2017-06

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伊蔵の『大坂・秋の陣』/その11・巨城の歴史について

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言うまでも無くこの『大坂城』は豊臣秀吉が築城した城であるが、元々この地には本願寺第八世『蓮如(れんにょ)』が山科本願寺の別院として建てた『石山本願寺』という一向宗(浄土真宗本願寺派)の大寺院があった。山科本願寺が天文元年(1532年)に六角定頼と法華宗徒により焼き討ちされるに及んでそれまで別院であった『石山本願寺』は一向宗の本拠地となり寺院の周りに寺内町が形成され大いに発展した。またこの寺院は山科本願寺の焼き討ちを教訓として周りの戦国武将等の攻撃に備え濠や塀、土塁などを設けるなど寺院防衛に努め、次第に「難攻不落の砦」として強化されていったのである。そして本願寺第十一世『顕如(けんにょ)』の時代にその最盛期を迎えた。

しかしこの日本最大の門徒数を誇る武装宗教集団である一向宗の総本山の過剰な防衛と軍備の増強、またその日本全国に及ぼす影響力(一向一揆などの抵抗)は周りの戦国大名らを恐れさせかえって両者の対立を招く事となり『石山本願寺』は度重なる攻撃を受けた。やがて天下統一の野望を持つ織田信長が台頭するに至って両者の決戦は必至の状態になり『石山合戦』、元亀三年(1570年)~天正八年(1580年)に渡って戦う事になる。

『石山本願寺』は足利幕府第十五代将軍『足利義昭』の要請を受け、西国の大大名毛利氏の持つ水軍による補給・支援や越後の上杉氏、甲斐の武田氏などと連携して「信長包囲網」の一角を担ったりしては足掛け十年間頑強に抵抗を続けた。しかし長引く籠城戦は1580年に顕如が信長と和睦し石山本願寺から退去させられることによって終止符が打たれ、ここに『石山合戦』は終結した。その後『石山本願寺』の伽藍は焼失、以後本願寺勢力は衰退する。

その『石山本願寺』跡地に信長の後を継いだ形となった秀吉が大坂城を建てた訳である。百姓という卑賎の身から天下人に登り詰めこれだけの巨城を造ったというのは驚くべき事だ。秀吉は天正11年(1583年)に築城を開始、本丸完成に約一年半を要した。その後も城の拡張とともに町づくりも同時に行なわれ現在の大阪の町の基礎が出来上がった。

土木・築城の名人であった秀吉は『大坂城』築城に関して難攻不落の城、信長の建てた『安土城』を越える巨城を造るべく“縄張り(設計)”に力を入れ本丸を中心に三重の濠、運河を巡らせ城下町を含めた防御、いわゆる『総構え』を完成させた。城の北側には淀川が流れており天然の要害となっている。その他の三方向を濠で囲んだと訳だ。
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濠で囲まねばならないという事は逆にその箇所は防衛上の弱点ともいえる訳で『大坂城』の南側は大軍を展開出来る平地になっており必然的に濠を造って防御せねばならなかった。事実『大坂冬の陣』の時、徳川家康は城の南面から攻め掛かった。この時、豊臣方に属していた『真田信繁(幸村)』はこの『大坂城』の防衛上の弱点を十分に認識しており予めこの南面に“真田丸”という出城を築き徳川方の先鋒の攻撃に備えていた。この出城は徳川方を散々苦しめ防御の効果を十分に発揮した。

徳川家康はこの巨城を陥落させるため当時の西欧世界で使用されていた最新の大砲である『カルバリン砲』をイギリス・オランダから購入しこの火力を持って大坂城の防衛線を無力化しようと考えていた。この攻城砲の効果は十分に活かされ徳川方は自軍に有利な条件の和議を豊臣方と結び『冬の陣』は終結。この和議の条件(濠を埋めるなど)によって大坂城の防衛力は著しく削がれまさに“丸裸状態の城”となってしまい翌年の『夏の陣』でついに『大坂城』は落城してしまうのであった。<つづく>






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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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