2017-08

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『近江国・彦根』への旅/その2・彦根市と井伊家について

滋賀県彦根市は琵琶湖の北東部に位置する中核都市である。
江戸時代には彦根藩35万石の城下町として発展した。彦根藩は徳川家譜代の『井伊家』が代々藩主をつとめ明治維新まで続く事になる。井伊家は譜代筆頭の家柄であり、幕府の重職である『大老職』をになう人物を多く輩出した。日本史の中でも一番有名な井伊家から出た大老は幕末の“安政の大獄”や“桜田門外の変”で有名な『井伊掃部頭直弼(いい かもんのかみ なおすけ・1815~1860)』その人であろう。直弼については後々詳しく語ろう。

彦根藩主としての井伊家は明治維新で終わってしまったが、井伊家は伯爵家としての地位を保ち華族に列せられた。幕府譜代筆頭の家柄でありながら維新後に高い地位を得たのは、井伊家が幕末動乱期に真っ先に譜代大名家として幕府を助けなくてはならないところを朝廷側、つまり官軍側に寝返った事に少なからず起因している。

また井伊直弼の曾孫にあたる『井伊直愛(いいなおよし・井伊家第16代当主)』氏は1953年から9期に渡って彦根市長を務めた(彼は殿様市長と呼ばれた)事もあり、井伊家と彦根市という街は切っても切れない間柄となっている。
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彦根発展の礎となった初代彦根藩主は徳川四天王のひとり『井伊直政(いいなおまさ・1561~1602)』である。JR彦根駅前のロータリーには馬上に股がる彼の凛々しい銅像が建っている。元々この土地には彦根城より前に『佐和山城(さわやまじょう)』という城が存在していた。この城は織田信長の時代には織田家重臣『丹羽長秀(にわながひで)』、豊臣秀吉の時代には『石田三成(いしだみつなり)』の居城だった。この城は関ヶ原の戦いの後、徳川側の東軍に攻められ落城してしまい、現在では佐和山という山の名前を残すのみで城の遺構は何も残っていない。

この『関ヶ原の戦い』で戦功のあった『井伊直政』は家康から石田三成の旧領であるこの佐和山の地を与えられたが三成と同じ佐和山に城を建てる事を嫌い、もっと琵琶湖寄りの地(現在の彦根市中心部)に新たな城を築城しようと考えていた。
DSCF8658.jpg
しかし直政は関ヶ原の戦いにおいて、逃げる西軍の島津義弘の軍を深追いした際に島津の鉄砲隊が放った弾が身体に命中し、その傷が原因で程なく亡くなってしまった。直政の嫡子直継によって築城の遺志は受け継がれ『彦根城』が建てられそれに伴い城下町も発展していったのだ。彦根市の発展は井伊直政その人無しでは語れないのである。<つづく>

◆関ヶ原の戦いで抜け駆けする井伊直政(勝野洋さんが演じてます)◆
大河ドラマ『葵徳川三代』より(23分40秒後に登場)
関ヶ原の戦いでの先陣の役目は福島正則(蟹江敬三さん)であったが井伊直政と松平忠吉が先に抜け駆けした。つまり一番槍の役目を福島正則は取られてしまったのである・・・。
怒る蟹江さんが面白い。
http://v.youku.com/v_playlist/f1267572o1p89.html


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幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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