2017-11

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

伊蔵の『大坂・秋の陣』/その2・千日前

近鉄難波駅の駅ビルを地上へと出た伊蔵は目の前の大通り『千日前通』を一路東へと向かって歩き始めた。今回歩いて回ろうとしているおおまかな計画をここで紹介して行こうと思う。

大阪の中心部にある近鉄大阪線の難波駅を中心に繁華街である“道頓堀”近辺をはじめ宿の近辺にある“黒門市場”北部にある大阪のシンボルのひとつである“大阪城”そこから南下し“天王寺”近辺をぐるりと回り宿のある難波まで戻って来るというコースを伊蔵は計画していた。大阪という街は地下鉄網が非常に発達しておりどこへ行くにも大変便利なので計画も立てやすかった。

道幅が広い『千日前通』を伊蔵は東へ向かって歩いていた。通りの上には阪神高速15号堺線の高架がそびえている。周りの街並も流石に大阪を代表する繁華街といった感じで目に飛び込んでくる景色自体がどことなくせわしない。
sennitimae1.jpg
やがて道を進む伊蔵の右手に『ビックカメラ』の大きな店舗が姿を現わした。このすぐ脇が大阪でも名高い繁華街のひとつに数えられる『千日前商店街』の入口だ。
sennnitimae2.jpg
この千日前商店街を真っ直ぐ南へ向えば関西芸人の笑いの殿堂『なんばグランド花月』などがあり連日大変な賑わいをみせる。そんな大繁華街として現在の『千日前商店街』は存在しているが江戸時代、この辺りは罪人の“処刑場”として知られていたのである。

伊蔵が今まで歩いて来た千日前通りには磔柱や獄門台が立ち並んでいていくつもの罪人の首が晒されていたという。必然的にそうした死体を焼く『焼き場』や『千日墓』をはじめとした墓所も多く焼かれる死体の煙りでこの付近には立ち入れたものではなかったらしい。(この処刑場があった歴史については今後も度々触れるので覚えていてほしい)明治維新後の明治三年に処刑場は廃止になり墓所の多くも阿倍野へと移された。そして明治末期の「ミナミの大火」以後、千日前界隈は大正時代、活動写真・軽演劇、演芸のすべてが楽しめる「楽天地」という娯楽場がたてられ、道頓堀と肩を並べるような繁華街へと発展した。

こうした歴史を過去に持っている事から大阪の住人の間では都市伝説や幽霊、祟りなどの類いの話がこの地域には多いようだ。そうでなくとも江戸時代初期には豊臣家と徳川家がこの地を中心に激突した『大坂の役』もあった事だし戦によって多数の死傷者も出ているのでそういった話には事欠かないといったところだろう。

さらに伊蔵は千日前通りを東へ向かい『日本橋』の交差点へとぶつかった。
この南側一帯に広がる地域が伊蔵がこれから立ち寄ろうと考えている『黒門市場』である。今夜の宿である『スーパーホテルなんば・日本橋』もこのすぐ近くにある。
DSCF7185.jpg
『黒門市場』については次回詳しく話そう。<つづく>



スポンサーサイト

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://moriizou.blog39.fc2.com/tb.php/458-6555c745
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

伊蔵の『大坂・秋の陣』/その3・黒門市場/前編 «  | BLOG TOP |  » 伊蔵の『大坂・秋の陣』/その1・一路大阪へ

プロフィール

伊蔵

Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。