2017-10

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『近江国・彦根』への旅/その12・大老ありてこそ

伊蔵は『玄宮園』の広大な庭園内を後にしてそのまま内濠と中濠の間を抜けて行った。その先にはちょっとした広場がある。その広場には一体の像が立っていた。
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日本史を習った者なら誰でも知っている『井伊直弼大老像』である。

◆『井伊直弼(いいなおすけ)』(1815~1860)
近江彦根藩第13代藩主。江戸幕府大老。『井伊直中』の十四男として生まれ、後に兄の12代藩主『井伊直亮』の養子になり13代藩主を継ぐ。江戸幕府の大老に就任してからはアメリカとの『日米修好通商条約』の調印や、いわゆる“安政の大獄”を行ない幕府に抵抗する反対派や尊皇攘夷派の志士達を次々に捕らえては斬罪に処し、幕府の権力と治安の維持に務めたが、その反動により江戸城桜田門外で水戸藩浪士達によって暗殺される。(桜田門外の変)
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日本史において“出過ぎる者は消される”という事がよくある。彼もそのひとりであった。長い日本の歴史をひも解いて行くと『蘇我馬子』しかり『源義経』しかり『織田信長』しかり、ここ数年では『ホリエモン』しかり。能力に引い出過ぎた者、強権を行使して改革を急速に断行する者、旧勢力を排除する者には何かしらの不思議な力が加わり、彼らを歴史の表舞台からいきなり引きずり降ろしてしまうのである。かといって彼らの非業の死は全くの無駄では無く、彼らがその時点の歴史に介在しなければその死の後の大いなる歴史の回転はなかった。歴史という“時の神”は変革期に合わせる様に必要とするべくして彼らをこの世にタイミング良く送り出したとしか思えないというところが歴史というものの面白さだろう。
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大老井伊直弼も天皇の勅許を待たずに『日米修好通商条約』を結んだり、『安政の大獄』ではかなりの酷い事を思い切って行なって非難を受けたが、彼は彼なりにそれは幕府の為、ひいては日本国の為に良き事であるという強い信念を持ってそれを断行した。彼は確かに非業の死を遂げたが、彼がいなければその後の歴史はひょっとしたら違ったものになったかもしれない。どうしても歴史教育では彼の行なった酷い部分だけに目が行ってしまいがちだが、むしろ彼は“開国を推し進めて日本を救った”という見方も出来る。
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『一身に 責負ひまして 立ちましし 大老ありてこそ 開港はなりぬ』 井伊文子

井伊大老像の脇に上の文字が刻まれた小さな碑文が立っている。彦根市長を勤めた直弼の曾孫にあたる『井伊直愛(いいなおよし)』さんの奥さんである文子さんの詩である。(文子さんは歌人で随筆家。琉球王室の子孫でもある)。もし直弼がこの時期の尊皇攘夷派を押さえなければ、暴走した彼らによって欧米列強との勝てるはずも無い無謀な戦争へと突入し日本はお隣の清国(中国)と同じ様な植民地と化していたかもしれないのだ。

彼は歴史の上でやるべき事をやって桜田門に散って行った。しかしその死は無駄ではなかった事はその後の歴史が証明している。もし彼が桜田門で暗殺されなかったならば彼が次にやろうとしていた事は果たして何だったのだろうか。<つづく>



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幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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