2017-08

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近江国・長浜への旅(その1・はじめに)

1月7日の日曜日、伊蔵は今年の旅初めとして『近江国・長浜』を選んだ。選んだと言っても急に決めた事なのだが(笑)

『近江国』とは現在の滋賀県にあたり『長浜』はその北東部、琵琶湖の畔に位置する町の事である。その昔は“今浜(いまはま)”と呼ばれていた。地理的にこの町のある場所は京の都から越前・越中・越後へと続く『北国街道(ほっこくかいどう)』の要衝の地にあり、また美濃(現在の岐阜県)から京へと至る途上に位置し、戦国時代は重要視された土地であった。

戦国期、この北近江の地は浅井氏が治めており『小谷城』を根拠地としていた。『浅井長政(あざいながまさ)』の頃、隣の尾張・美濃で織田信長が勢力を伸ばしはじめた。信長は上洛する為この浅井長政に自分の妹である『お市』を政略的に嫁がせ同盟を結び、京へ進出する足掛かりを作ったが、後にこの同盟関係は崩れ小谷城近くの『姉川』で両者の決戦が行なわれ信長が勝利し浅井氏は滅亡する。

この浅井攻めで戦功のあった『羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)』は旧浅井の領国を信長から与えられた。秀吉は当時『今浜』と呼ばれていた地に築城を始め、晴れて一国一城の主となったのである。この時に町の名を『長浜』に改めた。後に秀吉が天下人となってからはこの長浜は『山内一豊(やまうちかずとよ)』に与えられ治める事になる。

またこの長浜の『国友(くにとも)』と呼ばれる地域には優れた刀鍛冶が昔から住んでおり、1543年(天文12年)に種子島に鉄砲が伝来するといち早く国友の鍛治師達の優れた技術がかわれて鉄砲製造が命ぜられ沢山の注文を受ける事になった。彼ら国友鍛冶師が造る鉄砲は戦国時代の戦闘方法を一変させた事は語るまでもない。

これらの歴史がいっぱい詰まった町、『長浜』を伊蔵は見てみたいと唐突に思い立ち今回旅に出る事にしたのだった。旅立ちの前にいろいろ長浜の町について調べてみると歴史的要衝の地という事で名所も沢山あるようであった。しかし出発前日から天候状態が心配ではあったのだが・・・。その件は本編でお話ししようと思う。<つづく>
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● COMMENT ●

ゴールドコーストより

ハロ~、今回は近江かねw?新年そうそう足が軽いのぉ~。
そんな自分も今、ゴールドコーストだしw。

明日帰国予定です。帰国したらブログ更新するつもりです。
伊蔵君の近江レポ更新楽しみにしてますよ~。

はるばるのメッセージサンキューです!

takeさん>>
こんばんは。はるばるゴールドコーストからのメッセージありがとうございます!そちらは暖かくて羨ましいです。一刻も早く帰って来て下さい!!土産話と旨いモノが早く食べたいですから(笑)


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城とかいろいろ

『浅井三代記』によると、「永正13年(1516年)9月28日に着工同年10月20日に完成」という記述がある。しかし、浅井三代記の記述には疑問点も多く、大永4年(1524年)築城説が有力である。この2説以外にも諸説あるが、いずれにせよ、大永5年(1525年)、六角定頼が江北に侵攻

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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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