2011-11

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ぶらっと多治見/その2

伊蔵の多治見の街歩きはさらに続く。暑い・・・だんだん歩くのが苦痛になって来た。軽く歩いているのだが汗が玉の様に吹き出してくる。と、前方に新たな商店街が姿を現した!
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それは『多治見銀座商店街』であった。銀座とあるからには多治見では一番大きな商店街なのかもしれない(立派なアーケードもあるし・・)
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調べてみるとこの商店街の歴史は長く市内では一番古い商店街であるらしい。店の中には70年以上続いている老舗もあるという。この辺りは昔花街の中心部にあたっており、遊郭や料理店が沢山あって賑わっていたそうな。確かこの辺りに映画館もあった事を不意に思い出した。伊蔵も映画を見に来た経験がある。映画館があった場所がどこだったかはこの日ついに思い出せなかった。現在は多治見市内には映画館は一軒も無くなってしまっている。
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さて歴史ある『多治見銀座商店街』のアーケードの中に足を踏み入れてみたのだが人っ子ひとりいない。伊蔵の貸切商店街状態である。衣料品店や模型店、喫茶店などお店自体は営業しているのだがアーケードを歩く人が皆無・・・。ちょっとこれはあまりにも寂しすぎる(悲)。
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反面これは外が暑いから人が出歩かないだけなのか?とも思われた。この凶悪的な暑さに適応した多治見市民の防衛本能なのではないか説は結構当たっているのかもしれないな・・などと勝手な考えを抱きつつどこまでも寂しいアーケードを歩いていく伊蔵であった。アーケードの中程に広場の様な場所が見えてきた。その広場の片隅にまたまた気になる石碑が建っていた。どれどれ・・・伊蔵は石碑の近くに近寄って見た。
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『多治見國長公遺址』

岐阜県史跡多治見国長邸跡と岐阜県教育委員会の杭も立てられていた。ほほ~多治見の姓を名乗った人物がいたのか・・・これは知らなかった。この場所はどうやらその人物の邸宅があったとされる場所のようであった。
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多治見という姓というと横溝正史の小説『八つ墓村』の登場人物のひとりである『多治見(田冶見)要蔵(たじみようぞう)』(伊蔵的には山崎努がハマり役だと思う)が真っ先に頭の中に浮かんでしまう伊蔵であった(苦笑)。ともかくここで多治見國長について調べてみよう。

◆多治見國長(たじみくになが)
正応2年(1289年)~正中元年(1324年)美濃源氏の流れを汲む鎌倉時代末期の武将。美濃国土岐郡多治見を本拠に活動していた彼は後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画に参加、1324年に京都に入るがその倒幕計画は事前に漏れ、鎌倉幕府の京都における出先機関“六波羅探題”の知るところとなり國長は夜襲を掛けられてしまう。國長は六波羅勢に対して奮戦したがあえなく自害して果てた・・・。この事件は日本史でいう“正中の変”として知られている。
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『太平記』の第一巻に登場するほどの人物だと分かった。鎌倉幕府倒幕活動の先駆け的役割を歴史上で成した人物という事になる。地元にこんな大人物がいたとは・・知らなかった事が恥ずかしい。伊蔵の地元では同じ美濃源氏でいえば圧倒的に“明智光秀”の方が有名なのである。多治見市ではこの國長は人気があり『多治見まつり』では主役の扱いを受けているとの事。う~む以後しっかりと覚えておこう。しかしこの地を本拠に活躍した多治見國長。自分の邸宅の前が寂れた商店街になっているという事は夢にも思っていまい・・・。

寂しげな『多治見銀座商店街』を抜けて近くをウロウロと歩き回っていると広い通り沿いに建ち並ぶ古い建物の間にぽっかりと黒い口を開けたようなかなり小さな路地を発見した。伊蔵が今いる広い通りと一本北側の通りをこの小さな路地が結んでいるらしい。伊蔵は吸い込まれる様にその路地の中へと入って行った。
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予想していた通りその路地沿いには間口の狭い小さなバーや飲食店、怪しげな名前のスナック等が点在するいわゆる飲み屋街であった。例によって現在も営業しているのかは昼間のこの現状を見る限り予想するのはかなり難しい。
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路地の幅員は2メートルも無い。一直線に南側の通りと北側の通りとを結んでいる。廃墟街のトンネルを思わせるこの路地裏の寂れ感は路地裏マニアや廃墟マニアにはたまらない佇まいであろう。路地裏や廃墟に魅力を感じるのはどうしてなんだろう。
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路地裏・廃墟マニアには人それぞれ魅力を感じるポイントは違うであろうが大まかな部分では一緒であろう。例えばそこにはたとえ一時期でも賑わいや繁栄という時がかつてはあり、それなりの歴史を刻みながらその繁栄期に通って来たであろう人々の面影や店で生活し働いていた人達の臭いがここにはいやおうなく染み着いている。

