2009-08

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信州のパワースポット『分杭峠』へ/その7・『道の駅 南アルプスむら長谷』

高遠から国道152号へと入り南下中のミスターB氏と伊蔵。この国道は日本最大の断層『中央構造線』の上に敷設されていて『秋葉街道(塩の道)』と昔は呼ばれていた古い街道筋である。この国道をずっと南に下れば静岡県の浜松市まで抜ける事が可能なはずだが、途中何ヶ所かで国道自体が途切れている(地蔵峠・青崩峠付近)というかなりの“酷道”として知られている。
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高遠の町から三峰川沿いに標高を上げて長谷(はせ)の集落に入ると道の右手前方に巨大な建造物が姿を現わした。『美和ダム』である。重力式コンクリートダムで堤高69.1m、堤頂長361.5mの規模を誇りダムの上流側には『美和湖』という人造湖が形成されている。その水量は東京ドーム24杯分を貯水可能だという。このダム湖のすぐそばに『道の駅 南アルプスむら長谷』はある。この道の駅で三度目の休憩、そして遅めの朝食を摂る事になった。
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ミスターB氏によるとこの『道の駅 南アルプスむら長谷』では美味しい手造りパンを販売する工房があるそうで特にクロワッサンがかなりの人気なのだそうだ。予約しておかなければすぐに売り切れてしまうらしい。わざわざ遠方からのこ手造りパンを求めてこの山奥まで足を運ぶ観光客もいるというから驚きだ。
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『道の駅 南アルプスむら長谷』の駐車場にはバイカーがかなりいた。道の駅の建物は南アルプスの麓にあるという事からなのかどこかドイツかスイスによくある感じの牧歌的佇まい。この風景にミスターB氏の駆るドイツ製バイクはとても良く似合っていた。早速『道の駅 南アルプスむら長谷』の施設内に入ると、
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ガオーッ!小熊に吠えられました・・(苦笑)
これは冗談としてお目当てのパン工房に足を運ぶと流石に人気というだけあって店頭には多くの人々が行列を成していた。店のカウンターには美味しそうな手造りパンが並んでおり、奥ではパンを焼く為のバカでかいオーブンがフル稼働中であった。早速ミスターB氏と伊蔵はプラスチック製のトレイとトングを手に手造りパンを物色し始めた。どれもこれも旨そうだったのでかなり迷ったが三種類のパンを選択した伊蔵であった。レジでの精算待ちをしている時に店の奥から店員さんが試食品として例の“クロワッサン”をトレイ一杯に運んで来て、
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『ご自由に食べて下さい!』

と振舞ってくれた。おお!これは嬉しい!早速一番人気の焼き立てクロワッサンを頂いてみる。う~む確かに美味しい。表面には甘い砂糖?もしくは蜂蜜が塗られていて外側はパリッと焼き上がっているが中身はフワフワのモチモチでバターの味が効いていてとても甘くて美味しい。これは人気なのも頷ける。案の定トレイに一杯だった試食品のクロワッサンはものの数十秒で跡形もなく消え去ってしまった。
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ミスターB氏と伊蔵は建物外にある緑の庭園に置かれた木製テーブルに購入した手造りパンを持ち寄って青空の下、遅い朝食を摂る事にした。時刻は午前10時少し前で地元を出発してから4時間弱ここまで掛かっている。腹も減るはずだ。
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伊蔵が購入した手造りパンは黒パンの中にクルミが細かく混ざっている『クルミパン』と風味豊かな『メロンパン』、タマゴが丸々一個チーズと搦めて乗っかっている『メダマパン』の三種類。う~む実に美味しそうだ。
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羊飼いのぺーターのお婆さんからは『そりゃアンタ、贅沢やわ』と言われてしまいそうな内容だ(笑)自販機で購入した缶コーヒーを片手に早速頂く。

クルミパンは程よい硬さの黒パンでちょっとほろ苦く粒状に折り込まれたクルミが香ばしく大人好みの美味しさ。メロンパンは食べる前からメロンの風味が辺りに立ち込める程。フワフワでとても甘くこいつも文句無い旨さ。最後のメダマパン(実際の名前は分らないがレシートにこう記載されていた)は伊蔵がパンの中でも最も好きな形態のもの。普通こういう形態のパンはタマゴを薄くスライスしたものが2、3枚乗っかっているものが多いのだがこちらのパンはタマゴが丸ごと一個(半分に切ってある)が乗せられていて贅沢な仕上がりになっている。ベーコンとチーズとの相性も良くアッという間にペロリと平らげた。
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う~ん青空の下、焼き立てのパンを環境の良い場所で食べるのは気分がイイ!『道の駅 南アルプスむら長谷』の手造りパンはオススメです。腹ごしらえも済んだところでミスターB氏と伊蔵は再び出発する事に。引き続き美和湖沿いに川を上流へと向かう。我々が目指すパワースポット『分杭峠』はもう目の前だ。<つづく>

