2009-12

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ふたり大阪・食い倒れBlues/レポートを始めるにあたって

すっかり報告が遅くなってしまった。
ここでは2009年6月に伊蔵の最も大切な友人takeさんとともに大阪・京都に旅に出掛けた事を書く。旅の後半の第二日目の話、京都で開催された第6回カフェカブパーティーの模様についてはすでにこの伊蔵通信でもふれたのでそちらの方を読んで頂きたい。

ここで書くのは旅の第一日目、大阪での出来事である。2009年には様々な所へ旅に出掛けたが、その中でもこの大阪の旅は最も楽しくそしてtakeさんと伊蔵にとって忘れられない思い出の旅となった。

友人takeさんにとって2009年という年は波乱に満ちたものであった。
長年の飲酒による痛風の突然の発症、その痛みの発作から日を待たずに箱根峠で遭遇した自ら運転するバイクによる転倒事故が原因の骨折・・・。不自由な身体では仕事もままならず、療養の為にのみ専念するしかない悶々とした日々を自宅で過ごす事になった。しかし図らずもその日々は彼の人生において自己を見つめなおすよい期間となったようだ。

2009年末、彼は約11年間続けてきた自分の店をたたむ決心をした。

伊蔵にとってこの店の存在は実に大きなものだった。三十代の思い出のほとんどがこのお店を通じて生じたものといってよい程に大変にお世話になった店なのだった。また伊蔵の旅の楽しみ方もこの店のお蔭で膨らみを持つようになった。それまでの移動だけの旅の楽しみ方だけでなく努めて各地に足を留めてその土地の“食”を楽しむという形に変わったのだ。この事は当ブログ『伊蔵通信』にも活かされている。
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takeさんのお店では様々な人達と出会った。それら友人達ともに美味しい料理に舌鼓を打ち語らいながら楽しい酒を飲む事はとても贅沢な一時であった。

つい先日もこの店で知り合った仲間とともにこの店で最後に味わう事になるであろう河豚鍋を一緒につついた。河豚鍋を味わいながら仲間達の頭の中にはきっと店での様々な思い出が去来していた事だろう。

takeさんとは店主とお客といった繋がりを越えて付き合いをさせてもらった。伊蔵にとって得難い思い出の数々をもたらしてくれたこの店が無くなるのは非常に残念な事だが、彼は彼なりに考え悔なく全てをやり終えたと判断を下した。takeさんの人生に自分がとやかく口を出す事は出来ない。彼の再出発を酒でも飲みながら静かに祝うとしよう。
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有難うtakeさん。お世話になりました。新たなお店に行ってもこのお店と同じ様に沢山の人に美味しい料理を楽しんでもらえるよう、またいい思い出を作ってもらえるよう頑張って下さい!

2009年最後の日、ここにtakeさんとの最も楽しかった大阪の旅の報告を始める事になるというのは何か運命的なものを感じざるをえない。

大切な友人である彼にこの大阪での思い出のレポートを捧げる。

2009年12月31日
伊蔵
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信州長野・上田の旅/その19・最終回やはり〆は蕎麦

善光寺参道を下った伊蔵は『権堂商店街』のアーケードの西口に辿り着いた。そろそろ小腹が減って来たので権堂で昼飯でも食べてみようと思いアーケード街へ入ってみた。権堂には様々な飲食店があるがやっぱりこの商店街でもラーメン屋が多い。ラーメンにしようか迷っていたが『松竹相生座・ロキシー』という古めかしい映画館の入口付近で切妻屋根のとても小さな蕎麦屋を見つけた。
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本場戸隠の手打ち蕎麦と銘打たれた『そば処 とがくし』という名の蕎麦屋さんであった。カウンター11席のみの立ち食いに限り無く近い小さな小さな店舗である。後から調べて分かったがこの権堂の一店舗、JR長野駅近くのビルの地下一階にも一店舗あるようだ。チェーン店なのか?この『とがくし』さん、小さな店舗だがお客さんで結構混雑している。とにかく中に入ってみよう。お約束の様にカウンター席の一番端へ座る。

店内は想像通りかなり狭い。カウンター内の厨房内はさらに狭いがおばちゃん三名で切盛りしていた。リーダー格っぽいおばちゃんは権堂の肝っ玉かあさんという感じで元気が良く、狭い厨房内で忙しく動き回っていた。ここのお蕎麦はおばちゃんがキチンと手で打ったものが出されるという。

