の夜景。
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こちらの画像は西側展望室から大垣・養老方面の夜景だ。画像上部の明るい部分が線上に連なって見えているが多分これは国道21号線沿いの灯りだろう。
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『岐阜シティ・タワー43』の展望室は規模が小さくて狭かったものの、夜景はなかなかに綺麗だった。なぜこれほど人が少ないのか?このビルのオープン当初はかなり混雑したらしいのだが・・・。伊蔵が出掛けた日(平日の月曜日の晩)がたまたま空いていたのかもしれない。ほとんど伊蔵は展望室を貸切状態で夜景鑑賞出来てしまった(独りで鑑賞するってのも少々寂しい感じがするが・・・苦笑)。この展望室は昼間の方がひょっとしたら混雑しているのかもしれない。夜だと暗くて見る事が出来ない金華山も長良川も見れるし。次回は一度昼間に来て見る事にしよう。<つづく>


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◆岐阜シティ・タワー43
http://www.gifucity-tower43.jp/
◆zetton forty three
http://www.zetton.co.jp/fortythree/




岐阜市へ/その2・JR岐阜駅周辺

JR岐阜駅北口の様子はこれまでの伊蔵の記憶に残っていた岐阜駅の景観とは見事に一変していた。駅舎は以前の寂れた面影は全く無く、すべてが一新されていた。
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駅舎の2階部分から半円形にのびる高架の歩道が設けられており、駅前の大通りを跨ぐよう形で岐阜市街へとスムーズに歩いて抜ける事が出来るようになっていた。
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この高架歩道のお陰でわざわざ大通りの横断歩道で信号待ちをしなくてすむのでこれは便利。屋根も設置されているので雨の日も濡れず安心して歩く事が出来る
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高架歩道のあちこちにはエレベーターも設置されていて簡単に昇ったり降りたり出来るしベンチも用意されている。お年寄りや身体の不自由な方の為の設備も万全だ。まだ工事中の所もあり完全に整備されるのは少し先のようだった。
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また夜ともなればこの高架歩道の手すりには淡いブルーの灯がともされてこれまたなかなか良い雰囲気の景観となる。待ち合わせの場所としても便利そうだ。
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JR岐阜駅北口を出るとすぐに目に付くこのビル。かなり古い建物のはずだがまだちゃんと健在していた。ビルの壁面には雑多に配置された看板や大型スクリーンも取り付けられていてTV放送やCMを流していたりする。古いビルだがある意味、岐阜の街の顔になっているといった感じで味がある。以前までは岐阜駅の駅舎もこのビルも含めて全てが古臭く寂れた印象を受けたが、駅前開発で駅舎が現代風に一新された為に新しいもの古いものが同じ場所に存在するという一種の違和感が生まれていてJR岐阜駅前は非常に面白い景観になった。
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JR岐阜駅の西側には2007年に一際高いビルが出来た。
『岐阜シティ・タワー43』だ。住居が入った複合ビルとしては中部圏で最も高層のビルで、地上43階・高さ163mを誇る。これまでの寂れ切った岐阜市にこれ程の巨大規模のビルが建造された事自体が事件といっても過言では無い。
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見た目は何の変哲も無い普通の四角いビルと思われるだろうが外観、内部のデザインや意匠にはそれなりに“岐阜テイスト”が込められているようだ。外観は岐阜らしく鵜飼いの『鵜舟』を模しているらしいのだがちょっとやそっとでは舟にはとても見えない(笑)。
ビル表面の水平のラインは『岐阜提灯』(岐阜の伝統工芸品)を表している。ビル内部は吹き抜けになっており、これは岐阜の古名『井ノ口』の“井”に因むそうだ。
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このように様々な岐阜的意味が込められ建造されたビルなのだが、岐阜の事に詳しい人でなければ(たとえ詳しくても)ただの四角いビルに過ぎないところが少し残念。ドバイの『バージュ・アル・アラブ』や名駅の『スパイラルタワー』位のもっと思い切ったデザインでも良かったのでは・・とも思うのだが、そこは岐阜市という街の景観にはやっぱり合うはずもなくこの形に落ち着いたようだ。ビルの内部構成は地下に駐車場、商業施設、高齢者向きの賃貸住宅、医療・福祉施設、分譲マンション、岐阜放送本社などが入っている。
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最上階の43階には展望室(無料で景色が楽しめる)の他にzettonグループの店舗のひとつ『forty three(フォーティースリー)』の展望レストランがある。4月4日に岐阜を訪れた時にはこのビルに入らなかったので20日の晩にビル内に入ってみる事にした。展望室からの景色がどんなものか折角なので伊蔵は夜景が見たかったからだ。

