『遠州浜松』への旅/その17・天守閣へ
少々『山内一豊』の話が長過ぎました(笑)そろそろ城自体の話をしなければ・・・・。
伊蔵は掛川城天守閣への道を歩いていた。

この『掛川城』は日本初の本格的な木造の復元天守閣として知られていて1994年(平成6年)に完成した。日本の100名城の一つになっている。木造での復元は鉄筋コンクリートでの復元よりも大きな費用が掛かるらしい。

ちなみに掛川城の場合、鉄筋コンクリート製での復元では約6億5千万円掛かると算出された。結局木造での復元に至り、その復元に掛かった費用は約倍の12億円に上ったそうである。この掛川城の復元にあたっては東京から掛川市に転居して来たとある資産家の老婦人が掛川市に1億5千万円を寄付し最終的に合計5億円の寄付をされ、残りの費用は掛川市民の寄付によって完成されたのだという。

伊蔵はいよいよ掛川城天守閣へ続く石段を登り始めた。復元されたのが平成になってからとあってかなり見た目も新しい城だが鉄筋コンクリート造で復元された城に見られるような一種のわざとらしさのようなものは不思議と無い。これは城が木造で造られているという事と城自体の構えとそのデザイン、規模の小ささからきているらしい。
石段を登り門をくぐりしばらく歩くと入館券を購入出来る案内所があった。天守閣と御殿の共通入館券300円を購入し先を急ぐ。この案内所のすぐ脇が城の本丸に当たるが今は何も残されてはいない。

本丸から天守閣までは曲がりくねった石段を登って行く。まるでこの小高い山の稜線に沿って作られている様な石段であった。石段の先には白亜の天守閣が!

規模は小さいものの見るからに城らしい城という感じで『掛川城』はとても美しい。もうしばらく伊蔵の『掛川城』巡りは続く。<つづく>
伊蔵は掛川城天守閣への道を歩いていた。

この『掛川城』は日本初の本格的な木造の復元天守閣として知られていて1994年(平成6年)に完成した。日本の100名城の一つになっている。木造での復元は鉄筋コンクリートでの復元よりも大きな費用が掛かるらしい。

ちなみに掛川城の場合、鉄筋コンクリート製での復元では約6億5千万円掛かると算出された。結局木造での復元に至り、その復元に掛かった費用は約倍の12億円に上ったそうである。この掛川城の復元にあたっては東京から掛川市に転居して来たとある資産家の老婦人が掛川市に1億5千万円を寄付し最終的に合計5億円の寄付をされ、残りの費用は掛川市民の寄付によって完成されたのだという。

伊蔵はいよいよ掛川城天守閣へ続く石段を登り始めた。復元されたのが平成になってからとあってかなり見た目も新しい城だが鉄筋コンクリート造で復元された城に見られるような一種のわざとらしさのようなものは不思議と無い。これは城が木造で造られているという事と城自体の構えとそのデザイン、規模の小ささからきているらしい。
石段を登り門をくぐりしばらく歩くと入館券を購入出来る案内所があった。天守閣と御殿の共通入館券300円を購入し先を急ぐ。この案内所のすぐ脇が城の本丸に当たるが今は何も残されてはいない。

本丸から天守閣までは曲がりくねった石段を登って行く。まるでこの小高い山の稜線に沿って作られている様な石段であった。石段の先には白亜の天守閣が!

規模は小さいものの見るからに城らしい城という感じで『掛川城』はとても美しい。もうしばらく伊蔵の『掛川城』巡りは続く。<つづく>