伊蔵はお品書きにあった温かい『山菜蕎麦』を注文させて頂いた。注文の品が出てくる間にもお店にやって来るお客さんは引っ切りなしでやって来てたちまち11席のカウンターは埋まってしまった。夜も遅くまで営業されているようで仕事帰りに権堂で一杯お酒を引っ掛けたサラリーマン客などが〆としてよくこのお店を利用するらしい。〆に食べるならラーメンよりも蕎麦の方が身体に良さそうである。遅くまで営業している手打ちのお蕎麦屋さんは伊蔵の地元ではなかなかお目に掛かる事はない。
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しばらく待っていると注文した『山菜蕎麦』が伊蔵の前にやって来た。小さな碗にあっさりとした温かそうなお汁と手打ちの蕎麦、かなり多めに盛られた山菜(ぜんまい)と茸が嬉しい。カウンターに置かれた根元 八幡屋礒五郎の七味をパラパラと振り掛けて早速頂く。山菜や茸の苦味と醤油味のお汁のあっさりした風味を鼻腔に感じつつ手打ちの蕎麦を啜るのは何とも幸せだ。時折七味のピリッとしたパンチの効いた味を楽しめるのもなかなかイイ。あっという間にお汁も残さずやっつけてしまった。『とがくし』さん御馳走様でした!

再び伊蔵は権堂商店街西口から善光寺参道へと抜けてJR長野駅方面へ向けて歩いた。『とがくし』さんのお蕎麦は美味しかったがいかんせん伊蔵の胃を膨らすには少々少なかった。そこで長野を去る前にとどめの蕎麦をJR長野駅前のビルの一階にあるお蕎麦屋さん『そば亭 油や』さんへ。
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こちらのお蕎麦屋さんは随分モダンで綺麗なお店であった。しかしこの蕎麦屋を経営するアブラヤ株式会社の創業は江戸時代の天保四年というからなかなか歴史は古い。元々飲食店ではなく油と塩の商いから創業したという事で社名や店名の『油や』はその名残りであるようだ。

駅のすぐ近くの蕎麦屋という事でお客さんの層も圧倒的に観光客が多く伊蔵が訪れた時間も大変混雑していた。ここ『油や』さんは蕎麦屋の他に宴席も行なえるスペースも備えていて大勢で長野の季節料理を楽しむ事が可能だ。その為、お品書きには各種蕎麦の他にも『焼肉定食』や信州ではよく食べられる『馬刺』の名も並ぶ。
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伊蔵が『油や』さんで注文したのは『天麩羅蕎麦』これならお腹も膨れるだろう。天麩羅は海老、茄子、南瓜、シシトウの四種。これにお蕎麦が付く。至って普通でありお品書きそのままのメニューであった。食後には蕎麦湯もしっかり頂いた。蕎麦湯を飲みながらしばらくゆっくりしたかったのだが店内はかなり混雑していて行列も出来始めていたので早々に退散する事に。『油や』さん御馳走様でした!
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伊蔵の上田・長野の旅も終わりに近付いて来た。考えてみればこの二日間、蕎麦を食べる事に始まり蕎麦で終わったという感じで終わった旅であった。
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長野県は伊蔵の地元岐阜県の隣の県でありながら両県の面積はとても広大で、距離もあるし移動にも時間が掛かるのでなかなか長野市まで出向く機会がなかったが『善光寺御開帳』という七年に一度のイベントが開かれるこの機に思い切って出掛けてみて良かった。御開帳の賑わいや権堂の蕎麦屋『かんだた』さんのご主人、女将さんとの交流など以前に長野に出掛けた際とはまた全然違った思い出が沢山出来た。
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伊蔵は長野での思い出を胸にJR長野駅改札口を抜けて特急列車『ワイドビューしなの』の車窓の人となった。
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途中聖高原へ向けてどんどん山の斜面を高度を上げていく列車の車窓から長野方面を眺めて見ると本降りになって来た雨に薄く煙る善光寺平が遠くなって行くのが見えた。<完>

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◆本場戸隠の手打ち蕎麦『そば処 とがくし』権堂店
・住所/長野県長野市権堂町2255
・電話番号/026-234-2670
・営業時間/11:00~14:00 17:00~24:00
・定休日/日曜日・祭日
・お店が紹介されているリンク先URL
http://www.geocities.jp/daifuku_whisky/nagano/togakushi-gondo.html

