2017-10

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近江国・長浜への旅(その4・長浜歴史博物館/前編)

長浜市の天候はますます荒れ模様となって来た。長浜城の辺りは平地と琵琶湖の平らな湖面があるのみで吹きさらしの状態であり琵琶湖方面から吹く強風が城に当たるとピュ~~~と激しい音を立てているのが耳に聞こえた。堪らず伊蔵は長浜城の入口へと急ぎ足で向かったのだった。

先にも書いたが『長浜城』は外観こそ城の体裁は整えてはいるが内部は歴史博物館となっている。であるので伊蔵は「城」に入るのに「自動ドア」をくぐるというちょっと納得のいかない事態になった。自動ドアをくぐると正面に受付があるのだが、その様子がどうも“お役所然”としているのがこれまた城見学をしに来た伊蔵には解せない感覚を与えた。やっぱりここは歴史博物館であって『城』ではないのだろう。
DSCF5499.jpg

入館料400円を払うと受付のおばさんが

『二階と三階が展示室、五階の最上階が展望室となっています。ごゆっくりどうぞ』

と丁寧に応対してくれた。一階のロビーには長浜や近江の地域から出た歴史的偉人や城郭についての書籍が何冊か陳列されており読む事が可能になっている。城の内部は全くの現代の資料館といった感じ。エレベーターもあるのだが伊蔵は階段でまずは二階の展示室へと向かった。二階展示室では湖北地方の歴史的あけぼのから戦国期(織田・豊臣期)までを主に紹介しているといった感じだった。

この長浜を含めた湖北地域は日本最大の湖、琵琶湖がある事から古くから人が住み小さな集落がいくつも点在していたらしく、縄文・弥生期の遺跡も沢山発掘されているようだった。石器や土器、矢尻などの展示や田下駄、木製の臼や杵などの発掘品を目にする事も出来る。

近江、特に越前地方は『浄土真宗』を信仰する人が多く戦国期などは大きな力を持つに至った。当時は“一向宗”と呼ばれ特に本願寺8世『蓮如(れんにょ)』が民衆の間に『講(こう)』と呼ばれる宗教的ネットワークと呼ぶべきものを作り上げると爆発的に門徒を増やした。こういった宗教の持つ団結力をもって門徒はしばしば自分の住む地域の支配者に対して『一向一揆』を起こす様になり、当時の各地の戦国大名の多くはこれに悩まされ、禁教令を出したり、弾圧を加えたりした。後年徳川家康が本願寺勢力の力を削ぐ為に『西本願寺』『東本願寺』というように二つに分ける事になる。これら宗教の面からみた歴史の一端についても展示品から学べる。

二階展示室のメインはやはり戦国期のもので特に長浜の町を造り城を築城した豊臣秀吉の足跡を展示したものだろう。展示室の年表を見てみると彼が織田信長からこの北近江の地を与えられ長浜城を築城し始めた歳は今の伊蔵と同じ歳であった・・(う~む凄い)卑賎の身から関白という最高の官位まで登り詰めた秀吉の出世人生は多くの日本人に人気だ。長浜時代から天下統一するまでの秀吉はまさに輝くばかりの出世人生だが、天下をとってからの晩年の彼の人生はちょっと見習う事は出来ない。朝鮮出兵や後継問題など浅はかな思慮で政治を行なったと言われてもしかたがない感じだ。
hideyoshijpg.jpg

多くの歴史が物語っている様に、一度絶大な権力を持ってしまうと自分の言う事なす事に対して誰も反対する者がいなくなってしまうのもひとつの原因だろう。また歳をとると政治などの仕事など一人でこなす事など煩わしくなるのも当然で、彼も石田三成などの官僚に政治は任せっきりになってしまっていた。三成は確かに“ソロバン勘定”は優秀な人であったが各大名の個々の心を上手に汲み取るだけの器量が無かった為、様々な軋轢が生まれ、結局そういう面を老獪な徳川家康につけ込まれて豊臣家の滅亡を招く事になってしまった。これは人の心は決して“理屈”や“机上の計算”では動かないものだという事を表わしている。

二階展示室には秀吉以前の北近江の支配者である浅井長政とその正室お市の方の肖像画(複製)や山内一豊とその正室千代の肖像画(これまた複製)等も展示されている。複製展示だけでなく秀吉や淀殿の直筆の書状などあった。流石に直筆の書状を見ていると、歴史上の実在の人物の息使いが何だか漂ってきそうな感じで伊蔵の心は躍った(何が書いてあるのか読めなかったが解説がされているので安心だ・笑)この他、織田・徳川連合軍が鉄砲という新兵器を使用して武田騎馬隊を壊滅させた『長篠合戦図屏風』の複製も展示されていた。

日本の戦国時代における戦術はこの“長篠の戦い”においてひとつの進化を遂げたといってよい。一説には三千挺の鉄砲が使われたとされる(千挺説もある)。鉄砲の数はともかく織田・徳川の連合軍は多くの鉄砲を効果的に使用した事と武田の騎馬隊の足を止める為の馬防柵を戦場に巧く配置した事などこれまで無かった戦闘方法をもって勝利を得た。この長篠の戦いの後のあらゆる合戦・戦闘方法が一変した事は間違い無いだろう。

外の天候が大荒れだった事もあって伊蔵は時間をかけてゆっくりとこの歴史資料館を見てまわる事にした。次は三階展示室へと足を向けよう。<つづく>




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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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