2017-06

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伊蔵の『いざ鎌倉!』(その15・円覚寺/後編)

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さらに伊蔵は『円覚寺』の奥へと歩いて行った。この辺りの寺社仏閣は山裾の谷を利用して建てられている為、境内の奥行きが非常に長い。
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しばらく境内の道を歩いて行くと左手に『妙高池』という池とその池を望む様に建つ『正伝庵』という建物が見えて来る。
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この『正伝庵』は円覚寺の中の数ある塔頭の内の一つで自然の岩盤を利用してその上に建てられている。この岩盤は『虎頭岩』と呼ばれている。この岩は堆積岩の一種のようで表面に少しずつ土が堆積した名残りで縞模様を見る事が出来る。この辺りの山はこういった堆積岩で形成されているらしく、境内のそこかしこに顔を出していた。『正伝庵』の佇まいは池・岩などの自然物をそのままに建物を上手く配していてその景観はとても素晴らしい。

妙高池を横切るように左に延びる道を歩いて行った突き当りにこの『円覚寺』の中で最も有名な『国宝・舎利殿』がある。
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伊蔵が以前、中学の修学旅行で訪れた際には上の画像の真ん中に見える門のすぐ際まで歩いて行く事が出来、『舎利殿』の全容を見る事が可能だったが今回は手前の門から先へと入る事が出来ず、遠くからわずかに屋根部分を望めるに過ぎなかった。雲水の修行道場がある為にいつでも公開しているわけではないという。現在公開は正月三ヶ日と11月の宝物風入の期間に限り外観が特別公開されるのみ。

『舎利殿』は唐様禅宗建築で鎌倉幕府第三代将軍『源実朝(みなもとのさねとも)』が『宋』の能仁寺より分骨した“仏舎利(釈迦の御骨)”を安置する。この舎利殿の裏手には『開山堂』があり開山僧である『無学祖元(仏光国師)像』が収められている。

舎利殿を見た後、さらに伊蔵は円覚寺境内の奥へと歩いて行った。次に現れたのは『佛日庵』というもの。
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この『佛日庵』はここ円覚寺の開基である鎌倉幕府第八代執権『北条時宗』の廟所として建てられた塔頭。時宗の子である貞時、孫の高時の木像が安置されている。
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『北条時宗』の時代というのは御存じの通り『元寇』という日本史でも有名な『元』が日本に対して二度に渡って襲来するという事があった時代である。当時の時宗は18歳という若さであったが元の国使を処刑したり襲来に備え、各地の武士を動員したり博多に防塁を築いたりと次々に様々な手を打ち、未曾有の国難に対して断固たる意志を示した執権であった。しかし国防には成功したものの元寇後、動員した御家人や武士達に対する国内の恩賞問題が表面化し、結果的に鎌倉幕府滅亡を早めてしまうという遠因ともなった。
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こういった気苦労が絶えない人物だった為か時宗はわずか33歳の若さでこの世を去った・・。彼の人生については大河ドラマの題材にも取り上げられた。
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時宗は信心深く、特に禅宗に深く帰依していた事もあり多くの僧との親交も頻繁に行なっていた。そういった事からこの『円覚寺』も彼自身の手によって建てられ、また自分自身の墓所ともなっている訳である。こういう静かな境内であれば彼も気苦労無く安らかに眠れることであろう。
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ついに伊蔵は『円覚寺』境内の最深部へと至った。そこには『黄梅院』という塔頭が建っておりその横に『聖観音菩薩』を祀るお堂がある。
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『黄梅院』は時宗の婦人『覚山尼』が時宗の菩提を弔う為建立した華厳院の場所に『足利尊氏』が『夢窓疎石(むそうそせき)』の塔所として建てたもの。夢窓疎石は禅僧で後醍醐帝、北条氏、足利氏などと政治的関わりが強く、特に“作庭”で有名な人物である。
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円覚寺境内は全体が静寂に包まれているが、最深部の『黄梅院』はさらに静かな場所であった。ここまで訪れる観光客も稀らしくとてもひっそりとしている。観音堂で参拝の後、伊蔵は来た道を戻り始めた。
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『黄梅院』入口の石段脇にあった“イイ言葉”。寺社仏閣によく出向く伊蔵はこういった言葉に出会う事が多い。その“イイ言葉”に感動しつつ自分の生き方の汚さを嘆き反省してしまうのである・・・(笑)この言葉の様にありたいと思いながらも日常の出来事に流されてしまい結局うやむやになってしまう。であるから旅先でこういう“イイ言葉”を発見するとホッとするとともに反省してしまう伊蔵なのであった・・・。こういう言葉が輝いて見えるという事はとりもなおさず自分の不甲斐なさが影響しているともいえるだろう。
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これは円覚寺の『大方丈』。つまり住職の住まいだ。流石に大きい。この場所で各種法要の他、座禅会や説法会が行なわれるそうだ。

次に伊蔵が見ようとしていたのはこの円覚寺にあるもう一つの“国宝”『洪鐘(おおがね)』。この鐘を見る為には仏殿の脇の道を歩き、山の上に行かねばならない。
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山の上へ向かうには上の画像のような急な階段を登って行く。それほど段数はないが息が切れた。山上には『弁天堂』というお堂と御茶屋さんがある。弁天堂のすぐ前に目指す『国宝・洪鐘』はあった。
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この円覚寺・洪鐘は建長寺・常楽寺の鐘楼とともに鎌倉の三名鐘と呼ばれる。北条時宗の息子、第九代執権北条貞時が国家安泰を願い1301年(正安3年)に物部国光に鋳造させたものである。伊蔵が想像していたよりかなり小振りな鐘ではあったが是非この鐘の音を聞いてみたいと思った。この洪鐘がある山上から眺める北鎌倉の景色もなかなか良かった。
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帰り道、円覚寺の総門をくぐる時、総門の瓦を見ると『北条家』の家紋である“三つ鱗”の紋を見つける事が出来た。

これで伊蔵の円覚寺見学は終了した。修学旅行時の思い出の記憶を埋めるというよりは、初めて訪れたに等しい印象であった。今回の見学はまた深く伊蔵の思い出として残るであろう。<つづく>
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Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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