2017-08

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伊蔵の『飛騨高山』単独行・その9/高山城址(1)

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伊蔵は高山市街の東南に位置する城山の麓を歩き、高山城址の入口までやって来た。この石碑のある場所は城山の中腹のいくぶん下辺り。まだまだ山の中に続く坂道を登らねばならない。手元の観光地図を確認すると、このまま登れば『二之丸公園』と呼ばれる公園があるはずだ。まずはそこを目指して伊蔵は坂道を登って行ったのだった。
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『二之丸公園』へと至る坂道は曲がりくねった急な坂道だった。道沿いの樹木は程よく色付いていてとても綺麗だった。Sの字の坂を登り切ると平らな場所に駐車場と広い公園が見えて来た。『二之丸公園』だ。公園には観光客はほとんどいない。地元の人だろうか犬を散歩する人、それにはしゃぎ回る子供のみ。『高山城』とはいっても立派な城が現存している訳ではなく、かつて城が建っていたという山が残るのみ。わざわざ大挙して観光客が訪れる様なスポットではないのだ。
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その『二之丸公園』の中央部に立派な像が建っている。
戦国武将『金森長近(かなもり ながちか)』(1525年~1608年)の像である。彼は美濃の斎藤氏、尾張の織田氏、賎ヶ岳の戦い(羽柴秀吉と柴田勝家との戦い)後は豊臣氏、後に徳川氏の家臣と上手く主君を替えて戦国時代を生き抜いた武将である。秀吉の元で数々の戦功を挙げた彼は天正14年(1586年)飛騨国三万三千石を与えられた。

彼が高山の当時『天神山城』と呼ばれた城のあったこの場所に新たに城を築き始めたのはこの時からであった。その建設は13年の歳月を費やして本丸と二之丸を完成させ、以後3年をかけて三之丸を築いたという。金森氏は長近から6代に渡って飛騨高山藩を支配したが、6代藩主頼時の時代に出羽上山に転封。以後、高山の地は江戸幕府の直轄地(天領)となり金森氏が建てた『高山城』は破却され、歴史からその姿を完全に消す事になった。
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金森長近が築き6代に渡って発展させた『高山城』がどのような城であったのかは文献などから想像出来る範囲に限られているがかなり立派な城であったらしい。伊蔵はその『高山城』の本丸のあった山頂を目指して城の『搦手口』に当たる場所から山中へと分け入ってみる事にした。<つづく>


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伊蔵と申します。
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お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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