今では完全に忘れ去られてしまっている寂れたこの場所に現代の我々が訪れる時、当時の人々や繁盛していたお店の事に思いをはせつつノスタルジックな気持ちに浸り、過去の繁栄と現在の現状とのどうしようもない“違和感”をその場所(もしくは建築物自体)に発見した時、それを心地良いと感じてしまうというのがきっと大多数の路地裏・廃墟マニアの心情なのだろうと思う。
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こういった人々の記憶から忘れられた場所というのはどんな町に旅に出ても必ずどこかに見つかるものである。そういう場所を伊蔵はこれからも見つけては歩いてみたいと思っている。<つづく>

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ぶらっと多治見/その1

今年のお盆休みの8月14日、伊蔵は多治見市へと向かった。久々に高校時代の剣道部の仲間との飲み会に出掛ける為である。飲み会は夜からなのだが早めに出掛け多治見市内をぶらりと歩き回ってみようと考えた。しかし夏真っ盛りのこの時期、日本で最も暑いと名高い多治見市である。ある程度暑いであろうと覚悟を決めてから出掛けた。

多治見市は岐阜県の南部、四方を山に囲まれた盆地に位置している。その為、夏場に市内が強い日差しに晒され気温が上昇すると長時間に渡りなかなかその熱が逃げる事がなく“日本で最も暑い町”として全国的に知られている(2007年8月16日に日本国内最高気温40.9℃を記録)。
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市のマスコットキャラクターは多治見市の名物である鰻と河童伝説とにちなみ、これらをふたつを合わせた形のゆるキャラ“うながっぱ”である。デザインはアンパンマンの作者であるやなせたかし氏だ。
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しかしこの“うながっぱ”確かに可愛く結構な人気ぶりなのだが、伊蔵にはどうしてもその昔子供向けテレビ番組として放送されていた『ママとあそぼう!ピンポンパン』に出てきた河童のキャラクター“カータン”の姿と非常にダブるのである。まぁそれはともかくとして多治見行きの話である。

多治見へは久しぶりに行く事もあって途中、多治見麺で有名なラーメン屋『ともえ』へ寄って見ることにした。腹ごしらえをして多治見入りという算段である。JR太多線の根本駅で下車し『ともえ』さんへ向かった。だがしかし・・・
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ガガ~ン!!・・・ともえさんはお盆休みで休業していた(悲)。考えてみれば時期が時期だし当たり前か。仕方がない。伊蔵は元来た道をJR根本駅へとすごすごと引き返したのだった。
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駅のホームのベンチに座り列車を待ったがさすがローカル線、待てど暮らせど列車は来なかった。結局20~30分程待たされる羽目になってしまった。待つ事は何でもなかったが強い日差しと暑さには閉口させられた。やっとやって来た二両編成の列車に乗って多治見駅へ。

多治見に来るのは笠原町の日本酒の酒蔵『三千盛』へ春の感謝祭に行って以来。あの時はゆっくりと市内を歩く事が時間的に不可能だったので今回はいろいろ歩き回ってみようと思っていた。しかしさすがに“日本一暑い町”といわれるだけあってこの日の多治見市はとても暑かった。
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とりあえずJR多治見駅南口を出て市内中心部を流れる土岐川のほとりへ。
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川縁へ出れば少しばかりは涼しさを感じる事が出来るかと思ったがそれは甘かったようだ。しかし天気は良いし川縁に沿って歩くのは気分が良かった。
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川縁をそのまま東方向へ歩くと昭和橋が見えてくる。その橋を渡る事にする。その昭和橋の上から土岐川の川面をパチリ。案外綺麗な川の水に感動しつつ橋を渡る。
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昭和橋を南側へ渡り切った先の交差点を左折すると見えてくるのが『たじみ広小路商店街』の入口である。この『たじみ広小路商店街』は昭和橋のたもとから多治見市役所までを結ぶ東西にのびる商店街で主に美容院、薬屋、仕立屋、和菓子屋なのが建ち並らぶ。きっと昔は賑わっていたであろう商店街なんだろうが今では歩く人もまばらで正直なところ寂れた感が漂っている。

