2017-08

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m-k観光主催『越前・福井の旅』その12/福井一人歩き6

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再び伊蔵は『福井城』の堀端を歩き“さくら通り”に出てそのまま道を横断し真っ直ぐいった場所にある『福井市立郷土歴史博物館』へと辿り着いた。
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旅で出掛けた事の無い町、もしくは歩き回った事の無い町を手っ取り早く知る方法はその土地の“歴史や風土”を学ぶ事だろうと考える伊蔵はこの場所を見学ポイントとして選択しておいた。この『福井市立郷土歴史博物館』のある場所というのは福井城の外堀部分にあたっており、今ではその外堀も狭い用水路のようになってはいるが残っている。
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市立の博物館としてはかなり立派な建物でしかも規模も大きい。伊蔵は博物館の自動ドアをくぐり受付へ。若い二人の女性館員さんに出迎えられ、

『いらっしゃいませ。博物館と養浩館庭園との共通観覧券はいかがですか?』

と薦められた。伊蔵は『養浩館庭園(ようこうかんていえん)』も見学ポイントに選んでいた為、共通券を購入する事に。330円也。共通券というからチケット状のものが貰えるかと思ったが直径3センチ位の丸い布製のシールを衣服の上に貼るというものであった。

『このシールをよく見える場所にお貼りになってご観覧下さい』

と説明を受けた伊蔵はその通りに貼ってまずは博物館見学から始める事にした。ここでちょっと気が付いた事がある。それは先程の受付の女性館員さんの話す言葉の“なまり”である。“やんわり系”というか“はんなり系”といった優しい“なまり”で関西、とりわけ京都なまりに非常に近い感じを受けた。考えてみると福井県と京都府というのは県境を接している隣同士の県なのである。また歴史的に言っても福井県と京都の間には古くから産物の流通が盛んに行なわれていた。特に福井県若狭地方で穫れた魚介類を京都へと運ぶルートは『鯖街道(さばかいどう)』と呼ばれよく知られている。これは福井で穫れる魚介類の中で『鯖』が最も多かった事に由来している。

こういった事から京、あるいは福井の商人がそれぞれの町に店や問屋を持っていたという事も推測されるし、それぞれの町の人達の街道での往来は盛んであっただろう。先程の“なまり”はその名残りともいえるのではないか・・と伊蔵は思った。しかし知らない地方都市での“なまり”(とりわけ女性の・笑)は聞いていて気分がホッとするものだ。
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さて見学だ!まずこの博物館で所蔵されている史料に記されている『花押(かおう)』の展示。『花押』とは一種のサイン(署名)であり戦国武将達が書いた書状などの最後に記されているものだ。毛筆で書かれているのだがそれぞれが個性的な形をしていて非常に面白い。
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また印判といって花押の型をとったスタンプ状のものがあるというのを展示物によって伊蔵は初めて知った。考えてみれば書状に大量に花押を書かなくてはならない場合はこういった印判を使用した方が効率がよい。『花押』は現在ほとんどの一般人は使わないが、会社経営者や政治家の偉い方々は自分の花押を持っていて使用する事が多い。
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次に見たのは『松平家史料展示室』で展示されていた『春嶽公記念文庫の和歌短冊 』。幕末の越前福井藩主『松平春嶽(まつだいらしゅんがく)』所縁の和歌短冊の数々を見る事が出来た。
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●『松平春嶽(まつだいらしゅんがく)』(1828年~1890年)
江戸時代後期の大名、14代越前福井藩主。徳川御三卿の一家である田安家に生まれるが越前福井藩主松平斉善の養子になり、斉善の死後、わずか11歳にして福井藩主となる。橋本左内、由利公正らを側近として藩政の改革や軍政の改革を行なった。14代将軍後継問題で大老井伊直弼の派閥に敗北、謹慎処分を受ける。『桜田門外の変』によって井伊が暗殺されると、幕政に積極的に関わりを持つようになり幕府の政治総裁職に就任し幕政の改革を行なった。薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内容堂、伊予宇和島藩の伊達宗城らと並び“幕末の四賢候”と呼ばれる。

このように春嶽は徳川家の御家門であるだけでなく様々な人との交流が多かったので和歌短冊の数も多く、幕末期の著名人らの和歌の展示も多かった。彼の大叔父にあたる『松平定信(まつだいらさだのぶ)』(寛政の改革で有名)の直筆の短冊や、15代将軍徳川慶喜、老中阿部正弘などの短冊も展示されていた。色とりどりの短冊や色紙も綺麗な状態で残っていた。みんな達筆だ。

さて次にいよいよ常設の展示室へと伊蔵は歩を進めた。この展示室では福井の歴史を古い時代から順を追って紹介してあり、なかなか面白い。かなり古い時代からこの越前地方では人が生活していたようである。また都のあった近畿にも比較的近い為か出土品なども立派な物が多数展示されていた。本格的に福井が歴史の脚光を浴びるのは戦国時代末期とやはり幕末期であり、この点においてはかなり力の入った展示がされていた。
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城下町での人々の暮らしや福井城ジオラマ、幕末維新の人物や福井出身の偉人などの紹介に加え、戦時中、戦後の震災や豪雨被害まで福井の歴史が事細かく学習出来る。
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伊蔵はかなり時間をかけて楽しみながらこの『福井市立郷土歴史博物館』を見学出来たように思う。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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