2017-07

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伊蔵の『飛騨高山』単独行・その11/高山城址(3)

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高山城本丸屋形の跡地には何も無かったが、素晴らしい自然がそこにはあった。とにかくここは紅葉が綺麗だった。観光客も来ないのでこの美しい風景を独り占め出来る。しばし見とれていると先程山道の途中で抜き去った若いカップルがやっと山頂に姿を現わした(笑)お邪魔な伊蔵は山頂を後にする事に。帰りは来た道の反対側の山道を降りて行く事にした。
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下りの山道は熊笹に囲まれた紅いモミジの絨毯で敷き詰められていた。山道は湿っていて滑りやすく伊蔵はコケない様に十分に注意しながら下った。山道を下る途中にも所々に平らな土地があり、そこが昔の屋敷の跡だと言う事が何となく分かる。
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しかしこの人気の無い城山は紅葉を見るには最高のスポットだ。訪れた時期が本当に良かった。赤や黄色に色付いた樹木を眺めながら山道を下る伊蔵の前に『中佐平(ちゅうさだいら)』と呼ばれる一風変わった名称の一画が現れた。一体何なのだろうか。
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その一画には一体の胸像が置かれていた。むむむ・・?誰だろう。軍人さんの様だが。伊蔵はその胸像が誰なのか確かめる為に近づいて見る事に。
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あああ!これは『広瀬中佐』ではないか!なぜこんなところに・・

◆広瀬 武夫/ひろせ たけお(1889~1904)
明治時代の大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中佐。大分県生まれ。日露戦争での『旅順港閉塞作戦』での壮烈なその戦死の逸話は有名で日露戦争後に『軍神』となった。

伊蔵は『広瀬中佐』という人物については司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』という小説を読んだ事で知っていた(この物語は今年の秋にNHKでドラマとして放送される)。しかし彼の胸像が高山にあるとは思ってもみなかった。
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彼の日露戦における逸話の詳細は上の画像の案内板を読んで欲しい。彼は部下の杉野兵曹長を助ける為に『杉野は何処、杉野は居ずや』と叫びつつ船内を三度も捜索を続けたが結局発見出来ず、ボートに乗って脱出しようとした時にロシア軍の砲弾の直撃を受けて壮烈な戦死をとげた。享年36歳。彼のこの行為は長く軍人の鑑とされ、文部省唱歌としても歌われた。

◆広瀬中佐/文部省唱歌(YouTubeより)
http://jp.youtube.com/watch?v=RlWMfRydU28

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彼の胸像がこの高山にあるのは、大分県の実家が西南戦争で焼け一家で飛騨高山へ移り住んだことから来ているらしい。広瀬もこの町の小学校を卒業している。
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こうして伊蔵の高山城址巡りは終わった。城の遺構は石垣くらいしか遺っていなかったが秋らしい紅葉が拝めたのは良かった。<つづく>





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伊蔵と申します。
幻の焼酎から名を頂きました。
お酒・一人旅・自転車・麺類好き・歴史・読書・雑学・ネット・路地裏散策・廃道・街道・地図マニア。血液型:B型

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