2010-08

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小田原・箱根への旅/その17・小田原城(1)

小田原駅前の「うおがし」さんにて夕食を食べた伊蔵はよ雨が降る夜の小田原市内を宿の方角へと歩いていた。これから向かおうとしている小田原城は今夜の宿とは目と鼻の先なのであった。
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伊蔵は旅先でその土地の城を見て回る事が多いが今回の「小田原城」に訪れるのは初めての事だった。静岡県にある「掛川城」もそうだったがこの小田原城も東海道新幹線を使って東へ向かう途上にチラリと望む程度の城だった。ただいつかは間近から望んでみたいと思っていた城だった。
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この「小田原城」が日本史上最も有名になった出来事は何といっても天正18年(1590年)豊臣秀吉の「小田原征伐(北条征伐)」時であろう。天下統一の最後の総仕上げとして行ったこの秀吉による小田原征伐はこれまでの合戦の常識を覆す圧倒的な動員兵力(約22万)でもって小田原城の全周囲を囲んだ大規模な戦いであった。
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自らの勢力下にある諸大名のほとんどを動員、またその大軍勢を支える巧みな兵站能力(補給能力)を持つ秀吉の上方軍勢は北条氏の考える戦闘の常識をはるかに凌駕しており、北条氏の勢力下にある関東の支城は秀吉の別働隊によって次々と陥落、次いで本拠地である小田原城もついには陥ちた。この「小田原征伐」によって五代百年間に渡って関東を治めていた後北条氏はついに滅び去った。
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「小田原城」は小田原市内に北西方面からのびている山の手の先端部分に位置している。相模湾が目前に迫る場所で城を中心に広大な城下町が形成されていた。
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現在、復興天守閣のある場所は江戸時代になってから整備され築かれた近世小田原城があった場所であり、戦国期に活躍した北条氏が築いたものではない。北条氏が城として使っていたのは現在の天守閣よりもさらに北西方面の「八幡山」を中心とした辺り(現・小田原高校付近)だったらしい。この八幡山の尾根の先端部が今現在の小田原城址公園となっている。

「小田原城」は初代北条早雲が大盛氏から奪ってから後、城の規模が拡張されていった。三代氏康の頃には越後の上杉謙信や甲斐の武田信玄に小田原城は攻められたがこれを退けた実績もある。この際の籠城戦勝利の実績が後々北条家の籠城至上主義となってしまった感がある。
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ただ籠城戦に自信を持つのも無理はない。この小田原城はそれだけの規模と鉄壁の守りを誇っていた。代を重ねる毎に城の規模を拡張していった結果、秀吉の小田原征伐時には城と城下町全域を空濠と土塁で囲んだ“総構え”を形成しており、その総延長は約9kmにも及び中世最大級の規模を誇った城であった。

確かにこれくらい規模がある城塞ならかなりの期間籠城して戦う事も可能だろう。しかし総構えが大規模になればなるほどその城域内に籠城する人数も多くなるはずで、その人達を賄う食糧や物資などはそれ相当の量が必要となる。北条氏側も戦いが始まる前にこれらに関しては十分な準備をしていた。さすがの秀吉軍もこの総構えを施した巨大な小田原城を力押しで攻める事は出来ず、城の周りを陸地、海を問わず蟻の這い出る隙間もなく軍勢で取り囲み、秀吉は小田原城を見下ろす箱根の石垣山に城を築いて本陣とし得意の“兵糧攻め”の形をとった。だが長引くかにみえたこの籠城戦は予想に反して戦いらしい戦いもせず、ほとんど無血に近い形でわずか三ヶ月程で終わってしまった。

◆江戸時代の小田原を再現したCGファイルを映像で!
http://www.youtube.com/watch?v=9EOsDTqRnfY

これは秀吉の兵糧攻めという戦いの仕方、巧みさの結果ともいえるものであった。圧倒的な軍勢と物量を背景に秀吉は小田原城を囲んで長期戦を視野に入れ戦いに望んだが、戦いを出来るだけ短期間に終わらせる為に様々な演出(敵に対する示威行為)を行った。本陣である石垣山に一夜にして城を築いた様に見せかける演出をはじめ、陣中に見世物小屋を作って兵達を和ませつつも戦闘に対する士気を保ったり、自らの愛妾である淀殿や諸大名の妻達も戦場に呼び寄せたりした。小田原城内ではいつ秀吉の軍勢が総攻撃をかけて来るかと戦々恐々とした毎日を過ごしていたのに対し、城を囲む秀吉陣営では毎日がお祭り騒ぎの状態だったのである。