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◆『道の駅 南アルプスむら長谷』
・住所/長野県伊那市長谷非持1400
・営業時間/9:00~17:30(食事処は9:30から)
 売店は4~11月無休、12~3月火曜 
 パン工房は火曜定休 食事処は木曜

●伊那市観光株式会社公式HP『パノラマ伊那市』/南アルプスむら
http://www.ina-city-kankou.co.jp/cms/modules/tinyd5/

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信州のパワースポット『分杭峠』へ/その6・伊那~高遠

木曽山脈を『権兵衛トンネル』を使ってミスターB氏と伊蔵は伊那谷に広がる町、『伊那市』へと下って来た。この市内で“権兵衛街道”から高遠(たかとお)まで通じる“伊那街道”へと入るのだ。伊那市はこうした古くからの街道の交差点に開けた町なのである。
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伊那市内は市というには閑散とした古い街であった。街道沿いにはアーケードを設けた商店街もあったがお店も繁盛しているとは思えない。しかしどこか懐かしい感じのする小さな街だった。高遠へと抜ける街道沿いの道は狭かったが思いのほかクルマの交通量は多かった。途中でJR飯田線の単線路の踏切を渡るとすぐに目の前が開け、天竜川が姿を現わした。この橋(大橋)の手前地点は南北に連なる三州街道(愛知県の三河から信濃へと抜ける街道)との交差点となっている。

広大な伊那谷を形成した『天竜川』に架かる『大橋』を渡る。高遠へと抜けるにはこの国道361号(伊那街道)をひたすら真っ直ぐに進めばいい。道沿いはいろいろなお店もあって賑やかしいが道沿いから少し離れると田んぼや畑が広がっておりまさに田舎の風景が続く。この道中『ローメン』の看板がそこかしこで見られた。
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『ローメン』とはここ伊那地方では『ソースカツ丼』と双璧をなす程の名物B級料理である。伊蔵は残念ながらまだ食した事が無いが、その特徴は太目の蒸し麺とマトン(羊肉)、野菜炒めとを組み合わせて甘辛く味付けしたものだという。自分の好みに合わせて一味や七味唐辛子をかけたりソースやおろしニンニク、胡麻油、ラー油等を混ぜたりして食べる。見た目は具沢山の焼そばか焼うどんに非常に似ている。

『ローメン』を出すお店は伊那地方にはかなり存在していて具を豚肉にしたり、焼そば風やスープ風にまとめたりと各店独自の味付けがあり楽しめるらしい。蒸し麺を使用するのはローメン黎明期、冷蔵庫がまだ普及前という事もあり麺を日持ちさせる為に編み出された苦肉の策。それがローメンの特徴として現在まで引き継がれているそうだ。ちなみに『ローメン』発祥の店は先程ミスターB氏と伊蔵が渡って来た天竜川に架かる大橋のたもとにある『萬里(ばんり)』というお店だという。
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田園風景の中をミスターB氏と伊蔵は国道361号を東へと進む。やがて前方の平地の中にポツンと小高い丘の様な山が見えて来た。この小さい山全体が桜の名所として全国的に有名な『高遠城址公園』である。戦国時代は信濃国の諏訪氏一門である『高遠頼継(たかとおよりつぐ)』の居城であった。その後、武田信玄の治めるところとなったが、時代が下って織田家の本格的な武田攻めの際、信長の嫡男信忠の軍勢約5万に囲まれ落城、戦国最強の軍団と謳われた武田氏も滅亡した。規模は小さく田舎に建ちながらも幾多の戦乱の中に存在していた城である。
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実は伊蔵はこの高遠に初めて訪れた。かつて戦乱のあった場所とは思えない程静かな町であった。花見シーズンともなるとこの小さな町の小高い山は日本一の桜の名所として花見客でかなり混雑するらしい。
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しかしこの高遠城にはもともと桜が植っていた訳ではない。明治時代初期に廃城令によってこの高遠城も取り壊され、その後荒れ地同然になっていたのを見かねた旧高遠藩士達によって桜の植樹したのがはじまりだという。ミスターB氏と伊蔵を乗せたBMW F650GSは静かな高遠の町を抜けてなおも進む。この高遠から国道152号に入って今度は南下する事となった。<つづく>

