2017-10

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伊蔵の読書/その4

伊蔵の読んだ本の紹介、その四回目。今日の一冊は
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◆『乾隆帝 その政治の図像学』/中野 美代子 著
『乾隆帝(けんりゅうてい)』(1711~1795)は中国最後の王朝である『清』の第六代皇帝の事である。姓・諱は『愛新覚羅弘暦(あいしんかくらこうれき)』という。

●中野 美代子(なかの みよこ)
1933年、札幌市生まれ。北海道大学文学部卒。オーストラリア国立大学講師、北海道大学教授を歴任。中国文学者にしてシノロジー図像学の第一人者。
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彼の祖父である『康熙帝(こうきてい)』、父である『雍正帝(ようせいてい)』の三代の時代『清』は王朝としての最盛期を迎えた。

この『清』という王朝は“漢民族”の王朝ではない。
この清を打立てた民族は元々万里の長城の北、現在の中国東北部で半農半猟で生活していたツングース系民族で女真族(満州族)と呼ばれていた。この女真族はいくつかの氏族に別れて互いに争っていたがその中から『ヌルハチ』(1559~1626)が現れ全女真族を統一、『後金』を建国した。当時の中国全土を治めていた王朝は『明』であったがその勢いは衰え始めていた。『ヌルハチ』は明からの完全な独立を目指して何度も明の領内に攻め込もうとしたが叶わなかった。

『ヌルハチ』の死後、跡を継いだ『ホンタイジ』(1592~1643)に至っても明を攻めきれなかった。この頃国号を『大清』とした。三代目の『順治帝(じゅんちてい)』(1638~1661)の時代に至って明の内部で起こった『李 自成(り じせい)』の農民反乱によって北京が陥落、明は滅びる。この期に乗じて清は万里の長城を越え南下、李 自成を滅ぼしここに『清』による実質的な中国支配が始まる事になった。本題の『乾隆帝』の時代に『十全武功』という十回に及ぶ各地への遠征によって『清』の領域は最大となった。

『乾隆帝』はかなり派手好きな皇帝だったらしい。
それは政治だけでなく文化事業や建築、美術に至るまで幅広い分野に及んだ。祖父や父の賢明な政治に支えられて国の勢いが最もあった時期に即位した事もあってまさに道楽三昧といった感じだ。お抱えの西洋人画家『ジュゼッペ・カスティリオーネ』に自分の肖像画を沢山描かせた。自分の趣味や考えを自由に誰に反対もされず自由に形にしたり欲しい物を手に入れたりする事が出来るというのは何ともはや羨ましい限りだ。まさに皇帝の特権だろう。

彼のこのような自由な事業のおかげで彼の死後は『清』は次第に衰え始めるが、彼の残した物は学術的には評価されていてその当時の政治や生活等が伺える貴重な資料となっている。

この本ではそうした彼の残したあらゆる物が当時の西洋人や漢民族、その他の国々に向けてのイメージ戦略であったという観点で語られていて彼のやった皇帝としての道楽三昧が知りたかっただけの伊蔵にとっては少々小難しい内容ではあった。

『清』はその後20世紀初頭まで続く。
最後の皇帝として知られている第12代『宣統帝(せんとうてい/愛新覚羅溥儀/あいしんかくらふぎ)』に至って『清』は滅びるが溥儀は日本の関東軍に利用され再び『満州国皇帝』に祭り上げられる事になったのは皆さん映画『ラストエンペラー』などで御存じだろう。

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オーストラリア国立大学オーストラリア国立大学(—こくりつだいがく、''The Australian National University'' 略称:ANU)はオーストラリア|オーストラリア連邦の首都キャンベラに位置する。いくつかの国際的な指標によれば、オーストラリアで最良の大学であり、

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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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