その『たじみ広小路商店街』から一本外れた枝道へと伊蔵は入り込んでみた。路地裏が好きな伊蔵は町歩きをする際はしばしばこのような行動をとる事が多い。メインの商店街から外れた路地裏には思いもかけない発見があったりするものなのである。
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細い路地裏を歩いていくとやっているのか閉店しているのか分からない飲み屋横丁があった。昼間はこんな状態だがこの横丁の夜の様子は一体どんなだろう・・・。一見廃墟に見えるこの横丁の飲食店だが夜となると突如開店営業しているという事はよくある事。是非夜の状態を知ってみたい衝動にかられる。さらに狭い路地を散策していると面白い看板が・・・
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『呑スケ止レ』

止まりましたがな(笑)居酒屋の店先の街路灯に掲げられたこの看板、酔っていたら誰も絶対気が付かんぞ・・。まぁこれはこの店が“お酒好きな人はここで立ち止まって気に入ったら入ってネ”という意味で掲げたものかもしれないし、また交差点のそばということもあるので酔客に一旦停止を促すものとも思われる。いずれにしても珍しい看板ではある。
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この狭い路地裏には大小含めて飲み屋が多いが、多治見に仕事や旅行に訪れた人がこの辺りで飲むとは到底考えられないから客の大多数は地元の方がきっと多い事だろう。また、この路地裏には人知れずひっそり営業してます的な鰻屋さんもあったりしてこれまた情緒があって歩いていて面白かった。
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さらに別の道へと入り込んでみる。前方に立派な塀が目の中に飛び込んで来た。その御家敷の隣に中へ入れそうな門があったので入ってみる。塀の内側は公園?のようになっていて大きな石碑が建っていた。
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“明治天皇御駐輦地”とある。どうやらこの場所は明治帝が立ち寄られた場所であるようであった。明治13年(1880年)に中山道の下街道を経由して明治帝は京都まで巡幸された事がある。その際に多治見市内のこの場所に立ち寄られたらしい。中山道下街道沿いの各所には明治帝の巡幸に関する石碑がかなり残されているのである。石碑の文字を書いた人はあの東郷平八郎元帥である。このような山間の町の中で帝国海軍の東郷元帥の書に出会うとは何とも不思議な感じがした。公園のように見えるこの場所にはきっと昔は地元の有力者の屋敷か何かが建っていたのだろう。
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それを裏付けるかのようにこの付近には重厚な構えの土蔵などが昔の姿のまま残されていた。<つづく>

名古屋市西区浅間町『鐵板だいにんぐ 家喜家喜』

先回に引き続き西区浅間町に新しく出来たお店のレポです。今回は『ぼるく料理店』さんの開店から二週間後にオープンされたすぐ隣の店『鐵板だいにんぐ 家喜家喜』さんについて。
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11月9日の水曜日オープン当日を伊蔵は密かにかつ楽しみに待っていた(笑)。オープン三日前から昼休み中に浅間町まで歩いて出かけて行ってはお店の様子を見ていたが『ぼるく料理店』さんの時とは違い得られる情報は非常に少なく、観察できたのは店先に掲げられていた小さなホワイトボードに主なメニューとオープン告知、開店時間が書かれているのみであった。う~む・・・とにかく当日の夜に行ってみるしかない。

そしてオープン当日。仕事を終えた伊蔵は浅間町へと急いだ。辿り着くと『家喜家喜』さんの店頭には開店を祝う花輪が飾られていた。よし!踏み込むぞ・・と思い入り口の格子戸から店内の様子を見たらカウンターが結構お客さんで埋まっているのがチラリと見えた・・・。

『う~む・・これは少しばかり時間をズラした方が良さそうだ』

と伊蔵は考え、せっかく時間を潰すならと隣の『ぼるく料理店』さんへ自然と足が向いてしまったのであった(笑)ぼるくさんには気軽に一人でちょくちょく足を運ばせていただいていて今夜の来店で四回目を数える。先日友人のアキラ氏も無事に“ぼるくデビュー”を果たした。足を運んだおかげでぼるくのマスターにも“伊蔵さん”と声を掛けていただけるまでになった。
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◆料理写真/ぼるく料理店さんマスターが作る一品料理