信州のパワースポット『分杭峠』へ/その5・権兵衛峠~伊那市へ

『道の駅 日義木曽駒高原』にて二度目の休憩を終え、再び国道19号を走り始めたミスターB氏と伊蔵。長らく木曾谷沿いを北上して来たがもう少し進んだところでこの道ともお別れだ。薮原地区の手前、宮ノ越(みやのこし)という地区を少しばかり進んだところで国道19号を右折し国道361号(伊那木曽連絡道路)に入る。この道で木曾谷と伊那谷を隔てている木曽山脈を『権兵衛峠』を使って越えるのである。
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『権兵衛峠(ごんべえとうげ)』この親しみやすい峠名はその名から分かる通りある人物の名前に由来する。その人物の名は『古畑権兵衛(ふるはたごんべえ)』。彼は江戸時代初期の人物でこの国道361号(伊那木曽連絡道路)沿いに程近い『神谷』という集落の生まれ。伊那谷で穫れた米を牛や馬の背に乗せて木曾谷へと運ぶ運搬業を営む親方であった。木曾谷はその険しい土地柄から平地がほとんど無く、田を作って米を収穫する事が出来なかったので彼のこの米の運搬業は商売として成り立っていたのだが、木曾谷から伊那谷に抜けるには危険な鍋掛峠(権兵衛峠の旧名)を越えるか、もしくは木曽山脈を大きく迂回せねばならず大変不便であった。
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そこで権兵衛は村の人々や領主の協力を得て木曽山脈を横断し、木曾谷と伊那谷を結ぶ街道を整備する計画を立て1696年(元禄9年)にこの街道を完成させた。この事によって街道と峠に“権兵衛”の名が刻まれた訳である。この街道の開通によって伊那から米が運ばれ、木曽からは木製漆器などの工芸品が伊那へと流通が便利になった。『権兵衛峠』が別名“米の道”とも呼ばれるのもこの事からきている。権兵衛の功績は昔話としても語り継がれているし、彼の生家も現存しその子孫の方も現在も神谷集落に住んでおられるとの事。

◆まんが日本昔ばなし/『権兵衛峠』
http://www.youtube.com/watch?v=swLVTarhMHg&feature=related

2006年に開通した国道361号(伊那木曽連絡道路)によって木曽町と伊那市は約45分で結ばれる事になった。これまでの旧権兵衛街道では約1時間30分も掛かっていたらしいのでこの道の完成によって大変便利になった。何よりも冬期に通行止にならず一年を通して走行可能な道路が完成したその事が木曽と伊那の地元住民の一番の喜びなのだという(旧権兵衛街道では各所で冬期は通行止になっていた)。
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国道19号を右折し国道361号で神谷川沿いを遡るミスターB氏と伊蔵の目の前に真新しい大きなループ橋が見えて来た。標高差を短距離で解消する為に建設されたものらしい。Sの字を描く様にループ橋を登ると素晴らしい道路が目の前に現れた。ミスターB氏はスロットルを気持ち開けこの道路を疾走し始めた。すぐ『姥神トンネル(1826m)』が姿を現わす。その後も『羽渕トンネル(200m)』『番所トンネル(828m)』とトンネル群が続く。トンネルをくぐりながら道はどんどんと標高を上げて行くようだ。
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そして現れた『権兵衛トンネル』は伊那木曽連絡道路のトンネル群中最長の4470mを誇る。権兵衛トンネルの工事は脆い地盤に加えて大量の湧水にも見舞われかなりの難工事だったという。このトンネルの真上辺りに旧道の権兵衛峠(1521m)がある。こちらの旧道もかなり気にはなるところ。ミスターB氏も旧道はまだ走った事が無いという。『権兵衛トンネル』内の中程あたりから道は急に下り坂になり一気にスピードも上がった。実際にこのトンネルの木曽側口と伊那側口では約100m程の高低差があるのだ。
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ボッという感じで『権兵衛トンネル』を抜けると景色が一気に開けて遥か下方に伊那谷が見えた(画像は旧道の峠からの伊那市の眺め)。『権兵衛トンネル』から伊那市まではずっと長いほぼ直線の下り坂で周りの景色も北海道のように雄大で気持ちのイイ事イイ事。道の両側にはトウモロコシ畑の田園風景が続く。あっという間に下り切り伊那の町へとミスターB氏と伊蔵は到着した。ここからしばらく町中の古い街道を走り我々は一路『高遠(たかとお)』へと向ったのだった。<つづく>