岐阜へ出向く前に岐阜シティ・タワー43の展望室についてはある程度調べておいた。最上階43階へは無料の専用エレベーターがあるという事だったのでその方面へ行ってみると・・・
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何だこりゃ!?えりゃ~殺風景なエレベーターではないか。しかも誰一人としてエレベーター前に並んでいる人もいないし・・・。展望室からの夜景はそれほど綺麗なものではないのだろうか・・・。一抹の不安を覚えながらも伊蔵は最上階への専用エレベーターに乗り込んだのだった。<つづく>


岐阜市へ/その1

4月4日土曜日、久しぶりに近場の岐阜市に出掛けた。
伊蔵は岐阜県に住んではいるものの岐阜市には日常滅多に出掛ける事が無い。今回訪れるのも随分と久しぶりの事。岐阜県という県はかなり広いのだ。岐阜市は岐阜県の南部中央部、濃尾平野の北端の長良川沿いに広がる街である。
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その昔は“井ノ口(いのくち)”と呼ばれていたが、戦国期、美濃を支配していた斉藤氏を尾張の織田信長が苦労の末破り、稲葉山城(現在の岐阜城)に根拠地を移した時、地名を“岐阜”と改めたといわれる。現在の岐阜市の市章も『井』の字をシンボル化したものでありこの昔の地名からきたものである。信長の政策で町には楽一楽座が設けられ大変人で賑わったという。また城下山麓には信長の日常の生活の為に建てられた華麗な居館が存在し、当時日本にやって来ていたポルトガル人宣教師達もこの居館に足を運んだという。この記録は宣教師ルイス・フロイスの著作『日本史』に詳しく記載されている。

近代では繊維問屋街が立ち並ぶ街として知られとても賑わった岐阜市だったが、最近は衰退の一途を辿っているといっても過言では無い。人口の減少もどんどん進んでいるという。街の様子も随分長い間古びた景観を呈していた。市電の廃止や市街中心部にあった百貨店も次々と閉店するなど、あまり活気というもの無い寂れた街、それが大方の岐阜市に対する伊蔵のイメージであった。

しかしながらJR岐阜駅周辺地区は再開発されるなど景観は綺麗になったらしい。大きなビルまで建ったという。こういった情報は耳には入っていたものの前述の悪いイメージが先行してしまい、わざわざ足を運んで訪れる事もせず現在に至ってしまった。綺麗になったといわれるその岐阜の街を見てみようと伊蔵は出掛けたのだった。
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岐阜までは名古屋鉄道(名鉄)を使い約1時間程で到着した。駅を降り立ち駅名を見ると駅名が変わっているではないか!名鉄岐阜駅と名称が変わっていた事すら伊蔵は知らなかった・・(以前までは『新岐阜駅』だった)。2005年に駅名は改称されていたようだ。
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以前は新岐阜百貨店があったはずだが綺麗に解体されて名鉄岐阜駅の駅舎が新築されていた。随分駅前の景観が綺麗に変わっていたので驚いた。以前は雑多でもっとゴミゴミとしたイメージだったのだが・・。伊蔵は名鉄岐阜駅から再開発目覚ましいJR岐阜駅方面へと歩いてみる事にした。<つづく>

(注)掲載画像が昼と夜がありますが4月4日土曜日のものと、追加レポという事で20日月曜日の夜に再び岐阜を訪れた為です。


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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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