2009-11

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信州長野・上田の旅/その8・上田城跡公園

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『上田城』は天正11年(1583年)『真田昌幸(さなだまさゆき)』によって上田盆地中央部に築かれた平城である。いよいよその城に入る。しかしすでに伊蔵は城域内に入っているのである。先程歩いて来た長野県立上田高校(上田藩主居館跡)や上田市庁舎のある辺りは昔の上田城の三ノ丸にあたるからだ。上田城跡公園入口の石碑を右に見ながら公園内に入って行った。

二ノ丸に入る手前に空濠がありその上に立派な石造りの橋が掛かっている。昔の城の絵図を見ると現在は空濠になっているものの当時は水をたたえた水濠だったようだ。この濠は上田城の外濠にあたる。昭和の初め頃この空濠を名古屋城の外濠を走っていた旧瀬戸線と同じ様に『上田温電北東線』という鉄道が走っていたという。
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空濠を石造りの橋の上から眺めて見ると、なるほどどことなくそんな面影が残っている。『上田温電北東線』は昭和47年に廃線となって以来、現在は緑の遊歩道として使用されている。橋を渡り終えて中へ入って行くと広い公園の様な場所に出る。ここが上田城二ノ丸だ。二ノ丸には観光用の大きな駐車場、上田市観光会館や市民会館の他、市立博物館、山本鼎記念館等の施設が点在する。二ノ丸の公園の中の道を伊蔵は本丸へと歩いて行く。
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本丸の周囲には内濠がコの字型に存在する。北・西・東側に水濠を巡らしてあるという具合だ。
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一方の南側は先にも話した様に河岸段丘上に築かれた城なので高さ13m程のかなり急な土手になっており、なおかつすぐ下を当時は千曲川が流れていて天然の濠の役割をしていた。
城の南側の千曲川はかつて尼ヶ淵と呼ばれていてその為上田城は別名『尼ヶ淵城』とも称される。
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このように上田城は本丸を内濠と尼ヶ淵の要害、二ノ丸を外濠で囲いその外側に城下町を配して千曲川の分流である矢出沢川を自然の濠として町全体を囲みいわゆる“総構え”を形成していた。
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本丸へは東虎口から入るのだがここに立派な櫓門とそれを挟む様に北櫓、南櫓の二つの隅櫓が建っている。
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櫓門については近年に復元されたものだが北櫓、南櫓は明治の初めに出された『廃城令』によって民間に払い下げられて別の場所に移築されて遊廓として使用されていた。それをまた元の場所に戻したものである。もう一つ本丸には西櫓があるがこちらは創建当時から建っているもの。
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櫓門を支える石垣に『真田石』という巨大な石が嵌め込まれている。約3m四方の大きさがある。この石は真田昌幸が上田城築城の際に付近の太郎山から運んで据えたもの。真田昌幸の嫡男信之が上田から少し北方の松代に転封になる際にこの石を一緒に持って行こうとしたがビクとも動かなかったという逸話が残る巨石である。
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櫓門をくぐると本丸なのだがこの上田城には天守閣などというものは無い。お世辞にも立派な城といえるものではないにも関らず『城マニア』の間でこの上田城は人気が高い。
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その最大の理由はこの上田城は少人数による籠城戦で数に勝る徳川軍の来襲を二度に渡り破ったという事実がある事だろう(第一次・第二次上田合戦)。この上田城は城本来の役割を立派に果たしたというその価値があるのである。
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ただ現在の上田城の遺構は真田昌幸が造ったものではない。関ヶ原の戦いで西軍側についた真田昌幸は紀州九度山へ配流され、彼が最初に築城した上田城は破却されてしまった。
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現在遺されている建築物は真田家が松代藩へ移った後に代わりに上田城主となった仙石氏によって再建されたものである。真田昌幸が実際に建てた初代の上田城はどのようなものだったのかは正確には分からない。
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まず石段を登って南櫓内に入ってみよう。櫓は木造二階建てで内部は仕切り等はなくがらんどうで構造自体も非常に簡素で主要な木材には松と栂が使われている。
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櫓内一階部分と二階部分ではともに上田城に関する資料展示や武具や駕篭の展示等がなされていた。南櫓二階へ上がり小窓(鉄砲狭間)から外を眺めて見る。
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小高い河岸段丘上に建てられている城なので雄大な景色とまではいかないが上田市街南部の景色を楽しむ事が出来る。南櫓から続いて再建された櫓門上の櫓にも入って見た。
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さすがに近年再建されたものだけに新しく屋根を支える材も立派で木肌も明るく美しい。その櫓門内を通過し北櫓へも足を運んだ。内部には真田三代の人形展示がされていた。
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中央が真田昌幸、右が真田幸村、そして左は幸村の嫡男真田大助である。真田家の家紋『六文銭』についての説明も。
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◆家紋「六文銭」の由来/真田家の家紋として名高く六文銭とも呼ばれるが仏教では死者が三途の川を渡る時、渡し守に拂う渡り賃だといわれる。不惜身命を唱える武士にとってふさわしい旗印とされ、つまりいつでも死ぬ覚悟があると言うことが示されている(原文のまま)。
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上田城の各隅櫓はきらびやかな部分というのは一切ない。まさに実戦の為に造られただけのものといった方が合っていて実に質素だ。
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現在の上田城本丸はちょっとした広場のようになっており西の端に『真田神社』が建っているのみ。
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上田城とその城下町を造った真田父子を主神とし、上田藩を真田家から受け継いだ江戸時代の藩主仙石家、松平家を祭神とする神社である。簡素な本堂の脇を通って奥へと進むと上田城西櫓へと至るのだがその手前に『真田井戸』と呼ばれる大きな井戸があった。
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この井戸には抜け穴があり城の北側の太郎山にある砦まで通じており、この抜け穴によって万が一城を敵に囲まれても城兵の出入りや兵糧の運び込みにも不自由しなかったという伝説が残っている。真田井戸の脇を通って西櫓へ行ってみたがこちらの櫓の中へは入る事が出来なかった。
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西櫓の建っている高台からかつてこの上田城を守っていた天然の要害“尼ヶ淵”を望む。現在では千曲川の流れは一切なく公園と駐車場になっている。遠くに見えるのは長野新幹線の高架だ。
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伊蔵の上田市観光も上田城見学を最後にこれで終わりだ。この後は上田市から北上し、今夜の宿をとってある長野市まで列車で向かうことになる。少々天候の方が悪くなって来たのが心配だった。伊蔵は上田城内から尼ヶ淵の下を通ってJR上田駅方面へと向かった。<つづく>