信州のパワースポット『分杭峠』へ/その4・木曾谷を北上

ミスターB氏と伊蔵を乗せた『BMW F650GS』は快調に国道19号をその後も北上。すぐ左手には深い谷の底を流れる木曽川、両側には深い山々に囲まれた道を走る。我々はちょうど“木曾谷(きそだに)”という深い谷沿いに北上している訳である。

古くから美濃国と信濃国を結ぶ街道として利用されてきた道だがその地形のけわしさから交通の難所となっていた。現在では国道19号が整備されてクルマも自由に走れはするものの、木曽川のすぐ際の山の絶壁沿いを走る事に変わりはない。信州に抜ける大きな道はこの木曾谷ではこの国道19号しかないので交通量もかなり多くしかも狭い道ときているから現代では別な意味で危険な道路ともいえる。

けわしい道だがそれ故に道中の景色が良いし実際に名勝や旧跡も多い。この木曾谷は豊かな山林を有していて国道も緑のトンネルの中を進む感じで清々しくてバイクで走行するのはとても気持ちが良い。

この付近は昔から林業が盛んで山から伐採した木材を木曽川の水運を利用して下流へ“筏流し(いかだながし)”をして運んでいたらしいのだが、現在目で見る限り木曽川の水量は(流域のにいくつもあるダムの影響もあるのかもしれないが)少なくてとても木材を下流まで流せた様にはみえない。今流せばたちまち川沿いにゴロゴロしている巨石群に引っ掛かってしまうだろう。
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我々は南木曽町、大桑村と進み上松町へと入った。この上松町には『木曽八景』のひとつで浦島太郎伝説のある“寝覚の床(ねざめのとこ)”がある。国道沿いからは残念ながら見る事は出来ないがJR中央本線の車窓からは見る事が可能だ。実は数カ月前に伊蔵は長野へ旅に出た折、JR中央本線を走る列車の車窓からこの有名な木曽の景勝地を目にしたのだった(この旅のレポートも後々報告させて頂きます)。やがて国道左手に御岳がその巨大な山塊を覗かせる辺りでミスターB氏がボソリと伊蔵にこう呟いた。

『もう少し行くと国道沿いに怪しいカレー屋があるんやて・・』

う~むこれは非常に気になる情報ではないか。
気にしながらそのまま進むと『木曽の棧(きそのかけはし)』という景勝地の道路標識が現れた。
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その昔、木曽街道で最も難所とされた場所でこの辺りの街道は木曽川沿いの断崖絶壁に穴をいくつも穿ち、列車の線路の枕木の様に水平に丸太をその穴に差し込んで固定し、その上に長い板を置いただけの棧道が存在したのだという。
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尾張藩が石垣を組んで整備した跡が現在でも一部国道19号の直下に残っているが、国道をそのまま走っているだけでは誰も気が付かない旧跡である。その『木曽の棧』を越えて少し行った辺りにあった!ミスターB氏の言ったその“怪しいカレー屋”がっ!
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こっこれは!この佇まいは一体・・・!開店営業しているのか、はたまたただの廃虚なのかと見まごうばかりの店構え。赤いペンキで手書きされた微妙に歪んだ“CURRY'S”の文字・・・怪しくかつ強力なオーラがその店からは漂っていた。ミスターB氏は何度もこの道をツーリングで訪れていてその度にこの店の事が気にはなってはいるものの寄らずじまいなのだという。なかなかこういう雰囲気のお店に一人で入るには勇気がいる。結局今回も入店はしなかったのだが『分杭峠』から帰ってから伊蔵はこの“木曽の怪しいカレー屋”について調べてみた。