こういった状態がある一定の期間続けば小田原城内に詰める城兵達の心理に戦いをし続ける気力が無くなり厭戦気分が巻き起こって来るのも当然であった。この頃の秀吉はこうした籠城戦に対する戦術的演出が旨く、なるべくお互いに血を流さず城内の兵達の戦意の喪失を狙う事が多かった。こうした心理戦は彼が得意とするところであり彼が“城攻めの天才”といわれる所以である。
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結局、五代北条氏直(彼は徳川家康の娘婿にあたる)が自分が切腹するかわりに城兵達の命を助けてほしいと徳川家康の陣に駆け込み小田原城は陥落した。氏直はその意に反して秀吉から許され高野山へ追放されたが四代北条氏政、氏照の兄弟は切腹し、ここに関東に五代百年間渡り支配を続けてきた北条氏は滅んだのだった。

この小田原戦役の後、関東に移封された徳川家康はこの小田原城代として腹心の大久保忠世(おおくぼ ただよ)を置いた。この際に大城郭を誇った小田原城は改修され規模を大幅に縮小されたという。現在小田原市で見ることが出来る小田原城はこの近世小田原城という事になる。<つづく>



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最近『香味』ってる!?(2)

ここ最近で名古屋の池下にある『季節料理 香味』さんで頂いたお料理をいくつか紹介します。
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◆画像提供/アキラ氏
まずは先日頂いた“大海獣ガメラ鍋”こと『スッポン鍋』(笑)。これを頂いたのはちょうど暑い最中で夏バテ気味の身体にこの料理にはスタミナを付けさせてもらった。スッポンを〆てから身のぶつ切りを鍋に入れ丹念に灰汁抜きをしながら煮込むスープ作りは結構手間がかかるとの事。

鍋から目を離さずしっかりと浮いてきた灰汁を取り去らないと黄金色に輝くスッポンスープは取れないのだ。これを怠ると折角のスープが濁ってしまい味が落ちるのだよと大将。
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◆画像提供/アキラ氏
この“ガメラ鍋コース”の最初を飾ったのはスッポンのコース料理の定番、小型グラスに注がれた『スッポンの生血』。これを日本酒で割ったものだが気になる程の生臭さはほとんど無く、スッと飲む事が出来る。後味に少し「あぁ・・何となく血の濃厚な味が・・」と感じるくらい。生血を飲んだ後はスッポンの心臓、卵、肝の三種類を生で生姜醤油で頂いた。スッポンの生命力は驚く程強くて、すでにバラバラに身体を解体され心臓だけになっているのにその心臓は微かながらも皿の上で動いていた。

スッポンの身から抽出されたエキスがたっぷりの鍋はことのほか美味しかった。身自体はコラーゲンの塊なので味という味は無い。ただこの身から滲みだしたスープが絶品なのである。頂いている内にもアキラと伊蔵の額には汗が滲みだしてきて身体全体が火照ってきた。二人ともテッカテカ状態である(笑)。これもスッポンエキスの効果なのであろうか。

鍋の後は残りスープを利用しての『スッポン雑炊』だった。これが食べたいがためにスッポン料理を食べる人もいるくらいこの雑炊というのは美味しい。米粒内にスッポンのエキスが十二分に行き渡り何ともいえない甘い味がするのである。飲酒でしたたかに弱った身体に〆でこの雑炊を頂くと身体がテキメンに復活してしまうから不思議だ。スッポン鍋コース、美味しゅうございました。
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ある日には『鯛の塩焼き』を出して頂いた。小振りの鯛であったが身が結構詰まっていてホクホクしながら食べた。絶妙な塩加減が淡泊な鯛の身と相まってあっという間に骨だけに(笑)“ありが鯛”お味であった。
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たまにこういうものも出してくれたりするので嬉しい。大将tsunchoさん特製の『ミニハンバーグ』だ。小鉢に入るくらいの超小型マイクロハンバーグだがしっかりと作ってあり、濃厚なデミグラスソースがかかっていて実に美味しかった。今度はデカいの食べたい(笑)
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◆画像提供/アキラ氏
最後につい先日頂いた珍しい品。『時鮭のハラス』というもの。これがえりゃ~あ美味しい鮭で驚いた。“時鮭(ときじゃけ・トキシラズともいう)”という名の普段聞きなれないこの鮭は、鮭の旬である秋ではなく春から夏にかけて沖取りした鮭の事である。