10月28日の開店以来『ぼるく料理店』さんも夜ともなるとサラリーマン等で賑わい雰囲気の良い酒場として浅間町で徐々にではあるが知られつつあるようだ。マスター一人なので店内がお客さんで一杯になるとあちこち動き回ったりしなければならないので結構大変そうではあるのだが。

この日も結構なお客の入りでマスターは大忙し。伊蔵はカウンターの端っこに座ってゆっくりと酒を飲んでいた。とそこへ先日お店で一緒になった方二人組と偶然出会ってしまい話が弾んでしまったのと、その話に乗っかてきたいかにも酒好きな陽気なおっちゃんもいたりしてちょっとした時間潰しのはずが結構ゆっくりまったりと長時間居座る羽目になってしまった。
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いかんいかん・・・今日はお隣の『家喜家喜』さんの様子をレポせねば。マスターにお勘定を済ませ早速お隣へ。紺色に染められた暖簾をくぐり黒い格子の扉をガラガラ・・・と開けた。驚いた事にお店を切り盛りされている方はスマートな短髪の元気なおばちゃん、つまりママであった。訪ねたのがかなり遅い時間だったのでママに無理を言って入れさせてもらった。こちらのお店も閉店時間は夜の10時との事。とっくにその時間は過ぎている(遅くに済みませんでした・苦笑)店内にはまだお客さんが4~5名残っていた。店内はカウンター席のみ。改装前は白木のカウンターだったが黒い木製カウンターに変わっていた。壁面も白く塗り直されており、それが明るい照明灯と相まって随分と店内が広く感じられた。

『さっき一旦終わってしまったんで簡単なねぎ焼きくらいしか出来ひんけどよろしやろか?』

おお!いきなりの関西弁である。すかさずママさんは関西の方でっしゃろか?と問うと大阪出身だという。なるほどそれで鐵板だいにんぐネ!と合点がいった伊蔵であった。ママさんはすでに60歳を幾つか越えていらっしゃるがとてもチャキチャキして元気。以前は別のお仕事をされていたようだがそれを辞め、平穏な日々を送られていた。でも暇だし幸い五体満足だしやっぱり人と関わって楽しくやれる仕事がしたいとの事でこの浅間町に思い切ってお店を出したらしい。
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生ビールを飲みながらママさんのお話を聞いていると入口の扉がガラガラと開いたのでまたまた遅い時間に誰だろと思っているとなんと『ぼるく料理店』のマスターであった(笑)。ああ!酒好きの陽気なおっちゃんも一緒だ・・。もう一人女性の方が入ってこられた。先ほどぼるくさんの店内に居た方だ。この時初めて知ったのだがその方はマスターの奥さんだと知って驚いた。

おおっと!ママさんのねぎ焼きも仕上がったようだ。せっかくなのでみんなで分けて頂く。“隠し砦の三悪人”という焼酎を飲みながらのママさんの作ってくれた牛すじ入りのねぎ焼きはとても優しくて美味しかった。結局ママさんをはじめ最初からみえたお客さん、ぼるくのマスターと奥さん、おっちゃんとで遅くまで話をしながら飲んでしまい気が付いたら帰宅不能時間になっていた・・・・。今夜は丸の内辺りで泊まる事にしよう。夜半を過ぎた辺りでママさんの号令があってお開きとなった。
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帰り際にお店の戸口のすぐそばに大阪のシンボルとしても知られる幸福の神様ビリケンさんの金色像があるのに気が付いた。
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ママさんが乗せたのだろうかお客さんが乗せたのかは分らないがビリケンさんの膝の上には「ご縁がありますように・・」との願いを込めて五円玉が乗せられていたのがとても印象的であった。

本当ならもっと詳しくお店のレポをしたかったのだがこの日はどうも飲み過ぎてしまったようだ。ちと反省・・・次回はもっと早い時間に『家喜家喜』さんにお邪魔していろいろな鐵板物を頂きたいと思います。『鐵板だいにんぐ 家喜家喜』のママさんご馳走様でした。そして遅くまでお相手有り難うございました。

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◆『鐵板だいにんぐ 家喜家喜』
・住所/愛知県名古屋市西区浅間町一丁目2番10号
・電話番号/052-523-5006
・営業時間/17:00~22:00


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プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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