2017-10

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近江国・長浜への旅(その13・鉄砲の里)

『国友』の集落の中へタクシーは進んだ。遠くから見るこの集落は普通の田舎にしか見え無かったが集落の中へ入って見ると随分立派な構えの木造の家々が多い事に気がつく。多分ここに住む人のほとんどは国友姓を名乗っているいるのだろう。時の権力者の保護を受けていただけにこの立派な家々が建ち並ぶ風景には何となく納得が出来た。

しばらくその様な風景を眺めながらタクシーはなおも進み、丁度集落の中心部辺りで停車した。そこが『国友鉄砲の里資料館』であった。
DSCF5487.jpg

集落の古い家々との調和を保つ為か資料館はそれらしい外観の佇まいであった。資料館前の駐車場は一台の車もなく思った通り閑散としていた。この辺りでは帰りのタクシーを捉まえる事が出来ないと思った伊蔵は運転手に見学が終るまで待っていてもらえるか聞いてみると心良く引き受けてくれた。

伊蔵は資料館の扉をくぐったのだが人の気配がない・・・。ウロウロしていると資料館員が現れやっと入館料300円を払い終えた。見学者も無く資料館は伊蔵の貸切状態のようだ。

『まずはこちらの部屋でご説明させて頂きますのでどうぞ』

伊蔵は館員さんに誘導されある一室へと通された。前面に大きなスクリーンがあり映像によって鉄砲についての説明が為されるようだ。伊蔵が椅子に座ると辺りが暗くなり映像がスタートした。映像では鉄砲の伝来から国友での鉄砲製造技術、江戸時代、太平の世になってからの国友の紹介等がアニメーションを交えながら分かりやすく説明された。
teppou1.jpg

その説明案内をしてくれるアニメキャラクターのネーミングが“国ちゃん”(笑)『国友』の地名から取られたのだろう。“国ちゃん”は小さなUFOに乗って伊蔵に鉄砲について色々な説明や案内をしてくれた。
teppou2.jpg

優れた鍛冶職人が沢山居た『国友』では種子島に1543年(天文12年)に鉄砲が伝来し、翌年には鉄砲製造を始めた。銃身を造る『鍛治師』、銃床を造る『台師』、引金や火ばさみ等のカラクリ部分を造る『金具師』による分業制で一挺の鉄砲を製造していた。またその技術の継承には厳しい掟や組織制度が存在し、年寄・年寄脇・平鍛冶などの階級に分かれていたという。

資料館二階には数々の国友鉄砲の展示や歴史、銃身の製造方法などを学ぶ事が出来る様になっていた。小筒、中筒、大筒の他に脇差鉄砲(形は刀の脇差だが実は小型の鉄砲)という変わり種のものまである。また火薬袋や銃弾である鉛の玉を造る為の道具などの展示も豊富だ。『国友鉄砲にふれてみよう』というコーナーもあり、火縄銃(模造)を手に取って構える事も出来る。
hinawa.jpg

伊蔵も早速『火縄銃』を構えてみた。持ってみた感じはかなりズッシリと重い。次に狙いを付けて構えてみると思っていた以上に非常に狙い難い事が分かった。これは現代のライフル銃のように“肩当て”部分が火縄銃には無い為である。火縄銃の手元はバナナ状に曲がっているだけなので手で支えて狙いを定めるしかない。これだけ重い銃を手だけで支えて的に当てるのは至難の業だろう。普通の小筒でさえこんなに重いのに一体大筒だとどれくらいの重量があるのだろうか・・。

銃身の製造法についても詳しく各工程途中の材料が順番に並べられていて分かりやすかった。その製造法はまず短冊状の真金を心棒の周りに巻き付けた後(荒巻)それを継ぎ目の無くなるまで鍛えて更にその上に鋼をリボンを巻き付ける様に巻き(葛巻/巻張り工法でこれを施す事により銃身の強度は増す)これも継ぎ目の無くなるまで鍛えて銃身の形を八角型に整えていき銃身の歪みも調整する。最後に銃身の尾部に螺子(ネジ)を切って塞ぎ火皿、目当て(今でいう照準器)を付けて完成という非常に手間の掛かる仕事なのである。

特に螺子(ネジ)を切る技術というモノは日本の技術には当時無く国産化するにあたり最大の難関であった。銃身の尾部をそのまま塞いだだけでは火薬の発火の際の爆発力で簡単に吹き飛んでしまう為、これを螺子で塞ぐ事は必須の技術であり作業だった訳である。現代でこそこの螺子は旋盤やタップ、バイスさえあれば誰でも簡単に造れてしまうが、当時はそんな便利な工具は無い。どうしたか?雄ネジは丸い鉄棒に丹念にタガネでネジ山を叩いて造り、雌ネジはまず銃身を熱しておき柔らかくしておき先程の雄ネジをはめ込んでは鍛え、また回しては抜くという地道な作業を繰り換えしていたのである・・。雄ネジは比較的簡単に造れたが雌ネジの造り方が分からず苦労していた。

これを解決した人物がこの国友村にいた『次郎助』という鍛治師である。この次郎助の発想した螺子の造り方については『国友鉄砲の里資料館』の入口脇にある作家 故・司馬遼太郎の石碑(彼の著書である「街道をゆく」の一説)に詳しく刻まれている。(クリックにて拡大)
DSCF5486.jpg

これを読んでも“ひらめきと発想”というのは何処に転がっているのかわからない事がいえる。普段の何でも無いような事が革新的な技術のヒントとなるような事があるという良い例であろう。『国友鉄砲の里資料館』は規模こそ小さいが大いなる先人の技術と発想を学ぶ事が出来るいい資料館である。あまり知られていないのが残念である。

伊蔵は駐車場で待ってくれていたタクシーの運転手にお礼を言い車内に乗り込み『国友』の集落を後にした。集落内には数々の名所もあり、ゆっくり歩いて見学したかったのだが悪天候で今回は残念ながら見る事は叶わなかった。また是非訪れたいと思う。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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