2017-09

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安土城その2

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言うまでも無くこの「安土城」は織田信長の城である。五層七重の城でその特異な形、絢爛さは日本の城郭には今まで無かった事もさることながら、ポルトガル人宣教師も驚嘆し、ヨーロッパにも紹介された珍しい日本の城だ。この城は築城されてから「本能寺の変」の後、焼けて廃城になるまでの期間が短く、まさに幻の城と言われている。この城がこれ以降の城郭建築の手本となったが、この特異な形の城はこの「安土城」をおいて他は無い。
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さて伊蔵は安土城址の「大手口」までやって来た。いよいよ登城だ!山上近くまで真っ直ぐ伸びる大手道に足を踏み入れました。
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おおお~巨大な石組が整然と郭を造っているのを見てちょっと感動を憶えました。大手道が真っ直ぐ天守近くまで伸びるこの構造も珍しい。普通、城と言うのは敵の侵入を防ぐ為に複雑な迷路のような構造をしている事が多いのですが安土城は違うようでした。城の造り方まで型破りって事でしょうか。大手道の階段を登って行くと左に「羽柴秀吉邸」、大手道をはさんで右側には「前田利家邸」と伝えられる遺構がありました。
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現在では屋敷は残っていませんが柱の礎石が見られます。山腹の斜面上下2つの郭を土地として屋敷が建っていたようです。秀吉と利家は同郷の出身だったし仲も良かった。はす向かい同士でどんな会話がなされていたのかと思うと面白い。
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大手道も上へ向かう程、急角度の登りになり始めた。ふと自分の足元を見ると奇妙なプレートが大手道の階段に嵌め込まれている・・・「何だろ??」と思って見てみると・・
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なんとそれは「石仏」であった!信長という人は神や仏は信じていなかった。そのためしばしば建築物を造る際、石垣の材料として墓石や地蔵、石仏などを使用した。彼にとっては仏などというものは人間が造り出したマヤカシであり、仏像などもただ単に金属や石でしかないという考え方の人だった。他にもいくつも石仏が材料として使われていました。実際にこのように発掘されたものをみると信長像がハッキリ目に浮かぶような気がしました。<つづく>
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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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