鮭というのは5~6年間の海洋での回遊で成熟した後、産卵期を迎え秋になると生まれ故郷の川に戻り産卵の為に遡上してくるのはよく知られている。一方、“時鮭”はこれからいよいよ産卵期を迎える一歩手前のいわば未成熟の鮭であって海の中を元気に泳ぎ回っているものを穫らえたものである。海を元気に泳ぎ回っていただけあって身体には脂肪分がまだたっぷり残っており食べると非常に美味な鮭なのである。

よく耳にする“鮭児(けいじ)”は産卵の為に川に戻ろうとする成熟した鮭たちに混じって訳も分からずに川に戻ってきてしまった若い鮭の事である。この鮭児は普通の鮭一万匹に対して一、二匹程度しか混じっておらず「幻の鮭」といわれて市場でも大変高価な食材として有名なのでご存じの方も多いだろう。
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“ハラス”というのは語源的に“腹”からきているらしい。漢字での表記は“腹須”と書く。呼び方は各地方によって異なるとの事だが、要するに腹の部分を細長く切った部位の事みたいだ。早速この『時鮭のハラス』を友人のアキラ氏、桔梗屋さんとメーテルさんとともに頂いたのだがメンバーみんながその味に感動していた。脂ののった鮭というのはこのような味がするものなのか・・。これは脂の味がそうさせるのか大変身が甘くて美味しかった。なかなか食べれないものをその夜は堪能させてもらい大満足のメンバー達であった。

これからも『季節料理 香味』さんについては度々アップしていきたいと思います。大将、takeさんいつも美味しい料理を有り難う!これからもご協力よろしくお願いします。<完>


最近『香味』ってる!?(1)

はい!随分と香味ってます(笑)。
伊蔵がお世話になっている名古屋は池下の季節料理のお店『香味(かみ)』。頑張り屋の大将tunchoさんと友人takeさんが切り盛りしているこのお店、この伊蔵通信でも二度ほど取り上げさせて頂いた。今年の4月末に初めてこのお店にデビューさせていただいてから早くも4ヶ月近くの時が経っている。この間にも週末には何度か足を運んでいる伊蔵。その都度大変お世話になっている。
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足しげくお店に通う内に常連のお客さん方とも顔見知りになり声を掛けて頂けるだけでなく料理やお酒のご相伴に預かる事もしばしば。伊蔵の週末の密かな楽しみになっている。お世話になっているのにお店の事をなかなか記事に書く事が出来ず、そろそろここで一回書いておかないと大将のtsunchoさんとtakeさんにダメ出しを受けてしまいそうなので今書いている(笑)

伊蔵が『香味』さんに出掛けるのは大概週末の土曜日が多い。土曜日は仕事量が少なければ定時前には仕事を切り上げることが多い為、お店の開店時間の午後五時には顔を出す事が出来、なおかつ終電までの時間をたっぷり店内で過ごすことが可能だからだ。“ウィークエンド五時から男”そのままである(笑)。

開店時間の午後五時前にはお店に到着してしまう事がしばしばで店内カウンターでは大将のtsunchoさんが支度中である事が多いのだが快く入店を許してくれる。だけでなく夜の仕事のスタートを祝うように冷えたビールを差し出してくれる。ただし出てくるグラスは例によって二つである(笑)。彼も夜の部スタートに際してはこの冷えたビールの一杯がなければ動きが鈍るらしい。

二人で一週間の内に起きた出来事について楽しく話しながらビールを一本空ける頃合いになるとtakeさんが出勤してくるパターンが多い(笑)二本目のビールが出てくると同時にグラスがまたひとつ増えるのであった。これで改めて三名でビールで乾杯し“週末夜の部・始動の儀”が完了するのだ。

