2017-07

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港・横浜OFF会(その7・山下公園と港の見える丘公園)

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伊蔵と草加君は『山下公園』へと入った。入ってすぐのインド水塔そばの休憩所で一服することに。天気も良く山下公園には沢山の人々が集まって来ていた。ここ『山下公園』は関東大震災の時の瓦礫を使って造成した日本最初の臨海公園である。シーバスなどの観光船の乗り場や後ほど紹介する客船『氷川丸』が係留されているかなり大きな公園だ。

休憩所で飲み物を飲み、一服した我々は山下公園散策へと出発した。
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ここ山下公園内にひとつの小さな像がある。

『赤い靴 はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった』

『横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
 異人さんに つれられて 行っちゃった』

のちょっぴり悲し気な詩の童謡で有名な『赤い靴』。『赤い靴はいてた女の子像』だ。伊蔵は子供の頃、この童謡の詩を間違って覚えてしまっていたのだった。「異人さん」の部分を「ひいじいさん」と間違えていたのである(笑)
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この赤い靴の女の子は実在の人物で、その名を『岩崎きみ』という。明治35年7月15日、静岡県で生まれた。母親の岩崎かよは「きみ」を連れて北海道へと渡るが、北海道開拓の厳しい生活苦から、かよは「きみ」をアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻へと養女に出す。詩の中にある『異人さん』とはこの宣教師夫妻の事である。

ヒュエット夫妻が日本での宣教活動任務を終え、「きみ」を連れて故郷のアメリカに帰国しようとするが、不幸な事にこの時点で「きみ」の身体は不治の病「結核」に侵されていたのである。身体が弱っており長期の船旅にも耐えられないほどであった。

であるから、赤い靴をはいた女の子は『異人さんに つれられて 行っていない』のだ。可哀想に「きみ」は教会の孤児院に預けられ療養していたが、その甲斐無く明治44年9月15日にわずか9歳で亡くなったという・・・・。う~ん悲しい話である・・。

この『赤い靴をはいてた女の子像』は思ったより小さくて、注意して歩いていないと通り過ぎてしまう程だ。実際に伊蔵もこの像が見たくて探していたところなかなか見つからなくて、草加君が

『伊蔵さん、これの事じゃないですか?』

の一言で『おおお!』と気が付いた次第である(笑)
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先程、紹介した客船『氷川丸』である。
昭和5年に建造され、当時は『太平洋の女王』と称せられた客船である。全長163メートル、デンマーク製ディーゼルエンジンを2基搭載、乗員130名、乗客280名で日本郵船の所有。太平洋を238回も横断したという。昭和36年からここ横浜港に係留され船内は一般公開されている。現代の豪華客船に比べると規模が小さい船だが、238回も太平洋を横断したというのは流石に凄い。
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この日の『山下公園』では世界の食が楽しめるイベントが開かれており、数多くの屋台が出ていて人出も相当なもので賑わっていた。この後、伊蔵と草加君は山下公園から公園通りの大きな道路へと出て、『港の見える丘公園』へと向かった。

『港の見える丘公園』は中華街近くの小高い丘にある公園の事で、開港当時この一帯は外国人居留地で丘の上はイギリス軍、丘の下はフランス軍が駐留していたという場所である。丘にはフランス領事館やイギリス総領事官邸などが存在していた。
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上の写真は、丘の麓から木製の急な階段を登った丘の中腹にあるフランス領事館跡のもの。一部の基礎部分、外壁が残っているのみの廃虚であった。まわりでは趣味で絵を描いている人が多く居たし、老人会主催のウォーキング大会のようなものも行われていた。領事館跡を過ぎると森が途切れて視界が開ける場所があった。
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その場所からは港ヨコハマが一望出来た。丘から見る港というのもなかなかオツなものだった。『港の見える丘公園』で気が付いたのは、この一帯に住み着いた『猫』の多さ(笑)ひっきりなしに観光客が訪れる場所だけに全く人を怖がらない。
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餌を与える人達もいるらしいく、都会を生きる猫達の毛並みと健康状態はとても良好のようである。しかしちょっと目つきが悪いゾ!(笑)この公園をうろうろしていた時点で早くも昼を過ぎてしまっていた。丘を下れば、そこは『横浜中華街』、飲食店探しに困る事はなかろう。草加君は予め、我々共通の友人であるtakeさんより中華街で是非訪れて欲しいと教えられたお店があるという。そこへ向かって腹を空かせた我々は丘を下っていったのだった。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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