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信州長野・上田の旅/その7・上田城へ

『柳町』を後にした伊蔵は次に『上田城』を見る為に再び駅方面へ向かって歩いた。大通りをそのまま戻ってもつまらないと思い、つとめて路地裏を通って戻る事にした。そんな細い路地裏で見つけたカレー屋さんがあった。
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その名も『カレーハウス べんがる』さん。昭和39年創業のこのお店で出されるカレーの味も池波正太郎先生のお気に入りだったという。先生はお昼時にお店に現れカウンター席にいつも陣取ってカレーを食べていたらしい。昔ながらの洋食屋さんというお店の面影がとてもいい。
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『べんがる』さんでの一番の人気メニューはお店の名を冠した『ベンガルカリー』。お値段は1780円と少々値が張るがメインのカレーが出て来る前に酸味の効いたコールスロー、グラスに入った味噌汁、濃厚なポタージュスープが順に出され、カレーを食べ終わった後にミルクティーまで付いてくるというちょっとしたコースになっている。カレーソースは創業当時から継ぎ足して作っており、またカレー内に入っているビーフもソースにマッチする様に手の込んだ煮込み方をしているという。
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折角なので『べんがる』さんのカレーも味わってみたかったのだがお昼に『刀屋』さんで食べた“真田そば”でまだ腹が一杯だったのと時間的余裕が無かったので今回は残念ながらお預けだ。
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上田の町にはこんなラーメン屋もあった。『六文銭らーめん 真田幸村』・・(笑)いかにも上田らしい名である。ラーメン屋というよりも居酒屋のようでラーメンの他にも様々な一品メニューのお品書きが店頭に書き出されていた。このお店は明け方の4時まで営業しているらしい。
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上田城へ行くため上田市内の松尾町一丁目交差点から真っ直ぐ西へ向かう。しばらくすると長野県立上田高校が見えて来る。この学校が建っている場所は元々上田藩主の館があった場所で校門にはその館の表御門(1790年/寛政二年再建)がそのまま使われている。また東側には濠も遺されている。
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この上田藩主居館は関ヶ原の戦いの後、豊臣方についていた真田昌幸・幸村父子は九度山へ配流されたが、代わりに徳川方についていた昌幸の嫡男真田信之が上田を領地として入った(真田家はこの天下分け目の戦いで豊臣方、徳川方どちらが勝利しても家が存続するよう親兄弟に別れて戦っていた)。しかしこの時上田城は豊臣方の城だった為に破却されたままになっており、信之は新たに居館を作って藩政を執る事になった。その館がこの場所である。
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居館跡の濠沿いに進んで上田市役所前を通って真っ直ぐ行くと前方に緑の森が見えて来る。『上田城跡公園』だ。この城は尼ヶ淵という千曲川の河岸段丘上に築かれている。かつては城のすぐ南側に千曲川が流れていて天然の濠の役割をしていたが現在の千曲川はもっと南側に流れている。では早速『上田城』の敷地内へ入ってみる事にしよう。<つづく>