それからの時間はカウンター内の二人もお客さんが来るまでは随分ゆったりしたした時間をビールを飲みながら過ごすのだがお客さんが立て込んでくるとカウンター内は一変して戦場と化す。年輩のお客さんなどは味覚が肥えておられる方が多いので(このお店での客層はほとんどこういった年輩の方が多い)料理に関してあれこれと注文をつけてくるのだが、そのリクエストを的確に聞きとどけ、今ある食材で大将のtsunchoさんとtakeさんはテキパキと巧く仕事をこなしていく。

伊蔵が『香味』デビューを果たして四ヶ月の間に西区にあったtakeさんのお店での常連客さんも徐々にだがデビューをしつつあり、『香味』で落ち合い一緒に食事をする事も最近多くなって来た。

そんな常連客のひとりである“桔梗屋さん”は自宅とこの店が近い事もあって結構足しげく通うようになっているだけでなく、自らの料理に磨きをかける為なのか大将のtsunchoさん、takeさんに料理の手ほどきやアドバイスを受けつつも美味しい料理を頂きお酒を飲むというスタイルがすっかり定着してしまっているようだ(笑)

伊蔵の友人は“酒好き”が多い為、酒に合うものをいろいろ工夫して作ってくれるのがこのお店のいいところ。また旬の食材や珍しいものが市場で手に入った時など振る舞ってくれる。これがまたみんな美味しいんだな。

大将のtsunchoさんにしろtakeさんにしろお酒が何よりも好きだし、どこかへ旅に出掛け美味しい食材や料理があれば自分の舌でまず食べては研究し、それに独自のアレンジを加えていく。その探求力や技術力は素晴らしいものがある。それが嘘でない証拠に我々の年代よりも随分上の年輩のお客さんのリピーターや常連さんが多い事でも分かる。そうした年輩のお客さんには特に料理に対して誤魔化しというものが利かない。

そうした年輩のお客さんの中には「前に一度ランチで来て美味しかったからまた来ました」とわざわざ夜に店に足を運び訪ねてくる方もいる。この一言は料理人の二人にとっては最高に嬉しい言葉なのではないかと思う。とにかく料理人というのは日々が勉強、とても厳しい世界だという事だ。

出してくれた料理について分からない点をいろいろと質問してみるのもここのお店での楽しみ方の一つかもしれない。大将は丁寧に質問に答えてくれる。それを聞きながら料理を食べ酒を飲むのもこれまたいいものなのだ。出されたものをただ食べるだけではツマランからね。次回は最近『香味』さんで食べさせて頂いた数々の料理の一部を紹介しておきたいと思います。<つづく>


小田原・箱根への旅/その16・小田原『うおがし』さんへ

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今夜の伊蔵の宿「ホテルクニミ小田原」は小田原城下の少しせせこましい路地の中程にあった。その為少しばかり辿り着くのに迷ってしまった。
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フロントでチェックインを済ませ部屋へ。部屋は少々狭かったが一人で泊まるなら十分な広さといえた。「ふぅ~」さすがに今日は疲れた。小田原への移動距離もさる事ながら、箱根の観光地をくまなく結び回ってきたので伊蔵はかなり疲れていた。しばしベッドに横になりまどろむ・・・・しかしいつの間にか深い眠りに陥ってしまっていた。いかんいかん!と思いつつ身体を動かそうとするがなかなか起きあがることが出来なかった。とりあえず重い身体を起動させ熱いシャワーを浴び、無理矢理に目を覚まさせた。

これから夜の小田原市内へ繰り出しどこかで夕食を食べねばならない。旅に出たらその土地の食を味わってみるというのが伊蔵の楽しみのひとつである。小田原市はすぐ南側を相模湾に面している為、旨い海産物が食べれるお店がいいなぁとは漠然と思っていて(ちなみに小田原市は蒲鉾が特産品である)旅に出る前にいろいろと小田原市内のお店を検索していたが、これといって気を引くようなお店がなかなか無く、結局どこへ行こうか決めずに本日を迎えてしまった。
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どこのお店に出掛けるか決めずに伊蔵は夜の小田原市内へと歩を進めた。ホテルを出るといつの間にか本格的に雨が降り出しており、慌ててフロントで傘をお借りする羽目に(笑)。とりあえず市内でも賑やかしそうだった小田原駅前周辺部へ向かって歩き始めた。
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小田原駅前東口周辺の大通りには居酒屋チェーンなどの大型店などは多かったものの地元に根をおろしたような古くからのお店はなかなか見つからなかった。そんな中、伊蔵はある一軒のお店を見つけた。
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それは『寿司・和食処 うおがし』さんというお店。お寿司屋さん兼居酒屋といった感じのお店だった。お店の雰囲気や名前からしても相模湾の海の幸がそこそこ頂けそうな感じだったのとお店の入口に掲げられた『大漁旗』が気に入ったので(笑)思い切って入ってみる事にしてみた。

