2017-09

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『信州松本』への旅・その13/国宝・松本城(9)

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アキラ氏と伊蔵は松本城天守閣最上階を極めた後、今度は逆に階下へ向かって降りて行った。松本城見学の最後に巡るのは大天守の脇に接続された『辰巳附櫓』と『月見櫓』である。この二つの建築は江戸時代になってから増築されたもの。平和な時代を迎えてから増築されたこれらの建築は武ばった部分は全く無い。
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その名が示す通り月見を目的とした櫓であり城という本来の目的“軍事拠点”という点では一見不必要な櫓だ。いや必要無いだろう。だがこの櫓が増築された事によって松本城天守閣の全容のバランスや見栄えが良くなっているという事は言える様に思う。
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月見櫓内部には松本城の古い写真(明治36年頃)が額に納められ飾られていた。写真をよく見ると瓦がところどころ剥がれ落ち、軒も波打ってぐにゃぐにゃに変型してしまいかなり荒廃が進んでいるのが分かる。
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明治維新後、日本各地の城は『旧物破壊思想』のもと多くが取り壊されたり競売にかけられたりした。この松本城も例外ではなく、明治五年に競売にかけられ235両余で落札され一時は破壊の危機にさらされたが、これを憂いた旧松本藩士『市川量造』らの苦心と努力により買い戻された。その後天守の保存に貢献するが城の荒廃は進むばかりで天守が大きく傾くなど崩壊寸前という状態までになってしまったという。これをまたまた憂いた松本中学校校長であった『小林有也』らが明治三十四年に天守保存会を設立し『明治の大修理』を11年がかりで行ない天守を崩壊の危機から救った。
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彼ら天守の保存に尽力した功労者達の努力のお蔭で今日我々をはじめとする多くの観光客は美しい天守閣を築城当時の姿のまま目にする事が可能なのである。多くの地元の人々の努力によって破壊から免れた松本城はとても幸せ者だ。それだけ地元の人達から昔から愛されていた城だったのだろう。それにしても先程天守最上階で目にしてしまったあの“落書き”はかえすがえすも非常に残念だ。天守保存を必死で行なった人々に対しこれでは申し訳が立たんではないか・・・。
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松本城天守閣が一番美しく見えるのはこの場所であろう。西南角から見るのが一番良い。先程月見櫓は城の櫓としては不必要なものだと語ったがこうして天守閣全体を見てみると月見櫓が在る事によって天守全体の美しさがより引き立つのである。まるで岩の上に大きな翼を広げて佇む大鷲を思わせるその姿はいつまで眺めていても飽きる事が無い。
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この城は外国人観光客にとってもなぜか人気の的だ。城内では沢山の外国人を見かけた。この質素でありながらどこか優雅さが漂い、なおかつ凛とした力強さが感じられるこの城の景観のどこかに“日本人の持つ文化の美しさ”というものを彼らは当の我々日本人よりも敏感に感じているのかもしれない。
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見学に予想以上に時間が掛かってしまった松本城天守閣であったが満足の一時だった。一度は見学を断念してしまった過去があったので今回の見学は喜びもひとしおだった。やはりこの城は美しい。ますます『松本城』が好きになった。<つづく>
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