2017-08

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m-k観光主催『越前・福井の旅』その8/福井一人歩き2

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次に伊蔵が出掛けた場所は『橋本左内生誕の地』と呼ばれる史跡。先程立ち寄った真宗大谷派福井別院から少し東側に行った路地の一画にある。
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●『橋本左内』(はしもとさない・1834年~1859年)
幕末の越前福井藩士。父は福井藩医橋本長綱。弟は後に陸軍軍医総監で初代日本赤十字病院院長となる男爵橋本綱常がいる。左内は開明的な開国論者として知られている。15歳の時に自らの志や生き方、政治への関心を示した『啓発録』を著した。翌年大坂に出て緒方洪庵(おがたこうあん)の主宰する『適塾』へ入門、蘭方医学を学ぶ。水戸藩の『藤田東湖(ふじたとうこ)』や薩摩藩の『西郷吉之助(さいごうきちのすけ/後の隆盛)とも交流があった。
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その後、越前福井藩主の『松平春嶽(慶永)(まつだいらしゅんがく)/幕末の四賢候のひとり』の側近となり藩医、藩政の改革などに携わった。安政四年以降は同じ越前福井藩士である『由利公正(ゆりきみまさ)』らとともに幕政改革に参加。日本とロシアとの提携の必要性を説くなど幕末において非常に開国的思想を持っていた為、攘夷派からは危険人物として見られていた。安政の将軍継嗣問題にも関わり、その責を大老『井伊直弼(いいなおすけ)』の安政の大獄で問われ、わずか26歳で斬首される。
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う~ん26歳・・若い。短い生涯なのに彼が成した様々な業績の大きさには驚かされる。幕末期には彼の他にも非常に進んだ考え方をもっていた若い志士がいたが、その多くは捕らえられたり、殺されたりしてしまった。しかし彼等は犬死にしたわけでは無く、その進んだ考え方は多くの人々に影響を与えた為、確実に歴史を維新へと回転させたともいえるのである。
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この様な山深い土地に彼の様な開明的な考えを持つ人物が居た事は福井県人にとってとても誇りだろう。<つづく>
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適塾適塾(てきじゅく)は、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が 江戸時代後期の天保9年(1838年)に大阪|大坂・船場 (大阪市)|船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。.wikilis{font-size:

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