閉店時間まであと一時間少々という時間帯だったので店内は空いていた。かなりでかいお店で奥にはお寿司屋さんによく見られるカウンター席があって何組かのお客さん(多分地元の常連さん)達がお酒を飲んでいる。そこへズケズケと乗り込んでいく訳にもいかないのでお店入り口付近のテーブル席へと腰を下ろした。テーブル席は幾席かあったが客は伊蔵のみ。静かに海の幸とお酒が飲めるのでこれはこれでいい。

早速店員のおばちゃんがおしぼりと温かいお茶を持ってやってきた。

『お決まりになりましたら呼んでください。』
『はい、分かりました。』

伊蔵はおばちゃんに返事をして早速お品書きに目を通してみた。店内の壁にはいくつも美味しそうな一品料理の名が書かれていたが一人でそんなにも食べることが出来ないため、テーブル上に置かれたお品書きの中から選ぶ事に。まずは地元の日本酒を冷や(辛口)注文させていただく。注文した日本酒の銘柄をメモ帳に書き留めておいたのだがこのメモ帳を後日紛失してしまい、この時何というお酒の銘柄を注文したのかがここで発表不能なのがイタイ・・・。

先程のおばちゃんが早速日本酒を運んで来てくれた。と同時に伊蔵はお品書きの中のオススメ品である『鯵のたたき定食』を注文させてもらった。注文の品が出来上がるまでチビチビと酒を飲みつつ待つことにする。
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日本酒の他にツマミとして一緒に付いてきたきんぴらとお漬物をポリポリと頂きながら白い徳利から辛口のお酒を猪口に注ぎそれをクイッと一気にあおる。スッっと爽やかな飲み口。後に徐々に身体がカァ~っと熱くなってくる。今日の移動の疲れも手伝って酔いの方もいい心地だ。そんな感じで二三杯やっていると『鯵のたたき定食』が運ばれてきた。
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長細い皿の中央に鈍い鉄色の輝きと桜色の身の色が美しい鯵のたたきが乗っていた。新鮮そうで見るからに美味しそうだ。この鯵のたたきの他に椀に盛られた御飯とお味噌汁が一緒に付く。早速おろし生姜を少し鯵の上にのせて醤油につけて食べてみた。さすがにこの『うおがし』さんでの看板メニューだけあってその新鮮で脂ののった鯵はとても美味しかった。鯵のたたきは小田原の名物だという。相模湾で穫れる鯵は品質も良くてとても美味しいのだそうだ。またこれを御飯と一緒に食べるのもなかなかに美味しかった。出来ればもう少し鯵の量が多ければよかったのだが・・(笑)

御飯と一緒に食べて良し、酒の肴として食べても良しで伊蔵はゆっくりとその鯵を堪能させて頂いた。お腹もそこそこ膨れたしちょうど良い酔い加減になったところでお店を出る事にした。『うおがし』さん御馳走様でした!

外は相変わらず雨が降っていて小田原駅前のネオンが濡れたアスファルトを鈍く照らしていた。ホテルに戻って休むにはまだ早い時間だった為、伊蔵はホテル前を通過して雨の夜の『小田原城』を訪ねてみる事にした。<つづく>


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◆『寿司・和食処 うおがし』
・住所/神奈川県小田原市栄町2-8-39
・電話番号/0465-23-1170
・営業時間/11:10~21:00
・定休日/第1第3木曜日



小田原・箱根への旅/その15・旧街道~湯本~小田原

伊蔵を乗せた箱根登山バスは元箱根港からしばらく渋滞中の国道1号を走るとすぐに右折、箱根旧街道(神奈川県道732号)へと入っていった。江戸時代に整備された街道を縫うようにこの県道は箱根湯本まで通じている。古い江戸時代からの山の中の街道を歩いて巡る観光客も多く、元箱根を出た時は伊蔵と数人の乗客しかいなかったバス車内も、道を進むうちに停まる各停留所からそうした観光客が乗り込んできて次第にバス車内は混んできた。
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車窓から外の景色を楽しんでいると箱根宿から畑宿の間で江戸時代から400年間あまり営業を続けている有名な『甘酒茶屋』が見えた。現在のご主人で12代目を数えるという老舗だ。添加物をいっさい使わず麹のうまみと塩加減のみで作られる甘酒は今も昔と変わらないスタイルで旅人達を癒し続けている。甘酒の他、お餅やおでん、ところてんなども頂けるという。

