2017-08

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伊蔵、登城す/その4・本丸御殿発掘現場・中編

本丸御殿発掘現場の見学コースを伊蔵は引き続き歩いていた。御殿敷地跡には碁盤の目の様に柱を支えていた『礎石』が並んでいる。
DSCF6251.jpg
一見同じ様な石が並んでいるようだが特徴的な石も中にあり説明版が付けられていた。名古屋城に限らず他の城の石垣等にもよく見られる『刻印』(城の普請に関った大名が石材の紛失・盗難を防ぐ事や他家との材料との区別を付け所有者を明らかにする為に刻んだもの)やこの『礎石』にも刻まれているのが観察出来た。
DSCF6250.jpg
石垣の刻印はよく知られているがこのような床下の目に付かない部分の『礎石』にも刻印が残されているとは伊蔵は知らなかった。
DSCF6255.jpg
これらの刻印を見ていてフト思い出した事がある。以前に安土城に訪れた時の事をである。あの城の石材には“墓石”や“地蔵”が城の石材として平気で使われていた。それを見た時は織田信長の墓石や地蔵は“所詮石でしかない”という割り切った合理的さに驚いたものだった。流石にこの名古屋城本丸御殿の『礎石』にはそのような物は使用されてはいなかったのだが、信長の生きた安土・桃山時代とは違った意味での歴史の爪跡がここの『礎石』には残っていたのである。
DSCF6254.jpg
それは第二次大戦当時の“戦争の爪跡”であった。上の画像の『礎石』は空襲によってこの本丸御殿が焼け落ちた際に熱せられ赤く変色しまったもの。
DSCF6256.jpg
あまりの熱で粉々に砕け散ってしまった『礎石』も観察出来た。これら説明版のついた『礎石』は戦災による爪跡が顕著に見られた物だが、実は本丸御殿跡に並ぶ『礎石』のほとんどが火災による熱によって非常に脆く崩れやすくなってしまっているのである。つくづく残念な事だ。
DSCF6257.jpg
こちらは『上洛殿』の『礎石』。柱を支える為に石に穿たれた“ほぞ穴”が観察出来る。
DSCF6252.jpg

これは“矢穴”の跡が残されている『礎石』だ。ここで言う“矢”というのは『楔(くさび)』の事である。大きな石を少ない力で割る為に楔を何ヶ所かに打込むわけである。その楔を打ち込んだ跡が残っている石が上の画像である。伊蔵はてっきり現代の石工が使用する様な鉄製の楔で石を割っているものだと思ったのだがどうもそうではないらしい。
驚くべき事に木製の楔を使って石を割っていたらしいのである。

まず石に楔用の穴を開けて、そこに堅い木の楔を叩き込みそこに水を垂らす。木は水を吸って膨張する。その木の膨張力で大きな石を割ったというのだ。木の楔なので鉄製の楔に比べると相当大きな楔穴が残るというわけだ。石を割るにも時間がかかったであろう。実に手間のかかった仕事である。
DSCF6258.jpg
発掘現場の見学ルートもあとわずかを残すのみとなった。名古屋市学芸員による説明の時間も近付いて来たようだ。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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