信州長野・上田の旅/その6・北国街道を歩く 後編

さて上田市の旧北国街道沿い『柳町』を散策してみるとしよう。
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敷石で綺麗に路面が整備されている道の両側に古い家屋が立ち並んでいる。様々なお店が軒を連ねているがまず目に付くのが『岡崎酒造』さんという造り酒屋。
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軒先には造り酒屋ではお馴染みの“杉玉”が注連縄に巻かれて吊り下げられている。
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建物も見るからに古く、それなりの歴史を刻んできた風格というものが備わっている。杉玉のすぐ脇にはこれまた立派な屋号が銘打たれた木製の看板が掲げられている。
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『岡崎酒造』さんの創業は1665年(寛文五年)というから江戸時代の初め頃。ざっとその歴史は340年以上という事になる。元々は「小堺屋」という屋号で当主は代々「平助」を襲名していたという老舗の造り酒屋だ。
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ここではメインの商品として『亀齢(きれい)』という名のお酒を造っている。鶴は千年、亀は万年という言葉があるように長寿、つまり縁起をかついでお酒の名前を付けたのだろう。“綺麗”で美味しいお酒という意味にも通じるところがなかなか心憎い。菅平水系の水と長野県産の米を使って昔ながらの製法で今もお酒を造っている。
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『柳町』の町並みは伊蔵の地元に程近い美濃市の古い町並みに非常によく似ていた。『柳町』の建物の軒先にも火災時に隣家への延焼を防ぐ為の防火壁“うだつ”が多く見られる。
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元々は防火壁としての役目を果たす為に考えられた“うだつ”だったが江戸時代中期には自家の財力を誇示する為のものと化し、裕福な豪商等はこぞって立派な“うだつ”を屋根に上げたという。※上の写真は柳町内にある安原鍼灸院さんの屋根にあるうだつ。
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うだつの上がる町並みを歩きながらどんどんと奥へ歩いて行くと十字路に出た。右手には『保命水』という水が湧き出す場所があり、左手角には『菱屋』さんという信州武田味噌を販売するお店がある。
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今、伊蔵が立っているこの十字路は映画『犬神家の一族』の1シーンでも登場する。石坂浩二が扮する金田一耕助が捜査の依頼を受けて当地に初めて現れ、宿の場所を道の反対側からやって来た那須ホテルの女中はる(1976年版では坂口良子、2006年版では深田恭子)に訪ねるシーンである。
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◆1976年版『犬神家の一族』
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◆2006年版『犬神家の一族』
映画の撮影にあたっては「犬神製薬」の電柱看板や板塀等のセットを付け加えてある。比べてみると1976年版と2006年版では大まかな建物そのものの場所は変わってはいないものの外壁など補修されて新しくなっているのがお分かりだろう。
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観光地化で古い町並みが整備されている昨今、時代を経る毎に映画のロケ地として使う為にはもっと古めかしく見せるよう画像に対して加工したりセットを組んだりいろいろと手を加えていかねばならないだろう。
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十字路をさらに進むと一筋の小さな川(矢出沢川)に架かる『神宮橋』がある。このまま先へ進んでみると国道18号を跨いで上田大神宮へと道は繋がっていた。国道へ出た所で伊蔵は再び柳町へ引き返す事に。
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レトロな雰囲気の残る『柳町』は伊蔵が想像していたよりもずっと規模が小さかった。柳町通り自体も200m強といったところであっという間に歩ききれてしまう。
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映画の登場するシーンで広がりを持った感じに写っていたのはきっとカメラマンの技術が成せる映像のマジックだったのだろう。<つづく>


