2017-10

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東京下町見物(その16・湯島聖堂)

神田明神境内前の本郷通り(国道17号)を挟んで南側に都会の真ん中にというには不釣り合いなうっそうとした森がある。
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史蹟『湯島聖堂』がある森である。伊蔵はこの湯島聖堂には立ち寄る予定は無かったのだが、朝からこの暑さにまいってしまい日射しを避けるのに丁度よいこの森に自然と足が向いてしまったというわけ。
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聖堂敷地内は思った通り日射しや暑さをしのげる都会のオアシスといった感じで涼しさを感じる事が出来る。『入徳門(にゅうとくもん)』をくぐった所にある石段の下に立ち、上を見上げると何やら「黒い門」が見えて来た。伊蔵はこの『湯島聖堂』に関しての下調べをして来なかったので全くどのような場所なのかという事が分からなかった。この「黒い門」もよく見る神社特有の門の建築とは一風違っているようだ。
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この門は『杏檀門(きょうだんもん)』という。先程からの門の名称とこの『杏檀門』の建築様式を見るにおいて、中国に関係のある建物という事がわかる。神田明神の鮮やかな朱色の門とは全く違い、非常に渋い印象がある。
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杏檀門をくぐると前庭というか中庭のような広場があり、正面に神社でいう本堂にあたる建物、『大成殿(だいせいでん)』が見えた。明らかに中国様式の造り。ここで『湯島聖堂』の歴史について語らねばなるまい。

『儒教(じゅきょう)』という紀元前の古代中国で興った教えがある(儒教に対しての細かな説明は長くなるので避ける)。春秋時代中国の「魯(ろ)」という国の『孔子』によって体系化された。この儒教の中の学問的な部分を『儒学(じゅがく)』という。この教えは日本にも5世紀頃に入って来た。この儒教の教えは時代が下る毎にいろいろな学者によって様々な解釈がされるようになり、その中から『朱子学(しゅしがく)』『陽明学(ようめいがく)』などの考え方が生まれたりした。

この儒学の中の『朱子学』を封建支配の為の思想として用いようとしたのが徳川幕府であった。徳川家康は当時の儒者の中でも高名だった『藤原惺窩(ふじわらせいか)』に対し仕官を要請したが惺窩はそれを辞退し、自分の弟子である『林羅山(はやしらざん)』を幕府に対し推挙した。以後の羅山は家康、秀忠、家光と徳川三代に渡って学問面での重要なブレーンとして幕政に関与し、上野の忍が岡に居を構え、孔子を祀る孔子廟『先聖殿』を建て、私塾とした。

羅山の孫、『林鳳岡(はやしほうこう)』の時代になると幕府は幕政の部署に『大学頭(だいがくのかみ)』という職を設け、鳳岡はその職に着き、幕府四代将軍家綱、綱吉、八代将軍吉宗の時代まで重用された。
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五代将軍綱吉(生類憐れみの令で有名、犬公方とまで呼ばれれ評判が悪い将軍だが学問奨励の面ではその評価が高く、最近歴史的再評価がなされている)の元禄時代、林家にあった『先聖殿』を神田昌平坂近くに移した。林家の私塾から幕府官立の『昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)』となり幕府の教育・研究機関の役割を果たす事になった。これが『湯島聖堂』の前身となる。
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この『湯島聖堂』の建物は関東大震災によって焼失し、現在の建物は昭和10年(1935年)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計により、鉄筋コンクリート造りで再建されたものだという。屋根の上に鯱が載っているが普通日本の建築に見られる鯱は屋根に対して内側を向いているのにこの建物の鯱は外を向いているのが面白かった。この鯱は鬼犹頭(きぎんとう)という想像上の神魚で、水の神として火(火災)を防ぐため祀られているという。
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鬼犹頭の他にも屋根には猫に似た動物の像が載っている。鬼龍子(きりゅうし)という。神社の狛犬などと同じく悪鬼邪神が内部に入って来ないように守っているのだという。
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大成殿内部はとても質素なイメージ。壁や天井が黒くガランとした感じだった。学問所なので余計な装飾は不要という事であろうか。中央の祭壇には孔子が祀られている。
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これが孔子の肖像画。なんだかヒゲ面の怪しい商人が手を合わせてニギニギしているような肖像画だが(笑)まぎれも無く、釈迦、イエスと並び聖人と称せられる『孔子』である。
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こちらは湯島聖堂の森の中にひっそりと佇む孔子像。孔子は自らがが体系化した『儒教』が2000年もの長い間(孔子だけでなくその他の思想家、宗教家等を含めて)、世界の歴史の中で影響を及ぼし続けるなんて事を果たして考えていたのだろうか?とふと考えてしまった。逆に人間の精神的・本質的な部分は変わらないからなのかもしれないとも思った。だから本質的部分を突き詰めて人に説いた世界中の哲人・聖人の考えは長い間もてはやされているのかもしれない。

しかし後世の人達は聖人達の素晴らしい考え方を自分の都合の良いようにねじ曲げて利用している事が多々あるのも事実だ。アメリカとイスラム諸国との戦争やパレスチナの問題など同じ事が言えるのではないかと思う。人間の歴史というのは今も昔も本当に争いごとが絶えない。なんて事を考えながら伊蔵は『湯島聖堂』を後にした。<つづく>
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● COMMENT ●

はじめまして

湯島聖堂いいですよね。
自分はいつも神田明神とペアで行ってます。
写真ずいぶん綺麗に撮れてますね。

こちらこそはじめまして

ミュジ二ーさん>>
はじめまして。伊蔵通信にコメントを残して下さリ有り難うございます。伊蔵は今回の旅で神田明神、湯島聖堂に初めて足を運んだわけですが、それぞれが趣が異なっていながら安らげる場所と感じました。

これからも伊蔵通信を気軽に覗いて見て下さい。


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