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◆長野駅前『そば亭 油や』
・住所/長野県長野市末広町1355-5 ウェストプラザ長野
・電話番号/026-226-6761
・営業時間/11:00~23:00
・定休日/無休
・ホームページURL
http://www.n-aburaya.com/



信州長野・上田の旅/その18・“おやき”と“酒”

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善光寺本堂を見た帰り、伊蔵は仲見世通りにて信州名物の“おやき”を食べてみる事にした。おやきとは昔から信州で食べられていた伝統的な料理。寒冷な気候と稲作に適さない土地柄であった信州では蕎麦や小麦を米の代用品として食べる事が多かった。“おやき”もそのひとつであり小麦粉や蕎麦粉を水で溶いて練って、餡として山菜などを包み込んで焼いたり蒸したりしたものがそう呼ばれている。
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この善光寺参道でも“おやき”を提供するお店は多く店先で簡単に手に入れる事が出来、そのままテイクアウトで食べながら街を散策する人々をよく見かける。早速伊蔵もある店先でおやきを見つけ食べてみる事にした。天候は雨で少し寒かったので腹を少し温めておきたかったというのもあった。

おやきの餡のバリエーションも多岐に渡っていて昔からこの地方で食されていた野沢菜をはじめ、唐辛子と味噌を効かした茄子や切干大根、きんぴら牛蒡、ひじき、五目豆腐や小豆などが楽しめる。伊蔵はおやきの餡として最もポピュラーな野沢菜をチョイス。お店の親父さんから、

『熱いから火傷に気ぃつけてねぇ~』

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と言われホカホカ蒸かしたての野沢菜のおやきを手渡された。伊蔵はその温かいおやきを手に善光寺仁王門の脇まで歩き、そこで食べてみた。かぶりついてみると中の野沢菜は結構な具沢山。う~むこれは美味しい!野沢菜のシャキシャキとした食感と軽い味噌仕立ての味が素朴で何とも言えず身体も十分に温まるし腹も結構膨れる。

信州名物のおやきを食した後、善光寺交差点を右折(西方面)へ折れてみた。偶然ある造り酒屋さんを見つけた。
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善光寺の西之門で江戸時代の初め1637年(寛永14年)から酒造業を営んでいる『よしのや』さんという蔵元である。善光寺の西というこの場所で醸されるお酒はその場所の名をとって『西之門(にしのもん)』という。いつだったか伊蔵の友人であるミスターB氏がこの『西之門』というお酒を長野のお土産として届けてくれた事があったので名は知っていた。そうかここのお酒だったのか・・・。

蔵元『よしのや』さんでは清酒工場(見学可能)やお酒の販売の他、自社で醸造される善光寺味噌を販売する「酒とみその店よしのや」という直営店、季節の料理が楽しめる「レストランさくら」など広い敷地内にはいろんな施設が建ち並んでいる。
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早速『よしのや』さんの玄関口である大きな一棟の建物を貫く暗く長い土間スペースに入って「酒とみその店よしのや」へ行ってみる事に。トンネルの様な土間スペースを抜けるとお店の正面へ出る事が出来る。
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西之門の名が書かれた真っ赤なタープ、造り酒屋にはつきものの杉玉が吊り下がる蔵の様な店舗内に足を踏み入れるとまず目に飛び込んで来るのが酒器を中心とした様々な陶器の販売コーナーであった。
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これら陶器の数々は料理研究家である土井善晴氏(家庭料理研究の第一人者として知られる土井勝氏のご次男)が選び日本全国から集めた器だという事であった。陶器の販売コーナーの奥には『よしのや』さんで醸造されるお酒や善光寺味噌の販売コーナーとなっていた。

販売コーナーでは『よしのや』さんで働く従業員の方々がお酒を片手にお客さんにしきりに購入を薦めていた。当然伊蔵も従業員の皆さんに捕まってしまい一通りというか全種類のお酒を試飲してしまう羽目になってしまった(笑)伊蔵以外のほとんどの観光客はクルマに乗って善光寺周辺にやって来るので試飲をしている人はほとんどいなかった。そんな中伊蔵は試飲用に並ぶお酒全てを頂いたのだった。

