2017-09

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伊蔵、上洛す(その2・巨大寺院)

円山公園での休憩と大道芸見学を終えた伊蔵は公園北側の片隅にある『平野家(ひらのや)』さんの店先を左に見て『知恩院』方面へ歩いて行った。

『平野家』さんは京都の観光ガイド本には必ず紹介されているお店で正確には『いもぼう平野家本家』という。『いもぼう』とは京都の名物で『海老芋(えびいも)』と『棒鱈(ぼうだら)』を煮合わせたもの。その味は一子相伝で歴代伝えられ江戸時代(元禄、享保の頃)から約三百年の歴史があるという。
img2.jpg

『海老芋』は里芋の一種で元々九州で作られていた『唐芋(とうのいも)』を平野家初代当主平野権太夫が京に持ち帰り育てたのが始まりだという。この芋は京の土壌に良く馴染んだ事もあって美味しく育ったという。形や模様が海老に似ている事から『海老芋』といわれる。

一方の『棒鱈』は真鱈を干したもので、古くから保存食として作られ朝廷への献上品としても用いられていた。北海道稚内で丸一年かけて作られたものが最上級品とされる。この『海老芋』と『棒鱈』を合わせた煮物の相性は非常に良いらしい(伊蔵はいまだ食した経験はないが、何となく美味しそうという事は分かる・笑)

●いもぼう平野家本家
http://www.imobou.com/top.html

話を本筋に戻そう。
円山公園の北側の出口にある木造の小さな門をくぐって右手に目を向けると巨大な『知恩院・三門』が現れた。
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この三門はいつ見てもその巨大さに圧倒される。高さ約24メートル、幅50メートルの偉容を誇る(普通、寺院では山門という呼称が一般的だがここ知恩院では「三門」と称する)
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ここ『知恩院』は浄土宗の総本山で『法然上人(ほうねんしょうにん)』が開基。正式な寺名は『華頂山知恩教院大谷寺』という。法然上人は浄土真宗の開祖『親鸞上人』の師匠にあたる人で美作国(岡山県)の生まれで元々は比叡山で天台宗を学んでいたが、やがて念仏に帰し、何人も『南無阿弥陀仏』の念仏を唱えれば極楽浄土に往生する事が出来ると説いて当時の庶民から信仰を得た。

しかしこういった教えは比叡山僧徒から反感を買い、念仏停止の断が下されて法然は四国に流された経験もある。しかし4年後赦されて京に戻り、翌年1212年(建暦2年)80歳で亡くなった。その後、法然の弟子が第87代四条天皇の勅命を受け、法然の為に『勢至堂(せいしどう)』を建立、『知恩教院』としたのがこの『知恩院』の始まりだという。

2011年(平成23年)は法然上人の滅後800回忌にあたっており、ここ『知恩院』では様々な準備が進められているようだ。
DSCF4794.jpg

伊蔵は巨大な知恩院三門をくぐった。くぐると眼前に本堂へと続く石段が現れる。この石段は映画『ラストサムライ』のロケで使われた石段である。一段一段の高さも相当なモノでゆっくりとしか登る事は出来ない。
DSCF4795.jpg

DSCF4796.jpg

全てが巨大な造りの『知恩院』だが、これほど壮大な規模になったのは江戸時代に入ってからである。1615年(元和5年)徳川幕府は知恩院に後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の皇子を入寺させ宮門跡として庇護した事、徳川家自体が浄土宗を信仰していた事も関係して隆盛し、この京都東山地区では最も大きな寺域を占める巨大寺院に成長した。

各伽藍と寺域拡張は初代徳川家康、二代秀忠、三代家光と続けられた。先程の巨大な三門は1621年(元和7年)徳川秀忠によって建立されたもの。建てられてから380年以上は経っている事になる。念には念を入れて大造営を続けていった知恩院だが、上記した造営理由の他にも京都に変事が起きた際に、この華頂山知恩院寺域を要塞化し敵に対して備えるという徳川家の狙いもあったらしい。山を背にして京都の街を一望出来るこの場所はそういった事に打ってつけの地域である事は間違い無い。
DSCF4797.jpg

石段を登るとこれまた巨大な『国宝/御影堂』が現れる。この建物は法然上人の御影を安置してあることから『御影堂(みえいどう)』と呼ばれている。1639年(寛永16年)三代将軍家光の造営で間口約45メートル、奥行約35メートルもある。
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上の写真を見てもらうとこの建築物の巨大さがわかるであろう。伊蔵はよくこういう巨大な木造建築物を見る事が好きなのだがいつも思う事が、これほど巨大な木材を巧く加工出来る先人達の建築技術の素晴らしさに驚嘆してしまうのと、構造計算無しに木と木の巧みな組み合わせによって巨大な空間を造り出す技術、建築様式の美しさ、しかもその建物が何百年、何千年もそのままの姿で残っているという事に素直に感動してしまうのである。現代建築にこれだけの耐用年数は無い(近年これを見直す動きが建築業界ではあるようだが)
DSCF4800.jpg

伊蔵はこの『知恩院』に訪れるのは4回目だがいつも圧倒され感動させられるのである。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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