バス車内は道を進むにつれてますます観光客で混んできてついに座席は全て埋まってしまった。江戸時代の旧街道を歩いている観光客も悪天候のあおりを受けてバスで山を下りる人が多いようだ。

延々と続く下り坂をバスは進む。不意にバス車内でこの先『七曲がり(ななまがり)』を下るので立っている乗客に対して吊革やバーで身を支えているようにと注意のアナウンスが流れた。
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『箱根七曲がり』とはこのバスが進む県道の中でも難所中の難所として有名な場所で曲がりくねった急なカーブがいくつも続く急坂道の事である。今ではどうかは分からないが、かつてドリフト族やローリング族のメッカであった場所として峠好きな人達には特に有名な場所である。
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バスは非常にゆっくりしたスピードでこの急カーブ地点『七曲がり』へと突入を開始した。こういう際のバスの運転手の運転テクニックをみているのは面白い。バス特有の径の大きなステアリングを注意深く回しつつひとつひとつのカーブをクリアして行く運転手はカッコイイ(笑)。

箱根旧街道の難所『七曲がり』を無事に下ると道は次第に細くなってきた。このバス路線の終点である湯本が近くなってきたせいかもしれなかった。道は狭いが意外に交通量は多く、度々バスが下から上ってくるクルマやバスに道を譲る場面が見られた。この狭い道でもバス運転手の運転テクニックは冴えまくっていた。
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やがて早川を跨ぐ三枚橋を渡り県道732号から国道1号へと合流。しばらく早川沿いを遡り、終点の箱根湯本駅前へとバスは到着した。朝、この駅から箱根登山鉄道に乗り込んだのでこれで伊蔵は箱根を大きく一周して再び出発点へ戻って来た事になる。
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バスを降りてしばらく周辺をブラブラしてみた。駅前から早川のほとりに出てみると赤い欄干の橋が架かっていた。その橋の袂には観光用の人力車が停車しており、人力車の引き手がしきりに観光客相手に声をかけていたりしていたが乗ってくれる観光客はなく、随分暇そうであった。しかしこういう坂道の多い観光地での人力車の引き手は体力的に大変であろう。

人力車による観光ってのは有名な観光地ならどこへ行っても大概目にするが、民族的に控えめな性格の日本人にはこういったある意味目立つ乗り物に乗って観光するのが苦手らしく、なかなか乗っている観光客を目にする事が無い。こういうドップリと純日本的な乗り物を使っての観光はどちらかというと外国人観光客には人気なのかもしれない。
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橋の中間部から早川上流方面を眺めてみる。さすがに有名な温泉地なので川沿いにはいくつもの宿が建ち並んでいた。その光景を眺めていると今回伊蔵は費用的な問題から小田原市内へ宿をとったのだが箱根の温泉街に宿に泊まり温泉に浸かりゆっくりしても良かったかなと少しだけ思ってしまった。
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箱根湯本駅へ続く高架橋から国道1号を眺める。箱根での国道1号は慢性的な渋滞が起きているようだった。まぁ全山が観光地のような場所だから仕方がないのかもしれないなこれは。箱根湯本駅では駅内にある土産物店へ立ち寄った後、列車で小田原駅へと戻ることにした。列車はかなり混んでいて座ることが出来なかった。
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そして再び伊蔵は小田原駅へと戻ってきた。予定していた時間よりすっかり遅くなってしまった。駅前の風景もすっかり夜の雰囲気に包まれている。小田原駅前から今夜泊まる予定の宿は少しばかり歩かねばならない。小田原城近くのホテルクニミ小田原という名のホテルであった。朝から結構歩いていたからか足が棒のようになっていて疲れてもいた伊蔵は早くホテルで休みたかった。伊蔵は夕闇迫る小田原市内をホテルに向けて足早に歩いて行った。<つづく>



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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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