『遠州浜松』への旅/その19・掛川城御殿へ

伊蔵は掛川城天守閣を見学した後、小高い山を降りその麓に建つ『掛川城御殿』へと移動した。この御殿は藩主の公邸の役割のほか藩の儀式や藩内の政務を司る施設である。

掛川城御殿は城域内二の丸にある江戸時代後期の建物であり、現存する城郭御殿としては京都の二条城や高知城など全国でも四ヶ所しか残っていないという大変貴重な建築物である。建築様式は『書院造(しょいんつくり)』。七棟からなり用途に応じ畳を敷きつめた20余りの部屋に分かれている。その規模は300坪(総床面積)近い。現存しない部屋もあるのでこの規模だが創建当時は330坪あったという。

御殿の前から先程訪れた天守閣を見上げるとこんな感じになる。御殿というと大概本丸にあるものだが掛川城では二の丸にあるので天守閣とは少し離れている。

玄関の屋根は特徴的で上向きに反り返っている。伊蔵が以前に伊勢に出掛けた際に河崎の古い町並で見かけた“起(むくり)”という屋根と同じだ。昔はこの広い玄関に駕篭が横付けされたのであろう。伊蔵は御殿の立派なこの玄関から内部へと入っていったのだった。

部屋が畳敷きなのは当たり前だが西側の広い廊下にも畳が敷かれていて寝転んでみたい衝動に駆られてしまった(笑)外は暑かったが御殿内部は風通しが良い構造になっていて心地良くて涼しい。

これは御殿内の『御書院上の間』藩主の対面所の役割をしていた部屋で御殿の中では一番重要な場所である。流石に京都の二条城二の丸御殿内の大広間のような豪華さと規模は無くとても質素な部屋に感じた。

こちらは御殿の一番奥にある藩主の居室『長囲炉裏の間(ながいろりのま)』の天井の装飾。桔梗の紋と鏑矢の紋が施されている。山内一豊が掛川から高知へと国替えになった後、この掛川城の城主となったのは徳川の親藩の松平氏。そのまた後には江戸城を最初に築いた『太田道灌(おおたどうかん)』の子孫の太田氏が掛川城主となった。この家紋の装飾はその太田家の紋である。
伊蔵の御殿巡りは続く。<つづく>