信州長野・上田の旅/その5・北国街道を歩く 前編

途中になってしまった信州長野・上田の旅の続編です。どこまで書いていたんだっけな・・・。そうそう!『池波正太郎・真田太平記館』を見学したまでを書いたんだった。間が空いてしまいすみませんでした・・。
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この上田で次の伊蔵の目的は市内を通っている古い街道である『北国街道』を歩いてみる事であった。この街道は中山道六十九次の宿場町である追分(現・軽井沢)を分岐点として小諸宿、この上田宿を通り善光寺平を経て日本海に面した直江津までを結ぶ“脇街道”である。善光寺街道とも呼ばれる。現在はこの街道に沿って国道18号が通っている。
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上田の町の中を細かくいくつもクランクする形でこの北国街道が貫いている。宿場として栄えた町だけに古い建物や蔵などが町中に数多く残っている。町の中をちょっと歩けば豪壮な白壁の蔵があってちょっと驚いたりする。このように特に上田は古い町並が残っているので、これまで数々の映画作品のロケ地として使われたりした。映画で使われたロケ地を訪ねる事も今回の伊蔵の上田入りの目的のひとつであった。
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上田をロケ地として撮影された映画作品は数々あるが、伊蔵がその中でも気に入っている作品はやはり横溝正史原作・市川崑監督作品・主演石坂浩二の『犬神家の一族』である。この市川監督の映画版は1976年版と2006年リメイク版とがあり伊蔵はどちらとも見ているが記憶に焼き付いているのはやはり子供の頃に見た1976年版の方である。
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一代にして犬神製薬を興し巨万の富を築き信州の財界の大物とまでいわれた『犬神佐兵衛(いぬがみさへい)』。彼が遺した莫大な遺産の相続を巡り、犬神家家中に次々と起こる凄惨な連続殺人事件。その事件の謎を解き明かしていく石坂浩二演じる名探偵『金田一耕助』・・・。
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当時、あおい輝彦演じる『犬神佐清(いぬがみすけきよ)』が戦争で負った顔の火傷を隠す為に被ったゴム製の仮面が異常に怖かったし、菊人形に生首が据えられているシーンや湖面から突き出た死体の足の描写は当時一世を風靡したし伊蔵の記憶にも鮮明に残っている。

◆犬神家の一族/1976年版予告編
http://www.youtube.com/watch?v=K4dU4eEWKS8
◆犬神家の一族/2006年版予告編
http://www.youtube.com/watch?v=rKGxFekJSzw

この『犬神家の一族』では信州の“那須”という架空の町が舞台になっていたが撮影されたところは先にも述べた通り上田の街である。そのロケ現場は上田市内の『柳町』という界隈。旧北国街道沿いの古い町並みを残す一角である。上田駅前(お城口)からまっすぐにのびる大通りを国道18号へ向ってしばらく進み、中央三丁目交差点を左折、一筋目の道を右折すればその『柳町通り』の町並みの入口がある。
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日本全国どこの旧街道沿いの宿場町の例を挙げるまでもなくこの上田の『柳町通り』も町並み保存地区という事で綺麗に観光地化されている。
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保存の名の下にあまり綺麗に整備されてしまうと古い情緒というものが消えてしまって少々味気ないと思うのだが、築年数を経ている為にどうしても建物に手を加えて補修等をしていかねば朽ち果てるだけなので仕方がないのだろう。
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『柳町』という町の名前の由来は宿場町だった頃、この道沿いの両側には柳の木が街路樹として沢山植わっていたからだという。何軒もの旅籠や商家が立ち並び呉服屋だけでも25軒を数えたらしい。早速その『柳町通り』へ入ってみる事にしよう。<つづく>



『シルバーウィーク横浜オフ』/その8

横浜オフの会場、『くいもの屋 わん 桜木町店』はJR桜木町駅から程近い飲食店ビルの地下1階にある。古民家風に作られた店内の雰囲気がよいので毎回このお店でオフ会を開かせてもらっている。メンバーのみんなも下手にお店を変えるよりかは通い馴れたこの店の方が落ち付いて話が出来るようだ。