粕漬けなどもチョコチョコ頂きながら従業員さんの酒の説明に耳を傾けつつの試飲はなかなか面白かった。一生懸命自社のお酒の説明をしてくれる従業員さんに対して何も購入せずにこの場を立ち去るのは何だか済まなくなって来た伊蔵はお酒を一本購入する事にした。伊蔵はまんまと『よしのや』さんの販売技の術中にハマってしまったというところであろう。
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試飲した中でも特に美味しかった『西之門 純米にごり酒』を伊蔵は選び購入した。にごっているこのお酒は濃厚かと思われたが飲み口がサッパリしていながらも味わい深い点が良かった。原料米は五百万石を使用していてアルコール度数は普通の清酒とは違い少し高めの17度。飲んでみると胃の腑がポカポカしてくる。少々気持ち良くなって伊蔵は『よしのや』さんを後にして善光寺参道を南へと下って行ったのだった(決して千鳥足で下って行った訳ではない・笑)。<つづく>


信州長野・上田の旅/その17・二日目再び善光寺へ

長野市での二日目。つまり善光寺御開帳の最終日の朝を迎えた。伊蔵は午前10時に宿をチェックアウトしてまず最初にJR長野駅へと向かった。荷物を預けて身軽になる為と予め午後の特急列車の切符を手に入れておこうと考えたからである。善光寺御開帳最終日ともなればそれを見にやって来る参詣者の数も多いだろう。午後になってから切符の購入窓口が混雑する事が予想されたからだ。
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長野駅を後にして伊蔵は中央通り(善光寺参道)を北へ向かって歩いた。今日の天候は昨晩長野市内で降り始めた雨は上がっていたものの空は一面の曇り空でいつ雨が降って来てもおかしくない状態であった。

実は伊蔵は早朝に起きてこの善光寺にやって来たかったのだがついつい寝てしまった。善光寺では毎朝、日の出とともに行なわれる“お朝事(あさじ)”と呼ばれる朝のお務めと、お朝事の為に本堂にやって来るご住職が参道に膝まづく参詣者の頭を数珠で撫でる“お数珠頂戴”というこのふたつの行事を実際に目で見てみたかった。だが御開帳期間中はお朝事を見る為にかなり多くの人が日の出前、早い人だと午前三時頃から並ぶというので前日に寝ている時間がほとんど無くなってしまう。元々朝が弱い伊蔵は諦めて遅くまで寝てしまった。
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15~20分程掛けて善光寺の入口までやって来た。仁王門前には昨日と同じ様に『大回向柱』を触ろうとする傘をさす参詣者の行列が出来ていた。
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仁王門をくぐり仲見世通りに入るとさすがに昨日夕方に訪れた時より人が多い。『大回向柱』を触る為に並ぶ人の行列と左右の土産物店にたむろする観光客が入り乱れるこの人混みの中をスムーズに歩くのはなかなか出来なかったが人を躱しつつ先へと進んだ。
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仲見世通りを歩き、山門前まで辿り着く。山門自体も御開帳期間中は昇る事が出来るらしく巨大な山門の上には人の姿がチラホラと見えた。
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是非とも伊蔵も山門の上からの景色を楽しんでみたかったが昇るにもこれまた長い行列に並ぶ事になるので断念した。山門をくぐり終えると善光寺本堂はすぐ目の前だ。
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昨日暗くなってから見た際とは違い、明るい陽の下で眺める『善光寺本堂』はやはりかなりデカい。
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正面から見ると鳥が大きく翼を広げた様な優雅な形をしているこの建物は江戸時代中期1707年(宝永四年)に再建されたもので国宝に指定されている。正面七間(23.9m)側面十六間(53.7m)の大きさがあり世界最大の木造建築物である『東大寺大仏殿』と並ぶ巨大木造建築物である。設計担当は『甲良宗賀(こうらむねのり)』で日光東照宮を担当した大工『甲良宗広(こうらむねひろ)』の孫にあたる人物だ。
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善光寺本堂はよく炎上し焼失する事で有名で、この地に創建されてから現在に至る約1400年間に記録に残るだけでもこれまで実に11回も焼けている。これほど焼失し再建されて来た本堂は日本において他に例がない。焼失する度に時の権力者達の手によって再建されて大切に守られてきた。信仰の力というのは凄まじい。
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また普通の寺社建築とは違って本堂に入る入口が『妻入り(つまいり/三角屋根を正面にして本堂内に入る形)』方向になっているのも善光寺本堂の建築様式の特徴の一つになっている(全国にある善光寺系の建物もこの形をとっている)。
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本堂の屋根の形も独特で『撞木造(しゅもくづくり)』という様式をとっている。つまり屋根を真上から眺めた時にその形が撞木の様にT字型をしている事からこう呼ばれる。Tの字の横棒部分がちょうど本尊が安置されている内々陣にあたる。
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この屋根様式を使う事によって本堂内で最も神聖な場所である内々陣上部の天井高を高くする事が可能となり大空間を造りだす事が出来るのだ。このあたり西洋の大聖堂や教会建築様式に似ている。
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伊蔵はその巨大な本堂をグルリと一周してみた。本堂の左側面へ回ってみると何やら人の行列が。それは善光寺名物『戒壇めぐり』の順番を待つ長い長い行列であった。
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先にも書いたが本堂内の内々陣に設けられた真っ暗な地下道を手探りで進み本尊の阿弥陀如来との縁が結ばれるという『戒壇めぐり』は善光寺でも人気のアトラクション?(笑)のひとつで人気が高い。
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しかし人気が高いアトラクションの順番を待つ為に長い行列に並び長時間を費やさねばならない事はどこへ行っても一緒やな・・・。
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結局この長い行列を見ているだけで疲れてしまい伊蔵は『戒壇めぐり』も諦めざるを得なかった。
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本堂を一周し終えて本堂脇にある土産物やお守りやお数珠などを分けている平屋建ての建物に入ってみた。この建物内にも人が一杯でまさに“御開帳景気”に沸き立っているという感じであった。
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土産物の中には『御開帳期間限定』の文字もチラホラ。それに釣られて客が土産をいくつも買い求める・・・善光寺もこの御開帳期間中にしっかりと金儲けをさせてもらっているようであった。<つづく>

