2017-11

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m-k観光主催『越前・福井の旅』その10/福井一人歩き4

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伊蔵の『福井城』めぐりは続く。本丸西側の堀の上に架かる『御廊下橋』という木製の橋を目指して歩いて行った。
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福井城の石垣は伊蔵のお膝元の名古屋城と比べると石の大きさも小さく粗雑な感じがするがかえって“北国の城の無骨さ”というものが感じられる。現在本丸西側には堀を挟んで『中央公園』という公園があるが、かつてこの場所は藩主が私的な住居として使用していた『御座所』があったという。本丸から御座所へ向う為に藩主専用に架けられたのが『御廊下橋』で、かつては“マディソン郡の橋”の様に屋根が付けられていた。
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『御廊下橋』を渡ると堀の向こう側から眺めていた感じとは違い、石垣が眼前に迫って来るのでとても迫力がある。いよいよ本丸に足を踏み入れるのだ・・という昂揚感に浸っていた伊蔵だが橋を渡った場所にある石垣に囲まれた屈曲部を通って本丸に入るとそこは『福井県警本部』(笑)何だか興醒めである。
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この石垣の屈曲部の先にはかつて『山里口門』という門があったが現在は県警本部の鉄柵がある。本丸内は擂り鉢上になっているようで石垣の高さより本丸内の土地は低くなっている。今では見る影も無いがこの場所には大規模な『本丸御殿』が建っていた(画像参照)。伊蔵はそのまま県警本部の北側の細い路地を歩いて天守台の下へと辿り着いた。
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これが福井城天守台へと登る事が出来る急な石段である。これほどの規模の城跡に天守閣が残っていないのは非常に残念な事だ。
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先にも話した通り福井藩初代藩主『結城秀康』は約六年の歳月をかけてこの『福井城』を築城した。本丸には壮大な天守が偉容を誇っていたという。外観は四層だが内部は五階だったという。福井城では天守閣の脇に控天守も建っていたようだ。この偉容を誇った天守閣は寛文9年(1669年)に大火で焼失して以来再び建てられる事は無かった。
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天守台へと続く急な石段を登ったところに一つの“井戸”がある。その名を『福の井』という。ピンと来た方もいるだろう。この井戸の名称が『福井』の由来となったのである。福井となる以前は北ノ庄と呼ばれていたが三代藩主松平忠昌の時、北ノ庄の“北”という文字は“敗北”に繋がるとして福井に改名したのだという。福の井は福井城築城以前からこの地に存在していたとされていて、これが改名の際に取り上げられたようだ。
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伊蔵は遂に福井城天守台に辿り着いた。しかしそこには何も無く、枯れた芝生と礎石跡とベンチに老人が二人座って何やら談笑しているのみという何とも物悲しい風景だけが広がっていた・・。まさに『兵どもが夢のあと』といった感じ。
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しかし天守台からの眺めは流石に良い。先程歩いて来た堀を上から一望する事が出来る。
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控天守の石垣は不自然に歪み崩れている。これは1948年にこの地方を襲った福井震災の爪跡。そのままの形で残されている。
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再び伊蔵は福井城の堀端へと戻って来た。う~んやはり上から下を眺めるよりも下から上を眺める方が城は威厳があるなぁと思った。
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城の史跡として見るには残念な『福井城』ではあったが立派な石垣は一見の価値有りと思う。しかし地方の城跡を見るにつけ、名古屋城の立派さが際立つように思うのは伊蔵だけではないだろう。<つづく>
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Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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