2017-10

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伊蔵の江戸巡り/その9・将門塚

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丸の内のビル群の中に歩いて行った伊蔵がここで見たかったのは『平将門の首塚』。以前にこの『伊蔵通信』でも“将門(まさかど)の首塚”の記事は書いたのだが実際に訪れて見るのは今回が初めての事である。最初この『首塚』が丸の内のどこにあるのか分からず随分迷ってしまった・・。
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『都旧跡 将門塚』おおお!あったあった!しかしこんなところに・・・その将門の首塚があった場所はサンワ東京ビルとランディック大手町ビル、三井物産ビル等の大きなビルに囲まれた小さな一画。注意していないと通り過ぎてしまいそうだ。
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ここで平将門についておさらいしておこう。

◆平将門(たいらのまさかど)/生年不詳~940年
平安時代中期の武将。桓武天皇の子孫で平氏の姓を賜った『高望王(たかもちおう)』の孫。関東一円を手中に治め自らを『新皇』の名乗ったため朝廷から逆賊とされ討伐された。その首は京に晒されたが三日後に将門の首は自分の胴体を求めて東の空へと飛び去ったという・・。

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その首が力尽きて落ちた場所と伝えられるのが今伊蔵が立っている場所つまり『将門塚』という訳だ。平将門は菅原道真、崇徳上皇と並び“日本三大怨霊”とされる。これらが怨霊化する事を極端に恐れた人々は彼らを神格化して祀ったのである。
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ビルの谷間にひっそりと残っているこの将門の首塚はこれまでにも何度も撤去されかけたがその度に原因不明の不審事故が起きたりして撤去は取り止めになっている。これが偶然か怨霊の成せる技なのかは分からないが現在でもこの首塚の回りを囲むビル群の窓はこの首塚を見下ろす事が出来ない様に窓は塞がれている。
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平安時代の武将のたった一つの首がこれほど畏れられ現代の人々にまでも影響を及ぼしている出来事は面白い。
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今でも将門を畏れ敬うという気持ちは首塚にある石碑前のお供え物や花等にも表れている。
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日本の首都のど真ん中に平安時代の昔からひっそりとこの場所に存在し続ける『将門の首塚』。周りの景色はこれまでに随分変わったはずだがこの場所だけは変わらない。そんな事を考えていると不思議な感じがしてくる。<つづく>






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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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