2017-10

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m-k観光主催『越前・福井の旅』その7/福井一人歩き1

伊蔵は福井の街へとホテルから繰出した。しかし何分土地勘が無い為、ホテルにあった市内地図を頼りに歩き始めた。

ホテルの前の通りは前回の記事でも記した通り、福井市内屈指の“繁華街”で各種飲食店、パチンコ屋、飲み屋ばかりが入った雑居ビルが建ち並び雑然とした雰囲気だ。昼間だというのにパトカーが何台か警邏中であった。

福井市内の地図を見てみると大きな通りがいくつかあるのが分かった。JR北陸本線『福井駅』前から西へと延びる市内でも最大の通り『中央大通り』、南北方向には『フェニックス通り』と『お泉水通り』、東西に『さくら通り』等が存在する。これらの通りに囲まれた地区が福井の街の中心部となっている。その地区には『福井県庁・市役所』『中央公園』などの官庁が建ち並ぶ。
DSCF5763.jpg

ホテルを出る前に伊蔵は地図に記された名所旧跡等を予めチェックしておいた。今夜の宴までには3時間弱ある為、結構歩いて回れそうだった。まず最初に伊蔵が出掛けた場所は『天台宗 西山光照寺』。ここには『福井大仏』なるものがあるようだ。伊蔵は別に“大仏マニア”ではないが(笑)大きな物を見るのは好きだし、福井に大仏があるなど知らなかったので見てみる事にしたのである。
DSCF5621.jpg

むむむ!?これは『大仏』なのか??『観音様』ではないかっ!ちょっと意表を突かれた伊蔵であった。正式には『福井大仏観音』と呼ばれているらしい。

この天台宗西山光照寺は日本の天台宗の祖、『最澄(伝教大師)』によって開かれた寺である。元々この寺は『朝倉氏』の本拠地であった『一乗谷』の近くにあったが後にこの福井市内に移されたそうだ。大仏も最初は石仏だったが、第二次大戦中の『福井空襲』の時に焼失、現在の大仏は金銅製で昭和31年に建立されたもの。

先程、福井には大きな通りがあると話したが、その中の『フェニックス通り』という風変わりなネーミングに伊蔵は疑問を抱いて調べて見た。この福井市は大戦中の『福井空襲』によって焦土と化した。1945年の終戦後、福井市民の必死の努力で街は復興しつつあったが、1948年この福井をマグニチュード7.1の大震災が襲った。また大震災後に襲った豪雨によってさらなる被害を受けた。短期間に三つの災害を福井は受けた事になる。

このように度重なる大災害を受けながらも福井市民は努力して街を復興させてきた。まるで『不死鳥(フェニックス)』の如くに。こういったことから名付けられたのが『フェニックス通り』だという事だ。なるほど!

『福井大仏』には正直がっかりしてしまった伊蔵であった。これなら福井県のもう一つの大仏である『越前大仏』を見た方が良かったかもしれない。
DSCF5622.jpg

天台宗西山光照寺のお隣には一際巨大な寺院が建っている。『真宗大谷派 福井別院』だ。伊蔵の好きな巨大寺院だけに期待していたのだが・・
DSCF5623.jpg

木造巨大建築ではなく、どうみても鉄筋コンクリート製の建築物。非常に殺風景な雰囲気で味気が無い。う~~む・・・どうも福井の街の名所はハズレが多いぞ・・・(笑)先行きに一抹の不安を覚えながらも伊蔵は市内を歩いていたのだった。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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