2017-06

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BPノスタルジックカーショー2006(最終回)

今回でレポもやっと最終回です(笑)
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最後に紹介するクルマは「トヨタ2000GT」だ。会場には2台が一段高いステージに展示されていた(別格という事だろうか・笑)。2台ともコンディションの良いクルマだった。販売価格も尋常ではない。1台が2100万円、もう1台が2300万円だった・・・。
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「トヨタ2000GT」は1967年(昭和42年)から1970年(昭和45年)までに337台が販売された。当時の新車価格は238万円。現在の価値に換算すれば2000万円してもおかしくないといった感じであろう。厳密にいうとこのクルマの開発はトヨタの独力では無く、ヤマハがかなりの部分技術供与している。

当時のトヨタはスポーツカーの開発では他社(日産、ホンダ)に後塵を拝するカタチになっており、国産最大のメーカーとしてスポーツカーの開発を急いでいた。ちょうど同じ時期に「ヤマハ発動機」も日産と協力してスポーツカーの開発計画が進んでいたのだがたまたまこの計画がとん挫し、そこへトヨタがヤマハにこの話を持ちかけたという経緯があるらしい。

当時の二輪業界では日本を代表するメーカーに成長していた「ヤマハ発動機」は二輪レースの経験においてDOHC(ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト)エンジンの開発に習熟していた。トヨタのクラウン用直列6気筒7ベアリングSOHCエンジンにヤマハの開発したDOHCヘッドを移植、三国工業製ソレックス型ツインキャブを3連装し、150ps/6600rpmを発生するエンジンを共同で開発、造り出した。

内装(ステアリングやインストルメントパネル等)の木製部分に至ってもヤマハの材料提供・加工(ピアノ等の楽器もヤマハは作っている為その方面でも強みがある)である。どこからどこまでが共同開発といっていいのかよく分からないという部分や、実際にこのクルマを生産していた工場はトヨタではなく、ヤマハの磐田工場なので、ともすると「ヤマハ2000GT」などと呼ばれてしまう事もあるらしい・・。

ちなみにこのクルマ、俳優の唐沢寿明氏も所有している事で知られる。また映画「007は二度死ぬ」においてオープンカーとして登場する。
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会場にもそのクルマがっ!!と、思ったのだが何か変・・。
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マツダロードスターベースのニセ2000GTオープンだった・・・(笑)でもなかなか良く出来ていて顔つきがソックリ。でも乗る人いないだろうなコレ。流石に2000GTの実車の偉大さに乗るのは引け目を感じてしまうでしょ。実際に映画に登場したクルマは二台存在し、トヨタ博物館において見る事が可能だ。

また伊蔵の2000GTにおける思い出はトヨタ自動車本社工場に小学生当時、社会見学に出掛けた時に見学者全員に進呈された2000GTの模型。バネ動力で走らせる事が出来た。(最近はプリウスの模型にとって変わられたらしいが)

長くなってしまったがこのノスタルジックカーショー、伊蔵はなかなか楽しめた。ドイツ車が展示されていなかったのが残念ではあったが・・。レポも長文になってしまいスミマセヌ。お付き合い頂いた方、お疲れさまでした。最後にお約束のサービスショットをプレゼント致します。
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このショーではこのブースにしかコンパニオンのおネエさんはいませんでした。こちらを向いて笑ってくれたのはいいのですが、よく画像を見ると分かるが、この二人の後のお爺さんまで笑ってこっちを向いていた・・・・(笑)  <おわり>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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