2017-08

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伊蔵の『飛騨高山』単独行・その5/弥生橋~桜山八幡宮へ

高山名物『宮川朝市』を堪能した伊蔵は高山市街北東部へ向かって歩く。高山市内でもこの地区に足を踏み入れるのは初めてだ。
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宮川の支流『江名子川』の小さな流れに掛かる『布引橋』という小橋を渡り古い町並の残る路地を進む。朝からはっきりしなかった天候もすっかり晴れたが少し肌寒い。
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高山市内で古い町並というと上一之町~上三之町辺りだが、そこは観光客の吹きだまり状態でゆっくりと建物を見て歩ける様な場所ではない。今伊蔵が歩いている大新町という地区は人通りこそ少ないもののしっかりと古い建物は残っており、ゆっくりと見て回る事が出来る。上の町家建築は『日下部民芸館』と『吉島家住宅』。国の重要文化財に指定されている。日下部家は天領時代(高山は幕府直轄地で代官所が置かれていた)幕府の御用商人として栄えた商家だったという。江戸時代の建物は火事で焼けてしまったので今現在見る事が出来るこの建物は明治12年に建てられたもので『民芸館』として開放されていて見学も可能。
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こちらは軒先にぶら下がっている『杉玉』からお察しの通り、造り酒屋で『日下部家』と同じく重文の『吉島家住宅』である。吉島家は代々酒造業、生糸、繭の売買、金融業と様々な事業を行なっていた豪商の家だったという。現在の建物は明治40年のもの。どちらの建築物もとても立派な木造建築物だ。

高山市も戦時中に米軍爆撃の被害を受けなかった数少ない都市のひとつ。しかし戦争末期に高山市の上空からまかれた米軍のモノクロ両面印刷の爆撃予告のビラ(このビラは高山市民の手によって保管、現存している)によると高山も遅いかれ早かれ爆撃を受ける運命にあったらしい。爆撃前に終戦になったのは幸いだった。もし爆撃を受けていたらば高山市は現在の様な国際的観光都市ではなかったかも知れない。
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伊蔵はなおも北へと歩いて行った。すると東西に通る大きな参道に出た。地図を見てみるとどうやら桜山八幡宮へと続く参道のようだ。伊蔵は八幡宮方面へと向かってみる事にした。
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伊蔵が進む参道の先に小高い山が見えてきた。麓には大きな鳥居も見える。どうやらこれが『桜山八幡宮』であるらしい。参道沿いにはいろいろなお店が建ち並んでいたが観光客が少なかった。しかし高山市内にこれほど大きな八幡宮があるとはこれまで知らなかった。今まで高山市内でも観光客が多く訪れる中心部ばかりに足を向けていたからだ。
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おお~随分立派な八幡宮・・・。
伊蔵は深い森の中へと続いている参道を奥へと歩いて行った。<つづく>


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Author:伊蔵
伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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