信州長野・上田の旅/その16・夜の善光寺へ(2)

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善光寺本堂内の構造は縦に大きく三つのブロックに分かれている。
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本堂入口を入ってすぐの広いスペースが『外陣(げじん)』。
その奥が『内陣(ないじん)』、本尊が祀られている本堂の最奥部を『内々陣(ないないじん)』という。
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外陣から内陣、内々陣へ入るには拝観券を購入しなければ入れない。伊蔵が本堂を訪れたこの時間帯ではすでに拝観時間を過ぎており自由に見て廻れるのは外陣内までである。
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本堂内は撮影禁止となっていて残念ながらカメラにその様子を写す事が出来なかった。外陣には釈迦の弟子の一人であり神通力が大変強かったといわれる『賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)』の木像が置かれてあり、その神通力にあやかろうと病人が身体の患部と同じところを触れるという信仰があるという事で参拝客が大勢『賓頭盧尊者』の木像を触っていた。その為この木像は至る所が磨り減っていて丸くなっているのだった。また死後の裁定者として知られている『閻魔大王』の像も外陣内に置かれていた。

暗い内陣の方へ目を向けると畳150畳敷きの広大な空間が広がっていた。参拝者や信徒の方々がお参りをする場所で江戸時代までは“お籠もり(おこもり)”といってここで泊まって祈るという行為が行なわれていたという。

内陣のさらに奥が内々陣なのだが内陣と内々陣を隔てる上部の欄間には極楽浄土から死者をを迎えに来る(来迎/らいごう)阿弥陀如来と二十五の菩薩の彫像が見える。これを見ていると何だか有難い気持ちになってくるから不思議だ。内陣の奥の内々陣に本尊が置かれている。外陣からだったが御開張の『前立本尊』は小さくだがなんとか見る事が出来た。真近で見るにはやっぱり拝観券を購入して見るしかないだろう。
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外陣を一通り見て伊蔵は本堂を出た。雨はどんどん本降りになっているようだったが『大回向柱』を触ろうと並ぶ行列は相変わらずはるか遠くまで続いていた。
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雨が降っているにも関らず傘をさして黙々と順序良く並ぶ人々。
順を待たず“禁じ手”を使って『大回向柱』を触った伊蔵は恥ずかしくなってしまった・・・。これは伊蔵はやはり地獄行きか・・(笑)
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その後、伊蔵は善光寺参道を下って善光寺交差点へ辿り着いた。すっかり闇に包まれた長野市内は降り出した雨でしっとりと濡れていた。
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宿まで戻る途中、傘をささなくても歩く事が出来る『権堂商店街』のアーケードを通って帰る事に。朝早くから移動し上田市、長野市内を巡った旅の一日目はこうして終わったのだった。明日はもう一度善光寺に赴き、昼間の様子を見てから帰る事にしようと決めた。<つづく>

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伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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