2017-09

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『遠州浜松』への旅/その12・掛川へ

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遠州浜松の旅の第二日目です。二日目も有難い事に好天に恵まれた。伊蔵は午前7時に起床。旅先での伊蔵の朝は早い。いつもの出勤に際しての起床時間より明らかに早い(笑)非日常を味わう事が出来るのも旅の醍醐味である。昨晩コンビニで買い込んだ朝食のパンを頬張りながら本日の予定をおさらいする。浜松市街はすぐに見て回れる事が事前に分かっていた為、今日は浜松から少し東の方へ足を延ばして『掛川市』まで出向いてみようと思っていた。

伊蔵が『掛川市』に降り立つのは初めての事だった。新幹線で関東方面に向かう際は『浜松市』のようにいつも通過してしまっている街である。しかし新幹線で通過する際に車窓から見る事が出来る美しい『掛川城』がいつも気になっていていつか出掛けてみたいと思っていた。伊蔵は決して『城マニア』ではない(こういうと“十分マニアだ”と言われそうだが・・・しかし歴史マニアではあるのでハッキリとは否定出来ない・・・)。“建築物”を見る事がどうも好きなようなのである。

とにかく『掛川市』は初めて訪れる街であり何があるのか分からない。取りあえず城という建築物があるから行って見てみようという訳である。戦国期の武将『山内一豊(やまうちかずとよ)』がかつてこの掛川を治めていたという事のみの小さな知識が伊蔵にはあったが細かい事は実際にその地に訪れてみないとよく分からないのでその点も今回の掛川行きの一因となっていた。

伊蔵はホテルを午前9時30分に出てJR浜松駅へと向かい午前9時43分発の掛川行普通列車に乗り込んだ。列車は市街を抜けると広大な川幅を誇る大河『天竜川」を時間を掛けて越える。しばらく田園風景の平地を走り続け次第に山の中へと入って行く。次第にその山肌に整然とならぶ茶畑が次々に見えて来ると「ああここは静岡、お茶処なのだ」とあらためて気が付く。
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やがて山間に開けた街が見えて来るとそこが『掛川』である。午前10時07分列車は『掛川駅」へと到着した。伊蔵は市街に面した駅北口から改札を出た。ちなみに駅の南側には東海道新幹線の『掛川駅』の高架ホームがある。この珍しい木造の駅舎は新幹線停車駅でも唯一のものでかなり古い駅舎らしい。それを大切に保存しながら現在も使用しているようだ。
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駅前のロータリーの一画にはなぜか『二宮金次郎像』が立っていた。この時点ではなぜここに金次郎像が立てられているのかが分からなかったが調べてみるとある事が分かった。

『二宮金次郎(二宮尊徳)』は江戸時代後期の思想家で『報徳思想』と呼ばれる農村復興政策を指導した人として知られている。その弟子である『岡田佐平治』がこの掛川を拠点として『遠江国報徳社』を作りその思想の普及に努めていた。現在掛川市にこの『遠江国報徳社』を起源とした『大日本報徳社』という社団法人の本部があり、全国の報徳社を統括しており、この駅前の『二宮金次郎像』はこの『大日本報徳社』によって立てられたのだという。

昔、伊蔵が通っていた小学校にも薪を背負いながら本を読んで歩きその薪を売って勉学に励んだとして学生の模範として尊ばれた『二宮金次郎像』はあったがコンクリートで出来た石像風のものであった。戦前はちゃんとした銅像だったのだが戦時中の軍によるいわゆる“金属供出”によって持ち去られてしまったのだ。

掛川駅に降り立った伊蔵は取りあえず駅にある掛川市街の地図で『掛川城』の位置を確認し駅前から北へ延びるストリートを歩き始めたのだった。<つづく>



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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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