2017-10

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『遠州浜松』への旅/その20・さらば掛川

掛川城御殿レポの続きです。
御殿の玄関から西側周りで『三の間』『次の間』『御書院上の間』『小書院』『長囲炉裏の間』と順に見学して来た伊蔵は御殿の東側へ続く通路を進んでいた。東側部分には上級武士(目付・奉行など)の部屋のほか下級武士(足軽)など藩内の政務を行なう役人達の各部署の部屋が集中していた。これらの部屋は畳張りではなく板張りの部屋が多い。現代人からすればとても質素で暗く狭いと感じる部屋ばかりであった。
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こうした殺風景な部屋ばかりを延々と観光客に見せても詰まらないので東側の部屋では甲冑や刀剣類、大名行列のミニチュアなどの展示物が置かれていたりした。たまたま展示されていたのが上の画像。山内一豊とその妻・千代が主人公の大河ドラマ『功名が辻』で使用された例の“十両の小判”。先にも話をしたが千代が大切に保管していたお金で夫の功名の為に馬を買ったという逸話の小判である。これら展示物の他にも色々な物があったが極め付けはこれ。
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『信長製ゴールデンスカル三点セット(盃加工済み)』である(笑)これもドラマ功名が辻で使用されたもの。左から

●『浅井長政(あざいながまさ)』
●『朝倉義景(あさくらよしかげ)』
●『浅井久政(あざいひさまさ)』

いずれも『織田信長』に滅ぼされた戦国武将達の髑髏である。
信長は北近江の浅井氏と越前の朝倉氏を滅ぼした翌年の新年の祝賀の席で彼らの頭蓋骨を金箔で塗り込めさらに頭頂部を切断し盃にして自分の部下達にこの盃を使って酒を飲ませて戦勝と新年の祝いをしたと伝えられている。いくら敵であった相手とはいえこの信長やり様は異常だが『天下布武』を旗印に天下の統一を急いでいた信長にとって歯向かう相手に対しては徹底的に容赦のない弾圧を与えて滅ぼしてしまわねばいつまでたっても戦乱の世は終わらないと感じていたからなのだろう。

掛川城御殿で一番脳裏に焼き付いたのがこの“黄金髑髏”だった伊蔵であった・・・。

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御殿を見学し終えた伊蔵は掛川城全体を望める公園で一休みして今後の予定を立てる。今夜の浜松市内に予約してあるお店に行く為に昼飯を抜こうと伊蔵は考えていたがせっかく掛川市に来たので何か食べようと思い御殿内に置いてあった掛川市の観光ガイドマップを広げ思案していた。
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結局、旧東海道沿いにある商店街のそばとうどんのお店『まる金』さんへ入る事にした。店内に入るとお客さんが一人のみ。店内に据え付けられたテレビにはニュースが流れていた。そのニュースの音声のみが店内に響いていてどこかうら寂しい。まぁこういう静かな店の方が伊蔵は落ち着ける為、特に苦にはならなかった。
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伊蔵が『まる金』さんで注文したのは『親子南蛮そば』700円也。これといった特徴が無い味ではあったものの歩いて腹が減っていた伊蔵は美味しく頂いた。

そばを食べ終わると早々に『まる金』さんを後にして伊蔵はJR掛川駅へと足を向けた。街自体には活気というものは無かったものの山内一豊の建てた掛川城は立派であった。思い切って足を運んだ甲斐は十分にあったと思う。伊蔵は掛川を後にして浜松へと向かった。<つづく>


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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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