2017-10

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『遠州浜松』への旅/その13・塩の道

『掛川市』。そもそもなぜこのような山間部に町が形成され発展したのだろうか。しかも四方を山に囲まれている土地でありながら新幹線の停車駅まで存在する。人が集まる町や場所が形成されるにはいくつかの要因というものがある。それは人間の身体で言う所の“経絡”とどこか似ている。気や血の通り道の要所(ツボ)のような場所、土地で言うのであれば開けた平野で道と道が交差する場所、または物流に便利な場所が町として発展しやすい。
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調べてみるとはたして『掛川』という町もそのように形成された町であった。この掛川市内には江戸時代に整備された天下の大道『東海道』が通っておりこの町は東海道五十三次の内の宿場のひとつであった。また古くから交通の要衝として元々この地は栄えていたのである。

『掛川』では東海道ともうひとつの別の街道が交差している。その街道の名は『秋葉街道』という。聞き慣れない街道名だが“塩の道”といえば聞いた事がある方も多いだろう。この塩の道は新潟県糸魚川市から静岡県相良町まで日本列島を南北に貫く様に延びているいくつかの街道の総称で全長350kmに及ぶ昔の塩の物流ルートである。この道を通って日本海沿岸、太平洋沿岸で生産された塩が塩を産む海の無い信州へと運ばれていた。

駿河の『今川氏真』(義元の子)と『武田信玄』と衝突した際に今川側から塩の流通を停められてしまい困り果てていた時、日本海側つまり越後の『上杉謙信』は敵であるはずの信玄に対してこの塩の道を使って塩を送ったという逸話は“敵に塩を送る”という言葉とともに有名だ。

またこの道は塩の物流ルートとして使われただけでなく武田信玄の軍用道路としても使われた。山が多い信州から海に抜けるにはこのルートが最も早くしかも大軍を容易く動かしうる道であった。浜松城の項でも紹介した『三方ヶ原の戦い』の時も信玄はこの道を使って南下し遠州へと侵攻していったのである。『秋葉街道』の名前は静岡県浜松市天竜区春野町にある『秋葉山本宮秋葉神社』に由来する。塩の物流、軍用道路という特徴の他にこの神社に参詣する人々達の為の信仰の道でもあったのだ。
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このように塩の道と東海道という大きな街道が交わる『掛川』という地は交通の要衝として発展して来た町なのである。必然的に防衛拠点として城も築かれ城下町が形成されるのも確かに頷ける事なのである。<つづく>



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お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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