2017-06

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近江国・長浜への旅(その3・湖畔の城)

JR長浜駅西口から『長浜城』へ向けて歩き始めた。しかしさっきまでの雨は『霰(あられ)』模様になり風もますます強くなって来たので両手で傘をしっかり持たねば飛ばされかねない状況だった為、わずかな距離を歩くだけでも大変だった。

駅からすぐの場所に湖岸道路が南北に走っており正面には樹木が植えられている公園が見える。湖岸道路を横断して伊蔵はこの強風を少しでも避ける事の出来るその公園内へと足を進めた。公園の緑の中を抜けると目指す『長浜城』の天守閣の下へと至る事が出来た。
DSCF5435.jpg

なかなかスマートな印象の城だ。先にも書いたがこの『長浜城』は羽柴秀吉が築城した。彼の出世の第一歩となった城である。しかし今伊蔵が目の前に見ている城は名前こそ『長浜城』だが内部は歴史博物館となっており鉄筋コンクリート造、三層五階の現代建築である。実際の『長浜城』の外観がこうであったのかどうかも実のところ不明である。
DSCF5436.jpg

外観が不明なのは1615年(元和元年)この城は“廃城”になってしまっており、長浜城の石垣や櫓材は大半が彦根城築城の為運ばれてしまって長浜城の姿は完全に失われてしまったからだ。

ここで長浜城の歴代城主を列記すると、

●羽柴秀吉
(1573年・天正元年築城)
●柴田勝豊
(本能寺の変後、清洲会議で長浜を譲られ入城・ちなみに彼は柴田勝家の甥)
●山内一豊
(賎ヶ岳の戦の後、天正13年~18年まで城主。その後、彼は土佐へ移封される)
●安藤信成
(1606年・慶長11年入城、慶長17年息子の信正に譲られる)

そして安藤氏が摂津高槻城へ移封されると廃城。長浜城は湖北の支配の役割を『彦根城』に譲ってその役割を終えたのである。

現在の長浜城は1983年(昭和58年)に再建されたもの。創建当時の天守閣の様式を想定して造られた。どことなく国宝の犬山城の外観と似ているのも同時代の城の様式を真似た故であろう。昨年の大河ドラマ『功名が辻』ではこの長浜城の城主であった『山内一豊』が大きく取り上げられた為にこの城も脚光を浴びた。それまではむしろ豊臣秀吉の出世城という話題性の方が大きかったのではなかろうか。

これからゆっくりこの長浜城内の歴史博物館をまわって見る事にしよう。<つづく>
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室町時代、入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、最初和田惟政、次いで高山右近が城主となった。1573年からは本格的な城塞が築かれた。豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。内藤氏の後、土岐氏、松平氏、岡部氏 (藤原南家)|岡部氏

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幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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