いくつかのキーワードでググってみたところ、このカレー屋さんの事が気になっている人々が多数存在する事が分かった。勇気ある人が入店したレポによればこのカレー屋さんは確かに営業中であり、店名は『かけはし食堂』であるという事が判明した。老夫婦が切盛りしているらしいとの事でカレーは種類も豊富でそこそこ普通に美味しいそうだ。しかし店内の様子はかなり怪しい(笑)。画像付きで紹介されたサイトもあるので気になった方はキーワード「かけはし食堂」で早速検索してみてください。
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さて我々の木曾谷北上行はつづく。蕎麦で有名な旧木曽福島町(現・木曽町)の町へと入り『道の駅 日義木曽駒高原』にて第二回目の休憩。朝飯抜きで走って来たのでここで何か腹の足しになるものでもと思ったのだがまだ準備中の様子。
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結局物産品コーナーを物色しつつの休憩になってしまった。腹は減っていたがもう少しガマンする事にして再び出発する事に。ここからしばらく走った木祖村に入る手前で長い距離を走って来た国道19号といよいよお別れ。いよいよ木曾谷と伊那谷とを結ぶ『権兵衛峠』越えの山道となる。<つづく>

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◆『道の駅 日義木曽駒高原(ひよしきそこまこうげん)』
・住所/長野県木曽郡木曽町日義4730-3
・営業時間/8:30~17:30


信州のパワースポット『分杭峠』へ/その3・道の駅・賤母

ミスターB氏と伊蔵の『分杭峠』へのタンデムツーリングが始まった。国道19号で多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市の順で走り抜ける(ツーリング好きのミスターB氏は中央自動車道を使用するという無粋な事はしない)。早朝という事もあっていつもは混雑気味の国道19号もさすがに空いている。

ミスターB氏の『BMW F650GS』のエンジンも快調そのものでかなりのハイペースで進んだ。後部シートの座り心地は噂通りかなり良く、シート自体が最初から人を乗せる事を前提として造ってある様で幅も広くてシートの硬さもそこそこの快適さを持っていた。走行中のタンデム通信機器による会話もかなり便利でミスターB氏と道中あれこれ会話をしながら走るのは面白かった。

今回の旅に当たって予め伊蔵は『分杭峠』の場所は頭に入れておいたものの、その場所までのどの様なルートを通って向かうのかはミスターB氏に任せていた。国道19号で中津川まで行くところまでは大体頭の中で分かっていたがその先『分杭峠』まで至るルートは次の二つ考えられる。一つは南木曽町から国道19号を右折して国道256号へ入り旧清内路村(現・阿智村)を通過、昼神温泉郷を越えて伊那谷へと抜けて飯田市に至り国道151号を北上し、駒ヶ根市から『分杭峠』へ至るルート。

もう一つ考えられるルートは国道19号を中津川からそのまま北上し、木曽町で右折し権兵衛峠越えで伊那市へと抜け、桜の名所として有名な高遠町を経由して『分杭峠』へ至るもの。
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中津川市にある『道の駅・賤母(しずも)』(岐阜県中津川市山口1-14)で小休止。早朝で道の駅のお店はまだ開店前で駐車場に停まるクルマの数も少なかった。そんな中一台のバイク(YAMAHA DT)が駐車していた。オーナーは疲労困憊なのか睡眠不足なのか分からなかったがバイクの傍で横になって睡眠中であった(笑)一体どこから走ってきたのだろうか。
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ここ『道の駅・賤母(しずも)』は信州木曽路の南の玄関口にあたっていて、施設の建物も旅籠風のイメージ。なかなか趣があって良い。地元の特産品である木曽の工芸品や五平餅や蕎麦、地酒、季節限定の朴葉寿司などを食する事が出来る食事処が軒を連ねている。休憩中にミスターB氏に今後のルートについて聞いてみた。彼が選択したルートは上記したルートの内の後者の『権兵衛峠』越えで伊那谷に抜けるというものであった。

この『権兵衛峠』は中央アルプス(木曽山脈)を横断し伊那谷へと抜ける事の可能な数少ない峠道(権兵衛街道)の一つとして知られておりかなりの難所としても有名だ。最近この『権兵衛峠』の道は綺麗に整備され、新設された二つのトンネルによって伊那市へ短時間で抜ける事が可能になっている。旧道は林道ツーリングを楽しむバイク、サイクリストや“酷道マニア”がよく訪れるらしい。

ルートの確認も出来たという事で改めて出発。
しばらくは木曽川沿いを北へと続く国道19号を行く。<つづく>

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◆道の駅・賤母(しずも)
・住所/岐阜県中津川市山口1-14
・営業時間/8:30~18:00
・HP/http://sizumo.jp/


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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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