2017-10

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伊蔵、上洛す(その13・先斗町)

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次に伊蔵が向かった先は『先斗町』。これで『ぽんとちょう』と読む。一見してこれを読めるのは京都に住む人か、観光目的でここを訪れる人だけであろう。『先斗町』は先程伊蔵が歩いて来た『高瀬川』沿いの木屋町通と『鴨川』とのちょうど間に挟まれる形で存在する狭い路地で、路地の両側には数多くのお茶屋さんや宿、割烹料理屋、その他飲食店が建ち並ぶ。『先斗町』の路地の入口には上の画像にもあるように立札が立っている。

●京名所 先斗町

この地はもと鴨川の洲であったが寛文十年(一六七〇年)に護岸工事の為埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。その後三条一筋南から、四条まで、即ち南北六〇〇米、東西五〇米に渡る地域に人家が建ちならび俗に先斗町と呼ぶようになった。正徳二年(一七一二年)に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子を置くことを許され爾来花柳の街として繁盛、現在に至っている。先斗町の呼名は、ここの人家がすべて川原の西側にたち、先ばかりに集中したところから先斗町と呼ばれたともいい、葡萄牙語(ポルトガル語)(PONT)英語の(POINT)の発音によったともいわれる。京の年中行事「鴨川をどり」は明治五年に創始、今日迄京の春秋をあでやかに色どっている。   京の先斗町会

立札を原文のまま掲載させて頂いた。
「ぽんとちょう」というのはポルトガル語から来ているらしい。ポルトガルと日本の歴史的交流は結構古い。『鉄砲』や『宣教師』などは日本でいう戦国時代にはすでにポルトガルからもたらされていたし、そういった事からポルトガル語が語源になっている日本語も数多くある。『カステラ』『カルタ』等はその代表だが、『金平糖』『合羽(かっぱ)』『タバコ』や、お寿司の『バッテラ』、『ボタン』『トタン』『天ぷら』等も全てポルトガルが語源なのだが我々日本人は普通に日本語として使っている。

『先斗町(ぽんとちょう)』の語源『PONT』には『先』という意味がある。
『ピンからキリまで』という言葉があるがこの『ピン』というのもこれに通じるという(ピン・・・これはサイコロの目の「1」を指すし、「一番先」にも通じる)

『先斗町(ぽんとちょう)』の語源については別の説もあって、東側に流れる『鴨川』と西側を流れる『高瀬川』に挟まれた場所という事から、川(皮)と川(皮)に挟まれた『鼓(つづみ)』を叩くと「ポンッ」と音がするのをもじって名付けられたという説もある。
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伊蔵は『先斗町』の狭い路地へと足を踏み入れた。ホントに道幅が狭い・・。その狭い路地に様々な店がこれまた間口が狭い構えで建ち並んでいる。路地も狭いが横へ延びる枝道も限り無く狭く、しかも長い(笑)。
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こういった路地には幕末、勤皇と佐幕に分かれて抗争した志士達が追われて身を隠したり、待ち伏せをしたりしたという。路地ごとに番号を付けたのは長州藩だという。また、この通りに立っている電柱はそのあまりの狭さから建物の軒先と干渉してしまう事から途中から彎曲して立っているのが観察していて面白かった。
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さすがに朝早い時間という事もあって人通りは全く少なく、『先斗町通』はひっそりと静まりかえっていた。洒落た小料理屋等は沢山あって狭い入口を眺めていると、この奥には一体どんな世界が広がっているのだろう・・という想像が膨らむばかりだった。間口は狭いがきっと奥行きはかなりあるのだろうと思う(俗にいう「うなぎの寝床」というやつだ)。これは江戸時代に『間口税』(家の横幅三間ごとに税金を徴収する)といって間口の広い建物ほど高い税金を徴収された為に『税金対策』として間口が狭くなっているのだ。
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こういう狭い路地では建物を見るのも楽しいが飲食店それぞれの看板を観察するのも非常に面白い。実に様々な意匠の看板が多くある。京都の飲食店という事もあり少し敷居が高い店が多いイメージがあるが、ここ『先斗町』は最近はそういったお店ばかりではなくなって来ているという。気軽に入れる喫茶店や居酒屋、雰囲気の良いバーなど若者受けのいいお店も多く存在するという。だがこれだけ店舗が一ヶ所にひしめいているとどこにどんなお店があるのかよく分からないじゃないか・・と伊蔵は思うのだった(笑)
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『先斗町通』の北側出口付近には『先斗町歌舞練場』がある。この建物は1925年(大正14年)に着工、1927年(昭和2年)に完成した鉄筋コンクリート造りの建造物。舞踊や演奏、講演、各種リサイタル、コンサートの発表の場として活用されているだけでなく、芸事に興味のある『舞妓さん』の募集も行っている。舞踊・三味線・お稽古事等の伝統芸能を学びたい舞妓さんの学校としても使われている。
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先斗町通は唐突に突き当たって終わる。左に行くと木屋町通、右に行くと鴨川に突き当たる。そこから見える鴨川は『三条大橋』のすぐ脇であった。もう少し伊蔵はこの辺りを歩き回ってみようと木屋町通方面へと足を進める事にした。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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