インターネット上の『BARギコONLINE』という雑談系チャットで知り合った我々のオフ会というのは会うという事に関してこれという決まり事などは無く、一緒に酒を飲みネット上と同じ様に雑談して楽しく過ごす事が一番の目的となっている。これまで横浜・名古屋での数々のオフ会開催を経てメンバーのみんなも顔馴染みとなり緊張無く飲んで話せる相手になった。この横浜で最初にわずか4名でオフ会を開いた時はそれはそれは緊張した(笑)ネット上では簡単に雑談していても、実際に顔を合わせて話をするとなるとかなり緊張するものなんだなぁと当時そう思ったものである。
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『くいもの屋 わん 桜木町』に辿り着き、店内に入ると前回のオフ会の時と同じ個室へと通された。7~8名が入れば一杯になる程の手頃な広さの個室である。めいめい四角いテーブルを中心に円陣を描くように腰を落ち着けた。伊蔵はこの個室も気に入っているのだがもうひとつ気になっているテーブル席がある。
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いま居る個室の廊下を挟んで斜向い辺りにフロアから一段高くなった場所にある個室である。いつかここへ通されないかと思っているのだがいまだに叶っていない(笑)この廊下の奥に御手洗いがあるので用を足しに行く際にはいつもこの個室の前を通る事になりいつも伊蔵は気になっているのだった。

さてさてメンバー全員が腰を落ち着け早速自分の好みの飲み物を注文し宴の始まりとなった。まず今回の横浜オフ開会の挨拶をマスターが行なう。

『皆さん!え~・・遠いとこ集まってくれてお疲れ様です。今回はジャックが突然の事故に遭遇してしまったという事で横浜に駆け付ける事が出来ず非常に残念です・・・云々』

メンバーみんながグラスを片手に掲げたまま神妙にその挨拶に耳を傾けていた。“メンバーのみなに心配をかけてすまない。自分の事を気にせず楽しいオフ会にしてほしい”とのtakeさんの言葉を改めて伊蔵からメンバーに伝えて乾杯となった。

メンバーの長である宮城の“マスター”は今日横浜に到着後に何を思ったのか横浜スタジアムのそばで行なわれていた『献血キャンペーン』で自ら献血に赴いたとの事でその際、献血後二時間は飲酒しないで下さいと言われたらしい。最初はその事を守って烏龍茶を飲んではいたもののオフ会の楽しい雰囲気に圧されたのかビールを飲み始めた。彼は元来、酒は嗜まない方だがこういった場では少し飲むのである。

一方そのマスターの隣の群馬から参加の“斜さん”はビールから新潟県長岡市の日本酒、辛口の『越乃景虎』に切り変えつつ酒肴を摘みながらいつものように静かに語る。静かな口調で歴史をテーマにした話題を振られると思わず伊蔵も饒舌になってしまう。
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地元神奈川の紅一点メンバー“鎖骨さん”はテーブルの上に運ばれて来たいつも我々が『くいもの屋 わん』で注文するメニュー巨大な“大根おでん”と挌闘中であった。大根が一人ずつスライスされている訳ではなく一本丸々出てくるので彼女が箸でわざわざ人数分に分けていたのだが、思った以上に大根が柔らかく分けているというよりも粉々に近い状態に(笑)そこにツッコミを入れると打てば響くという感じで意見がすぐさま返って来るところが“ハマっ娘”ならでは。

名古屋の草加くんは物静かに食べたり飲んだりしていたが、注文したカクテルに刺さっている黒いマドラーをストローと間違えてしまい思いっきり吸ってしまうズッコケさが周りにウケていた(笑)しかしここのマドラーはホントにストローと間違えやすい。

メンバー中の最年少、大学生のヤツメウナギくんはメンバーのみんなから毎日の大学生活や自動車の運転免許取得の件や鉄道を使っての旅についての質問が飛びかっていた。彼はまだ飲酒が法的に認められていない未成年であるがオフ会では歳に関係なく自然に我々の話についてくる。次に開催されるオフ会には飲酒は解禁になるであろう。彼と酒を飲む事が出来るのは非常に楽しみである。

