2017-10

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伊蔵の『大坂・秋の陣』/その13・天守閣

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豊臣氏の建てた当時の『大坂城』は外観五層で全体が黒漆で覆われていた。その瓦には黄金が惜し気も無く使用されたいたという。しかしこの贅を尽くした城も『大坂の陣』で落城、焼失してしまった。この後、大坂は江戸幕府の直轄領となり徳川氏は新たに大坂城天守閣を建てた。豊臣政権の記憶を一掃するがごとく豊臣期の天守よりも大きく造られた。豊臣期の大坂城の遺構は徳川氏の手によってことごとく埋められてしまい現在我々の見る事が出来る大坂城の濠や石垣などの遺構は徳川期の大坂城のものである。

徳川が建てた天守閣も1665年に落雷によって焼失、以後天守閣は建てられる事は長い間なかったのである。
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1928年(昭和3年)当時の大阪市長『關一(せきはじめ)』が天守閣再建を提唱し1931年(昭和6年)市民からの募金によって鉄骨鉄筋コンクリート造五層八階の天守閣が完成した。この天守閣はその後に起きた太平洋戦争においても幸い戦災に遭う事も無く現在まで建っている。皮肉にもこの復元された天守閣は豊臣時代・徳川時代の天守が短期間のうちに消失してしまったのに比べ最も長い期間建っている天守閣となった。

余談だがこの『大坂城天守閣』は“ウルトラマン”に登場する『古代怪獣ゴモラ』によって破壊され“落城”する憂き目に遭っている。

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現在の大坂城天守閣は五層目は豊臣期、五層より下の層は徳川期の天守と折衷させる形で復元されている天守閣である。“平成の大改修”を経て随分見た目が綺麗になっている。耐震性を高め、壁の塗り替え瓦の金箔も貼り直された。また小天守台脇には身障者や団体観光客向けのエレベーターも設置された。

伊蔵自身のこの天守閣に対する印象は「スマートで美しい城」という事だ。これは伊蔵の地元に建っている『名古屋城』と比較しての感想である。
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名古屋城は大坂城に比べどっしりとした印象を受ける。大きくて立派な印象だが“スマート”だとは言えない。徳川期に建てられたこうした大きな城はどれもがどっしりしていて威厳はあるがスマートで美しいとは思えないものが多い様に感じる。
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豊臣期の天守閣の様に全体が黒色であったらとても渋い印象に写るだろう。伊蔵は大坂城天守閣の内部に入ってみる事にした。天守閣内部は歴史博物館となっている。城に関することや築城者の秀吉の時代の大坂城、大坂の陣と上階へ登る毎に歴史を追って大坂城の変遷を学ぶ事が出来る様になっていた。
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中でも秀吉の『黄金の茶室』は圧巻だった。圧巻だったというよりあまりの行き過ぎた豪華さに“あきれて”しまったという方が当たっているかもしれない。この茶室は『千利休』の設計で解体してどこへでも持ち運び可能になっていた。しかしこの茶室で落ち着いて茶など味わう事など到底出来まい(笑)

伊蔵は『大坂城天守閣』の内部を時間を掛けつつ見学し順調に上階へと登っていた。さぁいよいよ五層八階の最上階に到着だ。<つづく>






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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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