アキラ氏もオフ会メンバーには名古屋では何度か会っているものの関東で開かれるオフ会は今回が初めてだった。長旅で疲れているはずの彼だったが今夜は宿を近くにとっているのでメンバー達とも気楽に楽しく飲んで騒いでいる様で良かった。

酒を飲みながらメンバーのみんなの顔や話を聞いているのはとても楽しい。果たしてメンバーの皆の目に伊蔵はどの様に映っているのだろうか?この場にtakeさんがいないのが残念だ。彼からのメールが入っていた。そのメールによると午後8時前にはどうやら無事に家に帰宅出来た様だ。

酔いも回って来た所でオフ会恒例の土産物交換、通称『物産展』が始まった。日本各地の名産品が披露されるのでこの催しは結構面白い。
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宮城のマスターからは和菓子の『ゆべし』。東北の『ゆべし』は本来のゆべしの様に柚子が含まれたお菓子ではなく餅菓子で中に胡桃が入っている。
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群馬の斜さんからは岩手の『かもめの玉子』というお菓子。表面がホワイトチョコレートでコーティングされていて玉子型のお菓子の中身は黄色い甘い餡が入っている。地元神奈川の鎖骨さんからは横浜で開かれているエジプト展に因んでエジプトの象形文字がサブレの表面に描かれている一風変わった『ヒエログリフサブレ』。
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草加くんからは名古屋では有名な手羽先で有名な居酒屋『世界の山ちゃん』オリジナル『幻の手羽先しっとりせんべい』。毎回『ういろう』では芸が無いという事で見つけて来たというお土産。
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お次はアキラ氏の『名古屋ふらんす』という洋菓子とヤツメウナギくんの京都で手に入れたという『金平糖』、伊蔵の地元の和菓子である『栗菓子』。

テーブル上にドバドバと広げられたそれら物産品をみんなで仲良く分けた(笑)ジャックさん(takeさん)の分も持って行ってやって下さい!とメンバーのみんなから薦められ伊蔵は別の袋に物産品を入れて必ずや皆の気持ちをtakeさんに届ける旨、メンバーに約束したのだった。

その後もオフ会は数時間に渡って続いたが、献血をしてからやって来たマスターの体調が時間より早く飲酒してしまったがゆえに悪くなってしまい少々心配になってしまったものの、まずまずオフ会は成功。あっという間に楽しい時間は過ぎ去ってしまい群馬に帰らねばならない斜さんの最終電車の時間がやって来てしまった。メンバー全員でJR桜木町駅の改札口まで見送る。
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斜さんはここから約二時間をかけて群馬県まで帰宅するのである。お疲れ様!斜さん。斜さんを見送った後駅前のクロスゲートで酔い覚ましのコーヒーをメンバーと楽しんでから『横浜オフ』を終える事になった。最後まで献血した影響が続いていたマスターが心配だった。今度のオフ会の時は献血は避けて欲しいものである(笑)メンバー達と別れてからアキラ氏と伊蔵はヨロヨロと宿への道を歩いて行った。少々伊蔵も飲み過ぎた様で夜の野毛商店街を歩いてみる気力もなく宿のベッドに倒れ込んでしまった。

夜中にフト気が付いてみると伊蔵は倒れ込んだ時と同じ状態で倒れていた(笑)ぼんやりとした頭と開いているのか開いていないのか分からない目に写ったのはつけっぱなしのテレビ。画面はとっくに砂嵐だ。グラグラと断続的に目眩が襲ったがその頭の奥では昨夜の楽しいオフ会の様子がいつまでも残像のように映るのであった。明日は朝早めに横浜を出て名古屋へ向かわねばならない。夜明けまでの数時間寝るとしよう・・・<完>

みんなで分けた物産品の数々はオフ会が開かれた連休後にtakeさんにすぐ届けに行った。かれは肩をガチガチにギプスで固められており見た目非常に痛々しかったが想像していたより元気そうで安心した。メンバーの皆の気持ちは彼に十分に伝わったので物産品を届ける役目を果たした伊蔵も一安心。

※『横浜オフ』に集まってくれたマスター、鎖骨さん、斜さん、ヤツメウナギくん、草加くんそしてアキラ氏。楽しい時間を有難う!お疲れ様でした。レポの報告が遅れてしまい申し訳なかったです。


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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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